魔物の森のハイジ

カイエ

文字の大きさ
58 / 135
#4

しおりを挟む
 結局あたしたちは、ニコが屋根裏部屋の外でもじもじしていることに気づくまで話し込んでしまった。
 ニコは仕事が終わって自室に戻ろうとしたが、あたしたちに気を使って声をかけそびれていたらしい。

「ご、ごめんなさい……」
「えっ! いいですいいです! 気にしないで!」

 サーヤが慌てて頭を下げている。腰の低いお姫様もあったものだ。
 とはいえ、ニコをほったらかしにしていたのはあたしも同罪である。

「あたしからもごめん、ニコ……。仕事も任せっきりにしちゃったね」
「それについては、ちょっと大変だったよ……お客さんたちが盛り上がっちゃって……」

 恰好の酒の肴を手に入れたお客たちは大盛り上がりだったようだ。
 護衛さんたちもさぞ困っただろう。

「ごめんね、今度絶対埋め合わせするから!」
「うん、期待してるね!」

 ぱし、と手を合わせて謝ると、ニコはニヘラ、と笑ってくれた。
 そういえば、この手を合わせるジェスチャーってこの世界でも通用するのだろうか。

「あ、そうだ、ペトラが話が終わったら下で待ってるから降りてこいって」
「ペトラが? わかった。サーヤ、行こう?」
「ええ。ニコさん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いえ! どうぞお気になさらず!」
「ニコも一緒に行こう?」
「えっ!? いいよ、あたしは……!」
「いいからいいから」

 半ば無理矢理ニコの手を引いて、サーヤと階下へ降りる。

 * * *

 店まで降りると、ペトラが男たちと酒を飲み交わしていた。

「来たね」

 ペトラがグイとカップを煽る。

「これは、姫さま! お話はお済みで?」
「いやぁ、この店は良い店ですなぁ!」
「酒も旨いし、料理も最高! ライヒ領とは良き領ですな!」
「さささ、姫も一杯」
「……この状況は一体……?」

 出来上がった男たちを前に、サーヤが呆然としているが、これはアレだ。
 ペトラに誘われて、断りきれずに飲み比べになったのだろう。
 
「アンタたちが長話してる間、暇そうにしてたからね。ちょっと付き合ってやったんだよ」
「……ペトラ、お貴族様相手に失礼はだめだって言ってたくせに……」
「いやいや! リン殿! ペトラ殿といえばオルヴィネリまでその名が聞こえる女傑ですぞ!」
「『重騎兵』殿と飲み比べをしたとなると、地元に帰って自慢できます!」
「だから二つ名で呼ぶなつってんだろ! 罰としてもう一杯行きな!」
「おお、これは失礼! ではもう一杯……」

 なんだこれ。
 
 ニコが困った顔をしている。この状況の中、自室に戻ることもできずにオロオロしていたのだろう。
 申し訳ないことをした。ニコにしてみれば疎外感が半端なかっただろう。
 ならば、こっち側に引きずり込んでしまうまでだ。
 
「サーヤ。こちらがニコ。サーヤの後輩で、あたしの先輩」

 紹介を始めると、サーヤがサッとよそ行きの顔に戻って、にっこりとニコに笑いかける。

「あら、可愛らしい後輩ね。よろしく、サーヤです」
「に、ニコですっ!」
「ニコ、こちらがサーヤ。えーと、お隣のオルヴィネリ……」
「わっ! わーっ! リンちゃん、シーッ!」

 あたしが言いかけると、サーヤが酷く慌てたようにあたしを止めた。

(えっ? あれっ!? もしかして内緒?)
(実はそうなの。……きっと今頃、地元じゃ大騒ぎになってるわ……)
(まさか、黙って出てきたんじゃないでしょうね?)
(……えへへ)
(……なんてことを……)

