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chapter02 紅蓮の魔女【ジャスティス】
scene06 脱出
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「んなっ…ちょ、えっ…? 嘘、はっ?」
私は画面を見つめながら意味不明な単語を羅列し、身体が固まってしまった。液晶に映り込む顔がどんどん赤らめていくのも分かった。如何せん初心な私にはこういう刺激の強いシーンを目の当たりにするのは免疫が無く、頭の中が沸騰しているような気分になった。そしてジャスティスのキスを受けてしまった火野先輩もどうやら私と同じ類のようで、せっかく貰い受けたガスマッチが手から零れ落ちてしまい、痙攣したように動かなくなっていた。
しかし私と同じ映像を見ているはずのデビルはまたも平然として、赤面している私に向かって冷静に声をかけた。
「しっかりしなよ絵美。魔女が人間に口付をするというのは即ち、魔女の持つ魔力を直接体内に送り込んでいるという事よ? ジャスティスが火野 翔真をセンチネルにしているのさ」
「そ、そうなの…? ま、紛らわしい…」
「でもこれで火野 翔真という人間は死に、センチネルという人とも魔女とも呼べない不完全な生命体になってしまった…あの女あえて喋っていなかったけれど、一度センチネルになれば寿命は止まり、付き従う魔女が死ぬ瞬間まで人間社会で正体を隠しながら奴隷となる過酷な運命が待ってるわ」
デビルは憂いの入り混じった口調で語った。しかし私が彼女と同じくらいの落ち着きを取り戻すのには時間がかかりそうで、火照った頬に掌を当てて冷ましながら画面に目をやると、ようやくジャスティスから解放されるも私以上に取り乱している火野先輩の姿があった。
「じゃ、ジャスティス姐さん…今のは…」
「そんな顔真っ赤にしちゃって、可愛いわね翔真…今の口付で私の力を翔真に与えてあげたわ、これで貴方は間違いなく私のセンチネルになった。少し落ち着いて身体に漲ってくる力を感じてみなさい…」
先輩は声が裏返り、しきりに瞬きをしてパニックに陥った状態であったが、そんな様子を微笑ましそうに見つめながらジャスティスは優しく言った。それを聞いた先輩がしばらくの間静かにしていると、体内に送り込まれたジャスティスの魔力を感じ取っているのかみるみる平静を取り戻していった。
「か、身体が温かい…お風呂に入った後みたいに火照ってきてますよ、これが姐さんの魔力…?」
「そういう事だよ。しかも魔力だけじゃないよ、全身の筋肉も魔女仕様になるのさ。試しに、こいつを思いっきり握ってみ?」
横から入ってきた煉が、ごみ箱に捨ててあったスチールの空き缶を先輩に差し出して言った。それを受け取った先輩が何食わぬ顔でふんと一息入れて缶を握ると、甲高い音を鳴らした直後にアルミ缶どころかアルミホイルを丸めるかのようにぐしゃぐしゃに押し潰され、最早スチール缶の原形を留めないほどに圧縮されて手の中から転げ落ちた。
「うぇっ?! い、今のアルミ缶じゃないッスよね?!」
「部活で鍛えているのにさっきあたしから逃げられなかった秘密がこれさ。でもまだまだ序の口、今の翔真は人間で言えば金メダリストがドーピングしても届かないほどの身体能力を手に入れている。まぁ普段は力加減に気を付けるんだね、部活も本気を出すと化け物と間違えられちゃうよ?」
いとも簡単にスチール缶を握り潰せたのが信じられないのか、その手を目を丸くして見つめる先輩に煉がさらりと言った。それでも先輩の表情は有り余る自分の怪力に恐れをなしているのか少し強張っているように感じられた。
それを見ていたジャスティスは、火野先輩が落としたガスマッチをそっと拾い上げて再び手渡した。
「これで【スモークサーチ】が使えるようになるはずよ、ノズルの先に意識を集めて緑色の火を強くイメージしてみなさい…」
