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第三話 殺人鬼
去っていく乗合馬車を見送ってから、私は自分の頬を両手で叩いて気合を入れた。
薬草事典を入れた鞄は足元に置いている。
悩んでたって仕方がない。今世で学んだ読み書き計算礼儀作法だけでも仕事は見つけられるし、前世の記憶もある。個人情報はふわっとしてるけど、前世家電の知識を今世で使われている魔道具に応用することも出来るだろう。
愛されていなくても生きていける。
ふわっとした前世の記憶では独身喪女だったものの、幸せだったと感じている。
うん、とりあえず前に進もう。憧れの薬師は、お金を稼いで自力で目指しても良いのだし。
足を踏み出して思いつく。
さっき不安で動けなかったときに見送った馬車の側面には、指名手配犯の似顔絵が貼られていた。何年か前に始まった制度で、数年前この制度で通報された指名手配犯が王都の衛兵隊に捕縛されたと聞いている。
実際に見るのは初めてだった。チャベス侯爵家に引き取られてからは、侯爵家の馬車で移動していたからだ。
はっきり断言は出来ないのですが……
などと、心の中で手紙の文面を考えながら歩き出す。
高級宿に匿名で、指名手配犯によく似た人間が入って行ったような気がすると手紙を出そう。
それくらいなら名誉棄損にならないだろうし、宿の人間の監視が厳しい状態なら殺人鬼も犯行に及べないだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
実家の扉を開けて出て来た父は、私の顔を見て言葉を失った。
私も言葉が出てこない。
長い沈黙の後、父が問う。
「……どうした?」
「えっと……ロレンソ様に婚約破棄されて帰って来たの。八歳のお誕生日に貰った薬草事典とこの鞄以外なにも持ってないから、しばらく家にいてもいい?」
「莫迦がっ」
「!」
「エミリア、ここはお前の家だ。しばらくなんて言わずに、いつまでもいれば良い」
そこまで言って、父は私を抱き締めた。
「すまない、すまないエミリア。俺みたいな気の利かない男親と暮らすより、貴族令嬢として育てられたほうが幸せだと思ってたんだ。人生の大切な十年をこき使われた後で、なにひとつ与えられずに放り出されるなんて……」
「お父さん……お父さん……っ」
「薬師協会の会長に言って、チャベス侯爵家には報いを受けさせてやるからな!」
良かった、父はちゃんと私を愛してくれていたんだ!
父の腕の中で泣きながら、私は思った。
それはそれとして、説明も無しに余所の家に行かされたら、子どもは捨てられたと思うでしょうが! お互いに気持ちが落ち着いたら、しっかりお説教させてもらうからね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今の私は前世の知識を得ただけの今世の人間、と言いたいのだけれど、本来の今世の私から考えると穏やかになったような気がする。
まあ知らなかったことを知っただけでも人間は変わるし、父に捨てられたと思って傷ついている自分を利用していただけの人達に必死で媚びを売っていた生活から解放されたんだから、イライラギスギスが無くなるのも道理かもしれない。
薬師になることは父も応援してくれたし、大通りの高級宿に手紙も送った。
後は第二の人生を幸せに生きるだけ、のはずなのに──なんで私は、殺人鬼と大通りを散策しているんだろう。
少女漫画『愛の花を君に捧げよう』に出てくる殺人鬼は、ヒロイン・デロタの父方の親族だ。
セラーノ子爵家の当主でもある。
デロタの母親デスディチャを選んでロレンソの母イザベルを捨てた男性は、セラーノ伯爵家の次男だった。殺人鬼は長男の息子に当たる。
爵位が違うのは、次男と絶縁した後で、セラーノ家が領地を売って降爵を願い出たからだ。
領地を売ることになったのは、イザベルとの婚約が無くなって先々代侯爵夫人の実家からの援助を受けられなくなったことで事業が成り立たなくなったのと、今は亡き愛人の産んだ最愛の娘と引き離された先々代侯爵に嫌がらせを受けたことが原因だ。
嫌がらせするくらいなら、先々代夫人と離縁してでも愛人の娘を守れば良かったのにね。娘より自分の贅沢な生活を選んだくせに、身勝手極まりない。
そもそも諸悪の根源の次男はいなくなってるんだから、残されたセラーノ家にとっては理不尽でしかない。
援助が受けられなくなったのは当然だけど。
不貞するような人間に育てたのが悪いというのなら、先々代侯爵も異母姉の婚約者を寝取るような娘を育てた責任を取るべきだった。
そんなこんなで子爵となったセラーノ家の先代当主だった長男は苦労し、今の当主である殺人鬼も頑張ってきた。
ああ、いや、今はまだ殺人はしてないかな?
