1 / 12
第一話 オルティス侯爵家殺人事件
美しく整えられた庭は春の花の芳香に満ちていた。
カラン、と乾いた音がする。
庭の片隅に目をやれば、崩れかけた鐘撞堂がある。
以前雷が落ちたので、屋根は破れ床が崩れ壁は欠けていた。
崩れた屋根の残骸から降り注ぐ雨が、頭上に吊られた大きな鐘を錆びさせている。
だから、さっきのような乾いた音しか出せなかったのだろう。
鐘に結びつけられた縄こそ残っているものの、それを引っ張っても音は鳴らない。
鳴らないのだと思っていた、今日までは。
だってお母様が豪雨の中、必死で縄を引いても少しも鳴らなかったのだもの。
雨の中で屋根の無い鐘撞堂に籠もっていたお母様は、それがもとで風邪をひいてこの世を去った。……今ふっと思った、雨の中だから鳴らなかったのではないか、という考えは胸の中に仕舞っておこう。あのときのお母様の気持ちもわかるから。
あの鐘は愛の鐘と呼ばれている。
遠い昔、このオルティス侯爵家の当主が愛人にせがまれて鳴らしていた鐘なのだ。
ちなみに、そのときの当主はまだ生きていて、長女のお母様が成人しても結婚しても孫娘の私が生まれても、当主の座にしがみついている。
鐘撞堂に雷が落ちたのは、天罰だと言われている。
お爺様の愛人は鐘を鳴らす時間と数で情夫の山賊団の頭に情報を流し、オルティス侯爵領からこの王都に向かう隊商を襲わせていたのだ。
もっともお爺様は今もそれを信じず、愛人とその情夫が処刑された後も、正妻だったお婆様が嫉妬して冤罪を被せたのだと言い張っている。お爺様はお婆様の産んだ三人の娘を愛していない。その娘達が産んだ孫も。
壁が欠けているので、鐘撞堂の中にいるふたりの姿が見えた。
私の婚約者のクリストバル様と異母妹のフェティチェだ。
お母様が鐘を鳴らそうとしていたのは三年前、父エウヘニオがフェティチェを引き取った夜だった。フェティチェの母親が行方不明になったからだ。入り婿の愛人の娘など受け入れるはずがないと思っていたのに、今もこのオルティス侯爵家に君臨するお爺様は彼女を受け入れた。
その理由を私は知っている。
というか、前世の少女漫画で読んだ。
壊れかけた鐘撞堂で寄り添う婚約者と異母妹を見た途端、前世の記憶が蘇ったのだ。
私の前世は日本人、電子書籍で古い少女漫画を読むのが趣味の会社員だった。
いや最新の少女漫画の繊細な心理描写とか見ると、大人になった身では気恥ずかしくなるのよ。
古い少女漫画の単純なストーリーと派手なリアクションのほうが現実を忘れられて楽しかったのだ。
ここは少女漫画『愛の鐘を鳴らして~オルティス侯爵家殺人事件~』と同じ、もしくは近しい世界なのだと思う。
侯爵家当主が入り婿の愛人の娘を受け入れたのは、彼女が自身の愛人の孫だからだ。
お爺様の愛人は捕縛されたときに妊娠していたので、出産するまで処刑が延期された。お爺様は愛人の子どもを自分の子どもだと信じて引き取ろうとしたのだけれど、その子は出自を伏せられて孤児院へ送られた。
お爺様はずっとその子を探し求めていたが、見つかることはなかった。
たぶん愛人に似ていなかったのだろう。……山賊の頭に似てたんじゃないかなあ。
でもフェティチェは愛人に生き写しだったのだ。隔世遺伝ってやつだね。
そんなわけでお爺様はフェティチェを自分の孫だと信じている。
彼女と私の婚約者が愛の鐘を鳴らしたってことは明日かな?