「は、はい。やってみます」
ガスマッチを握った火野先輩の背後から肩に手を添えたジャスティスが耳元に静かに語りかけると、先輩は鋭い眼差しで真っ直ぐ前に構えたノズルの先を睨み付け、スチール缶をも握り潰すその手でガスマッチをしっかりと握り締めていた。そして一呼吸置いて先輩が拳銃を撃つ要領でガスマッチのスイッチを押した瞬間、ノズルからは青々とした新緑の葉っぱが風に揺らめいているように、美しいエメラルドグリーンの炎がパッと灯ったのだ。その火からは絵具を水に垂らしたように濃い緑色の細い煙が天井に向けて立ち昇っていた。
「見事よ翔真、一発でここまでのクオリティで魔術が使えるのは私も驚きだわ」
「本当ですか? あ、ありがとうございます!!」
ジャスティスは天井まで一直線に昇る煙の糸を見つめながら誇らしそうにそう言って先輩の肩を今度は力強く叩いた。この瞬間に戸惑いやら驚きやらで表情の硬かった先輩の顔がスイッチが切り替わったかのように晴れやかなものになった。
私はsuperfaceの画面から、何も手を出せないままどんどん先輩が人間から魔女の世界へと引き込まれていく様を見ているしかなかった。自身は既にアルカナの魔術師として魔女と向き合う運命から逃れようはないのだけれど、今まで極普通に暮らしていた人間が、しかも私の学園の先輩が、魔女の力を得てあんな嬉しそうにしている姿には胸が軋みそうな抵抗感を覚えて仕方がなかったのだ。ジャスティスと先輩に何があったのかは分からないけれど、できるものなら先輩に「魔女とつるんでも碌なことが無い」と言ってやりたかった。
「先輩…」
一人心苦しい思いを抱えている私の肩を、デビルが荒々しく叩いて話しかけてきた。
「ちょっと絵美、何だか画面が見辛くなっているんだけれど…」
「えっ?」
ハッとした私がsuperfaceを見ると、内部の様子を伝える映像がどんどん緑色のもやに包まれていくのが見えた。もやの正体は先輩が出した【スモークサーチ】なる魔術で発生した煙であることは容易に想像できた。だが、さっきまで垂直に天井に吸い込まれていた煙が、先輩達の目線と同じ位置に隠していたはずのスマホを取り巻いていることに対する疑問に気付くのに少し時間がかかってしまった。
だが、その疑問は場の空気を切り裂く煉の一言で私にも答えが分かってしまった。
「ね、姐様っ!! スモークサーチが反応しています!!」
「なっ…!!」
その瞬間、ほとんど視界が緑色に染まってきていた画面越しに、私と煉の声を聞いてとっさに振り返ったジャスティスは目が合ってしまった。この一瞬で私の血の気がみるみる引いていくのと同時に、内部に様子を捉える為に送り込んだスマホは私の魔術、【浮遊運搬】で姿勢を保持している状態であるのに気付いた。スモークサーチは隠し撮りをするスマホの背後に控えていた、私の魔力で構築された魔方陣に反応してこちらに流れてきていたのだが、もう既に手遅れだった。
「やっばぃ!!! スマホ、帰ってきてっ!!」
その瞬間に私は額から冷や汗が噴出した。脳内はとにかくこの場からスマホを引き上げることしか考えられなくなり、STAFF ONLYと書かれた扉に手を伸ばして指を力一杯まで広げて念を送り、スマホをこちらに向けて引き込んだ。もう映像を見ている余裕も無く、superfaceからはスマホが周囲の備品を構わず薙ぎ倒してこちらへ移動している事と、内部が騒然としている様子が音声でのみ伝わってきた。
「な、何っ?! 何かが飛んでる?!」
「誰かがこの様子を盗み見していたの?!」
「くっ!! 全員警戒して店内の様子を探りなさい!! もしや既にデビルが…」
ジャスティスの怒号のような指令が最後に聞こえたところで、スマホは床面すれすれを滑るように飛来して私の手の中に吸い込まれていった。焦ってあまりの勢いで引き寄せたので、掌に飛び込んだ瞬間に乾いた音が鳴り、じんじんと骨まで響く痛みが伝わってきた。
