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第四話 クロスビーの瞳
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「おはようございます、ゲルダお嬢様」
王都のディアス侯爵家のベッドで眠っていた私を目覚めさせたのは、呪いの罪で連行されようとしていた私を助けようとして近衛騎士に斬り殺された侍女でした。彼女が殺される前に床に沈めた騎士は何人だったでしょうか。
どうやら私は死後の世界へ無事着いたようです。
父母や兄、愛しいクロスビーは死後の世界の侯爵領にいるのでしょうか。
ぼんやり考えていると、侍女が首を傾げました。
「なにをぼーっとしていらっしゃるのですか? 魔術学園に遅刻なさいますよ」
「魔術学園? 死後の世界にも魔術学園があるのですか?」
「死後の世界……? なにか怖い夢でもご覧になられたのですか? 王太子殿下と男爵令嬢のことは私どもの耳にも聞こえてまいりますが、卒業までは後一ヶ月でございます。お嬢様と殿下がご卒業なされば、登城も許されない男爵令嬢など……」
「卒業まで後一ヶ月?」
「は、はい」
戸惑う侍女に確認をして、私はここが死後の世界でないことを理解しました。
どうやら処刑から二年と一ヶ月ほど前の世界のようです。
魔神様のお声は聞こえませんでしたし、時間が戻るというのは私の願いとは違います。それでも──
「私はディアス侯爵領へ戻ります。魔術学園の卒業単位なら既に取得しておりますし、卒業を前に自由登校となっていますから問題はないはずです」
前のときの私は、少しでもカルバン王太子殿下と一緒に過ごしたくて登校していました。
けれど殿下が私と過ごしてくださることはありませんでした。
殿下がチャベス伯爵家次男の手引きでバロス男爵令嬢と親しくしているところを見せつけられ、取り巻きとして側にいるマスカレーナス伯爵令嬢に陰で悪評を流される毎日を繰り返すつもりはありません。
一瞬瞳を見開いた後で、侍女は満面の笑みを浮かべました。
「そうですね! もちろん私もお供いたします! ディアス侯爵領は魔獣の間引きの季節でございますものね!」
ディアス侯爵領出身の人間は基本武闘派です。
私も魔術学園に入学する前から魔術を嗜み、過保護なクロスビーに見つからないようこっそりと魔獣の間引きに参加していました。……前日に殿下を照らしていた初恋の光が消えていなかったら、卒業パーティ当日に男爵令嬢と拳で勝負をつけようとしていたと思います。
侯爵領で浮気や不実という問題が発生したときは、大体自分の魔力を纏わせた拳で蹴りをつけるのです。クロスビーは、私が王太子殿下に恋をしていたので黙って身を引いてくれていたようですが。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
侍女や王都に飽き飽きしていた血気盛んな使用人達と馬を走らせて、私は十日ほどでディアス侯爵領へ辿り着きました。
魔術学園には卒業式の前々日まで休むという届を出しています。
先触れを聞いたのでしょう。愛しいクロスビーが城門まで迎えに来てくれていました。
いいえ、愛しいだなんて口にしてはいけません。
今の私はまだ王太子殿下の婚約者です。
私が処刑されるまでのことを覚えている人間はほかにいません。少なくとも王都の侯爵邸の人間にはいませんでした。だから、クロスビーも……
「お帰りなさいませ、ゲルダお嬢様」
「クロスビー、どうしたのですか?」
前回の長期休暇ぶりに見るクロスビーは、左目に黒い眼帯をつけていました。
馬から降りて、彼に駆け寄ります。
「魔獣の間引きで怪我をしたのですか? 大丈夫? 痛くありませんか?」
思わず王太子殿下との婚約破棄後のように手を伸ばしてしまいます。
淑女のおこないではありません。
彼に触れる寸前で気づいて、私は手を降ろして俯きました。顔が燃え上がりそうなほど熱いです。まだ気持ちを伝え合う前なのに、こんなはしたないことをしていたら嫌われてしまうかもしれません。
「ゲルダお嬢様。……もしかして」
なにかを呟いていたクロスビーは、不意に眼帯を外しました。
彼の右目は以前と同じ、暗い夜の森の緑でした。
ですが黒い眼帯の下から現れたのは黄金色の──伝説の魔神様と同じ色の瞳だったのです。
「クロスビー、あなたその瞳は?」
