9 / 15
第九話 アレックスの処罰
しおりを挟む
アレックスが殺したのはエネミだった。
ドレスに見覚えがあったのは当然のこと、その姿のエネミと仮面舞踏会へ行っていたのだから。
殺した後に泳がされたのは、アレックスが売国行為に関与しているのかどうかを確認するためだ。すでに摘発されていた帝国の間者の隠れ場所へ行くかを見られていたのである。
「帝国への売国行為はエネミ殿の一存で間違いなかったようですね。もっともお飾りの室長とはいえ助手の管理責任はある。それに売国奴だからといって殺しても良いというわけではありません。貴方は罰せられます」
陸軍施設の尋問室でイーサンがアレックスに告げた。
アレックスは力無く頷く。
玄関の扉が叩かれた後、アレックスは妻の目の前で捕縛されたのだ。オリビエに危険がないよう、最初から家の周りに監視役のイーサンの部下がいたのだという。
「別件で捕縛済みの帝国間者の証言によると、エネミ殿は貴方を売って亡命するつもりだったようですよ」
「そうですか……」
怒りは不思議なほど湧いてこない。
アレックスはわかっている。
自分にとってのエネミが成功の戦利品であるように、エネミにとっての自分はタイラーの代用品でしかないことを。
(大学にとっても義父にとってもそうだ。結局僕は、だれにとっても価値のない人間だったんだ。回復魔道具の研究だって、僕以外でも継続出来る)
「そう言えば代理をお願いしたときにエネミ殿からお聞きしたのですが、貴方はご自分の妻を……オリビエを殺すつもりだったそうですね?」
「なにを今さら。薬屋の前で出会ったときから気づいていたんでしょう?」
「そうですね。結婚式でお会いしたときから、貴方がオリビエを愛していないことには気づいていましたよ。金持ちの妻に感謝するのではなく、劣等感を抱いて逆恨みする気質の方だとお見受けしました。自尊心を満たしてくれる愛人でも出来たら愚かな行為に走りかねない、そんな風に感じて見守らせていただいていたのです」
「ええ、その通りです。金持ちの……回復魔道具の研究目当てでタイラーの代用品に過ぎない僕と結婚したような妻、愛せるわけがないじゃないですかッ」
感情を迸らせたアレックスに、イーサンは憐れむような視線を向ける。
「……オリビエは貴方を愛していますよ」
「ッ」
「俺は幼馴染ですからね、散々惚気られました。……いえ、彼女には惚気ているという自覚もないでしょう。親せきに送るただの季節の手紙が貴方でいっぱいだっただけです。タイラー室長との縁談があったときから、オリビエは貴方に惹かれていました。研究室で黙々と研究を続ける貴方を支えたいと、そう望んでいたのです」
「う、嘘だッ! タイラーが死ななかったら結婚していたはずだろう?」
「タイラー室長が食い下がったからです。女性関係の問題を指摘されても、改めるから結婚して欲しいと頼み込んで……もちろん彼女の父親の豪商からの援助が欲しかったのもあるでしょうね。でもタイラー室長がオリビエに惹かれていたのも事実だと思います。貴方に奪われたくはなかったのですよ」
「……」
「愛してもいない夫のために、わざわざ相手の故郷から取り寄せた食材で料理を作るはずがないでしょう?」
アレックスの舌に今朝のスープの味が蘇る。
懐かしい海藻の味、形が無くなるまで煮込まれた野菜には妻の愛情が染み込んでいた。
いつもの朝、いつもの食事、いつもの妻──もう二度と戻れない。
「オリビエは、貴方とご家族が再会出来る日を夢見ていましたよ。本当は貴方ももう気づいているのでしょう? 不要だから捨てられたわけじゃない。逞しい弟さんなら不漁の港町でも生き延びられるかもしれないけれど、小柄で繊細な貴方は心配だった。それで港町よりも食べ物に恵まれていた王都の孤児院へ預けたのです」
オリビエはアレックスを莫迦にしたりしていなかった。いいように使ったりもしなかったし、捨てる気もなかった。
(オリビエも故郷の家族も、捨てたのは……僕のほうだ)
「……僕は……死刑になるのですか? だったら、その前にオリビエと離縁がしたい。彼女にもお義父さんにも、僕のことで重荷を背負わせたくないんです。大学や故郷の家族にも累を及ぼしたくない。今さら……今さらですけれど……せめて、ちゃんと回復魔道具の研究を完成させておきたかったなあ」