 思わず頭を抱えた。
 護衛たちから話を聞いてすぐに出立したのだろうとは思っていたが、まさか何も言わずに出てきたとは……。

(大丈夫、抜け出したのは何も今回が初めてじゃないし、護衛たちも一緒に居なくなってるのだから、本気で心配はしてないでしょ。……後で絶対メチャクチャ叱られるけど……)
(うん、そこはこってり絞られたほうがいいんじゃないかな)

 あたしが言うと、サーヤはプッと膨れて、それから朗らかに笑った。

 * * *

 はじめこそ話に入って行けずにオロオロしていたニコだったが、サーヤの話術によりあっという間に打ち解けた。
 しまいには、昔からの友達のように笑い合っている。

「そうなんですよぅ、リンちゃんったら厳しいったらなくて、付いていくのも必死なんですよ」
「いいなぁ、あたしも剣術とかやってみたいけど、体が弱いからなぁ……ニコさんは元気だから、いっぱい体動かせますね。きっと強くなりますよ」
「そ、そうかな、えへへへ」

 二人の会話を眺めながら、あたしもちょっとお酒を頂く。
 こう見えて二人は先輩後輩の仲なのである。それを言ったらあたしが一番後輩なわけだが、末っ子感はニコのほうが強いだろう。
 サーヤはニコが可愛くて仕方ないらしく、ずっと嬉しそうにしている。

 サーヤはサーヤで古巣が懐かしくてたまらないらしく、ニコのエプロンを借りて護衛に水を配ったりして給仕のものまねをしている。
 さすがは先輩、なかなか様になっている。久しぶりの給仕で少し危なっかしいところはあるが。
 多分サーヤは貴族のような生活よりも、こうした街の生活のほうが好きなのだろう。
 自分の身を自分で守れない『はぐれ』でさえなければ、ずっとここでこうして生きて行けただろうに、人生とはままならないものである。
 
(サーヤがお姫様だと知ったら、ニコひっくり返るわね)
(護衛の皆が「姫さま」なんて呼んでるけど、まさか本物だとは思うまい)
 
 不思議な空間だった。
 店じまい後の薄暗いカウンターで、ライヒ、オルヴィネリ、そして日本という異国の人間が一緒に飲み交わしている。
 サーヤにとっては懐かしい、あたしとニコにとっては嬉しい甘味も用意されていて、女子三人で盛り上がった。女子にペトラが含まれないのは、彼女が甘味よりは酒の人だからである。
 この世界ではアルコールに年齢制限がないので、まだ未成年のニコもお酒を果汁で割って飲んだりする。
 サーヤもお酒が入ると、妙に子供っぽくなって、ペトラにベタベタと甘えている。
 どうやらよほど寂しかったらしい。ニコも対抗意識を燃やしてペトラに甘えている。
 ペトラは引き剥がすわけにもいかずに困り果てていたが、あたしだけはそれを肴にお茶を楽しんだ。
 
 ペトラも含めた女四人のおしゃべりは、夜遅くまで続いたが、あまり遅くなりすぎると、明日までにオルヴィネリ入りは難しくなる。それに、ライヒ領にはサーヤのことを知っている人間がいくらでもいる。もし見つかれば大騒ぎになってしまう。
 暗いうちにライヒを離れる必要があるため、サーヤはベロベロに酔っ払った護衛たちと一緒に帰路につくこととなった。
 
 ……こんなに酔っ払って、護衛たちは役に立つのだろうか。
 
「きっとまた会いましょう。どうか怪我などに気をつけて」
「サーヤも、どうかお幸せに。伝言はたしかに受け取ったわ」
「ええ。きっと伝えてね。次に会えるのを楽しみにしてるわ。ペトラ、ニコさんも、きっとまた会いましょう?」
 
 サーヤはそう言うが、現実は厳しい。
 あたしとサーヤでは、身分が違いすぎるのだ––––実際は、きっともう彼女と会うことは二度とないのだろう。
 
 でも、サーヤからハイジへの想いは受け取った。
 これでいいのだ。

 そう思った。
 

 * * *

 
 珍客たちが帰ると、店に物寂しい空気が残された。
 三人で片付けを終わらせ、ペトラにお礼を言ってから、ニコと屋根裏部屋に戻る。
 ベッドに入ると、ニコが話しかけてきた。
 