「ば、バレたの?!」
「ごめんデビル、急いでお店を出…」
気付かれたのを察したデビルが私に詰め寄るも、私の目にはSTAFF ONLYの扉からわらわらとメイド達が客室に雪崩れ込んでくる様子が飛び込んできたのだ。席を立ちかけた私は慌てて座席に座り直し、絶え間なく流れる冷や汗を腕で拭いながら平静を装った。
出てきたメイド達はホールで接客していた他のメイドと同じようににこやかな笑顔を周囲に振りまきながらも、明らかに辺りをキョロキョロとしながら店内を早歩きでくまなく探し回っているように見えた。私はスマホをお尻の下に素早く隠すと、魔方陣の画像で埋め尽くされたsuperfaceのクラウドコンテナを閉じ、普通のインターネットの画面を開いてネットサーフィンを装った。人間世界での私服姿に化けているとはいえ面影が完全には消えていないデビルも、窓の外を見ながら既に飲み干して氷しか残っていないグラスをストローでいつまでも吸い続けて誤魔化していた。
「…失礼しますお嬢様方…」
聞き覚えのある声に私の心臓は一瞬止まった。メイドリーダーである煉の声だ。私の耳には彼女の口から出てきた言葉にはメイドの喋りを装って不信感が満ち満ちているように聞こえた。恐る恐る振り向いて煉の顔を見上げると、彼女はうっすら笑みを浮かべながら喋りかけてきた。
「空いているグラスをお下げしてよろしいですか…?」
「あ…あぁ、どうぞどうぞ…」
あまり顔を見合わせないように私は雑な受け答えをするやソッポを向いてsuperfaceの画面を見ていた。デビルもあまり顔を見せないようにしながら空のグラスをそっと煉の前に差し出した。私は横目で煉が空のグラスを持っているお盆の上に片付けている様子を伺っていると、彼女はやはりしきりに私とデビルの顔を見ているのが分かった。おまけに彼女のお盆の下に添えている手の中には、例のジャスティス支給のオイルライターが光っているのを見てしまった。
「では、ごゆっくり…」
煉は私達に静かにそう言って頭を下げると、そのまま立ち去っていった。まるで盗撮を働いた不届き者に彼女達の殺意を見せびらかすように絶妙にライターをちらつかせる煉の姿が完全に見えなくなるまで、私は口から心臓が飛び出そうな思いをしていた。
「ふぅっ…私、殺されるかと思った…」
体中を駆け巡る緊張感を吐き出すかのように私は大きく息を吹いた。デビルも辺りにメイドの姿が居なくなったのを確認して私の方を向いた。
「危なかったねぇ、でもこれ以上店内にいるのは危険だね。ここはあえて素知らぬ顔をして堂々と店を出ればいいさ」
「だ、大丈夫かなぁ…」
「もたもたしていると私の顔を知っているジャスティスが来てきてしまう、今のうちにそそくさ出てしまわないと本当にこの店の中でヤツらと戦う羽目になるわ。外であの子も待ってるんでしょう?」
デビルの言葉を聞いて、私は困惑した頭が落ち着きを取り戻すと同時に、いつの間にやら累を外で待たせているのをすっかり頭の中から抜け落ちていた事に気付いた。周囲を見渡すと、奥から出てきたメイド達が一人、また一人と扉の中に戻っていくのが見えた。特にお客さんの注文を聞いたわけでも無さそうなので、恐らくはジャスティスに報告に戻っているのだろうと推測できた。
店を出るのは今しかないと踏んだ私はsuperfaceを鞄に突っ込んで席を立った。そしてさっさと会計が済むようになけなしの小銭を財布から抜き取ると、すかさずデビルに言った。
「…撤退しようっ!!」
「ええ、いいわよ…」
私とデビルはすっくと立ち上がると、店内を尚も歩き回る煉達をかわすように通路を進み、レジの前まで一目散に辿り着いた。レジには捜索の為に出てきたメイドの一人が、猫撫で声を口にしながらも穏やかな表情の奥で出ていく客を見張るように待ち構えていた。
