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第1章・高校一年生

ナツ恋。 ③

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 ――その後、無事に荷作りも完了し。それから四日後。

「じゃあねー、愛美! また二学期に! 夏休み、楽しんでおいでよ!」

 寮に居残る生徒以外はみんな、それぞれの行き先へと向かって校門を出ていく。
 さやかは学校の最寄り駅までは愛美と一緒だったけれど、駅からは行き先が違うのでそこで別れた。――ちなみに、珠莉は今ごろ、とっくに成田なりた空港に着いているだろう。実家所有の黒塗りリムジンが迎えに来ていたから。

「うん! ありがと! さやかちゃんもいい夏休み送ってね!」

「サンキュ! 夏の間にメールかメッセージ送るよ」

「うん、楽しみにしてる! じゃあ、バイバ~イ!」

 ――さやかは埼玉方面に向かうホームへ。愛美はここから地下鉄で新横浜まで出る。そこから東京まで出て、そして――。

東京とうきょうからは、長野新幹線か。おじさま、新幹線の切符まで送ってくれてる」

 新幹線に乗るまでの交通費はお小遣いで何とかなるけれど、新幹線の切符代はさすがに高い。高校生が自腹を切るのはかなり痛い。

(自分が行くように勧めたんだから、新幹線の切符くらいは自分で負担してあげようって思ったのかな? おじさまって律儀りちぎな人)

 愛美は切符を見つめながら、フフフッと笑った。

 ――「東京駅は乗り換えのためだけ」という、他の人が見ればもったいない経験をして、愛美は長野新幹線の車両に乗り込んだ。
 切符は指定席で、眺めのいい窓際の座席。しかもリクライニング機能付きだ。

 新幹線に乗るのはこれが二度目だけれど、今回は始発から終点までの長旅。車内販売のジュースやサンドイッチを買って昼食を済ませながら、愛美は車窓からの景色を楽しんでいた。

 熊谷くまがやを過ぎたあたりから、外の景色は徐々に田園風景に変わっていく。

(懐かしいな……。山梨にいた頃の景色によく似てる)

 まだ三ヶ月しか経っていないのに、愛美はどこか懐かしさを覚えていた。

 ――高崎たかさき軽井沢かるいざわなどの観光地を通過し、愛美は終点の長野駅で列車を降りた。

 改札を出たところで、スーツケースと段ボール箱三つを積んだキャリーを引っ張った彼女は切符と一緒に送られてきた久留島氏からのパソコン書きの手紙をもう一度読みながら、キョロキョロとあたりを見回す。

「確か、駅まで迎えの車が来てるはずなんだけど……」

 手紙には、「新幹線が長野駅に到着する頃、千藤さんが迎えに来ているはずですので」と書かれている。
 農園は駅からだいぶ遠いので、迎えに来るなら車に間違いない。

「――あ、あれかな?」

 愛美は何となくそれっぽい、白いライトバンを見つけた。自分からその車に近づいていき、運転席の窓をコンコンとノックする。

「……あの、千藤さんですか? わたし、今日から夏の間お世話になる相川愛美ですけど」

「ああ、君が! 千藤です。田中さんから話はうかがってますよ。さ、後ろに乗って! 母さん、荷物を乗せるの手伝ってくれ!」

 千藤さんが助手席に乗っている女性に声をかけた。夫婦ともに、六十代後半だと思われる。

「はいはい。ちょっと待ってね」

 千藤夫人――名前は〝多恵たえさん〟というらしい――に手伝ってもらい、愛美はスーツケースと段ボール箱三つ分の荷物をライトバンのトランクに積み込み、自分はスポーツバッグだけを抱えて後部座席に乗り込んだ。

「――さっきはありがとうございました。改めて、相川愛美です。今日から一ヶ月間よろしくお願いします」

「愛美ちゃんね? こちらこそよろしく。あなたには一ヶ月間、農園のこととか色々覚えてもらうから。お手伝いお願いね」

「はいっ! 頑張ります!」

 多恵さんの言葉に、愛美は元気よく返事をした。

 これは社交辞令なんかではなく、彼女は本当に張り切っているのだ。誰だって、初めてのことを覚える時はワクワクドキドキする。
 さすがに横浜に住んで三ヶ月半も経つので、都会での暮らしやスマホの使い方には慣れてきたけれど。農園での生活や農作業は初めての経験なので、どんなことをするのか楽しみなのである。

「いやぁ、『横浜のお嬢さま学校に通ってる女子高生を一ヶ月預かってほしい』って田中さんに頼まれた時は、どんなに気取ったお嬢さんが来るのかと思ったけど。愛美ちゃんは全然気取ってないからホッとしたよ」

「そうなんですか? わたし、全然お嬢さまなんかじゃないですもん。育ったのは山梨の養護施設ですよ」

「養護施設? ――じゃあ、ご両親は……」

 多恵さんが表情を曇らせたので、愛美は努めて明るく答えた。

「わたしが幼い頃に、事故で亡くなったって聞かされてますけど。でも、それを悲観したことなんかないですから。ちゃんと人並みに育ててもらって、義務教育を卒業できたから」

 それに、両親が亡くなる前に自分に精いっぱいの愛情を注いでくれていたことも分かっているから。

「それに、今じゃいい高校に入学させてもらえたし、いいお友達にも恵まれましたし。わたしは幸せ者です」

 それもこれも、全て〝あしながおじさん〟のおかげだ。愛美は彼に、どの瞬間も感謝の念を抱いている。

(あと、この夏、ステキな一ヶ月間を過ごせるのも……ね)

 ――愛美の期待とほんの少しの不安を乗せた白いライトバンは、ガタガタの田舎道を車体を揺らしながら走っていった。

「さ、着いたよ」

 千藤夫妻が農園をやっているのは、長野県の北部にある高原。近くには温泉もあり、少し北に行けばもう新潟県というところである。

「わあ……! ステキなお家ですね!」

 愛美は千藤家の外観に、歓声を上げた。
 そこはいわゆる〝昔ながらの農家〟という感じの日本家屋かおくではなく、洋風のつくりの二階建てで、壁の色はペパーミントグリーンだ。

「ここは元々、〈辺唐院グループ〉の持ち物で、純也っちゃんの別荘だったのよ」

「えっ、純也さんの!?」

 多恵さんの口から思いがけない名前が飛び出し、愛美は目を丸くした。

「ええ、そうだけど。愛美ちゃん、純也坊っちゃんのことご存じなの?」

「はい。五月に一度、学校を訪ねて来られたことがあって。わたしがその時、姪の珠莉ちゃんに代わって校内を案内して差し上げたんです」

 愛美は純也と知り合った経緯を多恵に話した。――ただし、実はその時から彼に恋をしている、という事実は伏せて。

「そうだったの。――私は昔、あの家で家政婦をやっててね。そのご縁で、私が家政婦を引退した時に坊っちゃんが私にこの家と土地を寄贈きぞうして下さって。それでウチの人とここで農園を始めたのよ」

(ここがまさか、純也さんの持ち物だったなんて。……あれ? じゃあ、おじさまはどうやってここのこと知ったんだろう?)

 愛美は首を傾げる。〝あしながおじさん〟――つまり田中太郎氏と純也は知り合いということだろうか? もしくは、秘書の久留島栄吉氏と。

(……あれ? ちょっと待って。確か『あしながおじさん』では――)

 あの小説では、〝あしながおじさん〟イコールジュリアの叔父ジャーヴィスだったはず。でも、まさか純也が〝あしながおじさん〟だなんて! あまりにもありきたりな展開だ。「あり得ない」と、愛美の頭の中でもう一人の愛美が言っているような気がする。

(……まあいいや。おじさまに直接手紙で確かめよう)

「――愛美ちゃん、荷物を部屋まで運ぼう。車から降ろすから、手伝っておくれ」

 考えごとをしていると、千藤さんが愛美を呼んだ。

「はいっ! わたしやりますっ!」

 愛美の荷物なのだから、千藤さんに手伝ってもらうのはいいとしても、愛美が彼を手伝うのはおかど違いだ。

「ヨイショっと。――先に荷物だけ送っといてもらってもよかったんだけどね」

「ありがとうございます。すみません。なんか、先に荷物だけ届いてもご迷惑かな、と思ったんで。……っていうか、そもそも思いつかなくて」

 本が詰め込まれた重い箱を持ち上げた千藤さんを手伝いながら、愛美は「その手があったか」と目からウロコだった。

「いやぁ、迷惑なんてとんでもない。本人が後から来るんだったら同じことだよ。……や、ありがとうね」

 多恵さんにも手伝ってもらい、三人でどうにか全ての荷物を降ろし終えると、次は二階にあるという愛美の部屋にこれらを運ぶという大仕事が。
 そこで、千藤さんは畑で何やら仕事をしている若い男性に呼びかけた。

「おーーい、天野あまの君! ちょっと来てくれ!」

「――はい、何すか?」

 呼ばれてやって来たのは、よく日に焼けた二十代前半くらいのツナギ姿の男性。彼が〝天野〟さんだろう。

「このお嬢さんが、今日から一ヶ月ウチで面倒を見ることになった相川愛美ちゃんだ。天野君には、この子の荷物を二階の部屋まで運ぶのを手伝ってやってほしいんだ」

「相川愛美です。よろしくお願いします」

 天野という青年は、愛美から見るとちょっと取っつきにくいタイプの人みたいに見えるけれど。

「よろしく。――運ぶのコレだけ? じゃ、行くべ」

 はにかんだ顔でペコリと愛美に会釈すると、段ボール箱を三つともヒョイッと抱えて階段を上っていく。
 愛美もスーツケースと折りたたんだスチール製のキャリーだけを持って、彼の後をついて行った。

「――天野さんって、いつからここで働いてらっしゃるんですか?」

「んー、もう三年になるかな。親父さんもおかみさんもいい人でさ、居心地いいんだよな。ちなみにオレ、下の名前は〝恵介けいすけってんだ」

 ちなみに、年齢は二十三歳だという。

「ここが、愛美ちゃんの部屋だ。眺めは最高だし、ここは何て言っても星空がキレイなんだ」

「へえ……。わ、ホントだ! すごくいい眺め」

 窓から見渡せる限り山・山・山。とにかく自然が多い。それに、冷房もついていないのに涼しい。
 山梨の山間部で育った愛美には、確かに居心地がよさそうな環境である。

「もうちょっと中心部まで行けば観光地で、店もいっぱいあるし。冬はスキー客でにぎわうんだけど、夏場はホタルを見に来る人くらいかな」

「ホタル? 近くで見られるんですか? ロマンチック……」

「うん。オレも夏になったら、よく彼女と見に行くんだ」

「彼女……いらっしゃるんですか?」

 愛美がギョッとしたのに気づいた天野さんは、ちょっと気まずそうにプイっと横を向いた。

「あー……、うん。ここで一緒に働いてる、平川ひらかわ佳織かおりっていうコ。――まあいいじゃん、その話は。荷物置いとくから、適当に片付けて。じゃ、オレはまだ畑での仕事残ってっから」

「あ、はい。ありがとうございました」

 ぶっきらぼうに言い置いて、愛美の部屋を出ていく天野さん。

(もしかして、照れてる……?)

 愛美は彼の態度の理由をそう推測した。見かけによらず、シャイな青年なのかもしれない。

「――さて、と。荷物片づける前に」

 愛美はスポーツバッグから、レターパッドとペンケースを取り出し、部屋の窓際にあるアンティークの机に向かった。

「あしながおじさんに、『無事に着きました』って報告しよう。あと、さっきのことも確かめないとね」

 レターパッドの表紙をめくり、そのページにペンを走らせる。

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『拝啓、あしながおじさん。

 お元気ですか? わたしは今日も元気です。
 ついさっき、長野県の千藤農園に着きました。まだ荷ほどきもしてないんですけど、ここに無事に着いたことをおじさまに知らせたくて。
 ここは自然がいっぱいの場所で、昼間の今でも冷房なしですごく涼しいです。横浜の暑さがウソみたい。同じ日本の中とは思えません。
 ここで三年働いてる天野さんのお話によると、中心部は観光地で、スキー場に近いので冬はスキー客で賑わうそうです。でも、夏場はホタルの見物客くらいしか来ないみたいです。あと、星空もキレイなんだそうです。
 すごくロマンチックでしょう? わたしもいつか、純也さんと一緒にホタルが見られたらいいな……。
 あ、そうそう。〝純也さん〟で思い出しました。わたし、おじさまにお訊きしたいことがあって。
 おじさまはどうやって、この農園のことをお知りになったんですか? もしくは、秘書さんかもしれませんけど。
 どうして知りたいかというと、こういうことなんです。
 この農園の土地と建物は元々、辺唐院グループの持ち物で、純也さんの別荘だったそうです。
 で、千藤さんの奥さまの多恵さんは昔、辺唐院家で家政婦さんとして働いていらっしゃって、家政婦さんをお辞めになる時に純也さんからこの家と土地をプレゼントされて、ご夫婦でこの農園を始められたそうなんです。
 まさか、ここに来て純也さんの名前を聞くとは思わなかったんで、わたしは本当にビックリして。「もしかして、純也さんが〝あしながおじさん〟!?」とか思っちゃったりもしたんですけど……。まさか違いますよね? だってそれじゃ、『あしながおじさん』の物語そのままですもんね?
 とにかく、自然がいっぱいのここの環境は、山で育ったわたしには居心地がよさそうです。千藤さんご夫妻が、農業のこととか色々教えて下さるそうで、わたしはそれがすごく楽しみです。
 おじさま、こんなステキな夏をわたしにプレゼントして下さって本当にありがとうございます! 感謝の気持ちを込めて。     かしこ

                  七月二十一日    愛美』

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