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第九話 ジョアンヌ
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「……彼はね、愛人との関係は恋愛ごっこに酔っていただけで、本当に恋して愛していたのは君だったと言っていたよ。都合の良い話だとは思うけれど、彼の瞳に嘘は無いように思えた。それで……君に伝えておこうと思ってね」
神殿でお世話になっている私を訪ねてきたのは、面会を断っている父でも元夫でもなく、かつて男爵家の主治医をなさっていたユーグ先生でした。
私よりもひとつ上で、お若いのにとても有能な方です。
父や元夫が罹っていた、あの病治療の最高峰として知られていらっしゃいます。
勝手ながら私は、先生を兄のように慕っていました。
だって父を治してくださったのですもの。
あのころの私は、父の病が治りさえすれば、きっとすべてが良いほうに進むと思っていたのです。
父を看病する母の献身が、とても眩しく見えたからです。
愚かな父も必ず母に感謝すると思ったからです。
……そんなこと、ありませんでしたけれど。
「そうですか……」
「ごめんね。まだ彼の話は聞くだけで辛かったかな?」
「……ユーグ先生、私、エルマン様のことを愛していたみたいなんです」
先生が不思議そうに首を傾げました。
「あ、ああ? 君はずっと前から彼を愛していたのではないのかい? 学園に在学していたときだって、彼が婚約者としての役目をなにも果たさないでいても、毎日伯爵邸へ通って先代夫人に厳しい教育を受けていたよね? あれは彼を愛しているからだったのでは?」
「……お義母様に気に入られたかったのです。見た目も性格もまるで違いましたが、亡くなった母を重ねていたのだと思います。それに男爵邸には後妻がいて子どもも生まれたばかりで、私の居場所はありませんでしたもの」
父は男子の誕生に大喜びでした。
私が男性だったら父に喜んでもらえて、母も大切にしてもらえたのかも、なんて悩み苦しんでいたころでもありました。
異母弟ではなかった子どもは、伯父が密かに養子先を探してくれています。後妻の実家はもう滅んでいて、彼女の家族の行方はわからないのです。
伯父のことですから、きっとちゃんとした家を見つけてくれることでしょう。
父に愛されているあの子を妬んだこともありました。
でも不幸になって欲しいとは願っていません。
「私は酷い女なんです。母に聞いて、父が子どもを作れなくなったと知っていました。病床の母は父に会うことを拒んでいましたが、代わりに私に伝えて欲しいと言っていたんです」
「もしかして君は、わざと男爵に伝えなかったの?」
私は頷きました。
「私が嫁いで絶縁した後でわかったら絶望するかと思って。そんなことを考えていたから罰が当たったのかもしれません。エルマン様が子どもを作れなかったなんて驚きましたわ」
「君が悪いわけではないよ。ほかの病ならともかく、ふたりとも間違った相手と関係したから、この結果に辿り着いたんだ」
「……それに私、エルマン様の看病をしたときは助かって欲しいなんて思っていなかったんです。そのころはもうお義母様が母とは違うと理解していましたし、エルマン様と結婚して子どもがふたり以上出来たら父が男爵家の跡取りにするとでも言い出すかもしれませんし……」
大切にするという誓いは嘘だったのだと気づいていました。でも身分の高い伯爵家にこちらから破談を申し出たら、父だけでなく伯父にも害が及ぶかもしれません。
だったら、このまま病でエルマン様が亡くなってくれたほうが話が早いと思っていたのです。
婚約者としての役目をすべて放棄されて、ピヤージュさんにばかり構われていた嫌な記憶しかない男性でした。
……彼を愛する日が来るなんて、思えなかったのです。
神殿でお世話になっている私を訪ねてきたのは、面会を断っている父でも元夫でもなく、かつて男爵家の主治医をなさっていたユーグ先生でした。
私よりもひとつ上で、お若いのにとても有能な方です。
父や元夫が罹っていた、あの病治療の最高峰として知られていらっしゃいます。
勝手ながら私は、先生を兄のように慕っていました。
だって父を治してくださったのですもの。
あのころの私は、父の病が治りさえすれば、きっとすべてが良いほうに進むと思っていたのです。
父を看病する母の献身が、とても眩しく見えたからです。
愚かな父も必ず母に感謝すると思ったからです。
……そんなこと、ありませんでしたけれど。
「そうですか……」
「ごめんね。まだ彼の話は聞くだけで辛かったかな?」
「……ユーグ先生、私、エルマン様のことを愛していたみたいなんです」
先生が不思議そうに首を傾げました。
「あ、ああ? 君はずっと前から彼を愛していたのではないのかい? 学園に在学していたときだって、彼が婚約者としての役目をなにも果たさないでいても、毎日伯爵邸へ通って先代夫人に厳しい教育を受けていたよね? あれは彼を愛しているからだったのでは?」
「……お義母様に気に入られたかったのです。見た目も性格もまるで違いましたが、亡くなった母を重ねていたのだと思います。それに男爵邸には後妻がいて子どもも生まれたばかりで、私の居場所はありませんでしたもの」
父は男子の誕生に大喜びでした。
私が男性だったら父に喜んでもらえて、母も大切にしてもらえたのかも、なんて悩み苦しんでいたころでもありました。
異母弟ではなかった子どもは、伯父が密かに養子先を探してくれています。後妻の実家はもう滅んでいて、彼女の家族の行方はわからないのです。
伯父のことですから、きっとちゃんとした家を見つけてくれることでしょう。
父に愛されているあの子を妬んだこともありました。
でも不幸になって欲しいとは願っていません。
「私は酷い女なんです。母に聞いて、父が子どもを作れなくなったと知っていました。病床の母は父に会うことを拒んでいましたが、代わりに私に伝えて欲しいと言っていたんです」
「もしかして君は、わざと男爵に伝えなかったの?」
私は頷きました。
「私が嫁いで絶縁した後でわかったら絶望するかと思って。そんなことを考えていたから罰が当たったのかもしれません。エルマン様が子どもを作れなかったなんて驚きましたわ」
「君が悪いわけではないよ。ほかの病ならともかく、ふたりとも間違った相手と関係したから、この結果に辿り着いたんだ」
「……それに私、エルマン様の看病をしたときは助かって欲しいなんて思っていなかったんです。そのころはもうお義母様が母とは違うと理解していましたし、エルマン様と結婚して子どもがふたり以上出来たら父が男爵家の跡取りにするとでも言い出すかもしれませんし……」
大切にするという誓いは嘘だったのだと気づいていました。でも身分の高い伯爵家にこちらから破談を申し出たら、父だけでなく伯父にも害が及ぶかもしれません。
だったら、このまま病でエルマン様が亡くなってくれたほうが話が早いと思っていたのです。
婚約者としての役目をすべて放棄されて、ピヤージュさんにばかり構われていた嫌な記憶しかない男性でした。
……彼を愛する日が来るなんて、思えなかったのです。
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