だから今夜は眠れない

東雲紫雨

文字の大きさ
8 / 27
V.I.Pにご用心

4

しおりを挟む
       Ⅳ

 都内の一等地にそびえ立つ超高級ホテル、グランドセンチュリー・ハイアットの最上階にある貴賓室ロイヤルルームは、芳醇ほうじゅんなアールグレイの香りに満ちていた。
 雨は本降りになってきている。
 由樹彦がガラス張りの窓から滲んだ夜景を見下ろしていると、秘書の京極冴子が開け放ったドアを軽くノックして入ってきた。
駄目だめですわ、つながりません」
 事務的に言った彼女は、溜め息をついた。
「電源を切っていらっしゃるのかもしれませんわね。契約の際に、きちんと規約をご説明申し上げましたのに…」
「案外、あいつのことだから電波の届かない山奥のラブホテルにでもシケ込んでるんじゃないのか」
 一人ソファで紅茶アールグレイすすっていた鏑木浩平が皮肉っぽい口調で茶化すように口を挟んだ。
 時計は9時を回っている。由樹彦は、足元に広がる恍惚こうこつとしたイルミネーションを冷ややかな眼差しで眺めていた。
 浩平のベンツでホテルに戻ってから、かれこれ3時間近くになる。
 由樹彦はもう一人の用心棒ボディーガード有栖川祐介ありすがわゆうすけと連絡を取ろうと、何度も彼の携帯電話ケータイを呼び出し続けたが、受話器からはお決まりの音声サービスが流れてくるだけであった。
「子供じゃないんだ、放っておけ」
 浩平が煙草に火をつけて、面倒臭そうに呟いた。
「…何を、考えておいでですの?」
 冴子が遠慮がちに華奢きゃしゃな背中に声をかけた。すると、由樹彦はようやく室内のほうを振り返った。
「鏑木さん、一つお聞きしたいんですが」
「ああ? なんだ」
「あなたを襲った連中、どんな感じでした?」
「どんな…って」
 浩平は煙草をくわえて顔をしかめた。由樹彦はその様子をじっと見ながら噛み砕くように言った。
「僕は見ていただけなので実際のところはよくわかりません。直接渡り合った鏑木さんのご意見を伺いたいんです」
「―――そうだな、いて言うなら…」
 言葉をためた浩平は、顎に手を当てながらこう続けた。
「物足りない、だな」
「というと?」
 由樹彦の問いに浩平は肩をそびやかした。
「やつらの目的が、おれを痛めつけることにあったのかってことだ」
 彼は、天井に向かってふうっと紫煙を吐き出した。
「確かに場数も踏んでるようだったし、そこそこ腕の立つ連中だったが、あの人数であの程度レベルだとしたら拍子抜けだ。それに、あんなにあっさり引き下がったのも気に食わない。はっきり言って、試された・ ・ ・ ・気分だ。もっとも、おまえがおれたちを試したときは相手にもっと殺気があって、何倍もスリリングだったがな」
 浩平が口をつぐむと、由樹彦はすうっと目を細めた。
「同感です。あなたが標的ターゲットなら、無傷で帰すのはあまりにもお粗末ですよね。襲撃を仕掛けたからには、せめて半殺しくらいにはするつもりでないと」
 物騒なことを平気で口にする由樹彦の神経に、浩平は露骨にいやな顔をした。しかし、由樹彦のほうはまるでおかまいなしだった。
「でも、目的があなたを試すことにあったのだとしたら納得がいきます。それに…」
 彼は、ふと爪を噛んで押し黙った。浩平はそばに立っている冴子と顔を見合わせ、いぶかしそうに首をかしげた。
 たっぷり5秒沈黙したあと、由樹彦は口を開いた。
「…状況から考えて、あれは、あなた個人を試したというより、むしろボディーガードとしてのあなたの腕を確かめたのではないか、と」
「―――品定めされたってことか」
 煙草をくゆらせる浩平の声が渋く響いた。由樹彦は目顔で深く頷いた。
「ただ生憎あいにく、僕が雇ったボディーガードは一人じゃない」
 それは今、ここにはいない有栖川祐介の身にも同じことが起き得ることを示唆しさしているようであった。
「もう一度かけてみます」
 冴子がヒールを鳴らして室内の電話に歩み寄り、受話器を取った。
「……無駄だと思いますけどね」
 由樹彦は、再び窓の外に目をやった。
 その淡々とした言葉に呼応するかのように、持っていた受話器をゆっくりと置いた冴子が振り返って微かに首を振った。
「やはり、契約違反ペナルティーを承知で電源を切っているか、もしくは鏑木さんの言うとおり、電波の届かない場所にいるか、あるいは……すでに連絡を取れない・ ・ ・ ・ ・ ・ ・状況にあるのか―――まあ、あくまで可能性の話ですが」
 雫の光るガラス窓を見据えたまま、由樹彦は冷徹な口調で呟いた。
 浩平は煙草を揉み消し、冷めた紅茶を飲み干すと、上着を持って立ち上がった。
「時間の無駄だな。確かめようがないなら、気にしていても始まらない」
「どちらへ?」
 冴子の声に、戸口に足を向けた浩平は肩越しに振り向いた。
「…階下したのバーにいる。ユースケの死体でも出たら知らせてくれ」
 彼は軽く片手を挙げ、部屋を出ていった。
 残された二人は顔を見合わせた。そのうち由樹彦は肩をすぼめ、感嘆を洩らした。
大ざっぱグローバルな人だなぁ」
「ご心配ではないのでしょうか」
「さあ…? でも、一理ありますね。とりあえず明日一日待ってみましょう。意外と取り越し苦労かもしれませんし」
 そんな彼に、冴子は慎重に言った。
「…何か、お二人のことで危惧きぐされる根拠がおありだったのでは?」
 だが、由樹彦は相変わらずのポーカーフェイスで飄々ひょうひょうと応えた。
「せっかく手に入れた番犬ですから、もっと役に立ってもらわないと困るんです。ただ、それだけですよ」
「……そうですか」
 したたかにはぐらかされた冴子は、あきらめたように目を伏せ、静かに会釈した。
「では、わたくしはこれで。明朝はいつもの時間でよろしかったですわね。試験もおありなのですから、今夜は早くお休みください」
「遅くまで付き合わせてしまってすみませんでした」
 由樹彦はいつものようににっこりと笑った。
 それは仮面のような笑顔だった。もとより彼がなんの根拠もなく、いたずらに杞憂きゆうなどするはずがない。事態が急転するのは、それからわずか10時間後のことであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

後宮薬師は名を持たない

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。 帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。 救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。 後宮が燃え、名を失ってもなお―― 彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...