「本日はご利用ありがとうございましたお嬢様っ!! それではお会計を…」
「はい。レシートは要らないからね、御馳走様」
メイドがレジのキーを打ち込む前に、私はトレーの上に伝票とジュースの代金を置いた。そして情けなく捨て台詞を吐くように冷たい言葉を置き土産にして店を出た。メイドがやたら素っ気ない態度に面食らっている間に二人で下に降りるエレベーターに飛び乗ったのだ。メイドから見えない角度で1Fのボタンを連打してから、エレベーターの扉が閉まり無事に下の階へと動き出すまでが、とてつもなく長く感じられた。
「はぁっ、はぁっ…危なかったぁ~…」
こんなに神経を尖らせる羽目になるとは思いもよらなかった私は、とうとうスタミナが切れてエレベーターの壁にどかっともたれかかった。一方のデビルは、扉の方を向きながら私の方へその背中で口惜しさを滲ませているのが分かった。
「ジャスティスめ…このままでは終わらせないわよ…」
空調の風の音にかき消されそうな小さく低い声でそう呟いたデビルは肩を強張らせて、心の奥底から滾々と沸き出す憎しみを抑えていた。私の前では冷静な判断力を見せていながらも、魔女として何もできないまま退散しているのが余程に屈辱的なのだろう。私は荒れた息を整えながら、どす黒い感情に心をかき回されるデビルの悲しい後姿を静かに見守ることしかできなかった。
そうこうする間に扉が開くと、昼過ぎの明るい太陽の光が目を眩ませ、電気街の喧騒がエレベーター内に雪崩れ込むように聞こえてきた。しかしこの小うるさい街灯CMやアニメの音が心地よく聞こえたことはなかった。まるで自分の部屋に帰ってきたような安心感だ。しかし一息つくのも束の間だ、また秋葉台に魔女が姿を現したのが分かったのだから。炎の魔女ジャスティスにとって、捕えるべき因縁の相手と確保すべき魔術師である私達二人が行動を共にする以上、この先に待ち受ける動乱の渦中に飲まれるのは避けられない運命であると往生際の悪い脳みそに言い聞かせて、私達は【絢爛豪華】を後にするのだった。
私は画面を見つめながら意味不明な単語を羅列し、身体が固まってしまった。液晶に映り込む顔がどんどん赤らめていくのも分かった。如何せん初心な私にはこういう刺激の強いシーンを目の当たりにするのは免疫が無く、頭の中が沸騰しているような気分になった。そしてジャスティスのキスを受けてしまった火野先輩もどうやら私と同じ類のようで、せっかく貰い受けたガスマッチが手から零れ落ちてしまい、痙攣したように動かなくなっていた。
しかし私と同じ映像を見ているはずのデビルはまたも平然として、赤面している私に向かって冷静に声をかけた。
「しっかりしなよ絵美。魔女が人間に口付をするというのは即ち、魔女の持つ魔力を直接体内に送り込んでいるという事よ? ジャスティスが火野 翔真をセンチネルにしているのさ」
「そ、そうなの…? ま、紛らわしい…」
「でもこれで火野 翔真という人間は死に、センチネルという人とも魔女とも呼べない不完全な生命体になってしまった…あの女あえて喋っていなかったけれど、一度センチネルになれば寿命は止まり、付き従う魔女が死ぬ瞬間まで人間社会で正体を隠しながら奴隷となる過酷な運命が待ってるわ」
デビルは憂いの入り混じった口調で語った。しかし私が彼女と同じくらいの落ち着きを取り戻すのには時間がかかりそうで、火照った頬に掌を当てて冷ましながら画面に目をやると、ようやくジャスティスから解放されるも私以上に取り乱している火野先輩の姿があった。
「じゃ、ジャスティス姐さん…今のは…」
「そんな顔真っ赤にしちゃって、可愛いわね翔真…今の口付で私の力を翔真に与えてあげたわ、これで貴方は間違いなく私のセンチネルになった。少し落ち着いて身体に漲ってくる力を感じてみなさい…」
