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前編 唇を重ねるだけではないキスを
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私は、カヴァルカンテ王国の都にあるフィーゴ伯爵邸を訪れていた。
この家の長女ファティマはバーレト子爵ヒカルドと結婚している。つまり私の妻である。
今日は彼女に離縁を告げに来たのだ。
とはいえ、実質結婚生活は破綻している。
三年前に結婚して、一年経つか経たないかのうちにファティマは実家へ帰った。
そもそも私達の間に肉体関係はない。ほかに愛を捧げている女性がいる私は、家同士の義理で彼女を娶ったに過ぎない。
幼いころから婚約していたが、結婚する二年前の学園の卒業パーティでは一度婚約を破棄していた。
それが再構築だなんて、最初から無理な話だったのである。
思いながら私は、伯爵家のメイドが出してくれたお茶を口に含んだ。
「……」
フィーゴ伯爵家は大丈夫だろうか。
都の東南にある伯爵領は茶葉と養蜂で知られている。
しかし今口にしたお茶はイマイチだった。いや……私には他人の家のことをどうこう言う資格はない。単に我が家の執事が優秀で仕入れてくれる茶葉が良いものなだけだろう。
私がいるのは伯爵邸の裏庭にある東屋だった。
薔薇園の中にあり、東屋から外は見えるが外からは東屋が見えない造りになっている。
恋人達の密会用らしいが、まことに嘆かわしい。本当に心が通じ合っていれば、たった一度のキスでも永遠に想い合うことが出来るのに。
「ファティマ」
ん? だれかが妻を呼ぶ声に視線を向ける。男の声だ。
見れば薔薇園の隅にある低木の迷路から出てきた男女がいる。
ひとりはファティマ。ひとりは裏切り者のソウザ辺境伯だった。学園時代は第二王子派だったのに、気づくと彼は王太子派に寝返っていた。
思えば彼は最初からシダージェ男爵令嬢のティナにも無関心だった。
まあ無理もない。悪所通いが日常で、どの令嬢も婚約を結ぶのを躊躇うような男にはティナ嬢も笑顔を向けられなかっただろうからな。それに、彼女は……
あんな男にしか相手にされないとは我が妻も哀れなことだ。とはいえ、禁断の恋の苦しさは私も良く知っている。早く離縁を告げて楽にしてやろう。
「グスタヴォ様……」
みっともない。自分が人妻だということを忘れているのだろうか。
ファティマが漏らした甘い声を聞いて眉間に力が籠もる。
私に見られているのを気づかずに、ソウザ辺境伯はファティマを抱き寄せた。そのまま唇を重ねる。うっ……あれは唇を重ねるだけでない淫らなキスではないか!
ふ、ふん!
私は茶碗をテーブルに置いた。水面が揺れているのは、私の手が震えていたからではない。
唇を重ねるだけでないキスくらい、私だってしたことがある。ファティマとではない。本当に愛している、ただひとりの女性とだ。向こうは私以外ともキスを、それどころか肉体関係も結んでいるけれど、本当に愛しているのはお互いだけだ。
ううう、胸が痛い。心臓が引き千切られそうだ。
どうしたんだ、私は。まさかソウザ辺境伯に嫉妬をしているのか?
莫迦らしい。私は今日、ファティマと離縁しに来たんだぞ。そうだ、私は真の愛に殉じるんだ!
「ファティマ……」
唇を離したソウザ辺境伯は、我が妻の顔中にキスを降らせながら言う。
「……これから君の部屋へ行ってもいいかい?」
「駄目よ。あと少しなのだから待って?」
あと少し? なにがあと少しなんだ。
まさか私が今日離縁に来ると予知していたのか?
