婚約破棄の前日に

豆狸

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第二話 処刑の前日に

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 私の故郷であるディアス侯爵家の領地が面している魔獣蔓延る魔の森は、数百年前までは実りに満ちた豊かな緑の森でした。
 そこには今は名前も忘れられて古王国と呼ばれている国があって、黄金の瞳の魔神様に加護を与えられた代々の聖女様によって恵みを得ていたという伝説があります。
 ですが、あるとき古王国の王族が当代の聖女様を裏切りました。彼女と王太子の婚約を不当な理由で破棄し、冤罪で追放したのです。

 ご自身が加護を与えた存在を踏み躙られて、魔神様が怒りを覚えないなんてことがあるでしょうか。
 魔神様の怒りは『最初の特大暴走グレートスタンピード』と呼ばれる魔獣の大侵攻を呼び起こし、古王国は滅びました。古王国だった場所は魔獣の蔓延る魔の森となり、数年に一度の大暴走スタンピードを引き起こしています。
 その魔獣の大暴走スタンピードと常に対峙していたのが我がディアス侯爵家でした。我が家の祖は、追放先で愛する人を見つけた聖女様の息子だと言われています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「……ゲルダ……」

 処刑の前日、私が投獄されている地下牢にカルバン王太子殿下がいらっしゃいました。
 卒業パーティからは二年ほど経つでしょうか。
 明日私を処刑する罪状は、婚約破棄されたことを恨んでこの国に特大暴走グレートスタンピードを引き寄せる呪いをかけたというものです。

 そんな莫迦なことをだれがするというのでしょう?
 魔の森で特大暴走グレートスタンピードが発生したとき、一番に被害を受けるのはディアス侯爵家だというのに! 傷つくのは私の大切な家族と領民達だというのに!
 呪うのなら王太子殿下とチャベス伯爵家の次男達だけにします。

「なんのご用でしょうか、カルバン王太子殿下」

 私は地下牢の冷たい石の椅子から立ち上がり、囚人用のドレスの裾を摘まみ上げて挨拶をしました。
 呪うのなら殿下方ですが、もう呪いたいほどの関心はありません。
 この二年間、失恋の痛手から立ち直った私の心を占めていたのは特大暴走グレートスタンピードのことでした。

 実は、私が殿下の婚約者になってからの十年と少しの間は魔獣の大暴走スタンピードが発生していなかったのです。
 中央貴族派はもう大暴走スタンピードなど起こらない、ディアス侯爵家を特別扱いするのはやめにしろ、と叫び、ディアス侯爵家を初めとする辺境貴族派は嵐の前の静かさ……特大暴走グレートスタンピードの前兆ではないかと考えていました。
 結局のところ、特大暴走グレートスタンピードは起こりました。それも最悪の状況で。

 大暴走スタンピードなど起きないと叫ぶ中央貴族派を無視して、辺境貴族派は特大暴走グレートスタンピードに対峙するための準備をしていました。
 中央貴族派は、軍備を拡大し物資を集める辺境貴族派には王家に対する叛意があるのだと決めつけたのです。
 彼らはディアス侯爵家の騎士団が魔獣を間引くために魔の森へと入った隙を狙い、侯爵領の町へと押し入りました。

 特大暴走グレートスタンピードが発生したのはそのときです。

 町へ伝令を送っても騎士団に援軍が合流することはなく、前線を崩して押し寄せた魔獣に人質を取られて拘束された町の住人が対応出来るはずがなく、もちろん戦い慣れしていない中央貴族派の軍が魔獣を倒せるはずもなく、辺境は壊滅しました。
 ちなみにディアス侯爵領の町々を制圧した中央貴族派の軍を率いていたのはチャベス伯爵家です。
 残念ながら例の次男は同行していませんでした。

 そして今、魔獣の群れは周辺の中央貴族派の領地を蹂躙しながら王都へと向かっています。

 領地と民を見捨てて王都へ避難してきた中央貴族派の面々は、私を生贄にすることで民の怒りから逃れたいのです。
 王家は犯人に仕立て上げた私を処刑することで、諸悪の根源はいなくなったから魔獣の群れにも対処出来ると言って軍を鼓舞したいのです。
 こんなときに殿下が獄中の私のもとを訪れたのはなぜでしょうか。

「ゲルダ、すまない。君は最初から嘘など言っていなかったんだね。……今日、私も見てしまったんだ。メンチロッサがプレストンチャベス伯爵家の次男と睦み合っているのを」
「……こんなときに」

 私は眉を顰めましたが、こんなとき、だからかもしれません。
 私が処刑されても特大暴走グレートスタンピードが収まることはありません。
 嘘をついて私を貶めた人々が、一番それを理解していることでしょう。

 カルバン殿下は王太子として王都を守る軍を率います。
 側近のチャベス伯爵家次男だって今度は同行しないわけにはいきません。いいえ、彼はもうチャベス伯爵家の当主なのです。冤罪を着せたディアス侯爵家に略奪目当てで押し入った先代チャベス伯爵と跡取りだった長男はもう亡くなっているのですから。
 バロス男爵令嬢──今は養女に入ってチャベス伯爵令嬢となった彼女はきっと、不安だったのでしょう。王太子の新しい婚約者として招き入れられた王宮内で、義兄という名の本当の恋人を引き込まずにはいられないほどに。

「ああ、こんなときに、だ。私は父に君の解放を提言したが、どうしても聞き入れてはもらえなかった」
「今さらですか?」

 二年のときが過ぎても、相変わらず幼いままの殿下を見つめて尋ねます。
 世間では身長が伸び、お顔も大人っぽくなったと言われているのですけれど。

「まさかご自身が目撃なさるまで、本当に私が嘘を言ったと信じていらしたのですか? 私が呪いをかけて特大暴走グレートスタンピードを招いたということも?」
「いや、それは……わ、私はなにも知らなかったんだ!」
「……殿下は知らなかったのではなく、知ろうとなさらなかったのです。嘘のほうが都合の良い方々にとっては真実など塵芥ちりあくたのようなものですもの。今さら私の処刑を取り止めても王家への不信感が増すだけでしょう」

 ──お帰りください、カルバン王太子側近の操り人形殿下。

 そう言って、私は彼に微笑みました。
 どうせカルバン王太子側近の操り人形殿下には私の冤罪を晴らす力も、ここから私を解放する力もありません。
 だって殿下は中央貴族派のお人形。王都に魔獣の群れが近づいていても、持ち主と一緒に震えていることしか出来ない方なのですもの。

「私はもう、お人形遊びは卒業したのです」

 今さら、本当に今さらです。
 私が解放されてもディアス侯爵領の人間は戻って来ません。こんなことなら王都の図書館へ特大暴走グレートスタンピードについて調べに来るのではありませんでした。
 どうせ死ぬのなら、大切な愛しい人達と一緒に死にたかったです。

 だけど──私はふと、黄金の瞳の魔神様に関するもうひとつの伝説を思い出しました。
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