クロスビーは微笑みました。
「やはりゲルダお嬢様には以前の記憶があるようですね。王太子殿下の婚約者のときのゲルダお嬢様なら、こんな風に俺を見つめることはありませんでした」
「え、ええ、そうなのです。処刑された後で時間が戻って……」
「処刑?」
クロスビーは真っ青になって私を抱き寄せました。
彼は端正な顔をしているのに、いつも不機嫌そうな顔をしています。
だけど私に関することではくるくると表情を変えて……私が婚約破棄されたときも、王太子殿下を許せないと怒り狂って大変でした。今回はまだ婚約破棄されていませんけれど。
「どういうことです? 俺は魔神様にあなたの幸せを願ったんです。なのに、どうしてあなたが処刑されるだなんてことに?」
「だから、です」
「だから?」
「クロスビー、あなたがいなければ私の幸せはありません。だから魔神様はあなたが生きている時間まで私を戻してくださったのですわ」
同行していた侍女や使用人達が抱き合う私達を止めることはありませんでした。
貴族家に仕えるものとしては良くないことですが、婚約破棄後の記憶で知っています。
私と父と兄以外のものはクロスビーの気持ちに気づいていて、密かに応援してくれていたのです。思えば魔術学園で男爵令嬢が現れる前から、中央貴族派の人間に私の悪口を吹き込まれていたと思しき王太子殿下は私を嫌っていらっしゃいました。
「ゲルダお嬢様のお気持ちが変わられたのなら、着いたばかりですがみんなで王都に戻りましょうか。クロスビーさんなら王太子殿下も一撃で沈められますよ!」
侍女……ずっと王都で一緒にいたのだから知っているでしょう。
王都の恋愛は拳で蹴りをつけるものではないのですよ。
まあ私も前は勘違いしていましたが。
それに私と王太子殿下の婚約は政略的なものです。
簡単にどうにか出来るものではありません、本当は。
とりあえず私は、父に王太子殿下との婚約解消をお願いしようと思っています。
特大暴走についても話すつもりでいましたけれど、たぶんそれはクロスビーのほうが詳しく伝えていることでしょう。
クロスビーは援軍が来なくて崩れてしまった前線を立て直そうと魔獣と戦っているうちに、気がつくと魔神様の石柱に辿り着いていたのだそうです。
彼は命懸けで戦いながらも私の幸せを願っていてくれたのです。
王都のディアス侯爵家のベッドで眠っていた私を目覚めさせたのは、呪いの罪で連行されようとしていた私を助けようとして近衛騎士に斬り殺された侍女でした。彼女が殺される前に床に沈めた騎士は何人だったでしょうか。
どうやら私は死後の世界へ無事着いたようです。
父母や兄、愛しいクロスビーは死後の世界の侯爵領にいるのでしょうか。
ぼんやり考えていると、侍女が首を傾げました。
「なにをぼーっとしていらっしゃるのですか? 魔術学園に遅刻なさいますよ」
「魔術学園? 死後の世界にも魔術学園があるのですか?」
「死後の世界……? なにか怖い夢でもご覧になられたのですか? 王太子殿下と男爵令嬢のことは私どもの耳にも聞こえてまいりますが、卒業までは後一ヶ月でございます。お嬢様と殿下がご卒業なされば、登城も許されない男爵令嬢など……」
「卒業まで後一ヶ月?」
「は、はい」
戸惑う侍女に確認をして、私はここが死後の世界でないことを理解しました。
どうやら処刑から二年と一ヶ月ほど前の世界のようです。
魔神様のお声は聞こえませんでしたし、時間が戻るというのは私の願いとは違います。それでも──
「私はディアス侯爵領へ戻ります。魔術学園の卒業単位なら既に取得しておりますし、卒業を前に自由登校となっていますから問題はないはずです」
前のときの私は、少しでもカルバン王太子殿下と一緒に過ごしたくて登校していました。
けれど殿下が私と過ごしてくださることはありませんでした。
殿下がチャベス伯爵家次男の手引きでバロス男爵令嬢と親しくしているところを見せつけられ、取り巻きとして側にいるマスカレーナス伯爵令嬢に陰で悪評を流される毎日を繰り返すつもりはありません。
一瞬瞳を見開いた後で、侍女は満面の笑みを浮かべました。
「そうですね! もちろん私もお供いたします! ディアス侯爵領は魔獣の間引きの季節でございますものね!」
ディアス侯爵領出身の人間は基本武闘派です。