私やロレンソよりもふたつ年上の彼、フェルナンドは苦労の末に早死にした父親の跡を継いで、学園在学中から子爵家当主として努力してきたのだ。
もちろん、だから殺人鬼になっても良いってわけじゃないんだけどさ。
薬草事典を入れた鞄は足元に置いている。
悩んでたって仕方がない。今世で学んだ読み書き計算礼儀作法だけでも仕事は見つけられるし、前世の記憶もある。個人情報はふわっとしてるけど、前世家電の知識を今世で使われている魔道具に応用することも出来るだろう。
愛されていなくても生きていける。
ふわっとした前世の記憶では独身喪女だったものの、幸せだったと感じている。
うん、とりあえず前に進もう。憧れの薬師は、お金を稼いで自力で目指しても良いのだし。
足を踏み出して思いつく。
さっき不安で動けなかったときに見送った馬車の側面には、指名手配犯の似顔絵が貼られていた。何年か前に始まった制度で、数年前この制度で通報された指名手配犯が王都の衛兵隊に捕縛されたと聞いている。
実際に見るのは初めてだった。チャベス侯爵家に引き取られてからは、侯爵家の馬車で移動していたからだ。
はっきり断言は出来ないのですが……
などと、心の中で手紙の文面を考えながら歩き出す。
高級宿に匿名で、指名手配犯によく似た人間が入って行ったような気がすると手紙を出そう。
それくらいなら名誉棄損にならないだろうし、宿の人間の監視が厳しい状態なら殺人鬼も犯行に及べないだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
実家の扉を開けて出て来た父は、私の顔を見て言葉を失った。
私も言葉が出てこない。
長い沈黙の後、父が問う。
「……どうした?」
「えっと……ロレンソ様に婚約破棄されて帰って来たの。八歳のお誕生日に貰った薬草事典とこの鞄以外なにも持ってないから、しばらく家にいてもいい?」
「莫迦がっ」
「!」
「エミリア、ここはお前の家だ。しばらくなんて言わずに、いつまでもいれば良い」
そこまで言って、父は私を抱き締めた。
「すまない、すまないエミリア。俺みたいな気の利かない男親と暮らすより、貴族令嬢として育てられたほうが幸せだと思ってたんだ。人生の大切な十年をこき使われた後で、なにひとつ与えられずに放り出されるなんて……」
「お父さん……お父さん……っ」
「薬師協会の会長に言って、チャベス侯爵家には報いを受けさせてやるからな!」
良かった、父はちゃんと私を愛してくれていたんだ!
父の腕の中で泣きながら、私は思った。
それはそれとして、説明も無しに余所の家に行かされたら、子どもは捨てられたと思うでしょうが! お互いに気持ちが落ち着いたら、しっかりお説教させてもらうからね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今の私は前世の知識を得ただけの今世の人間、と言いたいのだけれど、本来の今世の私から考えると穏やかになったような気がする。
まあ知らなかったことを知っただけでも人間は変わるし、父に捨てられたと思って傷ついている自分を利用していただけの人達に必死で媚びを売っていた生活から解放されたんだから、イライラギスギスが無くなるのも道理かもしれない。
薬師になることは父も応援してくれたし、大通りの高級宿に手紙も送った。
後は第二の人生を幸せに生きるだけ、のはずなのに──なんで私は、殺人鬼と大通りを散策しているんだろう。
少女漫画『愛の花を君に捧げよう』に出てくる殺人鬼は、ヒロイン・デロタの父方の親族だ。
セラーノ子爵家の当主でもある。
デロタの母親デスディチャを選んでロレンソの母イザベルを捨てた男性は、セラーノ伯爵家の次男だった。殺人鬼は長男の息子に当たる。
爵位が違うのは、次男と絶縁した後で、セラーノ家が領地を売って降爵を願い出たからだ。
領地を売ることになったのは、イザベルとの婚約が無くなって先々代侯爵夫人の実家からの援助を受けられなくなったことで事業が成り立たなくなったのと、今は亡き愛人の産んだ最愛の娘と引き離された先々代侯爵に嫌がらせを受けたことが原因だ。
嫌がらせするくらいなら、先々代夫人と離縁してでも愛人の娘を守れば良かったのにね。娘より自分の贅沢な生活を選んだくせに、身勝手極まりない。
そもそも諸悪の根源の次男はいなくなってるんだから、残されたセラーノ家にとっては理不尽でしかない。
援助が受けられなくなったのは当然だけど。
不貞するような人間に育てたのが悪いというのなら、先々代侯爵も異母姉の婚約者を寝取るような娘を育てた責任を取るべきだった。
そんなこんなで子爵となったセラーノ家の先代当主だった長男は苦労し、今の当主である殺人鬼も頑張ってきた。
ああ、いや、今はまだ殺人はしてないかな?
私やロレンソよりもふたつ年上の彼、フェルナンドは苦労の末に早死にした父親の跡を継いで、学園在学中から子爵家当主として努力してきたのだ。
もちろん、だから殺人鬼になっても良いってわけじゃないんだけどさ。
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