11 / 11
前を向いて
しおりを挟む
” 沙耶です。終わりました。 ”
初めて浩くんに送ったのと同じようなメールの内容に自分は何も進歩していないなと苦笑いを浮かべた。でも、変わったこともあった。私は今日悠馬に会って直接目を見て話をすることができたし、感情的になることもなかった。
荷物を運び出した後の空っぽの部屋にインターホンの音が響いた。浩くんがコンビニの袋をぶら下げ、両手にコーヒーを持ったままドアから入って来る。
「お、泣いてない。今日はポテト買わなかったから早かったでしょ?ちゃんと覚えてたんだよ、前のこと。」
「お帰り。ていうか両手ふさがっててどうやって入って来れたの?」
「実は第三の手がある。」
浩くんはコーヒーをこちらに差し出しながら、自分は立ったままでもう一つの方に口をつけた。
「ちゃんと話できたみたいだね、偉かったじゃん。」
「うん……悠馬はあんまり言ってこなかったし。結局は私だけがすっきりしちゃっただけかもしれないんだけど。」
「……でも、言いたい事全部言えたんだ?」
「全部は……無理だった。」
浩くんはさみーと言いながら床にぺたっと座り込むと、ガサゴソ音を立てて袋の中からおにぎりを二つ取り出した。
「やっぱり、言いにくかったか。」
「うん。流石に……。」
「まぁな。普通に考えて別れた彼女の口から結婚とかそういう話は聞きたくないよな。」
「でも、引っ越す事はちゃんと伝えたから。」
「そっか。ま、その辺は……。」
仕方なく冷たい床に座ると、浩くんが渡してくれたおにぎりを見ながら、首を傾げた。
「どっちかと言えばドーナツの方が良かったんだけど。」
「買ってはあるけど。いいの?太るよ?」
「……いいの。まだ前撮りまでは時間あるし。」
「沙耶がいいならそれでいいけど。それより、寒いからこっちおいで。」
浩くんはコーヒーを置くと自分の膝をポンポンと叩いた。
「私ペット並みの扱いじゃない?」
「いいじゃん。」
浩くんの前まで移動すると後ろから暖かい腕で羽交い絞めにされる。ガランとした部屋の真ん中で二人でこうやってくっついて床に座り込んでいるのがなぜだか滑稽に思えた。
「ね、電気止まってないんだからよく考えたらエアコンまだ使えるんじゃないの?」
「……気のせい気のせい。」
「気のせいって。退去の立ち合いってまだちょっと時間あるんでしょ?」
「それならさっき下で電話しといたから早めに来てもらえるかも。」
首筋に暖かい唇を感じてぎょっとした時、インターホンが再び鳴り響いた。
「ムカつく……。せっかくいちゃついてたのに。」
浩くんはのろのろと立ち上がるとオートロックを解除しながらわざとらしく大きなため息をついた。
東京に引っ越す事が決まったのは私の方が先だった。
もともと第一希望だった会社は勤務地が東京ということもあって試験を受けることなく諦めてしまった。その会社の追加募集があると聞いた時、私は浩くんに相談をすることもなく採用試験を受ける事にした。最終面接までいった時にようやく浩くんに打ち明け、最終的に採用が決まった時には浩くんは私よりも喜んでくれた。そしてその場ですぐに結婚しようとプロポーズされた。
浩くんに本社への異動の辞令が降りたのはそのすぐ後の事だった。本当にたまたま──。
だから浩くんがプロポーズをした時どういうつもりで言ったのかは分からない。週末婚になる予定だったのかそれともそこまでの事はまだ考えていなかったのか……。
この数か月で変わったのは私だけじゃない。浩くんはクールな大人の雰囲気をどこかに忘れてきてしまったみたいに毎日楽しそうに笑っているし、私が大学を卒業すると同時に上京して結婚をするなんて話になったことで実家の両親は大慌てだ。
「では、鍵だけ返却して頂ければそれで立ち合い終了になりますので。」
担当者に見送られながらマンションを出るとゴミステーションの前を通り過ぎる辺りで浩くんがそっと私の手を握った。
「あれ、佐野君じゃないの?」
浩くんが指さした先には悠馬の住むアパートの階段が見えた。階段を歩いているのは悠馬と知らない女の人だった。二人は微妙な距離を保ったままで悠馬の部屋に向かっているようだ。
悠馬も次に向かってとっくに歩き出していたのかもしれない。さっき私を見つけて声を掛けてくれたのは、きっと顔を見て確認したかっただけなんだ──私と悠馬の結末を。
