愛の鐘を鳴らすのは

豆狸

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第一話 オルティス侯爵家殺人事件

 美しく整えられた庭は春の花の芳香に満ちていた。

 カラン、と乾いた音がする。
 庭の片隅に目をやれば、崩れかけた鐘撞堂かねつきどうがある。
 以前雷が落ちたので、屋根は破れ床が崩れ壁は欠けていた。

 崩れた屋根の残骸から降り注ぐ雨が、頭上に吊られた大きな鐘を錆びさせている。
 だから、さっきのような乾いた音しか出せなかったのだろう。
 鐘に結びつけられた縄こそ残っているものの、それを引っ張っても音は鳴らない。

 鳴らないのだと思っていた、今日までは。
 だってお母様が豪雨の中、必死で縄を引いても少しも鳴らなかったのだもの。
 雨の中で屋根の無い鐘撞堂に籠もっていたお母様は、それがもとで風邪をひいてこの世を去った。……今ふっと思った、雨の中だから鳴らなかったのではないか、という考えは胸の中に仕舞っておこう。あのときのお母様の気持ちもわかるから。

 あの鐘は愛の鐘と呼ばれている。
 遠い昔、このオルティス侯爵家の当主が愛人にせがまれて鳴らしていた鐘なのだ。
 ちなみに、そのときの当主はまだ生きていて、長女のお母様が成人しても結婚しても孫娘の私が生まれても、当主の座にしがみついている。

 鐘撞堂に雷が落ちたのは、天罰だと言われている。
 お爺様の愛人は鐘を鳴らす時間と数で情夫の山賊団のかしらに情報を流し、オルティス侯爵領からこの王都に向かう隊商を襲わせていたのだ。
 もっともお爺様は今もそれを信じず、愛人とその情夫が処刑された後も、正妻だったお婆様が嫉妬して冤罪を被せたのだと言い張っている。お爺様はお婆様の産んだ三人の娘を愛していない。その娘達が産んだ孫も。

 壁が欠けているので、鐘撞堂の中にいるふたりの姿が見えた。
 私の婚約者のクリストバル様と異母妹のフェティチェだ。
 お母様が鐘を鳴らそうとしていたのは三年前、父エウヘニオがフェティチェを引き取った夜だった。フェティチェの母親が行方不明になったからだ。入り婿の愛人の娘など受け入れるはずがないと思っていたのに、今もこのオルティス侯爵家に君臨するお爺様は彼女フェティチェを受け入れた。

 その理由を私は知っている。
 というか、前世の少女漫画で読んだ。
 壊れかけた鐘撞堂で寄り添う婚約者と異母妹を見た途端、前世の記憶が蘇ったのだ。

 私の前世は日本人、電子書籍で古い少女漫画を読むのが趣味の会社員だった。
 いや最新の少女漫画の繊細な心理描写とか見ると、大人になった身では気恥ずかしくなるのよ。
 古い少女漫画の単純なストーリーと派手なリアクションのほうが現実を忘れられて楽しかったのだ。

 ここは少女漫画『愛の鐘を鳴らして~オルティス侯爵家殺人事件~』と同じ、もしくは近しい世界なのだと思う。
 侯爵家当主が入り婿の愛人の娘フェティチェを受け入れたのは、彼女が自身の愛人の孫だからだ。
 お爺様の愛人は捕縛されたときに妊娠していたので、出産するまで処刑が延期された。お爺様は愛人の子どもを自分の子どもだと信じて引き取ろうとしたのだけれど、その子は出自を伏せられて孤児院へ送られた。

 お爺様はずっとその子を探し求めていたが、見つかることはなかった。
 たぶん愛人に似ていなかったのだろう。……山賊のかしらに似てたんじゃないかなあ。
 でもフェティチェは愛人に生き写しだったのだ。隔世遺伝ってやつだね。

 そんなわけでお爺様はフェティチェを自分の孫だと信じている。
 彼女と私の婚約者が愛の鐘を鳴らしたってことは明日かな?
 お爺様は一族を集めて、自分の死後、オルティス侯爵家のすべてを受け継ぐのはフェティチェだと宣言する。──そして、惨劇の幕が開くのだ。

「カルロータお嬢様」

 蘇った前世の記憶を反芻していると、庭師のミゲルに声をかけられた。
 カルロータの親世代の彼はなかなかの色男で、オルティス侯爵家の財力目当てで結婚したくせにお母様の強い愛情を疎んで、仕事と称して下町に囲っていた愛人フェティチェの母親のところへ入り浸っていた実父よりも父親を感じる男性だ。
 幼いころ、庭で遊んでいたら花の名前を教えてくれたし、危ないことをしようとしていたら止めてくれた。なんで独身なのかしら。

 ミゲルがちらりと鐘撞堂へ視線を送る。

「あのおふたりには俺が注意しておきます」

 雨ざらしになって錆びているのは大きな鐘だけではない。
 鐘を支える鎖も錆びているので、縄を引いて鳴らそうとすると危険なのだ。あの鐘は大人でもすっぽり入ってしまうくらい大きいし、入り切らずにはみ出した手足は押し潰しそうなほどぶ厚く重い。
 私は幼いときにミゲルから聞いたし、たぶん亡くなったお母様もわかっていただろう。

 ミゲルはきっと、あのふたりの姿を見た私が傷ついて立ちすくんでいたと思っているんだろうなあ。
 さっき前世が蘇るまでの私は、父を愛するお母様と同じように婚約者のクリストバルを愛していたものねえ。
 父と婚約者に愛されている異母妹フェティチェへの嫉妬が、少女漫画『愛の鐘を鳴らして~オルティス侯爵家殺人事件~』でのカルロータの犯行理由だ。

 ミゲルに礼を言って、私は王都の侯爵邸の中に戻った。
 春の天気は変わりやすい。明日は雷鳴轟く豪雨になるし、今日もすでに雲行きが怪しくなっている。
 お爺様がフェティチェをオルティス侯爵家の相続人にすると言い出す前か後に、私は絶縁して家を出て行くと宣言しようっと。

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