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最終話 この波紋が消えるころには
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だけど……
「病が治ってからのエルマン様は、私を大切にしてくれるようになりました。お義母様も優しくなりました。おふたりを愛することは出来ませんでしたが、政略結婚ですから役目を果たそうと思っていました。だというのに子どもが出来なくて……」
子どもが欲しいと思う気持ちは、使命感の延長に過ぎないと考えていました。
交わし合う微笑みも、お互いを想う言葉も、政略結婚だから義務なのだと思っていました。
なのに離縁の日、エルマン様が私とやり直したいと口にしたとき思ったのです。
「病床の母が父の見舞いを拒んだのは、病による高熱で肌が荒れ、髪がボロボロになっていたからでした。婚約破棄されても、結婚後に冷遇されていても、母は昔の父を愛し続けていたんです。父に会うときは少しでも自分を整えておきたかったんです。……私も」
王都へ戻ってきてピヤージュさんと再会しても、エルマン様と私は夫婦のままでした。
エルマン様はもう一度ピヤージュさんから病を移されていて、私もそれに罹っているかもしれないと、あのときの私は考えたのです。
母の葬儀のとき女医に、あの病には潜伏期間があることも聞いていましたし。
「ただでさえエルマン様にとって魅力的なのはピヤージュさんなのに、病でやつれた姿を見せたくない、そう思ったんです。せめて今の精いっぱい整えた自分だけを覚えていて欲しいと……私、自分でも気づかないうちにエルマン様を愛していたみたいなんです」
私は病に罹っていませんでした。潜伏期間が終わるころ診断してもらったのです。
「では、彼のところへ戻るのかい?……彼は完治した。体はまだ弱っているけれど、すぐに普通の生活に戻れるだろう」
少し考えて、私は首を横に振りました。
「伝えていただいた言葉は嬉しいですが、私はエルマン様を信じられません。愛していたと気づいたものの、こうして神殿で暮らしているうちに心が落ち着いてきたような気もするんです。ほら、水面に広がった波紋も時間が経てば消えてしまうでしょう?」
「消えてしまって良いの? 本当の気持ちなら、どんなに時間がかかっても消えはしないよ。……私は君がどんな姿でも美しいと……」
「ユーグ先生?」
「ごめん、こっちの話だ。その……そうだね、ゆっくり考えたほうが良いかもしれないね。私は君の幸せを祈っているよ」
「ありがとうございます」
それからしばらく話をして、私はユーグ先生を見送りました。
エルマン様を想うと、心の中が波立ちます。
これは愛なのだと思います。
でも波紋はいつか消えるものです。
波紋が消えた水底に、エルマン様との幸せな記憶はありません。
穏やかな夫婦生活の想い出は王都へ戻ってからの彼の行動で上書きされて崩れてしまいましたし、あの髪飾りは置いてきました。
「……ああ、そういえば」
ユーグ先生の後姿が見えなくなって、私はふと思い出しました。
私の初恋は彼だったのです。
心の中が波立ちます。だけどその波はエルマン様を想ったときの波とは違っていて、心の水底に輝くなにかが見えたような気がしました。
もしかしたら、王都にも良い想い出があったのかもしれません。
そうですね、母や伯父との記憶もあるのですもの。
この胸の波紋が消えるころには、私は昔の大切なことを思い出しているかもしれません。心の深いところ、水底に沈めて隠していたなにかを。それがだれとの想い出なのか、だれへの気持ちなのかは……今は、わかりません。
「病が治ってからのエルマン様は、私を大切にしてくれるようになりました。お義母様も優しくなりました。おふたりを愛することは出来ませんでしたが、政略結婚ですから役目を果たそうと思っていました。だというのに子どもが出来なくて……」
子どもが欲しいと思う気持ちは、使命感の延長に過ぎないと考えていました。
交わし合う微笑みも、お互いを想う言葉も、政略結婚だから義務なのだと思っていました。
なのに離縁の日、エルマン様が私とやり直したいと口にしたとき思ったのです。
「病床の母が父の見舞いを拒んだのは、病による高熱で肌が荒れ、髪がボロボロになっていたからでした。婚約破棄されても、結婚後に冷遇されていても、母は昔の父を愛し続けていたんです。父に会うときは少しでも自分を整えておきたかったんです。……私も」
王都へ戻ってきてピヤージュさんと再会しても、エルマン様と私は夫婦のままでした。
エルマン様はもう一度ピヤージュさんから病を移されていて、私もそれに罹っているかもしれないと、あのときの私は考えたのです。
母の葬儀のとき女医に、あの病には潜伏期間があることも聞いていましたし。
「ただでさえエルマン様にとって魅力的なのはピヤージュさんなのに、病でやつれた姿を見せたくない、そう思ったんです。せめて今の精いっぱい整えた自分だけを覚えていて欲しいと……私、自分でも気づかないうちにエルマン様を愛していたみたいなんです」
私は病に罹っていませんでした。潜伏期間が終わるころ診断してもらったのです。
「では、彼のところへ戻るのかい?……彼は完治した。体はまだ弱っているけれど、すぐに普通の生活に戻れるだろう」
少し考えて、私は首を横に振りました。
「伝えていただいた言葉は嬉しいですが、私はエルマン様を信じられません。愛していたと気づいたものの、こうして神殿で暮らしているうちに心が落ち着いてきたような気もするんです。ほら、水面に広がった波紋も時間が経てば消えてしまうでしょう?」
「消えてしまって良いの? 本当の気持ちなら、どんなに時間がかかっても消えはしないよ。……私は君がどんな姿でも美しいと……」
「ユーグ先生?」
「ごめん、こっちの話だ。その……そうだね、ゆっくり考えたほうが良いかもしれないね。私は君の幸せを祈っているよ」
「ありがとうございます」
それからしばらく話をして、私はユーグ先生を見送りました。
エルマン様を想うと、心の中が波立ちます。
これは愛なのだと思います。
でも波紋はいつか消えるものです。
波紋が消えた水底に、エルマン様との幸せな記憶はありません。
穏やかな夫婦生活の想い出は王都へ戻ってからの彼の行動で上書きされて崩れてしまいましたし、あの髪飾りは置いてきました。
「……ああ、そういえば」
ユーグ先生の後姿が見えなくなって、私はふと思い出しました。
私の初恋は彼だったのです。
心の中が波立ちます。だけどその波はエルマン様を想ったときの波とは違っていて、心の水底に輝くなにかが見えたような気がしました。
もしかしたら、王都にも良い想い出があったのかもしれません。
そうですね、母や伯父との記憶もあるのですもの。
この胸の波紋が消えるころには、私は昔の大切なことを思い出しているかもしれません。心の深いところ、水底に沈めて隠していたなにかを。それがだれとの想い出なのか、だれへの気持ちなのかは……今は、わかりません。
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