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3・X+10年7月7日③
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高校時代の漫研の後輩、井上類が住むマンションは、菜乃花のアパートから電車で三駅ほど離れた地域にある。
類は最初の連載をしていたとき、このマンションを購入したのだった。
駅裏はもちろん、ショッピングセンターがある辺りとも比べものにならないほど栄えている場所である。この地方の中心部といっていい、いわゆる繁華街だ。
裏通りにはいかがわしい店が多く、高校のころはあまり行かないようにと言われていた。
山に見下ろされた小さな田舎町であっても、問題は生じるものだ。
「……部長、先輩。こんな遅くにすいません。締め切りまで余裕があったから、ひとりで大丈夫だと思ってたんですけど」
「アシスタントさんを雇うとお金がかかるものね」
「わたしたちはお金じゃなくて夕食とかでいいからね」
「ありがとうございます」
今の類は、バイトをしながら漫画を描いていた。
金銭的に苦しいはずだ。
雑誌に載った読み切りの原稿料だけで生活するのは難しい。
連載がないと定期的に単行本が出ないのだから。
そもそも読み切りは、単行本になるかどうかもわからない。
扉を開けてふたりを迎え入れた類は、タオル地のバンダナで前髪を上げていた。
高校時代は伸ばした前髪で隠していた端正な顔が、露わになっている。
背も高くすらりとした体躯の彼が高校時代にも顔を見せていたら、かなりモテていたのではないかと思われた。
忙しくて髭も剃っていないのではないかと期待していた菜乃花だが、類は剥きたて茹で卵のようにツルツルの顔だった。菜乃花たちが来るので、きちんと身支度したのかもしれない。
机が並んだ仕事部屋に入ると、弥生が持って来たバッグから数枚のCDを取り出した。
満面の笑顔で言う。
「睡魔に負けないよう、厳選したBLドラマのCDを持ってきました」
彼女は筋金入りの腐女子──いわゆるBL、男性同士の恋愛ものを好む女性──なのである。
中学からの長い付き合いだけれど、菜乃花はその趣味に引き込まれていない。
しっかり者の弥生でなく、どちらかといえばのんびり者の菜乃花が部長を任命されたのは、漫研の部室がBL漫画で埋まることを懸念した顧問の采配であった。そうでなくても前の部長の麻宮渚が部室の本棚にBL漫画を詰め込んでいたので、これは英断だったと言えるだろう。
類は、たとえようもなく冷たい目で弥生を見た。
「……却下です」
「直截的なシーンはないのよ? ちょっとイチャイチャしてるだけなの」
「却下ですってば」
「期待の新鋭BL作家のジュジュ先生初のドラマCDなのよ? もちろん私はCDのついた特装版と通常版を両方買ったわ。だって巻末のおまけ漫画が違うんですもの。通常版のおまけ漫画はジュジュ先生お得意の猫耳ものなの。ルイルイも猫好きでしょう? 今度持ってきましょうか」
「弥生ちゃん?」
「はーい。1・嫌がる人に無理矢理勧めない、2・リアルの人間を妄想の対象にしない、3・年齢制限は守る、ですね、部長」
高校時代に約束させた誓いだ。
頷いて、菜乃花は類に指定された席に腰かけた。
(まあ、もう3は関係ないんだけどね)
三人とも二十歳を過ぎている。三十歳も近いのだ。
弥生も菜乃花の向かい側の席に座り、類が横に飛び出たお誕生日席に腰を降ろした。
室内の大きなTVをつけて、類が指示を出す。
「とりあえず、おふたりとも前の机にある原稿の消しゴムかけをお願いします。終わったら、次の作業をお願いしますので」
「ルイルイ、原稿はこれで全部なのかしら? 読みきりなら、もう少しページがもらえるんじゃない?」
「……残りの原稿は、これから僕がペン入れします」
「類くん、締め切りは?」
「……明後日です」
かなりギリギリの日程だ。
