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#3
幕間 : Heidi 2
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フツーカ・ヘルマンニ・マイヨールは孤児である。
彼の育ったハーゲンベック領の城下町エイヒムは地獄だった。
両親は彼がまだ小さい時分に、兵士に楯突いた罪で殺された。教会孤児院に引き取られてかろうじて生きていたが、教会は貧しく、飢えてがりがりになった。食うに困るだけでなく、政治が荒れていたせいで治安も酷く、生命が脅かされることも珍しくなかった。
十歳を迎えた頃、ヘルマンニは生き残りをかけてマッキセリまで避難しようとエイヒムを抜け出たところで奴隷狩りに遭い、奴隷落ちした。
ヘルマンニは奴隷商に、がりがりに痩せた貧弱な自分なんかを奴隷にして何の役に立つのかと訪ねたが、ハーゲンベックと親交の深いとある領主が、明るい金髪の少年を欲しがっているという。当時はその意味がわからなかったが、愛玩奴隷として売り払われる予定だった。
放り込まれた牢には自分を含め二十人ほどの子供がいて、全員が絶望していた。皆、奈落みたいな目をしていて、反抗する気力もないようだった。見れば、体に鞭で打たれたような痣のある者も多い。聞けば最後まで反抗していた少年が、皆の目の前でひどく残酷な殺され方をして、それからは誰もが口と噤むようになったのだという。
ヘルマンニが、回りの奴隷たちと同じ奈落の底まで落ちて行くのに、時間はいらなかった。
捉えられて半年後、ヘルマンニはハーゲンベックから他領へと「出荷」された。
売り物として見栄えを良くするため、やたらと甘いものを食べさせられて肉付きよくされている。ついでに最低限の読み書きと言葉遣い、さらには何故かメイドの真似事まで仕込まれ、ヘルマンニはガリガリの飢餓児童から、今や立派な男娼に仕立て上げられている。
そんなことのために貴重な食料を与えられ続けた自分を嫌悪しつつも馬車廊に揺られていると、突然馬車が盗賊に襲われた。
盗賊は全く容赦がなく、ハーゲンベックの奴隷商人たちを護衛まで含めてあっという間に皆殺しにした。十名以上いたハーゲンベック側は瞬く間に一人残らず殺されたのに対し、たった三名しかいなかった盗賊側には被害が全くなかった。その力はまさに圧倒的だった。
ヘルマンニにしてみれば、自分を売り飛ばす悪魔がハーゲンベックから盗賊に変わっただけだ。だから、牢の鉄格子を切り刻んだ男が「ニッ」と笑いかけてきて、「辛かったな。もう大丈夫だ、お前は自由になった」などと話しかけてきても、何の感慨も沸いてこなかった。
すると、その男はいきなり自分をぶん殴った。
「助けられたら、せめて礼の一言くらい言え!」と襟首を掴まれて怒鳴られた。
その痛みのおかげで、ヘルマンニは自分が救われたということをやっと理解できたのだ。
▽
今日の戦いは、憎きハーゲンベックが相手である。
ヘルマンニは何としても、ハーゲンベックを討ち取りたいと考えている。
ハイジと名乗った少年は、ヘルマンニの言葉が聞こえているのかいないのか、相変わらずじっとハーゲンベックを睨んでいる。しかし、パンと砂糖を含んだ口は忙しく動いており、今から死ににいく人間には見えなくなった。
ヘルマンニは満足して立ち上がり、尻をパンパンと叩いた。
「ハイジ。簡単に死ぬな。生きてりゃハーゲンベックを倒せる機会だってきっと巡ってくる」
「……」
解ったのか解ってないのか……ハイジは軽く頷くだけだ。
とりあえず、自分のできることはした。あとは自分が生き残るだけだ。
ヘルマンニはハイジに別れを告げて、顔見知りの兵士たちの下へ顔を出しに行くことにした。
「……」
ハイジはハーゲンベックを睨んでいる。
ヘルマンニという妙に馴れ馴れしい少年に声をかけられて面食らったが––––何しろ、ハイジには歳の近い友人がいなかったため、同世代の人間との会話すら初めてのことだったのだ––––自分のするべきことは変わらない。
(ハーゲンベックの人間を一人でも多く殺す)
ハイジは口の中の甘みに気づく。黒砂糖の欠片がまだ口に残っていたらしい。
ふと、思い出したくないことを思い出しそうになり、ハイジは首を強く左右に振って、余計なものを頭から全て追い出そうと試みる。
『ハイジ、簡単に死ぬなよ』
『生きてりゃ、ハーゲンベックを倒せる機会だって––––』
その時、法螺貝の音が鳴り響き、ハイジはハッと顔を上げた。
太鼓が打ち鳴らされる。
見れば、大人の兵士たちが何やら怒鳴っている。
––––開戦だ。
ハイジは弾けるように立ち上がり、剣を抜いて駆け出した。
殺す!