「そういえばさ、沙耶と初めて会った時もあの人みたいな踵の高い靴履いてたよね。」
「うん、もう今は持ってないけど。」
「捨てちゃったの?」
「そう、だって靴擦れして痛かったし。」
「え~そうだったんだ。残念。俺割と好きだったのにな。シンデレラみたいで。」
「シンデレラ?」
浩くんは再び歩き出しながら、コインランドリーの方を見てとびきりの笑顔を見せた。
「掃除洗濯ゴミ捨て、全部押し付けられてたじゃん?だからシンデレラ。」
「……そこ?」
「シンデレラと違って沙耶は靴が脱げてこけてたけどね。」
「あれはただサイズが合ってなかったからで──」
「分かった、次の休みに靴買いに行こうよ?」
「次の休みは荷物の片付けでしょ?」
「大丈夫、そんなのすぐに終わらせちゃうよ。俺慣れてるし。」
「……でも、この前指輪も買ってもらったばっかだよ?」
「あれは婚約指輪だから特別。じゃあ靴は就職祝いってことで。」
「それなら靴じゃないものがいい。」
「あ、先に言っとくけど食べ物は駄目だからね。」
「まだ何も言ってないのに……。」
浩くんは嬉しそうに笑いながら、つないでいた手を持ち上げると手の甲に唇を押し付けた。
「俺の為だけにおしゃれして見せてよ。大丈夫、次転びそうになったらその時はちゃんと隣にいて支えるから。」
「……」
「嫌?」
「そうじゃなくて……。浩くん、イケメンが過ぎる。」
「沙耶にだけそう見えてれば俺は幸せ。」
「……やっぱ駄目。靴ナシ。」
「え~、じゃ他何がいい?」
「私、あれ欲しい。エスプレッソマシーン。」
「いいね。」
おしゃれをしても尽くしても、気が付いてもらえなかったあの日々にはもう戻るつもりはなかった。
私は好きなものを追いかけて後悔しながらも前を向いて、もっともっと幸せになるんだと強く思った。
きっとこの人となら隣でずっと一緒に笑っていられる。
初めて浩くんに送ったのと同じようなメールの内容に自分は何も進歩していないなと苦笑いを浮かべた。でも、変わったこともあった。私は今日悠馬に会って直接目を見て話をすることができたし、感情的になることもなかった。
荷物を運び出した後の空っぽの部屋にインターホンの音が響いた。浩くんがコンビニの袋をぶら下げ、両手にコーヒーを持ったままドアから入って来る。
「お、泣いてない。今日はポテト買わなかったから早かったでしょ?ちゃんと覚えてたんだよ、前のこと。」
「お帰り。ていうか両手ふさがっててどうやって入って来れたの?」
「実は第三の手がある。」
浩くんはコーヒーをこちらに差し出しながら、自分は立ったままでもう一つの方に口をつけた。
「ちゃんと話できたみたいだね、偉かったじゃん。」
「うん……悠馬はあんまり言ってこなかったし。結局は私だけがすっきりしちゃっただけかもしれないんだけど。」
「……でも、言いたい事全部言えたんだ?」
「全部は……無理だった。」
浩くんはさみーと言いながら床にぺたっと座り込むと、ガサゴソ音を立てて袋の中からおにぎりを二つ取り出した。
「やっぱり、言いにくかったか。」
「うん。流石に……。」
「まぁな。普通に考えて別れた彼女の口から結婚とかそういう話は聞きたくないよな。」
「でも、引っ越す事はちゃんと伝えたから。」
「そっか。ま、その辺は……。」
仕方なく冷たい床に座ると、浩くんが渡してくれたおにぎりを見ながら、首を傾げた。
「どっちかと言えばドーナツの方が良かったんだけど。」
「買ってはあるけど。いいの?太るよ?」
「……いいの。まだ前撮りまでは時間あるし。」
「沙耶がいいならそれでいいけど。それより、寒いからこっちおいで。」
浩くんはコーヒーを置くと自分の膝をポンポンと叩いた。
「私ペット並みの扱いじゃない?」
「いいじゃん。」
浩くんの前まで移動すると後ろから暖かい腕で羽交い絞めにされる。ガランとした部屋の真ん中で二人でこうやってくっついて床に座り込んでいるのがなぜだか滑稽に思えた。
「ね、電気止まってないんだからよく考えたらエアコンまだ使えるんじゃないの?」
「……気のせい気のせい。」
「気のせいって。退去の立ち合いってまだちょっと時間あるんでしょ?」
「それならさっき下で電話しといたから早めに来てもらえるかも。」
首筋に暖かい唇を感じてぎょっとした時、インターホンが再び鳴り響いた。
「ムカつく……。せっかくいちゃついてたのに。」
浩くんはのろのろと立ち上がるとオートロックを解除しながらわざとらしく大きなため息をついた。
東京に引っ越す事が決まったのは私の方が先だった。
もともと第一希望だった会社は勤務地が東京ということもあって試験を受けることなく諦めてしまった。その会社の追加募集があると聞いた時、私は浩くんに相談をすることもなく採用試験を受ける事にした。最終面接までいった時にようやく浩くんに打ち明け、最終的に採用が決まった時には浩くんは私よりも喜んでくれた。そしてその場ですぐに結婚しようとプロポーズされた。
浩くんに本社への異動の辞令が降りたのはそのすぐ後の事だった。本当にたまたま──。
だから浩くんがプロポーズをした時どういうつもりで言ったのかは分からない。週末婚になる予定だったのかそれともそこまでの事はまだ考えていなかったのか……。
この数か月で変わったのは私だけじゃない。浩くんはクールな大人の雰囲気をどこかに忘れてきてしまったみたいに毎日楽しそうに笑っているし、私が大学を卒業すると同時に上京して結婚をするなんて話になったことで実家の両親は大慌てだ。
「では、鍵だけ返却して頂ければそれで立ち合い終了になりますので。」
担当者に見送られながらマンションを出るとゴミステーションの前を通り過ぎる辺りで浩くんがそっと私の手を握った。
「あれ、佐野君じゃないの?」
浩くんが指さした先には悠馬の住むアパートの階段が見えた。階段を歩いているのは悠馬と知らない女の人だった。二人は微妙な距離を保ったままで悠馬の部屋に向かっているようだ。
悠馬も次に向かってとっくに歩き出していたのかもしれない。さっき私を見つけて声を掛けてくれたのは、きっと顔を見て確認したかっただけなんだ──私と悠馬の結末を。
「そういえばさ、沙耶と初めて会った時もあの人みたいな踵の高い靴履いてたよね。」
「うん、もう今は持ってないけど。」
「捨てちゃったの?」
「そう、だって靴擦れして痛かったし。」
「え~そうだったんだ。残念。俺割と好きだったのにな。シンデレラみたいで。」
「シンデレラ?」
浩くんは再び歩き出しながら、コインランドリーの方を見てとびきりの笑顔を見せた。
「掃除洗濯ゴミ捨て、全部押し付けられてたじゃん?だからシンデレラ。」
「……そこ?」
「シンデレラと違って沙耶は靴が脱げてこけてたけどね。」
「あれはただサイズが合ってなかったからで──」
「分かった、次の休みに靴買いに行こうよ?」
「次の休みは荷物の片付けでしょ?」
「大丈夫、そんなのすぐに終わらせちゃうよ。俺慣れてるし。」
「……でも、この前指輪も買ってもらったばっかだよ?」
「あれは婚約指輪だから特別。じゃあ靴は就職祝いってことで。」
「それなら靴じゃないものがいい。」
「あ、先に言っとくけど食べ物は駄目だからね。」
「まだ何も言ってないのに……。」
浩くんは嬉しそうに笑いながら、つないでいた手を持ち上げると手の甲に唇を押し付けた。
「俺の為だけにおしゃれして見せてよ。大丈夫、次転びそうになったらその時はちゃんと隣にいて支えるから。」
「……」
「嫌?」
「そうじゃなくて……。浩くん、イケメンが過ぎる。」
「沙耶にだけそう見えてれば俺は幸せ。」
「……やっぱ駄目。靴ナシ。」
「え~、じゃ他何がいい?」
「私、あれ欲しい。エスプレッソマシーン。」
「いいね。」
おしゃれをしても尽くしても、気が付いてもらえなかったあの日々にはもう戻るつもりはなかった。
私は好きなものを追いかけて後悔しながらも前を向いて、もっともっと幸せになるんだと強く思った。
きっとこの人となら隣でずっと一緒に笑っていられる。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
清掃員と僕の密やかな情状
MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。
青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。
肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。
44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる