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第2章・高校二年生

もしかして……。 ④

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 ――九月に入り、二学期が始まった。

「なんかあっという間だったねー、今年の夏休みは」

 二学期初日の終礼が終わり、さやかが教室を出る前に大きく伸びをした。

「さやかちゃん、インターハイお疲れさま。残念だったねぇ……、せっかく頑張ってたのに」

「うん……。まあ、しょうがないよ。上には上がいたってことだもん。また来年があるし、秋にも大会あるからさ」

「そうだね」

 ――さやかは陸上競技のインターハイで、無事に予選は突破したものの、決勝では思うように記録が伸びずに六人中五位の成績に終わったのだ。

「っていうかさ愛美。ヘコんでる時に、電話で延々ノロケ話聞かされたあたしの身にもなってよねー」

「……ゴメン。嬉しくてつい」

 愛美はさやかにペロッと舌を出して見せる。

「まぁねー、初めて彼氏ができて、しかも初キスまでして。その喜びを誰かに聞いてほしいってのは分からなくもないんだけどさ」

「うん、まぁ。――あ、あとね。奨学金受けられることになったんだ、わたし」

「へぇ、そうなんだ? よかったじゃん、愛美!」

「うん! もう純也さんとおじさまには報告してあるんだ」

 ――愛美は長野を離れる前に、純也さん宛てにこんなメッセージを送っていた。

『純也さん、嬉しい報告☆
学校の事務局の人から連絡があって、わたし、奨学金を受けられることになったの!(*≧∀≦*)
その分、学校では優秀な成績をキープしなきゃいけないけど、わたしなら大丈夫!
二学期からも頑張ります♪ もちろん、小説家になる夢もね。』

 〝あしながおじさん〟にも、同じような文面の手紙を書き送った。
 彼からはまだ返事が来ていないけれど、純也さんからはすぐに返信が来た。

『よかったね、愛美ちゃん。おめでとう!
僕も嬉しい☆ 田中さんもきっと喜んでくれてるよ。
ただ、ちょっと淋しいとは思ってるかもしれないけどね(^_^;)』

(――純也さん、心の声がダダ漏れ……)

 この返信を見た時、彼が〝あしながおじさん〟の正体だと確信している愛美は苦笑いしたものだ。
 やっぱり、自分が愛美のためにできることが減ってしまうのは、彼としても淋しいらしい。
 
「――そういえば、珠莉ちゃんは夏休み、どうだったの? 治樹さんには会えた?」

 寮に帰る道すがら、愛美は珠莉に訊ねてみた。

「…………ええ。早めにグアムから帰国できたから、丸ノ内まるのうちを一人で歩いていたら、スーツ姿の治樹さんにお会いできましたの」

「スーツ姿? ああ、就活か」

 さやかは自分の兄の年齢を思い出して、納得した。治樹は大学四年生。ちょうど就活に終われている時期である。

「にしても、お兄ちゃんがスーツ姿……。想像つかないわ」

「……それはともかく! 私が話しかけたら、治樹さんも私のことを覚えていて下さって。『連絡先を交換して下さい』って言ったら、OKして下さったんですの!」

 珠莉はさやかに咳払いした後、続きを一気にまくし立てた。よっぽど嬉しかったらしい。

「へぇ、意外だったなぁ。お兄ちゃんが珠莉と付き合う気になったなんて。もう愛美のことはふっ切れたってことかな?」

「うん、そうなんじゃないかな。治樹さんもやっと前に進む気になったんだよ、きっと」

 愛美には純也さんという恋人ができた。珠莉と治樹さんにも、やっと春が訪れたということか。――あと残すはさやか一人だけだけれど……。

「――あ、ちょっと待ってて。郵便受け見てくるから」

 もしかしたら、〝あしながおじさん〟からの返事が来ているかもしれない。そう思って、愛美は自分の郵便受けを開けてみたけれど――。

「来てないか……」

 他に来る郵便物もないので、郵便受けの中は空っぽだった。

(今更反対する理由もないから、返事を下さらないのか。それとも……)

