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第29話 暗雲立ちこめる~引き絞られた縄 弐
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男色本出版に嫌悪感を抱く金崎だ。
「恐れながら塩沢さま。このようないわれを受けたのは、ひとえに男色本出版などという穢れたことに手を染めたことが原因かと考えまする。今一度、考え直すべきではありませぬか?」
言外に『高遠。お前のせいだ』というのが伝わってくる。
高遠は沈黙を守り、塩沢の言葉を待った。
「――政を取り仕切るは表向きだが、大奥は独立した場である。表向きから、これ以上口出しされるいわれはない。本は出す。高遠。滞りなく進めよ」
「――御意」
金崎の願いにまったく触れず、それどころか、大奥の威信をかけた話へと変わってしまった。
――これは、おおごとになったぞ……。
高遠は、自分が背負った責任の重さに異物を飲み込んだような気がした。
***
塩沢の全面的支援を受けた男色本出版の情報が解禁され、質素倹約に押さえ込まれていた大奥では大きな話題を呼んだ。
聞こえてくるのは、
『誰が作者かわからないそうよ』
『絵師も大奥の人間が務めるのでしょう? 一体だれなのかしらね』
『男色本ということだけど、どういうお話なのでしょう?』
眉をひそめる者もいたが、大半は好奇心に満ちており、男色本購入は禁じられていたが、
『大奥から出るのですもの。買ってもいいわよね?』
と、大奥に出入りする商人や男性使用人を使うなど、大奥の買い物を取り仕切る表使を通さず、個人的に男色本を買い求める女たちが激増した。
一度は購入禁止令が出ていたが、その塩沢が出版を許したのだからいいでしょう? というのが大義名分となっている。
滅多なことでは外に出られない女たちは娯楽に飢えており、また、大奥行事が縮小されたことも後押しとなり、
『自分たちで好きなことを』
と、いうムードを壊すことはできなかった。これには高遠たちも困ったが、
『倹約は昨年から続いている。皆、自粛するのも限界なのだろう』
と、いうのが見解で、口やかましく注意することができずにいた。
一部の権勢を誇る御中臈や、上臈御年寄、そして、御台所の贅沢を除いては、大半の女中たちは皆、買い物を控え、寒い夜には身体を寄せ合って眠るなど、倹約に努めてきたのだ。
引き絞り過ぎた縄が伸びてしまうように、一度緩んだ気持ちはなかなかもとに戻らない。
稼いだ金で少しは楽しみたいという気持ちもわからなくはないので、度が過ぎなければと様子を見るに留めるしかなかった。
そんななか、幸いなことは鶴屋からの筆工が文字を整え、版下の彫りに入り、出版は順調に進んでいるという報せだった。
高遠に託された最重要事項に問題ないだけでもよしとしなければならない。出版されて金が入ってくれば催事の助けになり、女中たちに酒や菓子を振る舞うことも叶い、不満も減るかもしれない。
――さて、今日も励むか。
御年寄の詰め所である千鳥の間に入る。と、そこには金崎が先にきて座していた。
「恐れながら塩沢さま。このようないわれを受けたのは、ひとえに男色本出版などという穢れたことに手を染めたことが原因かと考えまする。今一度、考え直すべきではありませぬか?」
言外に『高遠。お前のせいだ』というのが伝わってくる。
高遠は沈黙を守り、塩沢の言葉を待った。
「――政を取り仕切るは表向きだが、大奥は独立した場である。表向きから、これ以上口出しされるいわれはない。本は出す。高遠。滞りなく進めよ」
「――御意」
金崎の願いにまったく触れず、それどころか、大奥の威信をかけた話へと変わってしまった。
――これは、おおごとになったぞ……。
高遠は、自分が背負った責任の重さに異物を飲み込んだような気がした。
***
塩沢の全面的支援を受けた男色本出版の情報が解禁され、質素倹約に押さえ込まれていた大奥では大きな話題を呼んだ。
聞こえてくるのは、
『誰が作者かわからないそうよ』
『絵師も大奥の人間が務めるのでしょう? 一体だれなのかしらね』
『男色本ということだけど、どういうお話なのでしょう?』
眉をひそめる者もいたが、大半は好奇心に満ちており、男色本購入は禁じられていたが、
『大奥から出るのですもの。買ってもいいわよね?』
と、大奥に出入りする商人や男性使用人を使うなど、大奥の買い物を取り仕切る表使を通さず、個人的に男色本を買い求める女たちが激増した。
一度は購入禁止令が出ていたが、その塩沢が出版を許したのだからいいでしょう? というのが大義名分となっている。
滅多なことでは外に出られない女たちは娯楽に飢えており、また、大奥行事が縮小されたことも後押しとなり、
『自分たちで好きなことを』
と、いうムードを壊すことはできなかった。これには高遠たちも困ったが、
『倹約は昨年から続いている。皆、自粛するのも限界なのだろう』
と、いうのが見解で、口やかましく注意することができずにいた。
一部の権勢を誇る御中臈や、上臈御年寄、そして、御台所の贅沢を除いては、大半の女中たちは皆、買い物を控え、寒い夜には身体を寄せ合って眠るなど、倹約に努めてきたのだ。
引き絞り過ぎた縄が伸びてしまうように、一度緩んだ気持ちはなかなかもとに戻らない。
稼いだ金で少しは楽しみたいという気持ちもわからなくはないので、度が過ぎなければと様子を見るに留めるしかなかった。
そんななか、幸いなことは鶴屋からの筆工が文字を整え、版下の彫りに入り、出版は順調に進んでいるという報せだった。
高遠に託された最重要事項に問題ないだけでもよしとしなければならない。出版されて金が入ってくれば催事の助けになり、女中たちに酒や菓子を振る舞うことも叶い、不満も減るかもしれない。
――さて、今日も励むか。
御年寄の詰め所である千鳥の間に入る。と、そこには金崎が先にきて座していた。
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