一昨日のキス、明日にキス

豆狸

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2・X+10年7月7日②

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 なんだか泣きたい気持ちになったとき、菜乃花は携帯の点滅に気づいた。
 スマホではないし、最新式でもないけれど、それなりに使いやすい機種だ。
 白い携帯を確認すると、何通かメールが来ている。
 受信箱を開いて、菜乃花は苦笑した。
 おかしな件名が並んでいる。

『私ヤヨイ。今、自分のお部屋にいるの』
『私ヤヨイ。今、家を出て駐車場にいるの』
『私ヤヨイ。これから車を発進させるわ』
『私ヤヨイ。今、あなたのアパートの駐車場に着いたわ』

 差出人は全部同じだ。
 また携帯が点滅して新しいメールが届く。

『私ヤヨイ。今、あなたのお部屋の前にいるの』

 文章が目に入ると同時に、玄関でチャイムが鳴った。
 菜乃花は扉を開けて、アパートの外廊下に立つ彼女にメールを見せつける。

「二十八歳にもなって、なに子どもみたいなイタズラしてるの?」
「体が老いていくからといって、心まで老いていく必要はないでしょう? それに私、まだ二十七歳よ?」

 にこやかに微笑むのは、中学時代からの親友、小林弥生だった。
 真っ黒で真っ直ぐな長い髪に白皙の肌、体つきはほっそりしていてしなやかだ。
 楚々としたお嬢さま風の美女だが、性格はかなりお茶目で問題がある。

「ナノナノ、明日お休みよね? お時間いただけるかしら? 修羅場なの」
「もしかして類くん?」
「そう。ネームに気合を入れ過ぎて、時間の余裕がなくなったみたいよ」

 類こと井上類は菜乃花と弥生、ふたり共通の後輩だ。
 名前から女性をイメージされることが多いが、男性である。
 三人は高校時代、漫画研究部に属していた。
 菜乃花と弥生は読むほう専門だったけれど、類は違う。
 在学中にデビューして、大手少年漫画誌で連載を始めたのだ。
 初連載は三年続き、それなりにヒットしたもののアニメ化などにはつながらなかった。次の連載は数ヶ月で打ち切られ、以後は読み切りを描きながらチャンスを待っている。
 久しぶりのチャンスが来たと、この前聞いた覚えがあった。

(……気分転換になるかな)

 お菓子とシャワーで気力は沸いたし、なによりこのままひとりでアパートにいたらきっと、いつまでも冴島旭のことを考えてしまう。
 どんなに考えても彼の行方はわからないし、そもそも思い出せるほどの記憶もない。
 たった一度のデートはWデートで、冴島旭と親しかった男の子と仲良くなりたいクラスメイトの頼みで開催されたものだった。
 大丈夫、と答えて戸締りをし、菜乃花はメール通りアパートの駐車場に停められていた弥生の軽自動車に乗り込んだ。淡い水色の車である。
 読むほう専門だったとはいえ、菜乃花は二年三年と漫研の部長を務めた。一学年後輩の類を二年間手伝って、消しゴムかけとベタ塗りはマスターしている。
 エンジンをかけながら、弥生が尋ねてきた。

「ナノナノ、実家に戻らないの? 駅を越えたらすぐそこでしょう?」
「……うん、まあね」

 菜乃花が暮らすアパートがある辺りは、駅裏と呼ばれる地域だった。
 古い住宅街が主な地域で、電車の駅と線路を挟んで逆側のほうが栄えている。
 菜乃花の実家も通っていた高校もそちらにあった。
 住民の老齢化に伴い過疎化しつつある駅裏には、菜乃花たちの卒業後にできた向こう側のショッピングセンターに客を取られて寂れたシャッター商店街くらいしかない。
 いや高校のころからこの場所は寂れていた。
 毎朝、菜乃花はシャッターの前を通って駅へ行く。
 会社までは一駅で、正直なところ実家からのほうが近い。
 菜乃花がここを離れられないのは、たぶん寂れた商店街の中にある喫茶店が気になるからだ。十年前、店主である父親と高校生だった息子が行方不明になってから、ずっと閉店している店。

(きちんと告白して振られてたり、告白してなくても卒業で別れてたりしてたら、こんなにも引きずっていなかったのかな)

 残業だったこともあり、時刻はもう夜の十時を過ぎている。
 それでも駅の建物の向こうはまだ明るくて、弥生の車が進むこちら側の闇の深さを際立たせているかのように感じられた。
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