魔物の森のハイジ

カイエ

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#3

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「ああっ! リンちゃんだぁ!」
「ニコ! ペトラ!」

 ペトラの店に顔を出すとまだ支度中だった。
 ペトラは仕込み中で、ニコはそれを眺めながらお菓子をつまんでいる。
 あたしに気づいたニコは、パァッと顔を輝かせて勢いよく立ち上がり、ドカーンと体当たりしてきた。
 ガシッと受け止め、そのままギュッと抱き合う。

「リンちゃんっ!」
「久しぶり、ニコ」
「本当だよぅ、リンちゃんがいないから、忙しくて死ぬかと思ったじゃん! 部屋は寂しいし! あと来るのが遅いよー!」
「ごめんねニコ、秋まではずっと一緒だから」
「本当?」
「うん」

 あたしの胸に額をグリグリするニコを撫でていると、ペトラも厨房からでてきた。

「来たね、リン」
「またお世話になります、ペトラ」

 ぺこりと頭を下げる。
 ペトラはそんなあたしの顔をじっと見つめて、ニヤリと笑った。

「いい面構えになったね。随分鍛えられたかい?」
「はい、随分鍛えてもらいました」
「そうかい。少しは強くなったかい?」
「ええ、多少は」
「良い返事だ!」

 ペトラは大きな体を揺さぶって、嬉しそうに笑った。
 そして、何かを思い出したように言った。

「なら、あの話は耳に入れておいたほうがいいね」
「あの話?」
「ああ。リン、せっかく顔を出してくれたところで悪いが、あんた、これからギルドに顔を出しな」
「ギルドに?」

 ギルドがあたしに何の用があるのだろうか。

「受付で『ペトラに言われてトゥーリッキに会いに来た』と言えばいい。話は通ってる」

 何やら、知らない間に、何やら話が進行しているらしい。
 ペトラの言うことならば、うだうだと迷う必要はない。

「トゥーリッキさんですね。わかりました」
「良い返事だ。まぁ、悪い話じゃないから安心しな」
「そうですか。すぐに行ったほうが?」
「そうだねぇ、まぁ、急ぎではないが、早いに越したことはないだろうね」
「じゃ、今から行ってきます」

 そう言うと、抱きついたままだったニコが顔を上げて唇を尖らせた。

「えーっ! 来たばっかりじゃん! もうちょっとここに居てよーっ!」
「ニコ、今晩から仕事に入るから、ずっと一緒だよ?」
「でも、リンちゃんが居なくて寂しかったのーっ!」

 ますます強く抱きついて、頭をグリグリしまくるニコ。
 ちょっと胸が痛い。
 陸上向きの体型故に、胸骨とグリグリの間にクッションがないのである。

 ペトラは「えらく懐かれてるね」と呆れたように笑って、助け舟を出してくれた。

「じゃあニコ、リンと一緒にギルドに行っといで」
「えっ、いいの?」
「ああ、リンが気になるんだろ? あと、帰りに蜂蜜を買ってきな」
「蜂蜜!」
「今日はリンの復帰祝いだ。夜にパンケーキを焼いてやろう」
「「やった!」」

 あたしとニコは飛び上がって喜ぶ。
 なにせ、ペトラのパンケーキは美味しいのだ。
 それに、今のあたしは甘味に飢えているのだ。
 森の食事はそれなりに充実していたが、いかんせん甘味が無いのだ。

 肉の上のジャムは美味しいが、あれはデザートとは呼ばない。
 絶対にだ。


 * * *


 ニコと連れ立ってギルドに向かうと、道行くおじさんたちがニコに手をふって挨拶してくる。
 さすがはペトラの店の人気看板娘である。
 中には、あたしのことを覚えている人もいて、ペトラのところに居たのは本当に短い期間だったのに、ありがたい話だと思った。

「おぅ、ニコ! 今日も飲みに行くからよろしく頼まぁ!」
「はあい! でもアントンさん、今日は飲みすぎないでね」
「おっ! おめぇ、確かリンっつったか? ペトラんとこの看板娘だろ? 戻ってきたのか?」
「ええ、秋くらいまでは厄介になるつもりです」
「あら、看板娘二人でデートかい?」
「やだもう、おばさんたら、そんなんじゃないですぅー」

 からかわれたニコがくねくねと照れている。
 ああ、この街は温かいな、なんて感慨深くなる思う間もなく、すぐにギルドが見えてくる。
 扉をくぐると、受付へ。

「えーっと……トゥーリッキさん、だったね」
「ギルドの人が、リンちゃんに何の用だろ?」
「さぁ、なんだろうね」
「リンちゃん、何か叱られることした?」
「してないよ、失礼な」

 だいたい冬の間、こちらに来ることはほとんどなかったのだ。
 ギルドも久しぶりだ。ギルドに用があるのは、基本的にハイジだけだからだ。
 あたしはギルドに登録していないので、ギルドに来ても併設の酒場でおじさんたちと喋ったりしながら時間を潰すくらいしかできない。
 それも悪くはないが、冬の間、あたしは自分を鍛えることを優先していたため、森で自主練する方を選んでいたのだ。

