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第二話 不安
先々代チャベス侯爵夫人のことを思い出して、私は身に着けたままだった装身具も外してロレンソに渡した。
侯爵家に伝わる宝石を持って出て、泥棒扱いされてもつまらない。
父に捨てられたと思っていた以前の私は先々代夫人に気に入られたくて必死で、その気持ちを上手く利用されていた。
実際の先々代夫人は私のことを気に入っても認めてもいなかったと思う。
ロレンソと同じように、ただの平民の娘と見下していた。
前世の記憶が戻って冷静になった今ならわかる。
あ、そういえば前世の記憶が戻った私は冷静になってたから、ロレンソにデロタの母親のこと教えてないや。
彼はまだデロタの母親は自分の母の妹で、結婚を認められなくて駆け落ちしただけって思ってるのかな。
まあ今の私はロレンソに執着してないから、ふたりの仲を裂く必要もないし、このまま言わずに去るけどね。
先々代夫人が私を引き取ってロレンソの婚約者に据えたのは、天才薬師である父への人質としてだ。
何代も前に鉱物資源を掘り尽くした侯爵領の新しい産業として、天才薬師に認められた薬を製造販売したかったのである。
仕事莫迦の父は娘が貴族令嬢として育ててもらえるというだけで契約しようとしていたんだけど、薬師協会が先々代夫人の企みに気づいて父と侯爵家の契約に介入してくれた。
父の今後を心配せずに婚約破棄を受け入れられるのは薬師協会のおかげだ。薬師協会の介入がなかったら、ロレンソ有責の婚約破棄でも父がお金を払って一生ただ働きさせられるような契約を結ばされていたかもしれない。
「それでは失礼いたしますわ。皆様、ごきげんよう」
婚約破棄の書類に署名して、控えを貰って私は立ち上がった。
ロレンソの隣で嘲笑を見せていたデロタは目を丸くしているし、侯爵邸の使用人達も少し離れたところで驚いたような表情をしている。
なにしろ以前の私はロレンソに執着していた。
先々代夫人の葬儀以降おとなしかったのは、死者を偲んでいたからだとでも思われていたのだろう。少女漫画の中ではこの一ヶ月ほどの間もロレンソに執着して、デロタにきゃんきゃん吠え付いてたんだけどね。
とはいえ婚約者がほかの女性と親しくしていたら怒るのは当たり前だし、学園在学中に追いかけてたのは先々代夫人の秘書もどきとして、当主の決裁を求めていたからだし……うん、やっぱり前世の記憶が戻る前から私、ロレンソ愛してなかったわ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
……これで良いのかなあ。
王都職人街へ向かう乗合馬車の中で、ぼんやりと思う。
いや、私の人生についてはこれで良いと思ってる。
実家へ戻って父の弟子になって、憧れの薬師を目指すのだ。うん、昔からの夢だもの。
殺人鬼のほうは、最終的にロレンソが退治する。
手先にならなければ、私が毒を飲んで死ぬことはない。
少女漫画『愛の花を君に捧げよう』の中で私が毒を飲むのは、殺人鬼に命じられてデロタの茶碗に毒を入れたのを見とがめられて、飲んでみろとロレンソに言われるからだ。
だから殺人鬼と会わなければ大丈夫。
でも──このままだと犠牲者が出るのだ。
その犠牲者はだれかわからない。王都の高級宿に泊まっている男性だということ以外はなにも。中年で浅黒い感じの肌で……うーん、裕福な平民っぽかったかな? 武人系の貴族と言われればそんな気も?
少女漫画の中の私は、実家に戻らず殺人鬼と同じ高級宿に泊まった。
ある夜、薬草事典を読む手を休めて宿の中庭を見ると、そこで見知らぬ中年男を絞殺している殺人鬼を目撃してしまうのだ。
慌てて窓の横の明かりを消すが遅く、殺人鬼は私に気づいてしまう。相手の次の標的が憎い恋敵デロタだということもあって、私は彼の手先になるのだ。今の私にとってのデロタは恋敵でもなんでもないけどね。
それに、目撃したことを言い触らしたら殺すとでも脅されてたんじゃないかな。
殺人鬼に対して私が怯えているような描写も何度かあったし。
会いさえしなければ私は巻き込まれないんだけど、最初の犠牲者は私関係なく殺されちゃうんだよねえ。だれなんだろ。
知っててなにもしないのは、さすがに罪悪感が湧く。
でもなあ、殺す前の殺人鬼を殺人鬼なんですと訴えるわけにはいかないし、見ず知らずの犠牲者に殺されますよ、と教えても聞いてくれないだろうし。
そもそもあの殺人が起こったのが『いつ』なのかもわからない。
乗合馬車から降りて高級宿に入る私。
場面が変わってロレンソとデロタの日々。
数日経ったとおぼしき描写の後で殺人鬼登場、私に視点が戻って殺人目撃。
だったから『今日』ではないと思うんだけど。
考えているうちに馬車が職人街に止まった。
心臓の動悸が激しくなる。前世の記憶で父に愛されていると判断したが、それで良かったのだろうか。
どんなに似ていると感じていても、この世界は少女漫画『愛の花を君に捧げよう』そのままではないかもしれない。現実の世界なのだもの。