ハーゲンベックの人間はひとり残らず殺す!
進む先ではすでに剣戟が繰り広げられている。
立派な鎧を着た男たちが鍔迫り合いをしているが、それがハイジにはひどく滑稽に見えた。
大人たちは、敵を打倒することを目的としているだけで、本気で相手を殺したいとは思っていないようだ。
自分と違って。
殺さなければならないから嫌々殺すのと、殺したくてたまらないから殺すのでは意味が違う。ハイジには、強者同志の激しい戦いが、まるでままごとのように見えている。
ハイジは、あの時の憎い男たちがすでに死んでいることを思い出し––––肺に溶岩でも流し込まれたような、やり場のない怒りをハーゲンベックの兵たちに向けた。
いっそ、彼奴等がまだ生きていて、この戦に参戦してくれていたなら、自分の手で殺すことができたのに。
ハイジは恋のように一途に、殺したい男たちの影を追った。ハーゲンベックに与する者たちは全て敵だ。打倒しなければならない。殺さねばならない。
技術も何もあったものではない。勢いだけだ。相対する敵が下っ端だったなら、むしろ嬉々としてハイジを狙っただろう。
しかし、ハイジが目をつけた敵は、傭兵として長く生きてきたベテランだった。故に、自分に迫る少年を見て逆に戸惑ったようだ。いつも強い敵ばかり相手にしていれば、ハイジのような子供を殺すような機会はそうそうないからだ。
男はどこか人格者めいた髭面を驚きで歪め、しかし強者である自分がこんな少年にやられることなど全く想定していない。少年兵は弱く、そして度胸が足りない。大人に技術を叩き込まれた生粋の傭兵ならばともかく、技術のない子供は人間に刃物を突き立てることなどできはしない。それほどまでに人を殺すということは強いストレスになるのだ。
故に、子供は殺さず、ただ軽く傷つけて逃げ帰らせれば良い。それが強者としての矜持だ。命まで刈り取らずくとも、戦意さえ挫いてやれば事は済む––––そんな「舐めた」ことを考えていた敵兵は、驚愕することになる。
少年は足を緩めることなく真っ直ぐに懐に飛び込んでくると、一切の躊躇もなくレイピアをまっすぐ自分の腹に刺し込んだ。
「……ゴブっ……!!」
口から血が溢れ出る。
少年の力が弱かったのだろう、剣は貫通していないが、内蔵をいくつかやられた。
まだ体は動く。この少年兵をこのまま逃がすわけには行かない。間合いが近いので大剣では攻撃できぬ。ならば、短剣で––––とそこまで考えた男は、またも驚愕することになった。
少年は確実に短剣を目視し、しかしそれを無視した。
殺される事を一切考慮しないまま、少年はもう一度レイピアを自分の胸に突き入れた。
剣が背中を突き破るのがわかった。
意識が遠のく中、兵は自分を殺した少年の姿を目に焼き付ける。
しかし、返り血で真っ赤になった少年は、すでに自分のことを見ていなかった。
すでに次の獲物を探していた。
(末……恐ろしい……子供……だ)
その思いを最後に、兵は意識を手放した。
そしてそのまま意識が戻ることはなかった。
ハイジがまんまと殺害せしめたのは、ハーゲンベック側に参戦した傭兵の中でもそれなりに名が知れた強者である。その強者が、何の技術もない少年の凶刃に敗れるところを、ハーゲンベックの兵たちはほとんど気づいていなかったが、死んだ兵の友人だった一人の傭兵がそれを目撃していた。
「うぉおぉおおおおお!!!」
激高した男がハイジに迫る。しかしハイジはそれに気づかない。本当に完全な素人なのだ。たった今の戦いも、敵の油断と偶然に偶然が積み重なって、偶々上手く行っただけで、本来なら死んでいるのはハイジの方だった。今ハイジに迫っている男は一切の油断をしていない。仲の良かった友人を殺されたことで頭に血が上ってはいたが、確実にハイジを殺すために剣を握る手に力を込めた。
しかし、その剣がハイジに届くことはなかった。
「ゼァッ!!!!」
そんな掛け声と共に、一人の男––––マッキセリ側の一人の兵が、その男に剣を振るった。
ガヂン! と鋭い音と共にぶつかり合う男たち。
鍔迫は互角。どちらも前線で戦う、歴戦の傭兵なのだ。しかし鍔迫は長く続かなかった。
「……ガ……ッ!!」
鍔迫で動けぬ男の首を、ハイジのレイピアが襲った。
頸動脈を切断された男は瞬時に意識を失い、噴水のように血を撒き散らしながら倒れる。しかしハイジは止まらない。倒れて痙攣を起こす男に、何度もレイピアを突き刺す。
相対していたマッキセリの兵の顔は驚愕に染まっている。
(何だ、この子は……!)