 キョロキョロしていたら、受付のミッラがあたしに気づく。

「あら? リンちゃんじゃない?」
「ミッラ、 しばらくぶり」
「ええ、しばらくぶり。リンちゃんが受付に来るなんて珍しいのね。何か依頼でも?」
「ううん、えーと、トゥーリッキさんという方はおられますか?」

 ペトラからご用があると聞いて来たんですけど、と言うと、ミッラは目を見開いた。

「トゥーリッキさんにご用、ですか?」
「はい。おられないんですか?」

 あたしはギルドをキョロキョロ見回すが、ミッラは肩をすくめた。

「いるけど、探したって受付には居ないわよ。副ギルド長なんだから」
「副ギルド長?」
「ちょっと待っててね。リンちゃんが来てるって伝えてくるわ」

 ミッラは受付に「停止中」の札を下げて、奥へ向かう。
 ニコがもじもじしながらあたしを上目遣いで見る。

「ねぇ、リンちゃん、本当に悪いことしてない? ギルド長ってことは偉い人なんでしょ?」

 どうやら悪い想像をしているようだ。
 あと、ギルド長じゃなく『副』ギルド長である。

「叱られるようなことをしたんだったら、ニコも一緒に謝ってあげるからね」
「ありがとう。ニコはどうしてもあたしを犯罪者にしたいみたいだけど、残念ながら思い当たることはないよ」
「そんなんじゃないけど!」

 ニコが慌ててパタパタと手を動かす。
 よし、可愛いぞ。
 うりうりと頭を撫でていると、受付の奥からミッラに呼ばれた。

「トゥーリッキさんがお呼びなので、二階へどうぞ」

 ニコの中で、あたしがどういう扱いなのか気になるところではあったが、それはとりあえず後回しだ。
 恐る恐るギルドの職員スペースにお邪魔するが、普段は入れない場所は、少し緊張する。
 受付の奥へ向かうと、ギルドの喧騒が届かなくなり、随分静かに感じた。
 階段を登る。
 踊り場にある窓からなんとなく外を見下ろすと、ギルド裏の訓練場にハイジがいた。
 いつものように、ヤーコブ少年を含む数人の子供をコロコロと転がしている。
 子どもたちはワーキャーと叫んでいるが、随分と丁寧な転がし具合に、あーハイジってば気を使ってるなーなどと思う。
 あたしなど、いつも死んでもおかしくない勢いでぶん投げられているというのに。
 子供には甘い男である。

(呼ばれたのは多分、ハイジ関係なんだろうな)

 副ギルド長たるトゥーリッキ氏とやらがどのようなご用なのかはわからない。
 ペトラの紹介だ、まさか悪い相手ではないだろうとは思うが、一応は警戒。
 薄く魔力を広げると、あたしを取り巻く世界が急に輝き出す。
 もはや、魔力を通して見るために目を閉じる必要はない。
 腕に巻き付いて離れようとしないニコを見てみれば、元気よくキラキラと光っていて、ニコの天真爛漫さが演技でないことを示してた。

(こんな風に思ってくれるのってありがたいな)
(ハイジと違って、愛情表現がストレートでわかりやすいところが特にいい)

 ハイジは、魔力を通して見れば天使だが、肉眼で見れば鬼なのだ。

(不動明王みたいなもんか)

 こんな時だが、ちょうどピッタリの表現を思いついて、クスリと笑う。
 ニコが「どうしたの?」と、不思議そうにあたしの顔を見た。

 指定された部屋に到着すると、ミッラの言う通り、金色のプレートには「副長室」とあった。
 ドアをノックすると「どうぞ」と声がする。
 恐る恐るドアを開ければ、奥の机に、神経質そうな顔をした眼鏡の女性がいた。

(副ギルド長というから、何となく男性だと思っていたのだけれど)

 あたしはなんとなく、映画『メリーポピンズ』を思い出した。
 あの魔法使いのベビーシッターにメガネをかけたらちょうどこんな感じになるはずだ。

「ようこそ。奥へどうぞ」
「ありがとうございます。……あの、あなたがトゥーリッキさんですか」
「はい、わたくしがトゥーリッキです。そして黒髪のあなたはリンさんですね。……そちらの方は?」
「ハイッ! あたしっ! ニコって言います!」

 ニコがガチガチに固まっている。
 怖いならついてこなくていいのに。

「緊張する必要はありません。どうぞ好きなところに座って寛いで下さい。今お茶を用意しますから」
「あっ、お構いなく」
「私が飲みたいのです」

 トゥーリッキはそう言って続き部屋に引っ込む。
 ちょっとクールだが、悪い人ではなさそうだ。

 副長室はなかなか整理された空間だった。
 見回して観察するが、武器の類はなく、かわりに大量の本や何かの資料。
 何となく、母校の校長室を思い出した。
 競技会で記録を残したりすると、校長先生(女性)が校長室に招待してくれたのだが、それがちょうどこんな感じの部屋だった。校長先生はしきりにあたし達を褒めて、時にはお茶とケーキでもてなしてくれたが、あまり居心地はよくなかったのを覚えている。
 思えばちょっと申し訳なかったような気もする。