私も魔術学園に入学する前から魔術を嗜み、過保護なクロスビーに見つからないようこっそりと魔獣の間引きに参加していました。……前日に殿下を照らしていた初恋の光が消えていなかったら、卒業パーティ当日に男爵令嬢と拳で勝負をつけようとしていたと思います。
侯爵領で浮気や不実という問題が発生したときは、大体自分の魔力を纏わせた拳で蹴りをつけるのです。クロスビーは、私が王太子殿下に恋をしていたので黙って身を引いてくれていたようですが。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
侍女や王都に飽き飽きしていた血気盛んな使用人達と馬を走らせて、私は十日ほどでディアス侯爵領へ辿り着きました。
魔術学園には卒業式の前々日まで休むという届を出しています。
先触れを聞いたのでしょう。愛しいクロスビーが城門まで迎えに来てくれていました。
いいえ、愛しいだなんて口にしてはいけません。
今の私はまだ王太子殿下の婚約者です。
私が処刑されるまでのことを覚えている人間はほかにいません。少なくとも王都の侯爵邸の人間にはいませんでした。だから、クロスビーも……
「お帰りなさいませ、ゲルダお嬢様」
「クロスビー、どうしたのですか?」
前回の長期休暇ぶりに見るクロスビーは、左目に黒い眼帯をつけていました。
馬から降りて、彼に駆け寄ります。
「魔獣の間引きで怪我をしたのですか? 大丈夫? 痛くありませんか?」
思わず王太子殿下との婚約破棄後のように手を伸ばしてしまいます。
淑女のおこないではありません。
彼に触れる寸前で気づいて、私は手を降ろして俯きました。顔が燃え上がりそうなほど熱いです。まだ気持ちを伝え合う前なのに、こんなはしたないことをしていたら嫌われてしまうかもしれません。
「ゲルダお嬢様。……もしかして」
なにかを呟いていたクロスビーは、不意に眼帯を外しました。
彼の右目は以前と同じ、暗い夜の森の緑でした。
ですが黒い眼帯の下から現れたのは黄金色の──伝説の魔神様と同じ色の瞳だったのです。
「クロスビー、あなたその瞳は?」
クロスビーは微笑みました。
「やはりゲルダお嬢様には以前の記憶があるようですね。王太子殿下の婚約者のときのゲルダお嬢様なら、こんな風に俺を見つめることはありませんでした」
「え、ええ、そうなのです。処刑された後で時間が戻って……」
「処刑?」
クロスビーは真っ青になって私を抱き寄せました。
彼は端正な顔をしているのに、いつも不機嫌そうな顔をしています。
だけど私に関することではくるくると表情を変えて……私が婚約破棄されたときも、王太子殿下を許せないと怒り狂って大変でした。今回はまだ婚約破棄されていませんけれど。
「どういうことです? 俺は魔神様にあなたの幸せを願ったんです。なのに、どうしてあなたが処刑されるだなんてことに?」
「だから、です」
「だから?」
「クロスビー、あなたがいなければ私の幸せはありません。だから魔神様はあなたが生きている時間まで私を戻してくださったのですわ」
同行していた侍女や使用人達が抱き合う私達を止めることはありませんでした。
貴族家に仕えるものとしては良くないことですが、婚約破棄後の記憶で知っています。
私と父と兄以外のものはクロスビーの気持ちに気づいていて、密かに応援してくれていたのです。思えば魔術学園で男爵令嬢が現れる前から、中央貴族派の人間に私の悪口を吹き込まれていたと思しき王太子殿下は私を嫌っていらっしゃいました。
「ゲルダお嬢様のお気持ちが変わられたのなら、着いたばかりですがみんなで王都に戻りましょうか。クロスビーさんなら王太子殿下も一撃で沈められますよ!」
侍女……ずっと王都で一緒にいたのだから知っているでしょう。
王都の恋愛は拳で蹴りをつけるものではないのですよ。
まあ私も前は勘違いしていましたが。
それに私と王太子殿下の婚約は政略的なものです。
簡単にどうにか出来るものではありません、本当は。
とりあえず私は、父に王太子殿下との婚約解消をお願いしようと思っています。
特大暴走についても話すつもりでいましたけれど、たぶんそれはクロスビーのほうが詳しく伝えていることでしょう。
クロスビーは援軍が来なくて崩れてしまった前線を立て直そうと魔獣と戦っているうちに、気がつくと魔神様の石柱に辿り着いていたのだそうです。
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