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10・X年7月9日⑥
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放課後の漫研部室の扉を開ければ、机に積み重ねたBL漫画を読んでいる少女がいる。
だけど、彼女は弥生ではなかった。
髪は長いが黒くはなく、真っ直ぐでもない。
ウェーブを描いた茶髪の少女、フルメイクのギャル、佐々木樹里だ。
「……佐々木さん?」
菜乃花が背中に声をかけると、彼女はびくっと体を震わせた。
読んでいたBL漫画を机に置いて、振り向いた笑顔は少し引き攣っている。
「はぁい、佐藤っち。……こ、こういう漫画もあるんだね。驚いちゃった」
離れた場所で椅子に座っていた類が、佐々木の言葉に目を丸くした。
「そうだったんですか? すいません。部長を訪ねて来られたので、てっきり小林先輩と同じ趣味の方かと思って、棚から抜いてるのがそっち系の漫画だって気づいてたのに、注意しなかったんです」
「ううん。うちが、表紙のイケメンに釣られただけだし。うん、こういうのもアリだよね」
佐々木は立ち上がり、机に置いていたBL漫画を棚へ戻しながら言う。
「佐藤っち、ちょっと話があるんだけどー」
横目で類を見て、彼女は文化部棟の外へ出てもらってもいいかと尋ねてきた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
菜乃花と佐々木は、文化部棟の建物の裏へ回った。
Wデートのことを話すのに緊張しているのはわかるが、裏庭のベンチでもいいのではないだろうか。
昼休みと違って部活本番の時間だから、コートで激しくボールを打ち合う音が、通行人の耳に内緒話が入るのを防いでくれるに違いない。
「……あ。さっき教室の窓から、佐々木さんが校門出るの見た気がするんだけど」
ふと思い出して口にすると、彼女は暗い表情で俯いた。
「うん。正門から出て裏門から入ってきた。うち、一年のときテニス部入って、すぐ辞めちゃったのよ。だからコートの横通るの、なんか気まずくて」
この高校のテニス部は元強豪だったせいか、練習がハードで上下関係も厳しい。
それは佐々木からではなく、卒業した麻宮という先輩から聞いた。麻宮の友達がテニス部だったのだ。
ともあれ、そういうことなら裏庭に行かない理由もわかる。
教室で話しかけてこなかったのは、クラスメイトに聞かれて八木に伝わるのが怖かったからだろう。あくまで偶然を装いたいのだ。
その気持ちもなんとなくわかる。
菜乃花はドキドキしながら、佐々木の話を待った。
「あのさ……佐藤っちって、映画好き?」
「う、うん。……アクションものとか、結構好き」
「マジ!」
佐々木は満面の笑みを浮かべて顔を上げた。
早口でまくし立ててくる。
「次の土曜日から上映になるアクション映画のチケットがたまたま四枚あるんだけど一緒に行かない? うちら以外のふたりは、あのー、佐藤っちって隣のクラスの冴島とよく話してるよね? 冴島ってさ、うちのクラスの八木っちと仲良いんだって。なんかチビっちゃいころから家族ぐるみで付き合ってるらしくて、だから、あの、冴島に言って八木っちも誘ったらどうかなーって」
「うん、ありがとう。……チケット代いくら?」
「も、もらったヤツだからいらないし」
彼女がこのために特典付きの前売り券を買ったのだということを、菜乃花は知っていた。
誘ってくれた映画は、数年前に上映されたものの続編だ。
土曜日のWデートで集まったとき、前作が大好きでDVDも買ったと話していた八木に、佐々木は前売り特典のキーホルダーを渡していた。
(八木くんは部活で忙しくて、前売り券買いに行ったときはもう特典付きが売り切れてたんだって言って、キーホルダーもらって喜んでたっけ)
十年間の記憶は断片的だけど、Wデートの日のことは鮮明だった。
それは当然だろう。初キスのことを思うと十八歳の菜乃花がうろたえるので、菜乃花は考えないよう努力した。本当は二十八歳の菜乃花もうろたえてしまう。
映画館は、十年後に類が住む予定の三駅先の繁華街にある。
待ち合わせの時間と場所を決めて佐々木と別れた菜乃花は、漫研の部室に戻った。
「類くん、弥生ちゃんどうしたか知ってる? 教室にはもういなかったんだけど」
「今度の日曜日に麻宮先輩が即売会に出るから、原稿手伝いに行ったみたいですよ。一度部室に来て、資料本抜いて帰っていきました」
漫画研究会にある資料本は卒業生が寄贈していったものと、家の本棚が片付かない現役部員がとりあえず置いているものの二種類ある。どちらも貸し出しは自由だった。現役部員が卒業時に本を引き取ることは滅多にない。
麻宮の原稿はBL色が強いので、菜乃花は手伝ったことがなかった。
この辺りの同人誌即売会は、映画館があるのと同じ繁華街の会場で開催される。
(なるほど。……あ、メール)
携帯を確認してみれば、弥生からのメールが来ていた。
高校入学時に契約した機種だ。
浮かれて決めたパステルなオレンジ色が、二十八歳の意識では少し照れくさい。
弥生から来たメールには、今日は先に帰るということと、日曜日の即売会で先輩の売り子をしないかという誘いが書かれていた。
菜乃花はOKのメールを送信した。
二十八歳の記憶でもOKした覚えがある。
即売会の後、弥生や麻宮と一緒に戻って来たら、その流れで自然に駅裏の冴島家の喫茶店に寄れるかもしれない。即売会に参加した記憶はあるものの、その後でどうしたのかははっきりしなかった。確かなのは、冴島家の喫茶店には行かなかったということだけだ。
(でも……弥生ちゃんと麻宮先輩はBLの話ばっかりだからな)
