魔物の森のハイジ

カイエ

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#4

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「娼館へ?」
「ええ……お願いできるかしら」
「構いませんけど……」

 ある日、ミッラからハイジへの言付けを預かった。
 なんでも、帰る前にどうしても受けて欲しい依頼があるらしく、内容もある程度聞かされた。
 徴募(兵を募集すること)だった。
 というか。

(本当は、自分が言ったことが嘘じゃないと証明したいんだろうな)
(どうでもいいって言ってるのに、おせっかいなんだから、ミッラは)

 まぁ、勘違いとはいえ、あたしとハイジの仲を心配してくれているのだ。ありがたいことである。
 あたしは快く依頼を引き受けた。

 ミッラから受け取った地図を元に、普段歩かない裏通りに向かう。
 表通りと比べると、やはり少々乱雑な印象を受けるが、スラム街みたいな荒んだ雰囲気ではない。
 スラム街なんて映画でしか知らないけれど。
 表通りとの違いは、ちょっとガラの悪い飲み屋や、怪しい店が多いことくらいだ。
 歩いている人たちにも危険は感じない。というか、あまり覇気のある人がいない。
 手紙を片手にてくてく歩いているあたしなど、格好の鴨に見えそうなものだが、誰にも声をかけられない。

(ひょっとして、こんなところにまで、あたしの悪評が轟いてるわけじゃないでしょうね)
(いや、腰に下げたレイピアのせいか)

 悪評が自業自得だという認識はある。
 バカバカしい。さっさと終わらせて帰ろう。

 到着した娼館は、なかなか立派な建物だった。
 色っぽい雰囲気をムンムンと放っているので、あたしのような小娘が入り口から「こんにちは」と言うのも体裁が悪い気がする。

(まぁ、ハイジが出入りしてるなら、ここの人たちは皆あたしのことは知ってるだろうし、誤解もくそもないだろうけど)

 しかたなく、入り口に立って煙管を吸っているきれいな女性に声をかけた。
 
「すみません。ギルドに言われて来たんですが、ここにハイジって男はいますか?」
「あら、ギルドから? お客さまの情報はお出しできないんだけど……ちょっと待っててくれるかしら?」
 
 声をかけたら、お姉さんはニッコリと魅力的に笑って、奥に確認に行ってくれた。
 えらく色っぽいお姉さんで、なんとなく女として負けたような気になったが、それはまぁいい。
 あたしは男を魅了することはできなくても、戦うことはできるのだ。
 そういうとこだぞ、と自分に突っ込みつつ、手持ち無沙汰。
 
 お姉さんはすぐに戻ってきて、裏手に回るようにと指示してくれた。
 行けばわかるようにしてくれたそうだ。

 裏手に回ると、そこは、どこか東洋的な見た目の空間だった。
 日本よりは、中国や東南アジアに近いテイストだ。
 何かもが西洋風だと思っていたこの世界に、こんな場所があるとは。しかも、中に通されると仄かにお香の香りがするので、わかっていても元の世界に戻ったんじゃないかと錯覚しそうになる。

 裏門に到着すると、さっきのお姉さんとは別の、美人さんがまっていて、中へ通された。
 中庭に面した部屋にハイジがいるという。
 去年まで男子禁制の女子校で生活していたあたしにとっては、かなり刺激の強い環境である。ドキドキしながら、引き戸を開けると随分豪奢な部屋だった。恐る恐る覗いてみると、ハイジがベッドに横になって、本のページをめくっている。

「ハイジ」

 声をかけると、ハイジは本から目を離した。

「どうした」
「ギルドから手紙を預かってきた。受けて欲しい仕事があるから、森に帰る前に声をかけてくれってさ」
「そうか」
「マッキセリ領ってところからの要請だって」
「わかった」

 ハイジは二つ返事だ。

 あたしは興味津々で部屋を見回す。
 金髪碧眼の巨人には似つかわしくない、えらく可愛らしい部屋である。
 しかし、よく見ると調度品や置いてあるものに女性用ものはない。
 本当にハイジ専用に誂えた部屋なのだろう。

 すぐ帰っても良かったが、久しぶりの師匠との会話をすぐに打ち切るのももったいないと思ったあたしは、もう少しだけ居座ることにした。

「マッキセリ領ってどこなんだろう」

 あたしが声をかけると、ハイジは迷わず返事を返す。

「ここから山を一つ越えたあたりだ」
「へぇ……何でそんなところから依頼が?」
「エイヒムのギルドからの徴募は、基本的に全てライヒ領かオルヴィネリ領の遠縁か、同盟領からの依頼だ」
「ああ、なるほど。オルヴィネリはライヒの親戚筋だものね……じゃあ、そのマッキセリというのは?」
「オルヴィネリの縁戚だ。現領主の第二夫人の実家だったか。ライヒからすると遠縁だが、オルヴィネリとは同盟関係だから、無関係ではない」

 スラスラと淀みない返答。
 
(ハイジって、意外と物知りだなぁ)
(まぁ、暇さえあれば本ばっかり読んでるしね)

「素敵な部屋ね」
「そうか?」
「うん、ちょっと中国っぽい……って言っても伝わらないか」
「いや、多少はわかる」
「へ? なんで?」
「ユヅキから聞いた」
「ユヅキ?」
「この娼館にいる『はぐれ』だ」
「へぇ……」

 ハイジの口から日本人らしい名前を聞いて、なぜかドキリとした。

「ミッラから聞いたよ。娼婦じゃないんだよね」
「ああ、上役だ。事務仕事を仕切っている」
「へぇ、偉い人なんだ」

 なんとなく、同じ境遇の女性が身売りをさせられているわけじゃないことに安堵する。

(って、そんな事を言いだしたら、この世界出身の娼婦の人たちに申し訳ないけれどもさ)

