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26・再びX+10年7月7日①
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──気がつくと、菜乃花は居間兼寝室のソファーに腰かけていた。
寝るときは壁際に追いやられるテーブルの上に、今週の郵便物が積まれている。
郵便物が飛ばないよう、暑いのに扇風機をつけていない。
1DKの狭いアパートでも、ちゃんとお風呂はついている。
風呂上がりの体はまだ汗をかいておらず、さっぱりしていた。
「……え?」
今の状況を整理しようとして記憶を辿ると、ものすごい量の出来事があふれ出てきて、頭の中が真っ白になってしまった。
視界に、少し膨らんだ茶封筒が飛び込んでくる。
差出人は母。
菜乃花はそれを手に取った。
乱暴に封を開け、ビニール袋に入ったハマグリ型のプラスチックのケースを取り出す。
淡いピンクの蓋を開ければ、爽やかな柑橘系の香り。
祖母が作ってくれたリップグロスだ。
菜乃花は息を呑んで、リップグロスを指先に取った。
ほのかに色づいた指先を確認し、瞼を閉じて唇を辿る。
柑橘系の香りに包まれて──
「……」
目を開けても、菜乃花はアパートのソファーに座ったままだった。
二十八歳の体で、頭の中にはふたつの記憶がある。
十八歳のときのWデートで冴島と初キスした記憶と、キスはせず後日連絡先を交換した記憶だ。その後の十年間も詳細は変わっているようだが、今は確認する気持ちの余裕がなかった。
代わりに、つい数分前までのことを思い起こす。
(……わたし、実家でお風呂に入った)
もうほとんど溶け合っていたけれど、十八歳の体の中には十八歳の意識と二十八歳の意識があった。今は二十八歳の体に、二十八歳の意識しかない。記憶だけがふたつある。
居間でテレビを観ていた祖母の隣に座って、菜乃花は携帯を見た。
冴島からの電話もメールの返信も来ていなかった。
なにがきっかけだったのかは、わからない。
あのときはリップグロスの香りもしなかった。
だけどなぜか、不意に、菜乃花は二十八歳に戻っていた。
戻ったのか、あるいは最初から夢か妄想だったのか。
(ううん、違う)
菜乃花は目を閉じた。
頭の中にあるのはふたつの記憶。
十八歳のころに戻っていたのは夢でも妄想でもない。
菜乃花は過去へ戻って、歴史を変えたのだ。いや──菜乃花は唇を噛んだ。
変わってない。なにも変わっていない。
ふたつの記憶のどちらでも、冴島は行方不明だ。
(もしかして、さっきわたしが二十八歳に戻った瞬間が……)
冴島が亡くなった、歴史の改変が不可能になった瞬間だったのかもしれない。
菜乃花は郵便物の横に置いていた携帯を手に取った。
十八歳のころからずっと使っているパステルなオレンジ色の携帯だ。
そろそろバッテリーが危なそうな古い携帯には、冴島からの最初で最後のメールが保存してある。
「七夕?」
携帯の時刻は、十八歳の菜乃花が携帯を確認したのと同じころだ。
しかし日付が違った。十年という年月だけでなく、八日ほど遡っている。
二十八歳から十八歳に戻ったときは、同じ日付だったのに。
首を傾げたとき、メールの着信を告げる点滅に気づいた。
一通だけでなく、気づかぬうちに何通も届いている。
菜乃花は受信箱を開いて、メールを確認した。弥生からだった。
見ているうちに新しいメールが届く。
『私ヤヨイ。今、あなたのお部屋の前にいるの』
文章が目に入ると同時に玄関でチャイムが鳴った。
変わらないなと苦笑して、菜乃花はアパートの扉を開けた。
寝るときは壁際に追いやられるテーブルの上に、今週の郵便物が積まれている。
郵便物が飛ばないよう、暑いのに扇風機をつけていない。
1DKの狭いアパートでも、ちゃんとお風呂はついている。
風呂上がりの体はまだ汗をかいておらず、さっぱりしていた。
「……え?」
今の状況を整理しようとして記憶を辿ると、ものすごい量の出来事があふれ出てきて、頭の中が真っ白になってしまった。
視界に、少し膨らんだ茶封筒が飛び込んでくる。
差出人は母。
菜乃花はそれを手に取った。
乱暴に封を開け、ビニール袋に入ったハマグリ型のプラスチックのケースを取り出す。
淡いピンクの蓋を開ければ、爽やかな柑橘系の香り。
祖母が作ってくれたリップグロスだ。
菜乃花は息を呑んで、リップグロスを指先に取った。
ほのかに色づいた指先を確認し、瞼を閉じて唇を辿る。
柑橘系の香りに包まれて──
「……」
目を開けても、菜乃花はアパートのソファーに座ったままだった。
二十八歳の体で、頭の中にはふたつの記憶がある。
十八歳のときのWデートで冴島と初キスした記憶と、キスはせず後日連絡先を交換した記憶だ。その後の十年間も詳細は変わっているようだが、今は確認する気持ちの余裕がなかった。
代わりに、つい数分前までのことを思い起こす。
(……わたし、実家でお風呂に入った)
もうほとんど溶け合っていたけれど、十八歳の体の中には十八歳の意識と二十八歳の意識があった。今は二十八歳の体に、二十八歳の意識しかない。記憶だけがふたつある。
居間でテレビを観ていた祖母の隣に座って、菜乃花は携帯を見た。
冴島からの電話もメールの返信も来ていなかった。
なにがきっかけだったのかは、わからない。
あのときはリップグロスの香りもしなかった。
だけどなぜか、不意に、菜乃花は二十八歳に戻っていた。
戻ったのか、あるいは最初から夢か妄想だったのか。
(ううん、違う)
菜乃花は目を閉じた。
頭の中にあるのはふたつの記憶。
十八歳のころに戻っていたのは夢でも妄想でもない。
菜乃花は過去へ戻って、歴史を変えたのだ。いや──菜乃花は唇を噛んだ。
変わってない。なにも変わっていない。
ふたつの記憶のどちらでも、冴島は行方不明だ。
(もしかして、さっきわたしが二十八歳に戻った瞬間が……)
冴島が亡くなった、歴史の改変が不可能になった瞬間だったのかもしれない。
菜乃花は郵便物の横に置いていた携帯を手に取った。
十八歳のころからずっと使っているパステルなオレンジ色の携帯だ。
そろそろバッテリーが危なそうな古い携帯には、冴島からの最初で最後のメールが保存してある。
「七夕?」
携帯の時刻は、十八歳の菜乃花が携帯を確認したのと同じころだ。
しかし日付が違った。十年という年月だけでなく、八日ほど遡っている。
二十八歳から十八歳に戻ったときは、同じ日付だったのに。
首を傾げたとき、メールの着信を告げる点滅に気づいた。
一通だけでなく、気づかぬうちに何通も届いている。
菜乃花は受信箱を開いて、メールを確認した。弥生からだった。
見ているうちに新しいメールが届く。
『私ヤヨイ。今、あなたのお部屋の前にいるの』
文章が目に入ると同時に玄関でチャイムが鳴った。
変わらないなと苦笑して、菜乃花はアパートの扉を開けた。
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