冴島の前で盛り上がられたらどうしようと思いながら、菜乃花は類に別れを告げて家へ帰った。
だけど、彼女は弥生ではなかった。
髪は長いが黒くはなく、真っ直ぐでもない。
ウェーブを描いた茶髪の少女、フルメイクのギャル、佐々木樹里だ。
「……佐々木さん?」
菜乃花が背中に声をかけると、彼女はびくっと体を震わせた。
読んでいたBL漫画を机に置いて、振り向いた笑顔は少し引き攣っている。
「はぁい、佐藤っち。……こ、こういう漫画もあるんだね。驚いちゃった」
離れた場所で椅子に座っていた類が、佐々木の言葉に目を丸くした。
「そうだったんですか? すいません。部長を訪ねて来られたので、てっきり小林先輩と同じ趣味の方かと思って、棚から抜いてるのがそっち系の漫画だって気づいてたのに、注意しなかったんです」
「ううん。うちが、表紙のイケメンに釣られただけだし。うん、こういうのもアリだよね」
佐々木は立ち上がり、机に置いていたBL漫画を棚へ戻しながら言う。
「佐藤っち、ちょっと話があるんだけどー」
横目で類を見て、彼女は文化部棟の外へ出てもらってもいいかと尋ねてきた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
菜乃花と佐々木は、文化部棟の建物の裏へ回った。
Wデートのことを話すのに緊張しているのはわかるが、裏庭のベンチでもいいのではないだろうか。
昼休みと違って部活本番の時間だから、コートで激しくボールを打ち合う音が、通行人の耳に内緒話が入るのを防いでくれるに違いない。
「……あ。さっき教室の窓から、佐々木さんが校門出るの見た気がするんだけど」
ふと思い出して口にすると、彼女は暗い表情で俯いた。
「うん。正門から出て裏門から入ってきた。うち、一年のときテニス部入って、すぐ辞めちゃったのよ。だからコートの横通るの、なんか気まずくて」
この高校のテニス部は元強豪だったせいか、練習がハードで上下関係も厳しい。
それは佐々木からではなく、卒業した麻宮という先輩から聞いた。麻宮の友達がテニス部だったのだ。
ともあれ、そういうことなら裏庭に行かない理由もわかる。
教室で話しかけてこなかったのは、クラスメイトに聞かれて八木に伝わるのが怖かったからだろう。あくまで偶然を装いたいのだ。
その気持ちもなんとなくわかる。
菜乃花はドキドキしながら、佐々木の話を待った。
「あのさ……佐藤っちって、映画好き?」
「う、うん。……アクションものとか、結構好き」
「マジ!」
佐々木は満面の笑みを浮かべて顔を上げた。
早口でまくし立ててくる。
「次の土曜日から上映になるアクション映画のチケットがたまたま四枚あるんだけど一緒に行かない? うちら以外のふたりは、あのー、佐藤っちって隣のクラスの冴島とよく話してるよね? 冴島ってさ、うちのクラスの八木っちと仲良いんだって。なんかチビっちゃいころから家族ぐるみで付き合ってるらしくて、だから、あの、冴島に言って八木っちも誘ったらどうかなーって」
「うん、ありがとう。……チケット代いくら?」
「も、もらったヤツだからいらないし」
彼女がこのために特典付きの前売り券を買ったのだということを、菜乃花は知っていた。
誘ってくれた映画は、数年前に上映されたものの続編だ。
土曜日のWデートで集まったとき、前作が大好きでDVDも買ったと話していた八木に、佐々木は前売り特典のキーホルダーを渡していた。
(八木くんは部活で忙しくて、前売り券買いに行ったときはもう特典付きが売り切れてたんだって言って、キーホルダーもらって喜んでたっけ)
十年間の記憶は断片的だけど、Wデートの日のことは鮮明だった。
それは当然だろう。初キスのことを思うと十八歳の菜乃花がうろたえるので、菜乃花は考えないよう努力した。本当は二十八歳の菜乃花もうろたえてしまう。
映画館は、十年後に類が住む予定の三駅先の繁華街にある。
待ち合わせの時間と場所を決めて佐々木と別れた菜乃花は、漫研の部室に戻った。
「類くん、弥生ちゃんどうしたか知ってる? 教室にはもういなかったんだけど」
「今度の日曜日に麻宮先輩が即売会に出るから、原稿手伝いに行ったみたいですよ。一度部室に来て、資料本抜いて帰っていきました」
漫画研究会にある資料本は卒業生が寄贈していったものと、家の本棚が片付かない現役部員がとりあえず置いているものの二種類ある。どちらも貸し出しは自由だった。現役部員が卒業時に本を引き取ることは滅多にない。
麻宮の原稿はBL色が強いので、菜乃花は手伝ったことがなかった。
この辺りの同人誌即売会は、映画館があるのと同じ繁華街の会場で開催される。
(なるほど。……あ、メール)
携帯を確認してみれば、弥生からのメールが来ていた。
高校入学時に契約した機種だ。
浮かれて決めたパステルなオレンジ色が、二十八歳の意識では少し照れくさい。
弥生から来たメールには、今日は先に帰るということと、日曜日の即売会で先輩の売り子をしないかという誘いが書かれていた。
菜乃花はOKのメールを送信した。
二十八歳の記憶でもOKした覚えがある。
即売会の後、弥生や麻宮と一緒に戻って来たら、その流れで自然に駅裏の冴島家の喫茶店に寄れるかもしれない。即売会に参加した記憶はあるものの、その後でどうしたのかははっきりしなかった。確かなのは、冴島家の喫茶店には行かなかったということだけだ。
(でも……弥生ちゃんと麻宮先輩はBLの話ばっかりだからな)
冴島の前で盛り上がられたらどうしようと思いながら、菜乃花は類に別れを告げて家へ帰った。
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