お爺様は一族を集めて、自分の死後、オルティス侯爵家のすべてを受け継ぐのはフェティチェだと宣言する。──そして、惨劇の幕が開くのだ。
「カルロータお嬢様」
蘇った前世の記憶を反芻していると、庭師のミゲルに声をかけられた。
私の親世代の彼はなかなかの色男で、オルティス侯爵家の財力目当てで結婚したくせにお母様の強い愛情を疎んで、仕事と称して下町に囲っていた愛人のところへ入り浸っていた実父よりも父親を感じる男性だ。
幼いころ、庭で遊んでいたら花の名前を教えてくれたし、危ないことをしようとしていたら止めてくれた。なんで独身なのかしら。
ミゲルがちらりと鐘撞堂へ視線を送る。
「あのおふたりには俺が注意しておきます」
雨ざらしになって錆びているのは大きな鐘だけではない。
鐘を支える鎖も錆びているので、縄を引いて鳴らそうとすると危険なのだ。あの鐘は大人でもすっぽり入ってしまうくらい大きいし、入り切らずにはみ出した手足は押し潰しそうなほどぶ厚く重い。
私は幼いときにミゲルから聞いたし、たぶん亡くなったお母様もわかっていただろう。
ミゲルはきっと、あのふたりの姿を見た私が傷ついて立ち竦んでいたと思っているんだろうなあ。
さっき前世が蘇るまでの私は、父を愛するお母様と同じように婚約者のクリストバルを愛していたものねえ。
父と婚約者に愛されている異母妹への嫉妬が、少女漫画『愛の鐘を鳴らして~オルティス侯爵家殺人事件~』での私の犯行理由だ。
ミゲルに礼を言って、私は王都の侯爵邸の中に戻った。
春の天気は変わりやすい。明日は雷鳴轟く豪雨になるし、今日もすでに雲行きが怪しくなっている。
お爺様がフェティチェをオルティス侯爵家の相続人にすると言い出す前か後に、私は絶縁して家を出て行くと宣言しようっと。
カラン、と乾いた音がする。
庭の片隅に目をやれば、崩れかけた鐘撞堂がある。
以前雷が落ちたので、屋根は破れ床が崩れ壁は欠けていた。
崩れた屋根の残骸から降り注ぐ雨が、頭上に吊られた大きな鐘を錆びさせている。
だから、さっきのような乾いた音しか出せなかったのだろう。
鐘に結びつけられた縄こそ残っているものの、それを引っ張っても音は鳴らない。
鳴らないのだと思っていた、今日までは。
だってお母様が豪雨の中、必死で縄を引いても少しも鳴らなかったのだもの。
雨の中で屋根の無い鐘撞堂に籠もっていたお母様は、それがもとで風邪をひいてこの世を去った。……今ふっと思った、雨の中だから鳴らなかったのではないか、という考えは胸の中に仕舞っておこう。あのときのお母様の気持ちもわかるから。
あの鐘は愛の鐘と呼ばれている。
遠い昔、このオルティス侯爵家の当主が愛人にせがまれて鳴らしていた鐘なのだ。
ちなみに、そのときの当主はまだ生きていて、長女のお母様が成人しても結婚しても孫娘の私が生まれても、当主の座にしがみついている。
鐘撞堂に雷が落ちたのは、天罰だと言われている。
お爺様の愛人は鐘を鳴らす時間と数で情夫の山賊団の頭に情報を流し、オルティス侯爵領からこの王都に向かう隊商を襲わせていたのだ。
もっともお爺様は今もそれを信じず、愛人とその情夫が処刑された後も、正妻だったお婆様が嫉妬して冤罪を被せたのだと言い張っている。お爺様はお婆様の産んだ三人の娘を愛していない。その娘達が産んだ孫も。
壁が欠けているので、鐘撞堂の中にいるふたりの姿が見えた。
私の婚約者のクリストバル様と異母妹のフェティチェだ。
お母様が鐘を鳴らそうとしていたのは三年前、父エウヘニオがフェティチェを引き取った夜だった。フェティチェの母親が行方不明になったからだ。入り婿の愛人の娘など受け入れるはずがないと思っていたのに、今もこのオルティス侯爵家に君臨するお爺様は彼女を受け入れた。
その理由を私は知っている。
というか、前世の少女漫画で読んだ。
壊れかけた鐘撞堂で寄り添う婚約者と異母妹を見た途端、前世の記憶が蘇ったのだ。
私の前世は日本人、電子書籍で古い少女漫画を読むのが趣味の会社員だった。
いや最新の少女漫画の繊細な心理描写とか見ると、大人になった身では気恥ずかしくなるのよ。
古い少女漫画の単純なストーリーと派手なリアクションのほうが現実を忘れられて楽しかったのだ。
ここは少女漫画『愛の鐘を鳴らして~オルティス侯爵家殺人事件~』と同じ、もしくは近しい世界なのだと思う。
侯爵家当主が入り婿の愛人の娘を受け入れたのは、彼女が自身の愛人の孫だからだ。
お爺様の愛人は捕縛されたときに妊娠していたので、出産するまで処刑が延期された。お爺様は愛人の子どもを自分の子どもだと信じて引き取ろうとしたのだけれど、その子は出自を伏せられて孤児院へ送られた。
お爺様はずっとその子を探し求めていたが、見つかることはなかった。
たぶん愛人に似ていなかったのだろう。……山賊の頭に似てたんじゃないかなあ。
でもフェティチェは愛人に生き写しだったのだ。隔世遺伝ってやつだね。
そんなわけでお爺様はフェティチェを自分の孫だと信じている。
彼女と私の婚約者が愛の鐘を鳴らしたってことは明日かな?