しかし、ここは最前線なのだ。悠長なことをしていられる状況ではない。
男は「やめろ! もう死んでる!」と怒鳴り、ハイジの襟首を掴んだ。
「おぉぉおおおおおッ!!!!」
ハイジは雄叫びを上げてそれを振り払い、男に剣を向けようとし––––敵でないことを知るとピタリと止まった。
「……何故止めるの?」
「死者を冒涜するような真似はよせ! 来い!」
男はハイジの襟首を掴むと、自陣に向かって走り始める。猛烈なスピードにハイジは着いてこれず何度も転びそうになるが、男はお構いなしだ。あっという間に自陣に到着すると、兵站病院に放り込む。
「離せ! 僕はまだ戦える!」
男は暴れるハイジを押さえつけて、近くに居た衛生兵を呼んだ。
「おい! こいつを休ませておけ!」
「ハッ! ラハテラ軍曹どの!」
衛生兵はラハテラに言われるがままにハイジを押さえつける。
「そいつを前に出すな!」
「……どうされたのでありますか?」
「そいつは星2(殺害数)だ。死なせるのは惜しい」
「こんな子供が?! 嘘でしょう!?」
「嘘じゃない。俺の目の前でやりやがった。いいか、絶対に逃がすな。殺ったのは『影踏みのヘタグロフ』と『水蛇のガミドヴァ』だぞ」
「まさか! どちらも有名な二つ名持ちじゃないですか!」
「こいつは軍が預かる。絶対に逃がすなよ!」
ラハテラが怒鳴って出ていくと、ハイジはいつまでも戦うと言って暴れ続けた。
困り果てた衛生兵が麻酔薬を吸わせるまでそれは続いた。
彼の育ったハーゲンベック領の城下町エイヒムは地獄だった。
両親は彼がまだ小さい時分に、兵士に楯突いた罪で殺された。教会孤児院に引き取られてかろうじて生きていたが、教会は貧しく、飢えてがりがりになった。食うに困るだけでなく、政治が荒れていたせいで治安も酷く、生命が脅かされることも珍しくなかった。
十歳を迎えた頃、ヘルマンニは生き残りをかけてマッキセリまで避難しようとエイヒムを抜け出たところで奴隷狩りに遭い、奴隷落ちした。
ヘルマンニは奴隷商に、がりがりに痩せた貧弱な自分なんかを奴隷にして何の役に立つのかと訪ねたが、ハーゲンベックと親交の深いとある領主が、明るい金髪の少年を欲しがっているという。当時はその意味がわからなかったが、愛玩奴隷として売り払われる予定だった。
放り込まれた牢には自分を含め二十人ほどの子供がいて、全員が絶望していた。皆、奈落みたいな目をしていて、反抗する気力もないようだった。見れば、体に鞭で打たれたような痣のある者も多い。聞けば最後まで反抗していた少年が、皆の目の前でひどく残酷な殺され方をして、それからは誰もが口と噤むようになったのだという。
ヘルマンニが、回りの奴隷たちと同じ奈落の底まで落ちて行くのに、時間はいらなかった。
捉えられて半年後、ヘルマンニはハーゲンベックから他領へと「出荷」された。
売り物として見栄えを良くするため、やたらと甘いものを食べさせられて肉付きよくされている。ついでに最低限の読み書きと言葉遣い、さらには何故かメイドの真似事まで仕込まれ、ヘルマンニはガリガリの飢餓児童から、今や立派な男娼に仕立て上げられている。
そんなことのために貴重な食料を与えられ続けた自分を嫌悪しつつも馬車廊に揺られていると、突然馬車が盗賊に襲われた。
盗賊は全く容赦がなく、ハーゲンベックの奴隷商人たちを護衛まで含めてあっという間に皆殺しにした。十名以上いたハーゲンベック側は瞬く間に一人残らず殺されたのに対し、たった三名しかいなかった盗賊側には被害が全くなかった。その力はまさに圧倒的だった。
ヘルマンニにしてみれば、自分を売り飛ばす悪魔がハーゲンベックから盗賊に変わっただけだ。だから、牢の鉄格子を切り刻んだ男が「ニッ」と笑いかけてきて、「辛かったな。もう大丈夫だ、お前は自由になった」などと話しかけてきても、何の感慨も沸いてこなかった。
すると、その男はいきなり自分をぶん殴った。
「助けられたら、せめて礼の一言くらい言え!」と襟首を掴まれて怒鳴られた。