……父は私を愛してなどいないのかもしれない。
侯爵家に伝わる宝石を持って出て、泥棒扱いされてもつまらない。
父に捨てられたと思っていた以前の私は先々代夫人に気に入られたくて必死で、その気持ちを上手く利用されていた。
実際の先々代夫人は私のことを気に入っても認めてもいなかったと思う。
ロレンソと同じように、ただの平民の娘と見下していた。
前世の記憶が戻って冷静になった今ならわかる。
あ、そういえば前世の記憶が戻った私は冷静になってたから、ロレンソにデロタの母親のこと教えてないや。
彼はまだデロタの母親は自分の母の妹で、結婚を認められなくて駆け落ちしただけって思ってるのかな。
まあ今の私はロレンソに執着してないから、ふたりの仲を裂く必要もないし、このまま言わずに去るけどね。
先々代夫人が私を引き取ってロレンソの婚約者に据えたのは、天才薬師である父への人質としてだ。
何代も前に鉱物資源を掘り尽くした侯爵領の新しい産業として、天才薬師に認められた薬を製造販売したかったのである。
仕事莫迦の父は娘が貴族令嬢として育ててもらえるというだけで契約しようとしていたんだけど、薬師協会が先々代夫人の企みに気づいて父と侯爵家の契約に介入してくれた。
父の今後を心配せずに婚約破棄を受け入れられるのは薬師協会のおかげだ。薬師協会の介入がなかったら、ロレンソ有責の婚約破棄でも父がお金を払って一生ただ働きさせられるような契約を結ばされていたかもしれない。
「それでは失礼いたしますわ。皆様、ごきげんよう」
婚約破棄の書類に署名して、控えを貰って私は立ち上がった。
ロレンソの隣で嘲笑を見せていたデロタは目を丸くしているし、侯爵邸の使用人達も少し離れたところで驚いたような表情をしている。
なにしろ以前の私はロレンソに執着していた。
先々代夫人の葬儀以降おとなしかったのは、死者を偲んでいたからだとでも思われていたのだろう。少女漫画の中ではこの一ヶ月ほどの間もロレンソに執着して、デロタにきゃんきゃん吠え付いてたんだけどね。
とはいえ婚約者がほかの女性と親しくしていたら怒るのは当たり前だし、学園在学中に追いかけてたのは先々代夫人の秘書もどきとして、当主の決裁を求めていたからだし……うん、やっぱり前世の記憶が戻る前から私、ロレンソ愛してなかったわ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
……これで良いのかなあ。
王都職人街へ向かう乗合馬車の中で、ぼんやりと思う。
いや、私の人生についてはこれで良いと思ってる。
実家へ戻って父の弟子になって、憧れの薬師を目指すのだ。うん、昔からの夢だもの。
殺人鬼のほうは、最終的にロレンソが退治する。
手先にならなければ、私が毒を飲んで死ぬことはない。
少女漫画『愛の花を君に捧げよう』の中で私が毒を飲むのは、殺人鬼に命じられてデロタの茶碗に毒を入れたのを見とがめられて、飲んでみろとロレンソに言われるからだ。
だから殺人鬼と会わなければ大丈夫。
でも──このままだと犠牲者が出るのだ。
その犠牲者はだれかわからない。王都の高級宿に泊まっている男性だということ以外はなにも。中年で浅黒い感じの肌で……うーん、裕福な平民っぽかったかな? 武人系の貴族と言われればそんな気も?
少女漫画の中の私は、実家に戻らず殺人鬼と同じ高級宿に泊まった。
ある夜、薬草事典を読む手を休めて宿の中庭を見ると、そこで見知らぬ中年男を絞殺している殺人鬼を目撃してしまうのだ。
慌てて窓の横の明かりを消すが遅く、殺人鬼は私に気づいてしまう。相手の次の標的が憎い恋敵デロタだということもあって、私は彼の手先になるのだ。今の私にとってのデロタは恋敵でもなんでもないけどね。
それに、目撃したことを言い触らしたら殺すとでも脅されてたんじゃないかな。
殺人鬼に対して私が怯えているような描写も何度かあったし。
会いさえしなければ私は巻き込まれないんだけど、最初の犠牲者は私関係なく殺されちゃうんだよねえ。だれなんだろ。
知っててなにもしないのは、さすがに罪悪感が湧く。
でもなあ、殺す前の殺人鬼を殺人鬼なんですと訴えるわけにはいかないし、見ず知らずの犠牲者に殺されますよ、と教えても聞いてくれないだろうし。
そもそもあの殺人が起こったのが『いつ』なのかもわからない。
乗合馬車から降りて高級宿に入る私。
場面が変わってロレンソとデロタの日々。
数日経ったとおぼしき描写の後で殺人鬼登場、私に視点が戻って殺人目撃。
だったから『今日』ではないと思うんだけど。
考えているうちに馬車が職人街に止まった。
心臓の動悸が激しくなる。前世の記憶で父に愛されていると判断したが、それで良かったのだろうか。
どんなに似ていると感じていても、この世界は少女漫画『愛の花を君に捧げよう』そのままではないかもしれない。現実の世界なのだもの。
……父は私を愛してなどいないのかもしれない。
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