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16・X年7月12日⑤
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二手に別れるといっても、さりげなく自然にその状況に持っていくなんてことは、十八歳の菜乃花はおろか、二十八歳の菜乃花にも不可能だった。
もちろん佐々木もそれは察していて、彼女はパスタ屋を出たとき、八木に話があるのでふたりになりたいと、はっきり言った。
そんなわけで、菜乃花は土曜日の大通りを冴島とふたりきりで歩いている。
(佐々木さん、頑張れ)
と、心の中で応援している場合ではない。
菜乃花だって、これから冴島に告白しなくてはいけないのだ。
緊張による激しい動悸が、ただでさえ暑い初夏の日差しとあいまって全身を燃え上がらせている。
(告白できなくても、せめて未来が変わるように、なにか……なにか忠告を……)
ずっと考えてはいるのだが、なかなか思いつけない。
弥生や類に話したように、正直に二十八歳の記憶があると告げてしまおうか。
(でも……)
類が漫画家としてデビューしたことのように、良い未来なら口から出すのに抵抗はない。
けれど冴島の場合は少し違う。
悪い未来を言葉にしたら、どんなに変えようとしても変えられなくなるのではないか、そんな気がして不安なのだ。
(覚えていることは、変えられないことなのかな……)
「佐藤」
骨ばった指が菜乃花の腕をつかみ、広い胸へと引き寄せた。
ほんのり汗の匂いがしたけれど、嫌だと思う気持ちは起こらない。
「え、な、冴島くん?」
「悪い。けど佐藤、なにぼーっとしてたんだ? 前を歩いてるヤツにつられて、妙な場所に入るとこだったぞ」
「あ……」
ぶらぶらと歩いている間に、菜乃花たちは繁華街の外れに来ていた。
もう少し中心部なら、路地に入っても普通の飲食店があるだけだ。しかしこの辺りの横道を抜けると、いかがわしい店が立ち並ぶ裏通りに行ってしまう。
心なしか路地自体も薄暗く、怪しい雰囲気を感じる。
横道の奥に転がるポリバケツの近くにガラの悪そうな男たちが数人いて、間違えて入りかけた道を確認した菜乃花を睨みつけてきた。
十代後半か二十代前半、菜乃花たちとそう年齢の変わらない若い少年たちだ。
ひとりの唇にピアスがつけられていることに慄きながら、菜乃花は俯いた。
TVのニュースや学校の全体朝礼で話は聞いていたが、実感はなかった。
それでも確かに、深く暗い闇はあちこちに口を開けているのだろう。
いやそれどころか、こちらが近づかなくても向こうから追ってくるのかもしれない。
今、間違えて曲がりかけたように、気づかぬうちに入り込んでしまうことも──
(だから冴島くんも……)
「……目ぇ合わせるな、行くぞ」
繁華街を抜けるとビル街があり、大きな交差点を渡ると高台に公園がある。
遊歩道の緑が眩しい。
信号の人込みで足を止め、冴島が菜乃花を見た。
「ついこっちまで来ちまったけど、どうする? 用事がないんなら、公園ぶらついて帰らねぇか? この辺りの飲食店が出店を出してる、B級グルメフェスティバルってのをやってるんだ」
「え、そうなの?」
二十八歳の菜乃花も十八歳の菜乃花も、全然知らなかった。
「ここに来るまでいっぱい看板出てただろうが。あのパスタ屋にだって、ポスター貼ってあったぞ」
「そ、そうだっけ?」
菜乃花は首を傾げた。
今日の記憶だけは鮮明なはずだ。
いや、菜乃花は自分がB級グルメフェスティバルを覚えていない理由に思い当たった。
高台の公園へ行くには、長い石段を上る必要がある。
途中にベンチが置かれた休憩スペースが設置されているほど、長く疲れる石段だ。
菜乃花はそこで緊張と疲れから躓いてしまい、助けてくれた冴島と──
「気が進まないか? さっきも、俺の海老やアボカド渡したりして悪かったな。優也と一緒で気が緩んでたのと……なんか俺、佐藤に餌付けするくせがついてて」
「べ、べつに進まなくないよ? エビとアボカドも美味しかった、ありがとう。あ! 青信号になったから行こう。なにか冷たいものもあるかな」
「喉乾いてるのか? B級グルメフェスティバルにはいろいろあると思うけど、石段昇る前の自販機で、なんか買って飲んでおこうな、お互い」
「……うん」
石段に上がる前の自販機でペットボトルのお茶を買って飲んだ後、菜乃花と冴島はB級フェスティバルへ向かった。二十八歳の記憶では、石段でキスしたため気まずくなって途中で引き返したのだが、今回は違った。
お茶のせいか、意識し過ぎていたせいか──菜乃花は石段で躓かなかったのだ。
頭を打ったら命も危なそうな長く硬い石段で、わざと躓くなんてことは、さすがにできない。
(あれ? えっと……いいのよね、べつに。うん、これで気まずくならないほうが告白しやすそうな気がするし)
「佐藤、まだパスタでお腹いっぱいなら、かき氷かアイスでも食うか。うちの店で参考にできそうな、珍しくて美味いのないかな」
「あ、あるといいね」
菜乃花の目的は、自分の気持ちに決着をつけることと、できれば冴島を救うことだ。
本心を言えば、できれば、ではなく絶対に救いたい。
