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第44話 再始動~罠の代償 弐
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キャア、キャアと女中だちの悲鳴も聞こえる。
「な、なにごと……!」
高遠は慌てて部屋を飛び出した。――と、金崎の金切り声が響く。
「な、なぜわたくしが! 離せっ! 離さぬかっ!」
月代の頭に鉢巻きを結んだ男たちが金崎を左右から取り押さえ、部屋から引きずり出している。
高遠は慌てて駆け寄り、問う。
「これはどういうことか!?」
「御上意により、金崎夕を御年寄の職から解くこととなった。本日限りで解任を申し渡されておる」
「な……っ! り、理由は!?」
「国中が質素倹約に勤めておるさなか代参帰りの芝居見物にくわえ、役者との宴を繰り返し、御中臈である五条須磨さまのお部屋を荒らし、大奥内の秩序を乱したる罪は看過できぬものと断じられたのだ。さあ、退きませい」
力ずくで引きずられる痛みに、金崎が声を上げる。
「キャっ……! わ、わたくしは、お須磨さまのお部屋を荒らしてなど……っ! い、痛いっ!」
「金崎殿!」
「た、高遠殿! 助けてくだされ! 助けて……っ!」
細い身体は男たちに易々と捕らえられ、大奥を出ようと廊下を進んで行く。
「待ってくだされ! せめて、塩沢さまのもとで話だけでも――……!」
「無用だ!」
それでも高遠は追いすがり、訴える。
「どうか、どうか! しばしの猶予を! 一体、誰がそのような罰を下したのです!」
瞬間、脳裏をよぎったのは、異様にぎょろりとした目。苦々しそうに、五十三次の宴を睨んでいた男。高遠の足が止まる。
男たちは無言で大奥を出て中奥へと進んだ。
金崎は必死で叫ぶ。
「そんなはずはない! そんなことがあるわけが――……!」
高遠へ差し出された枯れ枝のような腕は届くことはなく、悲痛な叫びと共にギィィという音を立てて閉まる扉の向こうへと消えた。
もう、追いかけることはできない。
扉の前に立ち尽くしたまま高遠は確信した思いに喉を鳴らした。
首筋から温度が抜けて体温が下がった気がした。
周囲のざわめきが高遠を正気に戻す。今は狼狽えている場合ではない。すぐに塩沢のもとへ向かい状況を把握しなければ。
まだザワついている女たちに、
「おのおの、己の役目にもどれい!」と鋭い一声を放ち、急ぎ、塩沢の部屋へ向かった。
すでに騒ぎを聞きつけた叶と中野が到着していた。しかし、大奥という絶対的牙城が易々と崩されたのだ。動揺は隠せない。それでも叶は努めて冷静に問う。
「このような暴挙が大奥で起こるなど考えられぬこと。塩沢さまはなにかご存じでおられましたか」
塩沢の手のなかで扇子がミシリ、と音を立てる。
ギリと奥歯を噛みしめ、臓腑を絞り出すように声を出す。
「……なにか仕掛けてくるとは思ったがよもや、ここまでしようとは。とうとう常軌を逸したか」
その言葉で叶は悟ったようだった。それきり口をつぐむ。
中野だけが混乱のなかにいる。
「なにかお心当たりがおありなのか。金崎殿が捕縛される理由がありませぬぞ。高遠殿はなにかご存じか」
向けられた視線はどこか縋るような色を宿している。
己の役目は冷静であることだ。慌てふためく余裕などない。
「――質素倹約を無視し、代参帰りに芝居見物へ立ち寄った咎により御年寄の職から解く、と。連れ去られる場に居合わせておりましたゆえ、この耳で聞きました」
塩沢が問う。
「子細に申せ。他になにか言っていたか」
「は。役者との宴を繰り返し、お須磨の方さまのお部屋を荒らし、大奥内の秩序を乱した罪は看過できぬもの――と」
「! で、では、賊は金崎殿……!?」
中野が目を見開いて言う。
高遠はゆるりと首を振った。
「いいえ、それはわかりませぬ。ですが、これは見せしめであると確信いたしております。『大奥とて御公儀に逆らえばどうなるか』それを見せつけるためだけに、このような仕打ちに出たのだと。金崎殿は事件をもみ消すために捨て駒とされたのでしょう」
「誰に――……」
そう言いかけてようやく悟ったように呟いた。
「……沢渡、主殿頭《とものかみ》……」
中野の浮いた身体が沈んでいく。
沈黙が部屋中に満ちるなか、ぽつんと雨粒が落ちるように言葉が零れた。
「金崎殿は……どうなるのだ……」
ここまでやったのだ。沢渡主殿頭に温情などあるはずがない。金崎を切ることで大奥も自分の支配下であると示したのだ。もはや須磨を襲ったのが真実であるかなど、議論しても意味などない。
