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第三話 リュドミーラの回想
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一ヶ月ほど前にお帰りになられた、短期留学生の隣国子爵家ご子息イヴァン様はとても優しい方でした。
ボリス様やヴィーク様と同じでふたつ年上でいらっしゃいましたけれど、隣国とは学習要綱が違うため私と同じ学年で勉強なさっていたので、教室が同じだったこともあって親しくしていただいていました。
彼の濡れたような黒髪はこの国ではあまり魅力的とは見做されませんが、隣国ではとても好まれているそうです。ヴィーク様の今は亡き伯母様は黒髪と言うほどではないものの、黒に近いお色だったとか。
この国では“白薔薇”レナート様のような銀髪が美しいとされています。
銀髪でなくても色が薄ければ薄いほど美しいと言われているのです。
もっとも“白薔薇”レナート様は髪色だけでなく、お顔の造作も端正で美しくていらっしゃるのですが。
ギリオチーナ王女殿下は美しい金髪です。
ボリス様も、ポリーナ様も、ヴィーク様も。
ヴィーク様は少し色が濃くて赤毛に近いのですが、それでも光を浴びるとキラキラと黄金色に輝いていらっしゃいます。
私の髪は黒に近い焦げ茶色です。
一般的な平民はもう少し明るい茶色の髪をしています。
父譲りなので仕方がないのですけれど……私の髪が美しい金髪だったなら、ボリス様は私を愛してくださったのでしょうか。ボリス様が初めて私よりも王女殿下を優先した日のことを思い出すと、あのときの息ができなくなるような感覚が蘇りました。
ボリス様は誠実な方でした。
婚約の顔合わせのとき正直に、ギリオチーナ王女殿下への想いは生涯捨て去ることはできないと言ってくださったのですから。婚約者候補だった年月の間に愛してしまったのだそうです。
その上で、心の中で王女殿下を想っていても私を大切にするし愛する努力もする、だからクズネツォフ侯爵家の領民のために嫁いで来てくれないか、とおっしゃったのです。
私はそれを受け入れました。
実際、婚約した当初、私が学園に入学した最初のころはお言葉を守ってくださっていました。
蜜月は三ヶ月ほどは続いたでしょうか。大切にされて、思いやっていただいて、ポリーナ様ヴィーク様を交えて四人で過ごす時間は楽しくて夢のようでした。まだ愛されていなくても、お互いの胸には愛の種が芽生えているに違いないと感じていました。
「それじゃあポリーナ、昼食のときに迎えに来るよ。リュドミーラ嬢も良かったら一緒に」
「ありがとうございます」
つらつらと昔のことを考えていると、気がつけば教室に到着していました。
ヴィーク様から鞄を受け取り、学園のカフェテラスで今日はなにを食べましょうか、なんてポリーナ様と話しながら席に着きます。
今日家へ帰ったら父にボリス様との婚約解消を申し出ようと思っているのに、いつも通りの日常なのが少し不思議です。
いいえ、いつの間にかボリス様と私の関係はお互いがいなくてもなんの支障もないほどに離れてしまっていたのでしょう。
なにしろこの半年間、一度もふたりきりで会うことはなかったのですもの。私を悪者にするあの噂も、最近では自分に関係ないことのように聞き流していました。
だからなんの前触れもなく、婚約を解消しようという気持ちになったのでしょう。
──心の中に黄金の薔薇が咲いていても、いつか私を愛してくださるのならかまいません。
あのとき、学園に入学する一年前、婚約の顔合わせの日、確かに私はそう答えました。
ですが、ギリオチーナ王女殿下の取り巻きが私を悪者にする噂を流しても止めようともせず、つまり私を大切にすることなく、王女殿下の媚態に溺れて私を愛する努力を放棄した方とこれ以上関わってはいられません。
エゴロフ伯爵家はクズネツォフ侯爵家の家臣ではないのです。もっとも家臣だったとしても、こんな不義理を働く主君は見限られてしまうでしょうけれど。
「おはよう、諸君」
先生がやって来て授業が始まりました。
私は教科書に目を走らせながら、イヴァン様へ書く手紙の内容を考え始めました。
親し気な文章ではいけません。ヴィーク様は彼の婚約者も浮気をしているとおっしゃっていましたが、それが誤解でイヴァン様の婚約者はちゃんと彼を愛していたら良いのにと願います。
……だって悲しい思いをする人間は少ないほうが良いではないですか。
心の中でそう思って、私は昔を思い出したことで蘇った恋心の残滓を涙と一緒に飲み込みました。
私の胸にある愛の種は少しだけ芽を出していたのです。でもその柔らかく小さな双葉はもう枯れています。甘く優しかった時間は三ヶ月だけで、その後の半年以上は捨て置かれていたのですもの。
心の中だけでもほかの女性を想っているような方とは結婚できませんと、あのとき婚約をお断りしておけば良かったのでしょうか。
泣きそうなお顔で真実を告げるボリス様を笑顔にして差し上げたいだなんて思ってしまった、私が愚かだったのだと今はわかっています。
ボリス様やヴィーク様と同じでふたつ年上でいらっしゃいましたけれど、隣国とは学習要綱が違うため私と同じ学年で勉強なさっていたので、教室が同じだったこともあって親しくしていただいていました。
彼の濡れたような黒髪はこの国ではあまり魅力的とは見做されませんが、隣国ではとても好まれているそうです。ヴィーク様の今は亡き伯母様は黒髪と言うほどではないものの、黒に近いお色だったとか。
この国では“白薔薇”レナート様のような銀髪が美しいとされています。
銀髪でなくても色が薄ければ薄いほど美しいと言われているのです。
もっとも“白薔薇”レナート様は髪色だけでなく、お顔の造作も端正で美しくていらっしゃるのですが。
ギリオチーナ王女殿下は美しい金髪です。
ボリス様も、ポリーナ様も、ヴィーク様も。
ヴィーク様は少し色が濃くて赤毛に近いのですが、それでも光を浴びるとキラキラと黄金色に輝いていらっしゃいます。
私の髪は黒に近い焦げ茶色です。
一般的な平民はもう少し明るい茶色の髪をしています。
父譲りなので仕方がないのですけれど……私の髪が美しい金髪だったなら、ボリス様は私を愛してくださったのでしょうか。ボリス様が初めて私よりも王女殿下を優先した日のことを思い出すと、あのときの息ができなくなるような感覚が蘇りました。
ボリス様は誠実な方でした。
婚約の顔合わせのとき正直に、ギリオチーナ王女殿下への想いは生涯捨て去ることはできないと言ってくださったのですから。婚約者候補だった年月の間に愛してしまったのだそうです。
その上で、心の中で王女殿下を想っていても私を大切にするし愛する努力もする、だからクズネツォフ侯爵家の領民のために嫁いで来てくれないか、とおっしゃったのです。
私はそれを受け入れました。
実際、婚約した当初、私が学園に入学した最初のころはお言葉を守ってくださっていました。
蜜月は三ヶ月ほどは続いたでしょうか。大切にされて、思いやっていただいて、ポリーナ様ヴィーク様を交えて四人で過ごす時間は楽しくて夢のようでした。まだ愛されていなくても、お互いの胸には愛の種が芽生えているに違いないと感じていました。
「それじゃあポリーナ、昼食のときに迎えに来るよ。リュドミーラ嬢も良かったら一緒に」
「ありがとうございます」
つらつらと昔のことを考えていると、気がつけば教室に到着していました。
ヴィーク様から鞄を受け取り、学園のカフェテラスで今日はなにを食べましょうか、なんてポリーナ様と話しながら席に着きます。
今日家へ帰ったら父にボリス様との婚約解消を申し出ようと思っているのに、いつも通りの日常なのが少し不思議です。
いいえ、いつの間にかボリス様と私の関係はお互いがいなくてもなんの支障もないほどに離れてしまっていたのでしょう。
なにしろこの半年間、一度もふたりきりで会うことはなかったのですもの。私を悪者にするあの噂も、最近では自分に関係ないことのように聞き流していました。
だからなんの前触れもなく、婚約を解消しようという気持ちになったのでしょう。
──心の中に黄金の薔薇が咲いていても、いつか私を愛してくださるのならかまいません。
あのとき、学園に入学する一年前、婚約の顔合わせの日、確かに私はそう答えました。
ですが、ギリオチーナ王女殿下の取り巻きが私を悪者にする噂を流しても止めようともせず、つまり私を大切にすることなく、王女殿下の媚態に溺れて私を愛する努力を放棄した方とこれ以上関わってはいられません。
エゴロフ伯爵家はクズネツォフ侯爵家の家臣ではないのです。もっとも家臣だったとしても、こんな不義理を働く主君は見限られてしまうでしょうけれど。
「おはよう、諸君」
先生がやって来て授業が始まりました。
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……だって悲しい思いをする人間は少ないほうが良いではないですか。
心の中でそう思って、私は昔を思い出したことで蘇った恋心の残滓を涙と一緒に飲み込みました。
私の胸にある愛の種は少しだけ芽を出していたのです。でもその柔らかく小さな双葉はもう枯れています。甘く優しかった時間は三ヶ月だけで、その後の半年以上は捨て置かれていたのですもの。
心の中だけでもほかの女性を想っているような方とは結婚できませんと、あのとき婚約をお断りしておけば良かったのでしょうか。
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