 大体、金銭を受け取って戦場で人を殺しまくってる傭兵ハイジに保護されているあたしが、娼婦を憐れむなという話だ。
 不遜にも程がある。
 それでも––––それを望まぬ女性が体を売るようなことにならなくてよかったと素直に思う。

「その人、運が良かったね」
「客を取る前に俺に連絡が来た。この娼館に拾われた時はまだ子供だったし……大方『はぐれ』を売り物になどしたら、俺に何をされるかわからないとでも思ったのだろう」
「それは……怖がられるのも悪いことばかりではないね」
「まったくだ」

 その時、部屋の扉が少し空いて「ハイジさん、お客様?」と小さな声がした。
 か弱くて、頼りない声だった。

「ユヅキか」
「後にしたほうが良い?」
「いや、構わない」

 ハイジが返事をすると、ドアが開き、そこには随分と色っぽい小柄の黒髪の女性が立っていた。
 年の頃は三十歳手前くらいか。
 東洋的な化粧を施した儚い雰囲気の美人だった。
 墨のように黒い髪に、肌の白さが際立っている。
 体型はガリガリと言っていいほど細く、肌の露出の多いワンピース姿を惜しげもなく晒している。

 思わず、

(事務仕事をするのに、こんな色っぽい格好をする必要ある?)

 などと勘ぐってしまった。

 ユヅキはキョトンとした顔であたしを見ていたが、しばらくすると何かに気づいたようで、おずおずと話しかけてきた。

「もしかして「リン」さんですか?」
「ええ。あなたは?」
「あたし、ユヅキといいます。ハイジさんにはいつも世話になっていて」
「……ふぅん?」

(世話に、ねぇ)

 特に含むところはないのだろうけれど、ユヅキの言葉に引っかかってしまうのは自分が狭量なだけだろうか?

「お世話ってどんな?」
「えっ……生活を良くしてもらったり、お店の待遇を良くしてもらったり、色々だよ」

(変な意味で「お世話」されてるわけじゃないのか)

 ちょっとあたしはホッとして、

「そう。あたしはハイジの……なんだろう、弟子、みたいなものかな」
「知ってます。リンさん、有名だから」
「そう? それは光栄ね」
「元はどこの人?」
「日本人だよ」
「同じだ。あたしも日本人」

 それを聞いたユヅキは儚く笑った。

「『はぐれ』は体が弱いのが常だけれど、リンさんは違うのね」
「お陰様で、丈夫な体だけが取り柄なので。それに、あたしたちが弱いんじゃなくて、この世界の人達が丈夫すぎんのよ」

 ハイジを見てみなさいよ、というと、ユヅキはくすくすと笑った。

「あと「さん」は余計ね。そんなふうに呼ばれるほど、あたしは偉くないわ」
「……じゃあ、リンちゃん、でいいのかな」
「ええ。貴方のほうがずっと年上なんだから。……って、女性に対して『貴方のほうが年上ですよ』は失礼だったかな」
「気にしないで」

 ユヅキはまたクスクスと笑う。
 ボン・キュッ・ボンではないが、えらく色っぽいなぁ、などと思う。
 やはり娼館なんて場所にいると、チンチクリンな日本人でも色っぽくなるものなのか。
 いや、あたしじゃ何年ここにいたってこうはならない。
 バカなことを考えていると、ユヅキがポツリと言った。

「羨ましいな」
「え? なんで?」
「あたし達って、基本的にあまり自由に振る舞えないでしょ。でも、リンちゃんはとっても自由そう」
「……いやぁ……そんな良いもんでもないよ?」

 いや、本当にね。

「大体いつも命がけだよ。 怪我ばっかりするし、いつ死ぬかもわからないし」
「でも、その、戦えるってことは、ハイジさんとずっと、その……」

 そう言うと、ユヅキはちらりとハイジを見た。

(はいはい、なるほどね)

 どうやら、ユヅキはハイジにお熱なようだ。
 対して、ハイジは完全に本に意識が向いている。
 ユヅキの気持ちに気づいているのかいないのか。
 もじもじしているユヅキは、あたしからすれば随分色っぽく見えるのだが、この世界の男たちにとっては、ミッラの言うように食指の動かない感じなのだろうか。
 だとしたら、あたしは一体どうなる。

 ともあれ、ユヅキが何が言いたいかは理解できた。
 要するに、ハイジと一緒に居られることが羨ましいらしい。

(まぁ、気づいていても絶対にそれを悟らせるようなことはしないだろうけどね)
(なんせ、デリカシー無しの、唐変木の朴念仁なんだから。こんな可愛い女性を泣かせて、バカハイジめ)

「あー、貴方も苦労するわね」
「……あなたも苦労することがあるの?」
「そりゃあ、するわよ。あたしの場合、ユヅキとは違って『生きるか死ぬか』って意味でだけど」

 ユヅキはくすくす笑って、

「じゃあ、あたしたちは同志ってことになるのかな」
「そうかもね」
「……あたしたち、友達になれる?」
「ユヅキさんが思ってくれるならね」
「もちろん。よければ今度またぜひ遊びに来て。日本の話とか……してみたいな」
「構わないけど、あたしマンガとかほとんど読まなかったから、ユヅキさんが見逃した話の続きとかは教えられないよ」

 あたしがおどけて言うと、ユヅキはくすくす笑った。

「……あたしのことも呼び捨てでいいよ。リンちゃん」
「そう? じゃあ、今後ともよろしくってことで。ユヅキ」
「苦労を分かち合いましょう」
「ええ」

 ガシッと握手する。
 ハイジはちらっと「何をやってるんだ」みたいな顔でこちらを見た。

(アンタの話してんのよ、バカハイジ)

 あたしとユヅキは顔を見合わせて笑った。
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