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2話 大奥は金欠です 壱

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 その理由は天災による災害で大飢饉が起こり、幕府が財政の立て直しに奮闘しているためだ。
 本来なら将軍である上様がまつりごとに向き合い、陣頭指揮を執るのだが、政治に一ミリも興味のない上様は大奥で女遊びにふけり、贅沢を改めることもなく、そのため幕府の財源は減る一方だった。

『これではいけない。なんとか幕府の財政を立て直さなければ』

 と、一年前、立ち上がったのが老中首座ろうじゅうしゅざ沢渡主殿頭国之さわたりとものかみくにゆきだった。
 強引な財政改革を推し進め、質素倹約しっそけんやくを求めるふ布令ふれを国中に出し、その手はタブーであった大奥運営の財源にも及び、ついに財政カットがなされてしまったのだ。
 そのため、この一年のあいだ大奥でも慣例だったことを次々と改めて対応してきた。

 朝夕二回、湿気払いと病気よけのために杉の葉を焚くことを廃止、障子破れの手直しも一ヵ月に一度に改め、お盆と暮れに二回行われる畳替えも十二月の年一回に減らした。

 食材もぎりぎりしか仕入れず、大奥御用達町人おおおくごようたしちょうにん以外の商店が安ければその店から購入し、廊下行灯の数も減らし、夜は暗くて気が滅入るのも仕方なしと受け容れた。
 天下の大奥が金欠でくすぶり、無駄をひたすらに削っているのだ。

 そんな涙ぐましい努力を重ねているというのに、金崎かなさきを始め、御中臈おちゅうろうたちは上様の子を産みたい、ご寵愛ちょうあいを取り戻したいとギスギスしているし、美を競って贅沢三昧。着物に、息抜きにと代参帰りの芝居見物に寄り、倹約などどこ吹く風だ。

 新たな御中臈が生まれるのは、その贅沢に拍車がかかるということだ。
 いくら倹約しても焼け石に水。
 如雨露じょうろで水をかけたって、火事は鎮火しない。
 人の習慣はそうそう変わるものではないのだ。
 それでも高遠はなにか打つ手はないかと日々考え続けていた。しかし、なにも浮かばないままだ。なにせここは上様と生活が一体化された魔窟まくつ――大奥なのだ。
 金は使いこそすれ、稼ぐ手段などない。またため息が洩れそうになるのを堪えていると、

しかり、しかり」

 風に揺れる柳のように、相の手を入れるだけの、中野松なかのまつ、五十二歳ののんびり声に、これはダメだと大いに脱力するしかなかった。


 ***


 東壱ノ側ひがしいちのかわにある長局ながつぼねの一室に灯が灯り、夜の闇をぼんやりと照らしていた。
 部屋の主である、高遠は八畳のに二のま間に備え付けてある文机に向かい、墨を磨って綴本とじぼんを開いた。

 ――はぁ……。一日の終わりに書く原稿はたまらないな。まったく男色本は疲れを癒やしてくれる一服の清涼剤。よもや、わたくしが男色本小説を執筆しているなどと誰も思うまい。

 そう。高遠の趣味は男同士の恋愛小説――男色本の創作だった。
 三十歳のとき、念願だった御年寄おとしよりとなり、一人部屋を与えられてから五年。夢だった妄想を文章にする場所を手に入れ、コツコツと書き上げた作品は三作。
 愛憎渦巻く大奥で小説を書いているときだけは嫌なことを忘れられた。

 少女時代から戦国乱世の軍記本を読んでは、そこに戦う男同士の絆を見つけて胸をときめかせてきた。しかし、武家の長女として生まれ男子のいない家だったので、いずれは婿養子をもらわなければならぬと行儀作法や教養を身につける日々は創作など許されないものだった。
 だが、その努力も空しく終わったのだ。

 父親に似て身長165センチと大柄な上、三白眼の吊り目のせいで顔付きがキツく表情筋が死んでいると言われるほど無表情。ついでに愛嬌も愛想もないとくれば嫁の貰い手はなく、十七歳になっても縁談のひとつもこなかった。
 高遠には母似の妹がおり、自分が嫁に行かねば妹が嫁に行けない。
 自分のせいで妹の婚期を逃してはならないし、肩身の狭い思いで暮らすよりはと大奥務めを決意。
 妹に婿養子をとらせるよう父親を説き伏せ、ツテを頼って大奥女中として御城おしろへ奉公に上がることができた。

 ――どうせ働くならば出世したい。出世すれば稼ぐ金が多くなる。

 大奥での出世は、『一に引き、二に運、三に器量』と呼ばれているほど、顔は後回しだ。御三之間おさんおまの雑用係から才気ある御年寄に取り立てられる『引き』に恵まれ、キャリアを積んで十五年。
『運』よく取り立ててくれた御年寄がいとまを出し、高遠を後釜に推薦してくれ、三十歳で御年寄に上り詰めることができた。

 付いたあだ名は『鉄面皮てつめんぴ高遠たかとう

 しかし、無表情な顔の怖さも御年寄となった今では有利に働いている。
 夫も子もいない老後を生きて行くためには金はどれだけあっても困ることはない。勤め上げれば幕府から年金ももらえる。高遠の夢は、

『五十を過ぎたらいとまを願い出て、悠々自適の生活を送りながら、執筆活動にいそしむこと』

 もし、大奥に奉公しなければ小説家になりたかったくらいだ。
 けれど、そんなことは叶うはずもないので暇後いとまごの夢として働く生きがいにしている。今、目の前にある原稿ももうすぐ書き終わる。
 受けが忍の者で、攻めが小国の大名の物語は愛情を知らなかった受けが大名から真実の愛を与えられて結ばれるハッピーエンドだ。最後は氷のような冷美を誇る受けが、花開くような笑顔を向けるところで終わる。残すところは三千文字程度。

「さて、最後の踏ん張りどころだ」

 高遠は決めているフィナーレに向かって筆を進めた。
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