お爺様は一族を集めて、自分の死後、オルティス侯爵家のすべてを受け継ぐのはフェティチェだと宣言する。──そして、惨劇の幕が開くのだ。
「カルロータお嬢様」
蘇った前世の記憶を反芻していると、庭師のミゲルに声をかけられた。
私の親世代の彼はなかなかの色男で、オルティス侯爵家の財力目当てで結婚したくせにお母様の強い愛情を疎んで、仕事と称して下町に囲っていた愛人のところへ入り浸っていた実父よりも父親を感じる男性だ。
幼いころ、庭で遊んでいたら花の名前を教えてくれたし、危ないことをしようとしていたら止めてくれた。なんで独身なのかしら。
ミゲルがちらりと鐘撞堂へ視線を送る。
「あのおふたりには俺が注意しておきます」
雨ざらしになって錆びているのは大きな鐘だけではない。
鐘を支える鎖も錆びているので、縄を引いて鳴らそうとすると危険なのだ。あの鐘は大人でもすっぽり入ってしまうくらい大きいし、入り切らずにはみ出した手足は押し潰しそうなほどぶ厚く重い。
私は幼いときにミゲルから聞いたし、たぶん亡くなったお母様もわかっていただろう。
ミゲルはきっと、あのふたりの姿を見た私が傷ついて立ち竦んでいたと思っているんだろうなあ。
さっき前世が蘇るまでの私は、父を愛するお母様と同じように婚約者のクリストバルを愛していたものねえ。
父と婚約者に愛されている異母妹への嫉妬が、少女漫画『愛の鐘を鳴らして~オルティス侯爵家殺人事件~』での私の犯行理由だ。
ミゲルに礼を言って、私は王都の侯爵邸の中に戻った。
春の天気は変わりやすい。明日は雷鳴轟く豪雨になるし、今日もすでに雲行きが怪しくなっている。
お爺様がフェティチェをオルティス侯爵家の相続人にすると言い出す前か後に、私は絶縁して家を出て行くと宣言しようっと。
あなたにおすすめの小説
メリンダは見ている [完]
風龍佳乃
恋愛
侯爵令嬢のメリンダは
冷静沈着という言葉が似合う女性だ。
メリンダが見つめているのは
元婚約者であるアレンだ。
婚約関係にありながらも
愛された記憶はなかった
メリンダ自身もアレンを愛していたか?
と問われれば答えはNoだろう。
けれど元婚約者として
アレンの幸せを
願っている。
【完結】私の愛する人は、あなただけなのだから
よどら文鳥
恋愛
私ヒマリ=ファールドとレン=ジェイムスは、小さい頃から仲が良かった。
五年前からは恋仲になり、その後両親をなんとか説得して婚約まで発展した。
私たちは相思相愛で理想のカップルと言えるほど良い関係だと思っていた。
だが、レンからいきなり婚約破棄して欲しいと言われてしまう。
「俺には最愛の女性がいる。その人の幸せを第一に考えている」
この言葉を聞いて涙を流しながらその場を去る。
あれほど酷いことを言われってしまったのに、私はそれでもレンのことばかり考えてしまっている。
婚約破棄された当日、ギャレット=メルトラ第二王子殿下から縁談の話が来ていることをお父様から聞く。
両親は恋人ごっこなど終わりにして王子と結婚しろと強く言われてしまう。
だが、それでも私の心の中には……。
※冒頭はざまぁっぽいですが、ざまぁがメインではありません。
※第一話投稿の段階で完結まで全て書き終えていますので、途中で更新が止まることはありませんのでご安心ください。
賭けで付き合った2人の結末は…
しあ
恋愛
遊び人な先輩に告白されて、3ヶ月お付き合いすることになったけど、最終日に初めて私からデートに誘ったのに先輩はいつも通りドタキャン。
それどころか、可愛い女の子と腕を組んで幸せそうにデートしている所を発見してしまう。
どうせ3ヶ月って期間付き関係だったもんね。
仕方ない…仕方ないのはわかっているけど涙が止まらない。
涙を拭いたティッシュを芽生え始めた恋心と共にゴミ箱に捨てる。
捨てたはずなのに、どうして先輩とよく遭遇しそうになるんですか…?とりあえず、全力で避けます。
※魔法が使える世界ですが、文明はとても進んでとても現代的な設定です。スマホとか出てきます。
【完結】ハーレム構成員とその婚約者
里音
恋愛
わたくしには見目麗しい人気者の婚約者がいます。