問題はなにが起こったのかも、なにが原因なのかもわかっていないことだ。
だから、だから──べつに、彼と偶然キスできなくても残念ではない。
断じて残念ではなかった。
もちろん佐々木もそれは察していて、彼女はパスタ屋を出たとき、八木に話があるのでふたりになりたいと、はっきり言った。
そんなわけで、菜乃花は土曜日の大通りを冴島とふたりきりで歩いている。
(佐々木さん、頑張れ)
と、心の中で応援している場合ではない。
菜乃花だって、これから冴島に告白しなくてはいけないのだ。
緊張による激しい動悸が、ただでさえ暑い初夏の日差しとあいまって全身を燃え上がらせている。
(告白できなくても、せめて未来が変わるように、なにか……なにか忠告を……)
ずっと考えてはいるのだが、なかなか思いつけない。
弥生や類に話したように、正直に二十八歳の記憶があると告げてしまおうか。
(でも……)
類が漫画家としてデビューしたことのように、良い未来なら口から出すのに抵抗はない。
けれど冴島の場合は少し違う。
悪い未来を言葉にしたら、どんなに変えようとしても変えられなくなるのではないか、そんな気がして不安なのだ。
(覚えていることは、変えられないことなのかな……)
「佐藤」
骨ばった指が菜乃花の腕をつかみ、広い胸へと引き寄せた。
ほんのり汗の匂いがしたけれど、嫌だと思う気持ちは起こらない。
「え、な、冴島くん?」
「悪い。けど佐藤、なにぼーっとしてたんだ? 前を歩いてるヤツにつられて、妙な場所に入るとこだったぞ」
「あ……」
ぶらぶらと歩いている間に、菜乃花たちは繁華街の外れに来ていた。
もう少し中心部なら、路地に入っても普通の飲食店があるだけだ。しかしこの辺りの横道を抜けると、いかがわしい店が立ち並ぶ裏通りに行ってしまう。
心なしか路地自体も薄暗く、怪しい雰囲気を感じる。
横道の奥に転がるポリバケツの近くにガラの悪そうな男たちが数人いて、間違えて入りかけた道を確認した菜乃花を睨みつけてきた。
十代後半か二十代前半、菜乃花たちとそう年齢の変わらない若い少年たちだ。
ひとりの唇にピアスがつけられていることに慄きながら、菜乃花は俯いた。
TVのニュースや学校の全体朝礼で話は聞いていたが、実感はなかった。
それでも確かに、深く暗い闇はあちこちに口を開けているのだろう。
いやそれどころか、こちらが近づかなくても向こうから追ってくるのかもしれない。
今、間違えて曲がりかけたように、気づかぬうちに入り込んでしまうことも──
(だから冴島くんも……)
「……目ぇ合わせるな、行くぞ」
繁華街を抜けるとビル街があり、大きな交差点を渡ると高台に公園がある。
遊歩道の緑が眩しい。
信号の人込みで足を止め、冴島が菜乃花を見た。
「ついこっちまで来ちまったけど、どうする? 用事がないんなら、公園ぶらついて帰らねぇか? この辺りの飲食店が出店を出してる、B級グルメフェスティバルってのをやってるんだ」
「え、そうなの?」
二十八歳の菜乃花も十八歳の菜乃花も、全然知らなかった。
「ここに来るまでいっぱい看板出てただろうが。あのパスタ屋にだって、ポスター貼ってあったぞ」
「そ、そうだっけ?」
菜乃花は首を傾げた。
今日の記憶だけは鮮明なはずだ。
いや、菜乃花は自分がB級グルメフェスティバルを覚えていない理由に思い当たった。
高台の公園へ行くには、長い石段を上る必要がある。
途中にベンチが置かれた休憩スペースが設置されているほど、長く疲れる石段だ。
菜乃花はそこで緊張と疲れから躓いてしまい、助けてくれた冴島と──
「気が進まないか? さっきも、俺の海老やアボカド渡したりして悪かったな。優也と一緒で気が緩んでたのと……なんか俺、佐藤に餌付けするくせがついてて」
「べ、べつに進まなくないよ? エビとアボカドも美味しかった、ありがとう。あ! 青信号になったから行こう。なにか冷たいものもあるかな」
「喉乾いてるのか? B級グルメフェスティバルにはいろいろあると思うけど、石段昇る前の自販機で、なんか買って飲んでおこうな、お互い」
「……うん」
石段に上がる前の自販機でペットボトルのお茶を買って飲んだ後、菜乃花と冴島はB級フェスティバルへ向かった。二十八歳の記憶では、石段でキスしたため気まずくなって途中で引き返したのだが、今回は違った。
お茶のせいか、意識し過ぎていたせいか──菜乃花は石段で躓かなかったのだ。
頭を打ったら命も危なそうな長く硬い石段で、わざと躓くなんてことは、さすがにできない。
(あれ? えっと……いいのよね、べつに。うん、これで気まずくならないほうが告白しやすそうな気がするし)
「佐藤、まだパスタでお腹いっぱいなら、かき氷かアイスでも食うか。うちの店で参考にできそうな、珍しくて美味いのないかな」
「あ、あるといいね」
菜乃花の目的は、自分の気持ちに決着をつけることと、できれば冴島を救うことだ。
本心を言えば、できれば、ではなく絶対に救いたい。
問題はなにが起こったのかも、なにが原因なのかもわかっていないことだ。
だから、だから──べつに、彼と偶然キスできなくても残念ではない。
断じて残念ではなかった。
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