「リンちゃん、サーヤさんって、リンちゃんと同じところから来た人、なのかな」
「何でそう思うの?」
「だって、リンちゃんと同じ、黒目に黒髪なんだもん、わかるよ」
「……うん、正解。彼女もあたしと同じ『はぐれ』なんだ」
「そう……やっぱり……」

 ニコの歯切れが悪い。
 なんとなくわかる。
 きっとニコは寂しかったのだ。
 
「ニコ。心配しないで。あたしはずっとニコの一番の友だちでいるよ」
「えっ! そんなつもりじゃ……!」

 ニコは慌て始めるが、あたしはそれを止めた。

「ニコ……良いこと教えてあげる」
「……何? リンちゃん」
「サーヤってね、オルヴィネリ……ってわかる? 隣の領主様」
「え? うん、名前は知ってる。この領地のお友達なんだよね」
「正解。でね、サーヤって実は、オルヴィネリのお姫様なんだよ」
「? ……どういう意味?」
「そのままの意味。サーヤはオルヴィネリ伯爵の息子のお嫁さん。来年にはお妃になるんだって」
「……うそだぁ……冗談だよね?」
「本当の本当。あたしと同じようにハイジに拾われて、ライヒ伯爵の養女になって、今はオルヴィネリのお姫様なんだよ」
「……本物の?」
「そう」
「えええーーーっ!」

 ガバっと起きる気配がした。
 
「うそーっ! じゃあ、そんな人がどうしてリンちゃんに会いに来るの?!」
「今日あたしに会いに来たのは、ハイジに伝言があったからよ」
「えええ……そ、そうなんだ……! どういう人なのかなーって思ってたけど……護衛の人も「姫さま」って言ってたけど……まさか本当にお姫さまだなんて……」
「ニコ、これ、本当は内緒なんだからね? あたしとペトラ以外には、ニコしか知らない、二人だけの秘密」
「リンちゃん……」
「だから、心配しないで。あたしはどこにも行かないよ」
「……冬になったら森に行っちゃうくせに……」
「うっ、そ、それ以外の話だよ! これからも夏になれば、この店で働くよ。……それより、早く寝ないと、明日も訓練があるよ」
「えっ! 明日も訓練あるの?! う、う~ん……起きられるかな、あたし……」
「そこは頑張ってもらうしかないね」
「そんなぁ……」
「じゃあ、そろそろおやすみ、ニコ」
「うん……おやすみ、リンちゃん」
 
 こうして、ハイジにまつわる記念すべき一日が終わった。
 翌日は、仲良く二人で寝坊をした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~

紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。 そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。 大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。 しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。 フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。 しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。 「あのときからずっと……お慕いしています」 かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。 ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。 「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、 シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」 あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ハイエルフ少女と三十路弱者男の冒険者ワークライフ ~最初は弱いが、努力ガチャを引くたびに強くなる~

スィグトーネ
ファンタジー
 年収が低く、非正規として働いているため、決してモテない男。  それが、この物語の主人公である【東龍之介】だ。  そんな30歳の弱者男は、飲み会の帰りに偶然立ち寄った神社で、異世界へと移動することになってしまう。  異世界へ行った男が、まず出逢ったのは、美しい紫髪のエルフ少女だった。  彼女はエルフの中でも珍しい、2柱以上の精霊から加護を受けるハイエルフだ。  どうして、それほどの人物が単独で旅をしているのか。彼女の口から秘密が明かされることで、2人のワークライフがはじまろうとしている。 ※この物語で使用しているイラストは、AIイラストさんのものを使用しています。 ※なかには過激なシーンもありますので、外出先等でご覧になる場合は、くれぐれもご注意ください。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

処理中です...