彼は婚約者のわたくしに素っ気ない態度です。
そんな彼が途中編入の令嬢を生徒会としてお世話することになりました。
異例の事でその彼女のお世話をしている生徒会は彼女の美貌もあいまって見るからに彼女のハーレム構成員のようだと噂されています。
わたくしの婚約者様も彼女に惹かれているのかもしれません。最近お二人で行動する事も多いのですから。
婚約者が彼女のハーレム構成員だと言われたり、彼は彼女に夢中だと噂されたり、2人っきりなのを遠くから見て嫉妬はするし傷つきはします。でもわたくしは彼が大好きなのです。彼をこんな醜い感情で煩わせたくありません。
なのでわたくしはいつものように笑顔で「お会いできて嬉しいです。」と伝えています。
周りには憐れな、ハーレム構成員の婚約者だと思われていようとも。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
話の一コマを切り取るような形にしたかったのですが、終わりがモヤモヤと…力不足です。
コメントは賛否両論受け付けますがメンタル弱いのでお返事はできないかもしれません。
勇者になった幼馴染は聖女様を選んだ〈完結〉
ヘルベ
恋愛
同じ村の、ほのかに想いを寄せていた幼馴染のジグが、勇者に選ばれてしまった。
親同士も仲良く、族ぐるみで付き合いがあったから、このままいけば将来のお婿さんになってくれそうな雰囲気だったのに…。
全てがいきなり無くなってしまった。
危険な旅への心配と誰かにジグを取られてしまいそうな不安で慌てて旅に同行しようとするも、どんどんとすれ違ってしまいもどかしく思う日々。
そして結局勇者は聖女を選んで、あたしは――。
愛しているだなんて戯言を言われても迷惑です
風見ゆうみ
恋愛
わたくし、ルキア・レイング伯爵令嬢は、政略結婚により、ドーウッド伯爵家の次男であるミゲル・ドーウッドと結婚いたしました。
ミゲルは次男ですから、ドーウッド家を継げないため、レイング家の婿養子となり、レイング家の伯爵の爵位を継ぐ事になったのです。
女性でも爵位を継げる国ではありましたが、そうしなかったのは、わたくしは泣き虫で、声も小さく、何か言われるたびに、怯えてビクビクしていましたから。
結婚式の日の晩、寝室に向かうと、わたくしはミゲルから「本当は君の様な女性とは結婚したくなかった。爵位の為だ。君の事なんて愛してもいないし、これから、愛せるわけがない」と言われてしまいます。
何もかも嫌になった、わたくしは、死を選んだのですが…。
「はあ? なんで、私が死なないといけないの!? 悪いのはあっちじゃないの!」
死んだはずのルキアの身体に事故で亡くなった、私、スズの魂が入り込んでしまった。
今のところ、爵位はミゲルにはなく、父のままである。
この男に渡すくらいなら、私が女伯爵になるわ!
性格が変わった私に、ミゲルは態度を変えてきたけど、絶対に離婚! 当たり前でしょ。
※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。
※中世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観です。
※ざまぁは過度ではありません。
※話が気に入らない場合は閉じて下さいませ。
ついで姫の本気
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
国の間で二組の婚約が結ばれた。
一方は王太子と王女の婚約。
もう一方は王太子の親友の高位貴族と王女と仲の良い下位貴族の娘のもので……。
綺麗な話を書いていた反動でできたお話なので救いなし。
ハッピーな終わり方ではありません(多分)。
※4/7 完結しました。
ざまぁのみの暗い話の予定でしたが、読者様に励まされ闇精神が復活。
救いのあるラストになっております。
短いです。全三話くらいの予定です。
↑3/31 見通しが甘くてすみません。ちょっとだけのびます。
4/6 9話目 わかりにくいと思われる部分に少し文を加えました。