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第2章 コンコースで(一色絢音)

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 私、一色絢音は、市営地下鉄麻生駅を目指していた。
 改札前のコンコースに置いてあるストリートピアノ。
 今日、あの人が来るって、SNSで教えてもらった。
 あの人とは、”香月響介”。
 私と幼馴染。
 ピアノが弾けて、今ではバスケのレギュラー。
 女子の憧れ。
 完璧かな?
 ”いい子”に育ってくれているといいんだけど。
 ”俺様”だったら、ぶっ飛ばす。

 今日、会えるんだ。
 私は、時計に目を落とした。
 まだ、時間がある。
 ポケットから棒付きキャンディを取り出す。
 綺麗な包み紙を外し、口に入れた。
 コーラ味が口に広がる。
 やっぱり、コーラ味が最高。
 今日は、好きなモノに会える日。
 自然と頬が緩む。
 いつもより、女子が多いような気がする。
 気のせい?
 多分ね。
 でも、絢音は落ち着かない。
 私を覚えていてくれるかな。
 私を見てくれるかな。
 実は、彼とは、幼稚園で一緒だった。
 気になっていた。
 その頃は、毎日、楽しく遊んでいた。
 仲良し三人組。
 
 そう三人組、私と響介と……もう一人。
 それは、白羽真琴。
 真琴は、絵が得意。
 真琴には、挿絵を描かせてやってもいいと思っていた。
 真琴は、どんどん絵がうまくなった。
 私が、小さい頃から褒められていたからだよね。
 有名な画家になるわ、きっと。

 そして私は、作家志望。
 私は、詩や童話や小説を書いて、褒められて、多分、うまくなっているのだと思う。

 響介は、幼稚園でもピアノを弾いていた。
 響介がピアノを弾く時は、真琴と私は傍で聴いていた。
 響介が運動も得意とは知らなかった。
 あの頃は、私の方が足が速かったから。

 二人ともまあまあのイケメンだけど、タイプが違う。

 私は、ピアノのあるコンコースへと進んで行った。
 居た居た、白羽真琴。
 いつもこの場所で絵を描いている。
 真琴は、私のこと大好きなのは知っているけど、私の推しは響介。
 
 真琴の肩くと、驚いて振り向いた。
「よっ、何してんの?」
 絢音は、微笑むとベンチを跨いで、真琴を見下ろす。
「クロッキーだよ」
 絢音は、面白半部にクロッキー帳を取り上げ、ページをめくった。
<こいつ、絵はうまい>
 絢音は、真琴の才能に改めて認めていたが、顔には出さなかった。
<こいつ、私の足を見てる> 
 視界に真琴の顔が入っている。
 男とは違って女の目は違うの。
 瞳を動かさなくても見えているのよ、真琴君。
 絢音は、真琴が絢音の足を見ていることに気づいていた。
 見られることは、ちょっと好きだった。
 私の足、綺麗でしょ、真琴。
 真琴も男子だからなぁ。

「うまいじゃん、画家になれるよ」
「画家って……、ただのクロッキーだし……」
 真琴が、下を見ながら言った。
 真琴のちょっと自信がないところ好き。 
「応援してっからさ」と、クロッキー帳を真琴に渡した。
「なれればいいよね」
 私は、気が多い。
 自分で知っている。でも、今日は、響介に会うのが一番の目的。
 響介、来たかな?
 絢音は、首を伸ばしてあたりを伺った。
「ねぇ、アレ、彼が来てるの?ほら、ピアノ聞こえるでしょ」
 不思議そうに見ている真琴に言った。
 ピアノの音がしないか、耳を凝らしていた。
「彼?」
「黙ってて、うるさい。月の光?」
 訊いておいて、”うるさい”だなんて、真琴は不条理に口を尖らしていた。
 絢音が立ち上がってピアノの方を見た。
「ああっ、来てる!」
 絢音は、もう周りが見えない。荷物を手繰り寄せ立ち上がる。
「誰が来てるの?」
 絢音は、ピアノを指さし動き始めている。
「香月響介、幼稚園で一緒だった響介。忘れちゃった?別の中学校にいっちゃった」
「キョウスケ。えっ、あの響介」
「そう、その響介よ。ピアノが得意だった彼。なぜか今はバスケ部のレギュラーなのよ」
 絢音の瞳は、ピアノの方に弾きつけられてる。
「絢音の一番好きだった子」
「そう、あなたは二番目に好きよ」
 真琴は、絢音を見上げるが、絢音の瞳は、真琴に向かない。
 まるで、遠くを見ている猫のように。
「じゃあ、ガンバレ。これあげる」
 絢音は、舐めていた棒付きキャンディを真琴に握らせた。
「えっー。舐めたやつジャン」
「貴重よ。レアってヤツ、幸せ者じやん。これもあげる」
と私は、紙屑を無理やり真琴に握らせた。
 真琴は、紙屑が何か書かれているのかと広げだした。
「天才画家のお守りよ」
 紙屑は、棒付きキャンディの包み紙だった。
「ああ、ダリか……」真琴が呟いた時、私は、既に改札口前に向かっていた。
 振り向いた時、棒付キャンディの包み紙を持って私を見ていた。
「ああ、言い忘れた。真琴、私の足、見てんじゃねぇよ」
 真琴は、バレてたかと視線を落とし頭を掻いた。 
 私は、じゃぁねと軽く手を挙げて、ストリートピアノを目指した。

 女学生の声が入り乱れて聞こえる。
 彼が来ているんだ。
 ピアノの周りに人だかりができている。
「失礼ね、なぁにこの娘は?」と抗議する女たちを掻き分け、やっとの思いで人垣の最前列に出た。

 響介だ。
 絢音は、響介を見てはっとした。
 なんて綺麗な顔。
 やはり、この歳の男は綺麗だ。
 この人は、私の幼馴染だと叫びたくなるのを抑え、響介を見つめた。
 綺麗な白い長い指。
 ゆっくりとピアノの前に座った。
 軽く、指慣らしをしている。
 その瞳は、白と黒の鍵盤だけに向けられ、邪魔するものを許さなかった。
 最初は、月の光。
 静かな曲から段々と激しい曲へと進んで行くはずだ。
 絢音は、うっとりと響介の姿と曲を感じていた。

 絢音は、真琴が何か言っていたことを思い出した。
 真琴に電話を入れた。
 出ない。
 スマホをしまった時、後ろが何やら騒がしい。
 人が動く気配。
 誰か飛び込んだ?
 絢音は、我慢できずに周りを見回した。
 響介も異常に気付いて、演奏を辞めていた。
「浮浪者?」
 絢音の耳に飛び込んでくる。
 悲鳴が聞こえる。
 その時、人波が二つに割れた。
 その先を見ると、大きな浮浪者が仁王立ちしていた。

 子供が逃げ遅れて、浮浪者の前に居る。
 子供がスマホを持っている。
 浮浪者は子供に近づいていく。
 母親が浮浪者と子供の間に入るが、浮浪者の太い腕はいとも簡単に払いのけた。
 更に子供の間に入る者がいた。
 響介だ。
 浮浪者が響介に襲い掛かる。
 浮浪者は、響介の腕を掴むと、後ろへと投げつけた。
 響介が人波に落ちていく。
 響介が、誰かに受け止められたが耐え切れずに一緒に床に転がった。
「ありがと」
 響介は、受け止めた人にお礼をいい立ち上がった。
 響介は、浮浪者から目を離さない。
「やめなさいよ!」
 絢音は、思わず叫んでいた。
 浮浪者は絢音の胸倉を捕まえ高々と持ち上げた。
「やめろぉ、絢音ぇー!」
 真琴が叫んだ。
 響介がちらっと真琴を見た。
「逃げろ!」
 真琴が叫ぶと、浮浪者が真琴の方を見た。
 浮浪者の顔が変わった。
「いたぁー。みつけたぁ」
 浮浪者は、真琴を見ると、持ち上げた絢音を線路の方にほおり投げ、真琴に向かってきた。
 響介は、絢音の方に向かった。

 よく事故に遭った時は、ゆっくりと時間が過ぎると訊いたことがある。
 まさに、今、その時だった。
 絢音は、ゆっくりと空中を移動している。
 ホームドアの上を越えようとしている。
 このままだと線路に落ちてしまう。
 悪いことに、電車がホームに入って来ている。
 電車のライトが眩しい。
 運転手の顔も見えない。
 絢音は、ゆっくりと過ぎ行く周りに目を向けると、真琴を見つけた。
 何か叫んでいる。
 確かめる事なんか出来ない。
 だって、私、今、空中だし。
 これじゃぁ、死んじゃうよね。
 死んじゃう?
 死ななくても、ただじゃぁ済まないよね。
 電車に轢かれるんだから。

 まだ、やりたいことがいっぱいあるのにな。
 お父さん、お母さん、友達に何も言ってない。
 仕方がないよね、急なんだから。
 私のせいじゃない。

 その時、絢音は、身体全体を包まれた。
 何?
 目を横に向けた。
 そこには、響介の顔があった。
 息がかかる程、近くに。
 響介?
 なぜ、ここに居るの?
 響介の手が絢音を後ろから抱きしめる。
 徐々に強くなる響介の硬い腕を感じる。
 ああ、私は、響介の腕の中に居る。
 あの小さかった響介が、私を抱きしめてる。
<コロン、つけていて良かった>
 こんな時に汗なんか気にしている自分が可笑しかった。
 これじゃ、二人とも死んじゃうじゃない。

「絢音?」
 耳元で響介の声が聞こえる。
「私のこと、覚えているの?」
 絢音は、時間があるなら、振り向いて響介に抱き着きキスしたい衝動にかられた。
 でも、二人の体は、滑り込んできた電車のすぐ前だ。
 目の前が暗くなった。
 電車のブレーキの音が、ホームに響き渡る。
「絢音ぇー!」
 真琴の声が遠くで聞こえた。
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