ソウザ辺境伯が待てないとほざいて再び唇を重ねるだけでないキスを始めたので、私は大きく咳払いをした。いい加減気づいてくれたまえ。
「ぅおっほん!」
ふたりはきょとんとした顔で、東屋周りのアーチを抜けてやって来た。
「だれかいたのかい?」
「……ヒカルド様?」
「やあ」
私は冷静を装って挨拶をした。
「メイドが君を呼びに行ったようだが入れ違いになったみたいだね、ファティマ」
ソウザ辺境伯の眉が吊り上がる。
「バーレト子爵、ファティマを呼び捨てにするのは止めてくれないか」
「止めるのは君のほうだろう。ファティマは私の妻だ。妻を呼び捨てにしてなにが悪い」
「……ヒカルド様? 私達は二年前に離縁していますが」
「なんだと?」
困惑した表情で、ファティマが微笑む。
「ヒカルド様……バーレト子爵はお仕事に夢中になると私事を流してしまわれるから。私がお渡しした離縁の書類も、なにも考えずに署名だけしてお返しになったのですね」
「……もしかして、君が実家に帰ったのは私と離縁したからだったのかい?」
「そうだ。そして今のファティマは俺の婚約者だ。第二王子妃の処刑前に式を上げようと思っている。……バーレト子爵を招く予定はないがね」
「招かれてもお断りさせていただくよ」
私は帰路に就いた。
この家の長女ファティマはバーレト子爵ヒカルドと結婚している。つまり私の妻である。
今日は彼女に離縁を告げに来たのだ。
とはいえ、実質結婚生活は破綻している。
三年前に結婚して、一年経つか経たないかのうちにファティマは実家へ帰った。
そもそも私達の間に肉体関係はない。ほかに愛を捧げている女性がいる私は、家同士の義理で彼女を娶ったに過ぎない。
幼いころから婚約していたが、結婚する二年前の学園の卒業パーティでは一度婚約を破棄していた。
それが再構築だなんて、最初から無理な話だったのである。
思いながら私は、伯爵家のメイドが出してくれたお茶を口に含んだ。
「……」
フィーゴ伯爵家は大丈夫だろうか。
都の東南にある伯爵領は茶葉と養蜂で知られている。
しかし今口にしたお茶はイマイチだった。いや……私には他人の家のことをどうこう言う資格はない。単に我が家の執事が優秀で仕入れてくれる茶葉が良いものなだけだろう。
私がいるのは伯爵邸の裏庭にある東屋だった。
薔薇園の中にあり、東屋から外は見えるが外からは東屋が見えない造りになっている。
恋人達の密会用らしいが、まことに嘆かわしい。本当に心が通じ合っていれば、たった一度のキスでも永遠に想い合うことが出来るのに。
「ファティマ」
ん? だれかが妻を呼ぶ声に視線を向ける。男の声だ。
見れば薔薇園の隅にある低木の迷路から出てきた男女がいる。
ひとりはファティマ。ひとりは裏切り者のソウザ辺境伯だった。学園時代は第二王子派だったのに、気づくと彼は王太子派に寝返っていた。
思えば彼は最初からシダージェ男爵令嬢のティナにも無関心だった。
まあ無理もない。悪所通いが日常で、どの令嬢も婚約を結ぶのを躊躇うような男にはティナ嬢も笑顔を向けられなかっただろうからな。それに、彼女は……
あんな男にしか相手にされないとは我が妻も哀れなことだ。とはいえ、禁断の恋の苦しさは私も良く知っている。早く離縁を告げて楽にしてやろう。
「グスタヴォ様……」
みっともない。自分が人妻だということを忘れているのだろうか。
ファティマが漏らした甘い声を聞いて眉間に力が籠もる。
私に見られているのを気づかずに、ソウザ辺境伯はファティマを抱き寄せた。そのまま唇を重ねる。うっ……あれは唇を重ねるだけでない淫らなキスではないか!
ふ、ふん!
私は茶碗をテーブルに置いた。水面が揺れているのは、私の手が震えていたからではない。
唇を重ねるだけでないキスくらい、私だってしたことがある。ファティマとではない。本当に愛している、ただひとりの女性とだ。向こうは私以外ともキスを、それどころか肉体関係も結んでいるけれど、本当に愛しているのはお互いだけだ。
ううう、胸が痛い。心臓が引き千切られそうだ。
どうしたんだ、私は。まさかソウザ辺境伯に嫉妬をしているのか?
莫迦らしい。私は今日、ファティマと離縁しに来たんだぞ。そうだ、私は真の愛に殉じるんだ!
「ファティマ……」
唇を離したソウザ辺境伯は、我が妻の顔中にキスを降らせながら言う。
「……これから君の部屋へ行ってもいいかい?」
「駄目よ。あと少しなのだから待って?」
あと少し? なにがあと少しなんだ。
まさか私が今日離縁に来ると予知していたのか?
ソウザ辺境伯が待てないとほざいて再び唇を重ねるだけでないキスを始めたので、私は大きく咳払いをした。いい加減気づいてくれたまえ。
「ぅおっほん!」
ふたりはきょとんとした顔で、東屋周りのアーチを抜けてやって来た。
「だれかいたのかい?」
「……ヒカルド様?」
「やあ」
私は冷静を装って挨拶をした。
「メイドが君を呼びに行ったようだが入れ違いになったみたいだね、ファティマ」
ソウザ辺境伯の眉が吊り上がる。
「バーレト子爵、ファティマを呼び捨てにするのは止めてくれないか」
「止めるのは君のほうだろう。ファティマは私の妻だ。妻を呼び捨てにしてなにが悪い」
「……ヒカルド様? 私達は二年前に離縁していますが」
「なんだと?」
困惑した表情で、ファティマが微笑む。
「ヒカルド様……バーレト子爵はお仕事に夢中になると私事を流してしまわれるから。私がお渡しした離縁の書類も、なにも考えずに署名だけしてお返しになったのですね」
「……もしかして、君が実家に帰ったのは私と離縁したからだったのかい?」
「そうだ。そして今のファティマは俺の婚約者だ。第二王子妃の処刑前に式を上げようと思っている。……バーレト子爵を招く予定はないがね」
「招かれてもお断りさせていただくよ」
私は帰路に就いた。
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