タイラーから受け継いだものとはいえ、回復魔道具の研究を完成させていたら自信が持てて、オリビエからの愛を疑わずに受け入れられていたのかもしれない。アレックスは、自分が欲しかったものをすでに手にしていたことを理解した。
「死刑になるかどうかは裁判次第ですが、投獄された時点で回復魔道具の研究は貴方以外の人の手に渡ります。数年で釈放されても研究は完成した後で、二度と関わることは出来ないでしょう。けれど……貴方さえよければお亡くなりになったことにして、軍で密かに回復魔道具の研究を続けてもらうことが可能です」
「え?」
「助手の売国行為の責任を取り、エネミ殿を殺して後追い心中したということにすれば、美談に仕立て上げることが出来ますよ。ただし貴方は別人になる。オリビエとも故郷のご家族とも、二度と会うことは叶いません」
おとぎ話に出来る妖精のように美しい魔性の男は、愚かな人間を惑わせる妖艶な笑みを浮かべた。
ドレスに見覚えがあったのは当然のこと、その姿のエネミと仮面舞踏会へ行っていたのだから。
殺した後に泳がされたのは、アレックスが売国行為に関与しているのかどうかを確認するためだ。すでに摘発されていた帝国の間者の隠れ場所へ行くかを見られていたのである。
「帝国への売国行為はエネミ殿の一存で間違いなかったようですね。もっともお飾りの室長とはいえ助手の管理責任はある。それに売国奴だからといって殺しても良いというわけではありません。貴方は罰せられます」
陸軍施設の尋問室でイーサンがアレックスに告げた。
アレックスは力無く頷く。
玄関の扉が叩かれた後、アレックスは妻の目の前で捕縛されたのだ。オリビエに危険がないよう、最初から家の周りに監視役のイーサンの部下がいたのだという。
「別件で捕縛済みの帝国間者の証言によると、エネミ殿は貴方を売って亡命するつもりだったようですよ」
「そうですか……」
怒りは不思議なほど湧いてこない。
アレックスはわかっている。
自分にとってのエネミが成功の戦利品であるように、エネミにとっての自分はタイラーの代用品でしかないことを。
(大学にとっても義父にとってもそうだ。結局僕は、だれにとっても価値のない人間だったんだ。回復魔道具の研究だって、僕以外でも継続出来る)
「そう言えば代理をお願いしたときにエネミ殿からお聞きしたのですが、貴方はご自分の妻を……オリビエを殺すつもりだったそうですね?」
「なにを今さら。薬屋の前で出会ったときから気づいていたんでしょう?」
「そうですね。結婚式でお会いしたときから、貴方がオリビエを愛していないことには気づいていましたよ。金持ちの妻に感謝するのではなく、劣等感を抱いて逆恨みする気質の方だとお見受けしました。自尊心を満たしてくれる愛人でも出来たら愚かな行為に走りかねない、そんな風に感じて見守らせていただいていたのです」
「ええ、その通りです。金持ちの……回復魔道具の研究目当てでタイラーの代用品に過ぎない僕と結婚したような妻、愛せるわけがないじゃないですかッ」
感情を迸らせたアレックスに、イーサンは憐れむような視線を向ける。
「……オリビエは貴方を愛していますよ」
「ッ」
「俺は幼馴染ですからね、散々惚気られました。……いえ、彼女には惚気ているという自覚もないでしょう。親せきに送るただの季節の手紙が貴方でいっぱいだっただけです。タイラー室長との縁談があったときから、オリビエは貴方に惹かれていました。研究室で黙々と研究を続ける貴方を支えたいと、そう望んでいたのです」
「う、嘘だッ! タイラーが死ななかったら結婚していたはずだろう?」
「タイラー室長が食い下がったからです。女性関係の問題を指摘されても、改めるから結婚して欲しいと頼み込んで……もちろん彼女の父親の豪商からの援助が欲しかったのもあるでしょうね。でもタイラー室長がオリビエに惹かれていたのも事実だと思います。貴方に奪われたくはなかったのですよ」
「……」
「愛してもいない夫のために、わざわざ相手の故郷から取り寄せた食材で料理を作るはずがないでしょう?」
アレックスの舌に今朝のスープの味が蘇る。
懐かしい海藻の味、形が無くなるまで煮込まれた野菜には妻の愛情が染み込んでいた。