「ねぇ、リンちゃん」
「何?」
「なんか、怖いところだね」
「そう?」
「うん、なんか、勉強しろって言われそうで……」

 いつもどおりのニコのおバカさ加減に、思わずクスリと笑いが漏れる。

「笑い事じゃないよぅ、ギルド長もなんか怖そうな人だし」
「『副』ギルド長ね。大丈夫、悪い人じゃ無さそう」
「なんで分かるのよぅ」

 魔力を通して見ればわかる、なんて答えられないので、適当に「ペトラの紹介なんだから」と言ってごまかす。

 何しろ、魔力を通すと、敵意や悪意は、それ以外の感情よりもずっと目立つのだ。
 たとえば寂しの森の魔獣たちは、常に悪意まみれで、人間を見たらそこに敵意が上乗せされて、とても醜悪なのだ。
 人間でも同じで、ニコやペトラのような純粋な人は多くない。
 トゥーリッキはとても静かで、どちらかと言うとハイジ寄りの人のように見受けられる。
 副ギルド長なんて仕事をしていれば、清濁併せ呑む必要もあるだろうに。

「お待たせ」

 トゥーリッキがそう言ってお茶を持って部屋へ戻る。
 漂ってくるのは、驚いたことに、いつも飲んでいるハーブティなどではなく、紅茶の香りだった。

「……紅茶だ」
「よくお分かりで。ああ、リンさんは『はぐれ』ですから、紅茶のこともよくご存知ですね」
「はい、まぁ」
「お口にあうかはわかりませんが、遠慮なくおあがりなさい」
「ありがとうございます」

 早速口に運ぶと、懐かしい元の世界の香りがした。
 うん、美味しい。

「……それで、あたしになにかご用でしょうか」

 用を切り出すと、トゥーリッキは「はい」と頷いて、

「今、ギルド裏の訓練場にハイジ君がいることはご存知ですか?」
「知ってます」
「あれは彼が勝手に行っている事なのですが、ギルドとしては、大変ありがたく思っております」
「……」

(意外ね。迷惑をかけているとばかり思ってたけど)

 それにハイジ「君」という、彼に似つかわしくない可愛らしい敬称が、ちょっと面白かった。

「てっきりご迷惑なのだとばかり」
「なぜです? 戦える人が増えれば、それだけ怪我人や死人が減るのです。ギルドの立場からすれば、願ったり叶ったりでしょう」
「なるほど」
「リンさんは、彼がいつまでこちらにいるかご存知ですか?」
「さあ……街に入ってからすぐに別れたっきりで……特にそういった話は聞いてないです」

 あたしの言葉は意外だったらしい。トゥーリッキは驚いたように

「あなた達は、もしかしすると仲が悪いのですか?」

 などと、トンチンカンなことを訊いてきた。

「いえ、特別仲良しかどうかはわかりませんが……少なくとも悪くはないですね」
「聞けば、これから数ヶ月離れ離れになるのですよね? それなのに?」
「知らなくても困らないことは、いちいち報告し合ったりはしないですね」
「普通は、日常会話として『いつまでここにいるの』くらいは聞くものでは?」
「彼、極度のコミュニケーション嫌いなので」
「ああ、なるほど」

 そういう事ですか、と納得顔をするトゥーリッキ。

「それでは本題に入りましょう。リンさんは、ヤーコブ君を知っていますか?」
「ハイジがしごいてる、元置き引きの浮浪少年ですね」
「その子です。そのヤーコブ君が最近メキメキと頭角を現しておりまして」
「へぇ……!」

 ヤーコブ少年はちゃんと成長してるらしい。
 ハイジの鬼のしごきも、無駄ではないということか。

「おかげで、先日無事、冒険者登録を果たしました。ただハイジ君は月に1~2回しか街へ来ないと言うのです」
「まぁ、そうですね」
「戦い方を教えられる人材は貴重です。他にも戦い方を教わりたい者はいくらも居るのですが、なかなか対応できていないのが現状です」
「はぁ」
「それに、大人相手ならともかく、子供相手となると、誤って大怪我をさせないだけの実力が必要です」
「そうですね。一つ間違えたら死んじゃいますし」
「ヤーコブ君は、親の居ない子どもたちの希望なのです。似た境遇の子どもたちがまだまだいるのです。ギルド––––いえ、エイヒムとしては、何とかならないものかと考えている次第です」
「そうなんですか」

(へぇ、ヤーコブ君だけじゃないんだ)
(ハイジってば、意外に子供に人気者? って似合わないにも程があるわ)

 あたしは紅茶をすすりながら、他人事みたいに事情とやらを聞き流していたが、ここでトゥーリッキから爆弾発言が飛び出した。

「そこでですね。リンさん、ハイジ君が居ない間は、あなたが替わりを務めてくれませんか? 報酬も少しはお出しできますよ」
「あたしがですか?」

 ……これは驚いた。
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