プロのアシスタントならまだしも、素人に過ぎない菜乃花と弥生がどれだけ力になれるものか。
考えていても仕方がないので、菜乃花は消しゴムを手に取った。
類は最初の連載をしていたとき、このマンションを購入したのだった。
駅裏はもちろん、ショッピングセンターがある辺りとも比べものにならないほど栄えている場所である。この地方の中心部といっていい、いわゆる繁華街だ。
裏通りにはいかがわしい店が多く、高校のころはあまり行かないようにと言われていた。
山に見下ろされた小さな田舎町であっても、問題は生じるものだ。
「……部長、先輩。こんな遅くにすいません。締め切りまで余裕があったから、ひとりで大丈夫だと思ってたんですけど」
「アシスタントさんを雇うとお金がかかるものね」
「わたしたちはお金じゃなくて夕食とかでいいからね」
「ありがとうございます」
今の類は、バイトをしながら漫画を描いていた。
金銭的に苦しいはずだ。
雑誌に載った読み切りの原稿料だけで生活するのは難しい。
連載がないと定期的に単行本が出ないのだから。
そもそも読み切りは、単行本になるかどうかもわからない。
扉を開けてふたりを迎え入れた類は、タオル地のバンダナで前髪を上げていた。
高校時代は伸ばした前髪で隠していた端正な顔が、露わになっている。
背も高くすらりとした体躯の彼が高校時代にも顔を見せていたら、かなりモテていたのではないかと思われた。
忙しくて髭も剃っていないのではないかと期待していた菜乃花だが、類は剥きたて茹で卵のようにツルツルの顔だった。菜乃花たちが来るので、きちんと身支度したのかもしれない。
机が並んだ仕事部屋に入ると、弥生が持って来たバッグから数枚のCDを取り出した。
満面の笑顔で言う。
「睡魔に負けないよう、厳選したBLドラマのCDを持ってきました」
彼女は筋金入りの腐女子──いわゆるBL、男性同士の恋愛ものを好む女性──なのである。
中学からの長い付き合いだけれど、菜乃花はその趣味に引き込まれていない。
しっかり者の弥生でなく、どちらかといえばのんびり者の菜乃花が部長を任命されたのは、漫研の部室がBL漫画で埋まることを懸念した顧問の采配であった。そうでなくても前の部長の麻宮渚が部室の本棚にBL漫画を詰め込んでいたので、これは英断だったと言えるだろう。
類は、たとえようもなく冷たい目で弥生を見た。
「……却下です」
「直截的なシーンはないのよ? ちょっとイチャイチャしてるだけなの」
「却下ですってば」
「期待の新鋭BL作家のジュジュ先生初のドラマCDなのよ? もちろん私はCDのついた特装版と通常版を両方買ったわ。だって巻末のおまけ漫画が違うんですもの。通常版のおまけ漫画はジュジュ先生お得意の猫耳ものなの。ルイルイも猫好きでしょう? 今度持ってきましょうか」
「弥生ちゃん?」
「はーい。1・嫌がる人に無理矢理勧めない、2・リアルの人間を妄想の対象にしない、3・年齢制限は守る、ですね、部長」
高校時代に約束させた誓いだ。
頷いて、菜乃花は類に指定された席に腰かけた。
(まあ、もう3は関係ないんだけどね)
三人とも二十歳を過ぎている。三十歳も近いのだ。
弥生も菜乃花の向かい側の席に座り、類が横に飛び出たお誕生日席に腰を降ろした。
室内の大きなTVをつけて、類が指示を出す。
「とりあえず、おふたりとも前の机にある原稿の消しゴムかけをお願いします。終わったら、次の作業をお願いしますので」
「ルイルイ、原稿はこれで全部なのかしら? 読みきりなら、もう少しページがもらえるんじゃない?」
「……残りの原稿は、これから僕がペン入れします」
「類くん、締め切りは?」
「……明後日です」
かなりギリギリの日程だ。
プロのアシスタントならまだしも、素人に過ぎない菜乃花と弥生がどれだけ力になれるものか。
考えていても仕方がないので、菜乃花は消しゴムを手に取った。
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