先輩は声が裏返り、しきりに瞬きをしてパニックに陥った状態であったが、そんな様子を微笑ましそうに見つめながらジャスティスは優しく言った。それを聞いた先輩がしばらくの間静かにしていると、体内に送り込まれたジャスティスの魔力を感じ取っているのかみるみる平静を取り戻していった。
「か、身体が温かい…お風呂に入った後みたいに火照ってきてますよ、これが姐さんの魔力…?」
「そういう事だよ。しかも魔力だけじゃないよ、全身の筋肉も魔女仕様になるのさ。試しに、こいつを思いっきり握ってみ?」
横から入ってきた煉が、ごみ箱に捨ててあったスチールの空き缶を先輩に差し出して言った。それを受け取った先輩が何食わぬ顔でふんと一息入れて缶を握ると、甲高い音を鳴らした直後にアルミ缶どころかアルミホイルを丸めるかのようにぐしゃぐしゃに押し潰され、最早スチール缶の原形を留めないほどに圧縮されて手の中から転げ落ちた。
「うぇっ?! い、今のアルミ缶じゃないッスよね?!」
「部活で鍛えているのにさっきあたしから逃げられなかった秘密がこれさ。でもまだまだ序の口、今の翔真は人間で言えば金メダリストがドーピングしても届かないほどの身体能力を手に入れている。まぁ普段は力加減に気を付けるんだね、部活も本気を出すと化け物と間違えられちゃうよ?」
いとも簡単にスチール缶を握り潰せたのが信じられないのか、その手を目を丸くして見つめる先輩に煉がさらりと言った。それでも先輩の表情は有り余る自分の怪力に恐れをなしているのか少し強張っているように感じられた。
それを見ていたジャスティスは、火野先輩が落としたガスマッチをそっと拾い上げて再び手渡した。
「これで【スモークサーチ】が使えるようになるはずよ、ノズルの先に意識を集めて緑色の火を強くイメージしてみなさい…」
「は、はい。やってみます」
ガスマッチを握った火野先輩の背後から肩に手を添えたジャスティスが耳元に静かに語りかけると、先輩は鋭い眼差しで真っ直ぐ前に構えたノズルの先を睨み付け、スチール缶をも握り潰すその手でガスマッチをしっかりと握り締めていた。そして一呼吸置いて先輩が拳銃を撃つ要領でガスマッチのスイッチを押した瞬間、ノズルからは青々とした新緑の葉っぱが風に揺らめいているように、美しいエメラルドグリーンの炎がパッと灯ったのだ。その火からは絵具を水に垂らしたように濃い緑色の細い煙が天井に向けて立ち昇っていた。
「見事よ翔真、一発でここまでのクオリティで魔術が使えるのは私も驚きだわ」
「本当ですか? あ、ありがとうございます!!」
ジャスティスは天井まで一直線に昇る煙の糸を見つめながら誇らしそうにそう言って先輩の肩を今度は力強く叩いた。この瞬間に戸惑いやら驚きやらで表情の硬かった先輩の顔がスイッチが切り替わったかのように晴れやかなものになった。
私はsuperfaceの画面から、何も手を出せないままどんどん先輩が人間から魔女の世界へと引き込まれていく様を見ているしかなかった。自身は既にアルカナの魔術師として魔女と向き合う運命から逃れようはないのだけれど、今まで極普通に暮らしていた人間が、しかも私の学園の先輩が、魔女の力を得てあんな嬉しそうにしている姿には胸が軋みそうな抵抗感を覚えて仕方がなかったのだ。ジャスティスと先輩に何があったのかは分からないけれど、できるものなら先輩に「魔女とつるんでも碌なことが無い」と言ってやりたかった。
「先輩…」
一人心苦しい思いを抱えている私の肩を、デビルが荒々しく叩いて話しかけてきた。
「ちょっと絵美、何だか画面が見辛くなっているんだけれど…」
「えっ?」
ハッとした私がsuperfaceを見ると、内部の様子を伝える映像がどんどん緑色のもやに包まれていくのが見えた。もやの正体は先輩が出した【スモークサーチ】なる魔術で発生した煙であることは容易に想像できた。だが、さっきまで垂直に天井に吸い込まれていた煙が、先輩達の目線と同じ位置に隠していたはずのスマホを取り巻いていることに対する疑問に気付くのに少し時間がかかってしまった。
だが、その疑問は場の空気を切り裂く煉の一言で私にも答えが分かってしまった。
「ね、姐様っ!! スモークサーチが反応しています!!」
「なっ…!!」
その瞬間、ほとんど視界が緑色に染まってきていた画面越しに、私と煉の声を聞いてとっさに振り返ったジャスティスは目が合ってしまった。この一瞬で私の血の気がみるみる引いていくのと同時に、内部に様子を捉える為に送り込んだスマホは私の魔術、【浮遊運搬】で姿勢を保持している状態であるのに気付いた。スモークサーチは隠し撮りをするスマホの背後に控えていた、私の魔力で構築された魔方陣に反応してこちらに流れてきていたのだが、もう既に手遅れだった。
「やっばぃ!!! スマホ、帰ってきてっ!!」
その瞬間に私は額から冷や汗が噴出した。脳内はとにかくこの場からスマホを引き上げることしか考えられなくなり、STAFF ONLYと書かれた扉に手を伸ばして指を力一杯まで広げて念を送り、スマホをこちらに向けて引き込んだ。もう映像を見ている余裕も無く、superfaceからはスマホが周囲の備品を構わず薙ぎ倒してこちらへ移動している事と、内部が騒然としている様子が音声でのみ伝わってきた。
「な、何っ?! 何かが飛んでる?!」
「誰かがこの様子を盗み見していたの?!」
「くっ!! 全員警戒して店内の様子を探りなさい!! もしや既にデビルが…」
ジャスティスの怒号のような指令が最後に聞こえたところで、スマホは床面すれすれを滑るように飛来して私の手の中に吸い込まれていった。焦ってあまりの勢いで引き寄せたので、掌に飛び込んだ瞬間に乾いた音が鳴り、じんじんと骨まで響く痛みが伝わってきた。
「ば、バレたの?!」
「ごめんデビル、急いでお店を出…」
気付かれたのを察したデビルが私に詰め寄るも、私の目にはSTAFF ONLYの扉からわらわらとメイド達が客室に雪崩れ込んでくる様子が飛び込んできたのだ。席を立ちかけた私は慌てて座席に座り直し、絶え間なく流れる冷や汗を腕で拭いながら平静を装った。
出てきたメイド達はホールで接客していた他のメイドと同じようににこやかな笑顔を周囲に振りまきながらも、明らかに辺りをキョロキョロとしながら店内を早歩きでくまなく探し回っているように見えた。私はスマホをお尻の下に素早く隠すと、魔方陣の画像で埋め尽くされたsuperfaceのクラウドコンテナを閉じ、普通のインターネットの画面を開いてネットサーフィンを装った。人間世界での私服姿に化けているとはいえ面影が完全には消えていないデビルも、窓の外を見ながら既に飲み干して氷しか残っていないグラスをストローでいつまでも吸い続けて誤魔化していた。
「…失礼しますお嬢様方…」
聞き覚えのある声に私の心臓は一瞬止まった。メイドリーダーである煉の声だ。私の耳には彼女の口から出てきた言葉にはメイドの喋りを装って不信感が満ち満ちているように聞こえた。恐る恐る振り向いて煉の顔を見上げると、彼女はうっすら笑みを浮かべながら喋りかけてきた。
「空いているグラスをお下げしてよろしいですか…?」
「あ…あぁ、どうぞどうぞ…」
あまり顔を見合わせないように私は雑な受け答えをするやソッポを向いてsuperfaceの画面を見ていた。デビルもあまり顔を見せないようにしながら空のグラスをそっと煉の前に差し出した。私は横目で煉が空のグラスを持っているお盆の上に片付けている様子を伺っていると、彼女はやはりしきりに私とデビルの顔を見ているのが分かった。おまけに彼女のお盆の下に添えている手の中には、例のジャスティス支給のオイルライターが光っているのを見てしまった。
「では、ごゆっくり…」
煉は私達に静かにそう言って頭を下げると、そのまま立ち去っていった。まるで盗撮を働いた不届き者に彼女達の殺意を見せびらかすように絶妙にライターをちらつかせる煉の姿が完全に見えなくなるまで、私は口から心臓が飛び出そうな思いをしていた。
「ふぅっ…私、殺されるかと思った…」
体中を駆け巡る緊張感を吐き出すかのように私は大きく息を吹いた。デビルも辺りにメイドの姿が居なくなったのを確認して私の方を向いた。
「危なかったねぇ、でもこれ以上店内にいるのは危険だね。ここはあえて素知らぬ顔をして堂々と店を出ればいいさ」
「だ、大丈夫かなぁ…」
「もたもたしていると私の顔を知っているジャスティスが来てきてしまう、今のうちにそそくさ出てしまわないと本当にこの店の中でヤツらと戦う羽目になるわ。外であの子も待ってるんでしょう?」
デビルの言葉を聞いて、私は困惑した頭が落ち着きを取り戻すと同時に、いつの間にやら累を外で待たせているのをすっかり頭の中から抜け落ちていた事に気付いた。周囲を見渡すと、奥から出てきたメイド達が一人、また一人と扉の中に戻っていくのが見えた。特にお客さんの注文を聞いたわけでも無さそうなので、恐らくはジャスティスに報告に戻っているのだろうと推測できた。
店を出るのは今しかないと踏んだ私はsuperfaceを鞄に突っ込んで席を立った。そしてさっさと会計が済むようになけなしの小銭を財布から抜き取ると、すかさずデビルに言った。
「…撤退しようっ!!」
「ええ、いいわよ…」
私とデビルはすっくと立ち上がると、店内を尚も歩き回る煉達をかわすように通路を進み、レジの前まで一目散に辿り着いた。レジには捜索の為に出てきたメイドの一人が、猫撫で声を口にしながらも穏やかな表情の奥で出ていく客を見張るように待ち構えていた。
「本日はご利用ありがとうございましたお嬢様っ!! それではお会計を…」
「はい。レシートは要らないからね、御馳走様」
メイドがレジのキーを打ち込む前に、私はトレーの上に伝票とジュースの代金を置いた。そして情けなく捨て台詞を吐くように冷たい言葉を置き土産にして店を出た。メイドがやたら素っ気ない態度に面食らっている間に二人で下に降りるエレベーターに飛び乗ったのだ。メイドから見えない角度で1Fのボタンを連打してから、エレベーターの扉が閉まり無事に下の階へと動き出すまでが、とてつもなく長く感じられた。
「はぁっ、はぁっ…危なかったぁ~…」
こんなに神経を尖らせる羽目になるとは思いもよらなかった私は、とうとうスタミナが切れてエレベーターの壁にどかっともたれかかった。一方のデビルは、扉の方を向きながら私の方へその背中で口惜しさを滲ませているのが分かった。
「ジャスティスめ…このままでは終わらせないわよ…」
空調の風の音にかき消されそうな小さく低い声でそう呟いたデビルは肩を強張らせて、心の奥底から滾々と沸き出す憎しみを抑えていた。私の前では冷静な判断力を見せていながらも、魔女として何もできないまま退散しているのが余程に屈辱的なのだろう。私は荒れた息を整えながら、どす黒い感情に心をかき回されるデビルの悲しい後姿を静かに見守ることしかできなかった。
そうこうする間に扉が開くと、昼過ぎの明るい太陽の光が目を眩ませ、電気街の喧騒がエレベーター内に雪崩れ込むように聞こえてきた。しかしこの小うるさい街灯CMやアニメの音が心地よく聞こえたことはなかった。まるで自分の部屋に帰ってきたような安心感だ。しかし一息つくのも束の間だ、また秋葉台に魔女が姿を現したのが分かったのだから。炎の魔女ジャスティスにとって、捕えるべき因縁の相手と確保すべき魔術師である私達二人が行動を共にする以上、この先に待ち受ける動乱の渦中に飲まれるのは避けられない運命であると往生際の悪い脳みそに言い聞かせて、私達は【絢爛豪華】を後にするのだった。
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