金崎を切り捨てた以上、真実を知るのはあの男だけなのだ。理由などいくらでもねつ造できる。
そうできる権力があるのだ。
「な、なにごと……!」
高遠は慌てて部屋を飛び出した。――と、金崎の金切り声が響く。
「な、なぜわたくしが! 離せっ! 離さぬかっ!」
月代の頭に鉢巻きを結んだ男たちが金崎を左右から取り押さえ、部屋から引きずり出している。
高遠は慌てて駆け寄り、問う。
「これはどういうことか!?」
「御上意により、金崎夕を御年寄の職から解くこととなった。本日限りで解任を申し渡されておる」
「な……っ! り、理由は!?」
「国中が質素倹約に勤めておるさなか代参帰りの芝居見物にくわえ、役者との宴を繰り返し、御中臈である五条須磨さまのお部屋を荒らし、大奥内の秩序を乱したる罪は看過できぬものと断じられたのだ。さあ、退きませい」
力ずくで引きずられる痛みに、金崎が声を上げる。
「キャっ……! わ、わたくしは、お須磨さまのお部屋を荒らしてなど……っ! い、痛いっ!」
「金崎殿!」
「た、高遠殿! 助けてくだされ! 助けて……っ!」
細い身体は男たちに易々と捕らえられ、大奥を出ようと廊下を進んで行く。
「待ってくだされ! せめて、塩沢さまのもとで話だけでも――……!」
「無用だ!」
それでも高遠は追いすがり、訴える。
「どうか、どうか! しばしの猶予を! 一体、誰がそのような罰を下したのです!」
瞬間、脳裏をよぎったのは、異様にぎょろりとした目。苦々しそうに、五十三次の宴を睨んでいた男。高遠の足が止まる。
男たちは無言で大奥を出て中奥へと進んだ。
金崎は必死で叫ぶ。
「そんなはずはない! そんなことがあるわけが――……!」
高遠へ差し出された枯れ枝のような腕は届くことはなく、悲痛な叫びと共にギィィという音を立てて閉まる扉の向こうへと消えた。
もう、追いかけることはできない。
扉の前に立ち尽くしたまま高遠は確信した思いに喉を鳴らした。
首筋から温度が抜けて体温が下がった気がした。
周囲のざわめきが高遠を正気に戻す。今は狼狽えている場合ではない。すぐに塩沢のもとへ向かい状況を把握しなければ。
まだザワついている女たちに、
「おのおの、己の役目にもどれい!」と鋭い一声を放ち、急ぎ、塩沢の部屋へ向かった。
すでに騒ぎを聞きつけた叶と中野が到着していた。しかし、大奥という絶対的牙城が易々と崩されたのだ。動揺は隠せない。それでも叶は努めて冷静に問う。
「このような暴挙が大奥で起こるなど考えられぬこと。塩沢さまはなにかご存じでおられましたか」
塩沢の手のなかで扇子がミシリ、と音を立てる。
ギリと奥歯を噛みしめ、臓腑を絞り出すように声を出す。
「……なにか仕掛けてくるとは思ったがよもや、ここまでしようとは。とうとう常軌を逸したか」
その言葉で叶は悟ったようだった。それきり口をつぐむ。
中野だけが混乱のなかにいる。
「なにかお心当たりがおありなのか。金崎殿が捕縛される理由がありませぬぞ。高遠殿はなにかご存じか」
向けられた視線はどこか縋るような色を宿している。
己の役目は冷静であることだ。慌てふためく余裕などない。
「――質素倹約を無視し、代参帰りに芝居見物へ立ち寄った咎により御年寄の職から解く、と。連れ去られる場に居合わせておりましたゆえ、この耳で聞きました」
塩沢が問う。
「子細に申せ。他になにか言っていたか」
「は。役者との宴を繰り返し、お須磨の方さまのお部屋を荒らし、大奥内の秩序を乱した罪は看過できぬもの――と」
「! で、では、賊は金崎殿……!?」
中野が目を見開いて言う。
高遠はゆるりと首を振った。
「いいえ、それはわかりませぬ。ですが、これは見せしめであると確信いたしております。『大奥とて御公儀に逆らえばどうなるか』それを見せつけるためだけに、このような仕打ちに出たのだと。金崎殿は事件をもみ消すために捨て駒とされたのでしょう」
「誰に――……」
そう言いかけてようやく悟ったように呟いた。
「……沢渡、主殿頭《とものかみ》……」
中野の浮いた身体が沈んでいく。
沈黙が部屋中に満ちるなか、ぽつんと雨粒が落ちるように言葉が零れた。
「金崎殿は……どうなるのだ……」
ここまでやったのだ。沢渡主殿頭に温情などあるはずがない。金崎を切ることで大奥も自分の支配下であると示したのだ。もはや須磨を襲ったのが真実であるかなど、議論しても意味などない。
金崎を切り捨てた以上、真実を知るのはあの男だけなのだ。理由などいくらでもねつ造できる。
そうできる権力があるのだ。
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