 純也としてちゃんと「返事」を送ったから、〝あしながおじさん〟の返事は必要ないと思って出さないのか……。
 愛美は後者のような気がしてならなかった。

****

「――ねえ、珠莉ちゃん。純也さんのことで、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

 愛美は部屋に戻ると、意を決して珠莉に声をかけた。
 〝訊きたいこと〟とはもちろん、純也さんのこと。彼について訊ねるなら、彼の親戚である珠莉が一番の適任者だ。

「ええ、いいけれど。何ですの?」

「あのね、春に純也さんが寮に遊びに来た時のことなんだけど……」

 あの日からずっと、珠莉と純也さんの力関係が微妙に変わったと愛美は感じていたのだ。

「わたしがインフルエンザで入院してたこと、ホントは純也さんに話してないよね? あの時は話を合わせてたみたいだけど」

 「……ええ、話していないわ。だから私もあの時、おかしいなと思ったの。でも、何か事情がおありなんだと思って、とっさに話を合わせたのよ」

「やっぱり……」

(あの時の引っかかりの原因はコレだったんだ……)

 愛美は合点がいった。あの時、彼女の様子がおかしかったのには、こういう事情があったらしい。

「それでね、私はピンときて、叔父さまを問いつめましたの。『愛美さんの保護者の〝おじさま〟って、純也叔父さまのことですわよね?』って。そしたら、叔父さまは渋々ですけれどお認めになりましたわ」

「そうだったんだ……」

 珠莉は、叔父が愛美の〝あしながおじさん〟だということを知っていたのか……。

「だから珠莉ちゃん、あれからわたしに協力的になったんだね。ありがと」

「……愛美さんも、もしかして気づいていらっしゃるんですの? おじさまの正体に」

「うん。でもね、わたしは気づいてないフリをすることにしたの。だから純也さんの方から打ち明けてくれるまで、わたしからは訊かない」

 彼は愛美をあざむいていることを心苦しいと思っているだろうから。いつか良心の呵責かしゃくで、打ち明けてくれる時がくるだろう。――彼はそういう人だから。

「そうですの。……まぁ、それがいいかもしれませんわね。お二人のためには」

「……うん、そうだね。珠莉ちゃん、ありがと」

 愛美としては、苦しんでいる純也さんをこれ以上追い詰めるようなことはしたくなかったので、珠莉からそう言ってもらえてホッとした。

「叔父さまは、本当に分かってらっしゃらないのかしら? 愛美さんに正体を見破られていること」

「多分……ね。気づかないフリができるほど器用な人じゃないもん」

 姪の珠莉よりも、恋人である愛美の方が彼の性格を熟知しているというのもおかしな話だけれど――。

「――それにしても、さやかちゃんは大変だね。二学期始まって早々、部活なんて。お昼ゴハンに間に合うように帰ってくるとは言ってたけど」

 今この場に、さやかはいない。彼女が所属する陸上部はインターハイの反省会をやっているのだそう。
 ミーティングだけなので練習があるわけではないけれど、二学期初日に集まらなければならないのは確かに大変である。

「その点、私たち文化部はいいですわよね。基本的に自由参加ですもの」

「うん」

 文芸部も茶道部も一応、今日も活動はしているのだけれど。参加しているのはごく一部の部員だけだろう。

「……そういえば珠莉ちゃん。さやかちゃんにも話したの? 純也さんが、わたしの保護者の〝あしながおじさん〟だってこと」

「ええ、早い段階でお話ししてあるわ。でも、愛美さんご自身が気づかれるまでヒミツにしていましょうね、ということになったのよ」

「そうだったんだ……」

 愛美は何だか、自分一人だけがのけ者にされたような気持ちになったけれど。それはきっと、親友二人の愛美への思いやり。彼女と純也さんの恋をそっと見守っていようという気遣いだったんだろう。