いつもの朝、いつもの食事、いつもの妻──もう二度と戻れない。
「オリビエは、貴方とご家族が再会出来る日を夢見ていましたよ。本当は貴方ももう気づいているのでしょう? 不要だから捨てられたわけじゃない。逞しい弟さんなら不漁の港町でも生き延びられるかもしれないけれど、小柄で繊細な貴方は心配だった。それで港町よりも食べ物に恵まれていた王都の孤児院へ預けたのです」
オリビエはアレックスを莫迦にしたりしていなかった。いいように使ったりもしなかったし、捨てる気もなかった。
(オリビエも故郷の家族も、捨てたのは……僕のほうだ)
「……僕は……死刑になるのですか? だったら、その前にオリビエと離縁がしたい。彼女にもお義父さんにも、僕のことで重荷を背負わせたくないんです。大学や故郷の家族にも累を及ぼしたくない。今さら……今さらですけれど……せめて、ちゃんと回復魔道具の研究を完成させておきたかったなあ」
タイラーから受け継いだものとはいえ、回復魔道具の研究を完成させていたら自信が持てて、オリビエからの愛を疑わずに受け入れられていたのかもしれない。アレックスは、自分が欲しかったものをすでに手にしていたことを理解した。
「死刑になるかどうかは裁判次第ですが、投獄された時点で回復魔道具の研究は貴方以外の人の手に渡ります。数年で釈放されても研究は完成した後で、二度と関わることは出来ないでしょう。けれど……貴方さえよければお亡くなりになったことにして、軍で密かに回復魔道具の研究を続けてもらうことが可能です」
「え?」
「助手の売国行為の責任を取り、エネミ殿を殺して後追い心中したということにすれば、美談に仕立て上げることが出来ますよ。ただし貴方は別人になる。オリビエとも故郷のご家族とも、二度と会うことは叶いません」
おとぎ話に出来る妖精のように美しい魔性の男は、愚かな人間を惑わせる妖艶な笑みを浮かべた。
2,424
あなたにおすすめの小説
貴方なんて大嫌い
ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と
いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている
それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い
貴方の知る私はもういない
藍田ひびき
恋愛
「ローゼマリー。婚約を解消して欲しい」
ファインベルグ公爵令嬢ローゼマリーは、婚約者のヘンリック王子から婚約解消を言い渡される。
表向きはエルヴィラ・ボーデ子爵令嬢を愛してしまったからという理由だが、彼には別の目的があった。
ローゼマリーが承諾したことで速やかに婚約は解消されたが、事態はヘンリック王子の想定しない方向へと進んでいく――。
※ 他サイトにも投稿しています。
もう、今更です
ねむたん
恋愛
伯爵令嬢セリーヌ・ド・リヴィエールは、公爵家長男アラン・ド・モントレイユと婚約していたが、成長するにつれて彼の態度は冷たくなり、次第に孤独を感じるようになる。学園生活ではアランが王子フェリクスに付き従い、王子の「真実の愛」とされるリリア・エヴァレットを囲む騒動が広がり、セリーヌはさらに心を痛める。
やがて、リヴィエール伯爵家はアランの態度に業を煮やし、婚約解消を申し出る。
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
はっきり言ってカケラも興味はございません
みおな
恋愛
私の婚約者様は、王女殿下の騎士をしている。
病弱でお美しい王女殿下に常に付き従い、婚約者としての交流も、マトモにしたことがない。
まぁ、好きになさればよろしいわ。
私には関係ないことですから。
私のことはお気になさらず
みおな
恋愛
侯爵令嬢のティアは、婚約者である公爵家の嫡男ケレスが幼馴染である伯爵令嬢と今日も仲睦まじくしているのを見て決意した。
そんなに彼女が好きなのなら、お二人が婚約すればよろしいのよ。
私のことはお気になさらず。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる