ある日王子は国を出ることにした

ゆみ

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目標

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 マルセルはジャンにあの日教会で言われた言葉を引きずっていた。

「目標か……」

 母親が亡くなって1週間が経とうとしているがまだ実感がわかずふわふわとした気分だった。まだどこかで現実を受け入れたくないと感じているせいだと分かっていたが、敢えてジャンの言っていた事を考えてみる事にした。

 マルセルは母と共に屋敷に引きこもるような生活を送っていた為、軽い運動はしていたが今まで剣を持ったことなどない。騎士を目指すには体力的にも少し出遅れているだろう。それにマルセル自身にも体を鍛えたいだとか強くなりたいという思いはそこまでなかった。むしろ周りにいる騎士に守ってもらえるのが当然の生活を送ってきたのだからそれは当然の事とも言えた。

──騎士になるという目標は却下だな。

「やりたいこと……か。」

 人目を気にせずに外へ出たい。これが今マルセルのやりたい事だった。何事にも縛られることのない自由な立場になりたかった。

「王子でなくなること…。それが目標?」

 自分で口にしておきながら鼻で笑ってしまう。それができればここまで苦労はしていないのだ。母親とザーラに隠れ住む必要などなかった。もちろん、母親が殺されることも…。

 義弟が王太子になる──マルセルがそう耳にしたのは王都で第二王子が生まれたと聞いた直後だった。これでやっとマリエとマルセルは王家から解放される──そう思ったが甘かった。
 正当な後継ぎが出来たのだから、保険のためにひっそりと育てられてきたようなマルセルの存在などもはや不要なはずだった。にも関わらず、国王は二人をどこかへ逃がしてはくれなかった。その代わりに二人を人知れず始末することにしたのだ。

「トロメリンにいる限りは父上の手から逃げ出すことはできない。一体どうしたら…。」

 国外に逃亡の手引きをしてくれるような知り合いはいない。宛もなくザールから逃げ出すとしたら王都のある西ではなく東へ逃げることになるだろう。ザール地方の東──すなわち海だ。
 ザール地方はトロメリン王国の最東端、大陸の東海岸に位置している。海の向こうには列島からなる隣国があり、ザールの港町からは交易の船も多く出ている。
 トロメリン王国一の賑やかな貿易港。その喧騒に紛れて仮に上手く船に潜り込むことが出来たとしても、果たして行き着いた先の異国でどうやって暮らして行くというのだろうか?

「駄目だな。異国の地でゼロから生活を送る事など今の私には不可能だ……。」

 マルセルは沈み込むように座っていたソファーから力なく立ち上がると本棚に向かった。母親と共に何度も繰り返し読んだ本がそこには並んでいる。その全てがザール地方で昔使われていた古い言葉で書かれたものだった。

「ザール語…か…。」

 マルセルは普段の生活では主にザール語を使っている。これは母親の影響でもあった。
 マルセルの母親はトロメリン王国の生まれではない。その母国語はトロメリン王国の誰にも理解出来ないような不思議な言葉だったが、古くからザール地方の一部で使われているザール語とどこか似ている所があった。そのため、マリエはトロメリン語よりも早くザール語を覚えることができた。マルセルがトロメリン語を上手く使えないのは、小さい頃からザール語に囲まれて育ってきたせいでもあり、父親である国王へのささやかな反抗心が邪魔をしてトロメリン語の勉強に身が入らなかったせいでもある。

 マルセルはザール語の辞書の背表紙を指で叩きながらしばらく考えた。

──まだ間に合うはずだ。まずは隣国の言語をどうにかして覚えよう。そしていつの日にかトロメリン王国から、父上の手の中から逃げ出す。それが…目標だ。

「目標……」 

 目標が出来たら、消えてなくなりたいと思う事もなくなるだろうか?
 マルセルはぬくぬくと暖かい部屋から窓の外を眺めた。雪こそ積もってはいないが今日も曇天模様の灰色の空が低く見える。もしかしたら午後からは雪になるかも知れないと思った。

「雪は……嫌いだ。」

 マルセルは窓に背を向けるとソファーに戻り、隣国の言葉を学ぶために必要な書籍を取り寄せるにはどうしたらいいかを考え始めた。
 異国から来た母親はザール語をどうやって覚えたのだろうか?それにしてもこの屋敷にいる使用人や騎士のほとんどがザール語とトロメリン語の両方を話すことができるとは、常識から考えても少しおかしいような…。

 そのときマルセルの脳裏にある光景が思い出された。

「ポールは……母上とザール語ではない異国の言葉で会話をしていなかったか?」

 マルセルは顔を上げると部屋の扉の方をじっと見つめた。確かめてみなければならない。
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