一昨日のキス、明日にキス

豆狸

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15・X年7月12日④

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 思えば映画館は、かなり冷房が効いていた。
 窓がなく、上映中は扉も閉めきりの密室なので仕方がない。
 最近流行しているらしい、と八木に言われて入ったパスタ屋のカルボナーラの温もりが、菜乃花の体に染み通っていく。
 ちなみにカルボナーラを選んだのには、理由がふたつある。
 ひとつは好きだから。
 ふたつ目は、白いカルボナーラならソースが飛んでも目立たないから。
 今日の菜乃花は白いパーカーを着てきたのだ。

「佐藤」
「冴島くん?」

 四人座席に座って、菜乃花が通路側、佐々木が奥。
 テーブルを挟んで菜乃花の向かいに冴島、佐々木の向かいが八木だ。
 まだ新しい店で、店内は白が基調のシンプルなデザインだった。
 道路に面した大きな窓から、週末を楽しんでいる人々の姿が見える。
 冴島が言葉を続けた。

「ポップコーン代、やっぱいいわ。佐藤は全然食ってねぇもん」
「ちゃ、ちゃんと食べたよ? ドリンク代も込みのセットだったし。ちゃんと半額払う」
「いいって。まあ……」

 冴島は、ちらりと佐々木を見た。
 ここのランチ代はきちんと払わせてくれるようだ。
 菜乃花は心の中で溜息をついた。
 映画に夢中になるあまり、実は途中まで冴島の存在を忘れていた。
 ちょっと甘いものが欲しくて手を伸ばしたとき、指と指が触れ合うまでは。

(どうして確認してからにしなかったのかな)

 あれから、どうしても手が伸ばせなくなった。
 菜乃花の指先には、冴島の硬く骨ばった指の感触が残っている。

「旭、海老もらうね」

 不意に八木が言って、冴島の皿から海老を奪った。
 大きくてプルプルしている美味しそうな海老だ。
 アボガドのソースが緑色でなければ、菜乃花も今日のお勧めであるそちらを頼んでいた。
 一緒に来たのが弥生なら、パーカーのことなど考えもせずに決めていただろう。

「海老だけじゃなくて、野菜も食え」

 冴島は八木をとがめもせず、ぶつ切りのアボカドをひとつ彼の皿へ置いた。

「野菜はいらない」

 言いながら、八木は自分のミートソースに入っていた茄子を冴島の皿へ移していく。

「自分が頼んだのくらいは自分で食えよ」
「明日試合だから、お肉を食べて力をつけないとー」

 なんだか兄弟みたいだな、と菜乃花は思った。
 菜乃花も家族で出かけると、弟や祖母と分け合ったり交換したりする。
 楽しげにパスタを食べていた八木が、ふっと顔を上げた。微笑んで首を傾げる。

「樹里ちゃん、パスタ苦手だったっけ?」

 佐々木の前にある皿の中のナポリタンは、さっきから少しも減っていない。
 ずっと俯いていた彼女は、慌てて顔を上げた。

「ううん。うち、パスタ大好き! ちょっと映画思い出して浸ってた。……ほら、もう自爆覚悟で帝国船に突っ込むしかなかったとき、男同士で心中するのは悲しいからって、お互いに相手を女装させようとしたところとか、面白かったなーって」
「確かに面白かったよね。俺は、私掠船の女船長が女海賊と殴り合いするところが好き」

 映画が面白かったのは事実だろうが、佐々木が沈黙していたのにはべつのわけがある。
 映画館を出る前に男女別でトイレに行ったとき、菜乃花は彼女から告げられていた。──ランチの後で告白するから二手に別れてほしい、と。

(緊張してるんだろうな。わたしも……してるけど)

 視線を向けて一瞬で逸らした菜乃花に、冴島が微笑む。

「……いいぜ」
「え?」
「服のこと気にして頼まなかったんだろ? 女は海老とアボカドが好きだからな。……ほら。ソースが散らないよう、おちょぼ口で食えよ」

 冴島自身はフォークで食べていたのだが、口をつけていない割り箸で自分の海老とアボカドを菜乃花の皿の端に置いてくれた。

「あ、ありがとう。カルボナーラ食べる?」
「おう。実はうちの店のメニューの研究に、そっちも食べてみたかったんだ。……優也。人の皿から取るときは、今度からこの割り箸使え。お前と間接キスなんて冗談じゃない」

 その瞬間、なぜか佐々木がむせた。
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