その痛みのおかげで、ヘルマンニは自分が救われたということをやっと理解できたのだ。
▽
今日の戦いは、憎きハーゲンベックが相手である。
ヘルマンニは何としても、ハーゲンベックを討ち取りたいと考えている。
ハイジと名乗った少年は、ヘルマンニの言葉が聞こえているのかいないのか、相変わらずじっとハーゲンベックを睨んでいる。しかし、パンと砂糖を含んだ口は忙しく動いており、今から死ににいく人間には見えなくなった。
ヘルマンニは満足して立ち上がり、尻をパンパンと叩いた。
「ハイジ。簡単に死ぬな。生きてりゃハーゲンベックを倒せる機会だってきっと巡ってくる」
「……」
解ったのか解ってないのか……ハイジは軽く頷くだけだ。
とりあえず、自分のできることはした。あとは自分が生き残るだけだ。
ヘルマンニはハイジに別れを告げて、顔見知りの兵士たちの下へ顔を出しに行くことにした。
「……」
ハイジはハーゲンベックを睨んでいる。
ヘルマンニという妙に馴れ馴れしい少年に声をかけられて面食らったが––––何しろ、ハイジには歳の近い友人がいなかったため、同世代の人間との会話すら初めてのことだったのだ––––自分のするべきことは変わらない。
(ハーゲンベックの人間を一人でも多く殺す)
ハイジは口の中の甘みに気づく。黒砂糖の欠片がまだ口に残っていたらしい。
ふと、思い出したくないことを思い出しそうになり、ハイジは首を強く左右に振って、余計なものを頭から全て追い出そうと試みる。
『ハイジ、簡単に死ぬなよ』
『生きてりゃ、ハーゲンベックを倒せる機会だって––––』
その時、法螺貝の音が鳴り響き、ハイジはハッと顔を上げた。
太鼓が打ち鳴らされる。
見れば、大人の兵士たちが何やら怒鳴っている。
––––開戦だ。
ハイジは弾けるように立ち上がり、剣を抜いて駆け出した。
殺す!
ハーゲンベックの人間はひとり残らず殺す!
進む先ではすでに剣戟が繰り広げられている。
立派な鎧を着た男たちが鍔迫り合いをしているが、それがハイジにはひどく滑稽に見えた。
大人たちは、敵を打倒することを目的としているだけで、本気で相手を殺したいとは思っていないようだ。
自分と違って。
殺さなければならないから嫌々殺すのと、殺したくてたまらないから殺すのでは意味が違う。ハイジには、強者同志の激しい戦いが、まるでままごとのように見えている。
ハイジは、あの時の憎い男たちがすでに死んでいることを思い出し––––肺に溶岩でも流し込まれたような、やり場のない怒りをハーゲンベックの兵たちに向けた。
いっそ、彼奴等がまだ生きていて、この戦に参戦してくれていたなら、自分の手で殺すことができたのに。
ハイジは恋のように一途に、殺したい男たちの影を追った。ハーゲンベックに与する者たちは全て敵だ。打倒しなければならない。殺さねばならない。
技術も何もあったものではない。勢いだけだ。相対する敵が下っ端だったなら、むしろ嬉々としてハイジを狙っただろう。
しかし、ハイジが目をつけた敵は、傭兵として長く生きてきたベテランだった。故に、自分に迫る少年を見て逆に戸惑ったようだ。いつも強い敵ばかり相手にしていれば、ハイジのような子供を殺すような機会はそうそうないからだ。
男はどこか人格者めいた髭面を驚きで歪め、しかし強者である自分がこんな少年にやられることなど全く想定していない。少年兵は弱く、そして度胸が足りない。大人に技術を叩き込まれた生粋の傭兵ならばともかく、技術のない子供は人間に刃物を突き立てることなどできはしない。それほどまでに人を殺すということは強いストレスになるのだ。
故に、子供は殺さず、ただ軽く傷つけて逃げ帰らせれば良い。それが強者としての矜持だ。命まで刈り取らずくとも、戦意さえ挫いてやれば事は済む––––そんな「舐めた」ことを考えていた敵兵は、驚愕することになる。
少年は足を緩めることなく真っ直ぐに懐に飛び込んでくると、一切の躊躇もなくレイピアをまっすぐ自分の腹に刺し込んだ。
「……ゴブっ……!!」
口から血が溢れ出る。
少年の力が弱かったのだろう、剣は貫通していないが、内蔵をいくつかやられた。
まだ体は動く。この少年兵をこのまま逃がすわけには行かない。間合いが近いので大剣では攻撃できぬ。ならば、短剣で––––とそこまで考えた男は、またも驚愕することになった。
少年は確実に短剣を目視し、しかしそれを無視した。
殺される事を一切考慮しないまま、少年はもう一度レイピアを自分の胸に突き入れた。
剣が背中を突き破るのがわかった。
意識が遠のく中、兵は自分を殺した少年の姿を目に焼き付ける。
しかし、返り血で真っ赤になった少年は、すでに自分のことを見ていなかった。
すでに次の獲物を探していた。
(末……恐ろしい……子供……だ)
その思いを最後に、兵は意識を手放した。
そしてそのまま意識が戻ることはなかった。
ハイジがまんまと殺害せしめたのは、ハーゲンベック側に参戦した傭兵の中でもそれなりに名が知れた強者である。その強者が、何の技術もない少年の凶刃に敗れるところを、ハーゲンベックの兵たちはほとんど気づいていなかったが、死んだ兵の友人だった一人の傭兵がそれを目撃していた。
「うぉおぉおおおおお!!!」
激高した男がハイジに迫る。しかしハイジはそれに気づかない。本当に完全な素人なのだ。たった今の戦いも、敵の油断と偶然に偶然が積み重なって、偶々上手く行っただけで、本来なら死んでいるのはハイジの方だった。今ハイジに迫っている男は一切の油断をしていない。仲の良かった友人を殺されたことで頭に血が上ってはいたが、確実にハイジを殺すために剣を握る手に力を込めた。
しかし、その剣がハイジに届くことはなかった。
「ゼァッ!!!!」
そんな掛け声と共に、一人の男––––マッキセリ側の一人の兵が、その男に剣を振るった。
ガヂン! と鋭い音と共にぶつかり合う男たち。
鍔迫は互角。どちらも前線で戦う、歴戦の傭兵なのだ。しかし鍔迫は長く続かなかった。
「……ガ……ッ!!」
鍔迫で動けぬ男の首を、ハイジのレイピアが襲った。
頸動脈を切断された男は瞬時に意識を失い、噴水のように血を撒き散らしながら倒れる。しかしハイジは止まらない。倒れて痙攣を起こす男に、何度もレイピアを突き刺す。
相対していたマッキセリの兵の顔は驚愕に染まっている。
(何だ、この子は……!)
しかし、ここは最前線なのだ。悠長なことをしていられる状況ではない。
男は「やめろ! もう死んでる!」と怒鳴り、ハイジの襟首を掴んだ。
「おぉぉおおおおおッ!!!!」
ハイジは雄叫びを上げてそれを振り払い、男に剣を向けようとし––––敵でないことを知るとピタリと止まった。
「……何故止めるの?」
「死者を冒涜するような真似はよせ! 来い!」
男はハイジの襟首を掴むと、自陣に向かって走り始める。猛烈なスピードにハイジは着いてこれず何度も転びそうになるが、男はお構いなしだ。あっという間に自陣に到着すると、兵站病院に放り込む。
「離せ! 僕はまだ戦える!」
男は暴れるハイジを押さえつけて、近くに居た衛生兵を呼んだ。
「おい! こいつを休ませておけ!」
「ハッ! ラハテラ軍曹どの!」
衛生兵はラハテラに言われるがままにハイジを押さえつける。
「そいつを前に出すな!」
「……どうされたのでありますか?」
「そいつは星2(殺害数)だ。死なせるのは惜しい」
「こんな子供が?! 嘘でしょう!?」
「嘘じゃない。俺の目の前でやりやがった。いいか、絶対に逃がすな。殺ったのは『影踏みのヘタグロフ』と『水蛇のガミドヴァ』だぞ」
「まさか! どちらも有名な二つ名持ちじゃないですか!」
「こいつは軍が預かる。絶対に逃がすなよ!」
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困り果てた衛生兵が麻酔薬を吸わせるまでそれは続いた。
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