ある日王子は国を出ることにした

ゆみ

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神官長の苦悩

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 マルセルは目の前に現れるなりいきなり涙を流し始めた白髪の老人を唖然として見ていた。大神官は約束の時間通りに屋敷を訪れて来たと思えば、その勢いのままその場でマルセルに対して頭を垂れたのだった。そして周りの制止も聞かずにただ謝罪の言葉を繰り返し、涙を流すばかりだった。
 やっとのことで部屋まで移動してきたものの、老人の涙はまだ止まりそうになかった。

「いきなりこんな風に取り乱すつもりはなかったのですが……本当に申し訳ない。」
「……」

 大神官はくしゃくしゃになったハンカチで目元を押さえながら傍らで佇むジャンの方に視線を動かした。

「ジャン様とはじめてお会いした時にはこのように取り乱すこともなかったのですが。マルセル様のその瞳は本当にマリエ様と生き写しで耐えられず……。」
「大神官様、マルセルの瞳は確かにマリエ様と同じ薄紫ですが、今のこの髪はカツラで本当は──。」
「やはりカツラなのですね?えぇ、大丈夫です。どうかそのままでいらしてください。そうでしたか、マルセル様はマリエ様と同じで銀髪なのですね。」

 大神官は少しずつ落ち着きを取り戻し始めるとマルセルの顔を眩しそうに仰ぎ見た。
 マルセルはその視線にリュカを思い出すとどこか落ち着かない様子で手を組みなおした。

「18におなりだとお聞きしました。マリエ様があちらの国に行かれてすぐにお生まれになったのですね。」
「あぁ、そうだと思う。大神官、貴方は母の身に起きた事を一番よく知っている、そうだな?」
「シモンとお呼びください、マルセル様。」

 大神官シモンは大きく頷きながらハンカチを右手でぎゅっと握り締めた。

「恐らく、ポールの次には事情に詳しいかと存じます。」

 マルセルは無言で頷くとシモンの手に握られたハンカチを何気なく見つめた。恐らくは贈り物であろうハンカチには丁寧に名前の刺繍が施してあった。

「お聞きになりたいことがあってわざわざ私をお呼びになったのでしょう?やはり、マリエ様の事ですか?」
「もちろん、それもある。だがその前に──」

 マルセルがジャンに目で合図をすると、ジャンは部屋の扉を開けてもう一度外に人影がない事を確認した。

「一つ確認しておきたいことがある。ステーリアでは母の身に起きたことを一切公にしていないのだな?もしかして母の存在は記録から抹消されているのか?」
「いいえ、決してそのような事はございません。マリエ様は先代の聖女様として確かに記録にお名前がございます。ただ、代替わりの直前に騎士と駆け落ちをして国外へ行かれたという事になっております。お二人は事の詳細をポールから既に聞いておられるのでしたね?」
「あぁ、ジャンが留学から戻ったつい先日聞いたばかりだ。」
「神殿内部で起きたことの詳細については外部に知らせる必要はございません。マリエ様のその後の話も同様です。失礼ですがトロメリンとステーリアとでは国の大きさが違う。人々は遠く離れた国での出来事を耳にすることもありませんからね。」
「なるほど。確かに聖女様の駆け落ちの話はこれまでもよくあったようですしステーリアでは大きな問題にはならなかったのでしょう。」

 マルセルはジャンから視線をシモンに移すと再びその手のハンカチに視線を向けながら口を開いた。

「それで、実際の所はどうだったんだ?私にはあの母上が全ての責任を捨ててまで国から逃げ出したというのがどうにも納得できないのだが。ポールと一緒になりたかったというよりも何か他に理由があったんじゃないのか?」
「貴方は……一体……」

 シモンは目を見張って驚きの表情を浮かべると、視線をジャンに移して申し訳なさそうな顔になった。

「失礼ですが、マルセル様はステーリアの聖女様に関する事をどこまでご存じでしょうか?」
「ウォーレン公の息子のリュカの書いた論文は目を通している。確かシモンもリュカとは知り合いだったな?」
「そうです。……でしたら現在の聖女様の父親が誰であるかご存じでしょうか?」
「聖女の父親?いや、それは知らない。つまりは聖母様の相手となった王族の事だな?」
「そうです。聖母様のお相手は国王陛下の弟殿下です。」
「それが、何か?」

 マルセルとジャンはシモンの言いたいことが未だよく分からず、息を呑んで続きの言葉を待った。

「聖母様は国王陛下の二人おられる弟殿下のうちの、つまりは末の弟殿下と恋仲だと当時マリエ様はそう思っておられました。ですから代替わりの儀でユゼ様と末の弟殿下が結ばれればそれですべてがうまくいくとお考えだったのでしょう。ですがいざその時になると陛下がご指名になったのはユゼ様と末の弟殿下ではなかった。」
「母上ともう一人の王弟殿下が指名された?」
「はい。実際の所、末の弟殿下とユゼ様の間には何もなかったのです。ユゼ様の一方的な感情に過ぎませんでした。それどころか、むしろ末の弟殿下が好意を寄せられていたのはマリエ様の方だったとも言われています。陛下はそこを配慮されたのでしょう。聖女の間にわだかまりが残るのは好ましくありませんし、王族と聖女様との間には男児が生まれることはない。それでは例えユゼ様の思いが遂げられたとしてもご結婚は許されません。」

 ジャンはマルセルの座るソファーの後ろに立つと背もたれに肘をつきながら何かを考えているようだった。

「しかし代替わりの儀で指名された時、既にマリエ様は父──ポールに思いを寄せていた?」
「そう……私は確信しておりました。ポールも同じです。ですから私はギリギリまで何も行動を起こさない二人を忸怩じくじたる思いで見ておりました。このまま、何事もなかったかのようにマリエ様が王弟殿下と結ばれて聖母様になり、それをポールは唇を噛みしめて見ているほかないのかと。」

 シモンは苦悶の表情を浮かべると再びその目にうっすらと涙を浮かべた。手に握ったままのハンカチは既に皺だらけで見る影もない。
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