「――あ、もうすぐお昼のチャイム鳴るね。さやかちゃん、そろそろ帰ってくるかな」

 キーンコーンカーンコーン ……

「ただいま! お腹すいたぁ! 二人とも、食堂行こう」

 十二時のチャイムが鳴るのと、さやかが空腹を訴えながら部屋に飛び込んでくるのはほぼ同時だった――。

****

 それから一ヶ月。愛美たちの学校では体育祭や球技大会、文化祭などの大きな行事も終わり、二学期の中間テストを間近に控えていた。

 そんなある日のこと――。

『――恐れ入ります。こちらは明見社みょうけんしゃ文芸部の、〈イマジン〉編集部でございますが。相川愛美さんの携帯で間違いありませんでしょうか?』

 休日の午後、さやかと珠莉と三人で、部屋でテスト勉強に励んでいた愛美のスマホに一本の電話がかかってきた。

「はい、相川ですけど。……ちょっとゴメン! 外すね」

 愛美は電話に応対するために二人のルームメイトに断りを入れ、一旦自分の寝室に引っ込んだ。

「――あ、失礼しました。改めて、わたしが相川愛美です」

『この度は、〈イマジン〉の短編小説コンテストにご応募頂きましてありがとうございます。相川さんの選考結果をお伝えしたく、お電話を差し上げました』

「はい」

 そういえば、そろそろ結果が出る頃だと愛美も思っていたのだ。

『厳正なる選考の結果ですね、相川さんの応募作が佳作に選ばれまして。〈イマジン〉の来月号に掲載されることが決まりました!』

「……えっ!? それホントですか?」

『はい、本当です。おめでとうございます! 相川さん、当誌から作家デビュー決定ですよ! これからも頑張って下さいね!』

「ホントなんですね!? わたしが……作家デビュー……。あの、ご連絡ありがとうございます! わたし、頑張ります! 失礼します」

 興奮のあまり声が上ずって、心もち血圧も上がっているかもしれない。それでも何とか落ち着いて、愛美は通話を終えた。

「さやかちゃん、珠莉ちゃん! わたし――」

「聞こえてたよ、愛美。おめでとう!」

 勉強スペースに戻ってきた彼女が口を開こうとすると、さやかがみなまで言わせずに喜びの言葉をかぶせて来た。

「愛美さん、デビュー決定おめでとう。やりましたわね」

「うんっ! 二人とも、ありがと!」

 親友二人からの温かいお祝いの言葉に、愛美は胸がいっぱいになりながらお礼を言った。  

「――そうだ愛美。このこと、おじさまに報告しなくていいの? おじさまも待ってるんじゃない?」

「……うん。そうだね」

 さやかに訊ねられ、愛美は悩んだ。――この報告は、〝あしながおじさん〟と純也さんの両方にすべきなのか、それとも〝あしながおじさん〟だけにしてもいいのか?

(だって、結局は同じ人に報告してることになるんだもん)

 両方に報告することは、愛美にしてみれば二度手間でしかない。けれど、どちらか一方だけに知らせれば、彼は「もしかして、自分の正体がバレているんじゃないか」と感づくかもしれない。

(どうしようかな……)

「愛美さん。純也叔父さまには私からお知らせしておきますわ。だから、あなたはおじさまにだけお知らせしたらどうかしら?」

 悩む愛美に、珠莉が助け船を出してくれた。

「姪の私が知らせても、純也叔父さまは不思議に思われないわ。お二人とも回りくどいのが嫌いなのは分かっておりますけど、そうした方がいいと思うの」

 そうすれば、純也さんからはきっと後からお祝いのメッセージが来るだろう。……珠莉はそう言うのだ。

「そうだね。珠莉ちゃん、ありがと。じゃあそうしようかな」

「あたしもそれでいいと思うよ。まどろっこしいけど、仕方ないよね」

「うん」

 やっぱり、さやかも珠莉が言った通り、〝あしながおじさん〟の正体を知っているらしい。

「じゃあわたし、勉強が終わったらおじさまに手紙書くね」

「うん! そうと決まれば、早く勉強終わらせよ!」

 この嬉しいニュースのおかげで、この後三人の勉強がはかどったのは言うまでもない。

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『拝啓、あしながおじさん。

 おじさま、ビッグニュースです! わたし、作家デビューが決まりました!
 今日の午後、さやかちゃんと珠莉ちゃんと三人でテスト勉強をしてた時に、出版社の人から連絡が来たんです。わたしが応募した作品が、文芸誌の短編小説コンテストで佳作に選ばれた、って。その作品は、その文芸誌の来月号に掲載されるそうです!
 この小説は、夏休みにわたしが書いた四作の中から純也さんが選んでくれた一作です。彼には本当に、感謝しかありません!
 わたしとおじさま、そして純也さんの夢が早くも叶いました。しばらくは雑誌に短編が載るくらいですけど、いつかは単行本も出してもらえるように、わたし頑張ります! その時には、ぜひ買って下さいね。
 短いですけど、今回はこのお知らせだけで失礼します。テストの結果、楽しみにしてて下さい。奨学生になったんですから、絶対に優秀な成績を取ってみせますよ!

             十月十八日    作家デビュー決定の愛美』

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「――よし、こんなモンでいいかな。純也さんには、珠莉ちゃんが知らせてくれるって言ってたし」

 これまで純也さんのことをさんざん書いてきたのに、いきなりそれをやめてしまったら、〝あしながおじさん〟も首を捻るだろう。そして、勘繰るに違いない。「もしや、自分の正体がバレてしまったのでは?」と。
 だから、これでいい。――愛美は一人頷いた。
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