魔物の森のハイジ

カイエ

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#4

幕間 : Heidi 9

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「バカか、お前」

 ヘルマンニがそう言ってハイジをなじった。
 
「何で拾ってくるんだよ、子供なんて育てられるわけねぇだろ?」
「……解ってるさ」
「じゃあ、どうすんだよ……」

 ヘルマンニが話しているのは、儀礼戦の晩に拾った少年の処遇についてだ。
 少年は、ハイジの後ろに隠れて、こわごわとヘルマンニたちを覗き見ている。
 
「おい、何ビビってんだよ! ビビるならハイジをビビれよ、なんでハイジに懐いて、おれを見てビビるんだよ、傷つくだろうが!」
「まぁ待てって、ヘルマンニ……。いや、気持ちはわかるが」

 ヨーコも呆れた様子で、それでもヘルマンニを抑えてくれる。
 
 
 ▽
 
 
 あの日、少年は酷く怯えて様子だったが、ハイジがふと思いついて「DA - HI - DJO - BU」と話しかけると、パッと表情を明るくした。
 「ダイジョウブ」と聞こえるこの言葉は、ハイジが怪我をしたときなどにアンジェがよく呟いていた呪文だ。意味は知らないが、恐らく「大丈夫」とかと似た意味なのではないかと考えている。
 やはり、ヘルマンニの言う通り『はぐれ』は精霊の世界からやってきているのだろうか。こちらの世界の言葉では意味がわからない呪文が通じるということはきっとそうなのだろう。
 どういう理屈か、しばらくすると、少年はだんだん言葉の言葉を理解し始める。
 少年は、言葉わかることに戸惑っているようだ。仕組みはハイジにもわからない。しかし通じないよりは通じたほうがいい。
 
「名前は?」
「ユウキです」
「ユウキか。どこから来た?」
「わかりません……あの、ここはどこですか? ぼく、さっきまで学校にいたはずなんですけど……」

(学校……貴族が学問を学ぶための機関だったか)

「ユウキは、貴族なのか?」
「貴族? まさか。えっ……日本にも貴族ってありましたっけ?」
「日本?」

 今度はハイジが混乱する側だった。
 ユウキの言葉は少しも的を居ない。しかし、ユウキが嘘をついていないこと、そして恐らくとても頭がよいであろうことを、ハイジは理解した。
 
 ここに置いていくわけには行かない、とハイジは思った。
 魔獣の領域からは遠いが、敗残兵も居るだろうし、死者から金目のものを剥ぎ取る良からぬ者たちも集まってくるはずだ。目をつけられたら、すぐに奴隷として売り飛ばされるだろう。
 どうして良いかわからなくなったハイジは師に相談しようと拠点に戻ったが、すでに全員が出来上がっていた。
 仕方なく、ハイジはユウキと一緒にいることにした。
 たった一言ではあるが、母国の言葉を話したハイジは、ユウキの心の拠り所であった。酷く混乱していたが、とにかくハイジのそばから離れまいとしていた。
 
 ユウキは、明るいところで見ると瞳まで真っ黒であることがわかる。
 黒目黒髪––––『はぐれ』に違いない。
 年の頃は十歳くらいかと思ったが、本人曰く十五歳なのだそうだ。アンジェもそうだったが『はぐれ』は年齢よりも幼くみえるらしい。
 体は細いが栄養状態は良さそうだ。肌艶が良いし、体の節々が丸みを帯びている。つまり肉体労働の経験はないということだ。肌は自分たちよりも白いが、やや黄色みがかっている。これもアンジェと同じ。

 ハイジはアンジェのことを思い出すのが苦痛だった。
 もちろん幸せな思い出も沢山あるが、幸せであればあるほど、その後に奪われた苦しみが増す。今はもう慣れたが、ヘルマンニと会うまでは、毎晩のようにアンジェの夢を見たものだ。もちろん悪夢だ。朝が来る前に悲鳴を上げて飛び起きるのが当たり前だった。
 だから、ハイジはユウキを直視することに、少しばかりの苦痛を感じていた。しかし同時に見捨てるという選択肢も端から無い。わがままかも知れないが、この少年の安全を確保しつつ、自分の目の届かないところで生きていって欲しい。
 これがハイジの偽らざる気持ちだった。


 ▽
 

 朝になって、二日酔いの痛みに絶えながら起きてきた『魔物の谷少年傭兵団』の連中が揃うと、ハイジは三人にユウキのことを相談した。
 真っ先に反応したのがヘルマンニ。「ここには置いていけないから、連れていきたい」と言うと、真っ向から反対した。
 

「バカか、お前……何で拾ってくるんだよ、子供なんて育てられるわけねぇだろ?」
「……解ってるさ」
「じゃあ、どうすんだよ……おい、何ビビってんだよ! ビビるならハイジをビビれよ、なんでハイジに懐いて、おれを見てビビるんだよ、傷つくだろうが!」

 なぜかハイジにベッタリと懐くユウキを見て、ヘルマンニはショックを受けたようだ。
 ヘルマンニは優男だし、子供に怖がられることに慣れていない。

「まぁ待てって、ヘルマンニ……。いや、気持ちはわかるが」

 ヨーコも、間を取り持とうとするものの、どうして良いか迷っているようだ。
 チラチラと師匠の方を見るが、師匠は我関せずといった風に白湯を啜っている。
 
「師匠、どうしたら良いと思います?」

 助け舟を出そうとしない師匠にしびれを切らしたヨーコは、結局丸投げすることにした。
 
「んなもん、ハイジが拾ったんだから、ハイジが責任とりゃいいじゃねえか」

 俺は知らねぇよ、とアゼムは冷たく突っぱねる。
 ユウキはますます怯えて、ハイジの後ろに隠れた。
 精霊の世界の十五歳というのはこんなに幼いものなのだろうか……?

「と、師匠は仰ってるけど、ハイジはどうしたい?」
「無理です」

 きっぱりと言うと、ユウキはショックを受けたらしい。ブルッと震えて、ハイジのシャツをギュッと握った。

「どう見てもこの子は戦うことに向いていません。ぼくのような人殺しに関わるべきじゃない」
「ま、そうだね」
「師匠なら、『はぐれ』を引き取ってくれるまともな貴族の一人や二人、知ってるんじゃないですか?」
「貴族か。あー……まぁ居るっちゃ居る––––が、残念ながら男子だからなぁ」
「男子だとまずいですか?」
「というか、女性ならば養女にして他領に嫁がせるなりなんなりすりゃいいんだよ。ただ、男子の場合、養子に迎えると……」
「ああ……跡継ぎ問題が発生しますね」
「跡継ぎ問題?」

 貴族社会のことを全く知らないハイジには、意味がわからなかった。

「まぁ、普通は実子の継承権が上だし、そう問題はねぇよ。ただ、そう考えないやつもいるかもしれねぇだろ。祭り上げて王子の王位継承を妨げようとするやつだっているかも知れない。そういう危険を生むほどに『はぐれ』ってのは優秀なんだよ––––そんな謀略の荒波に投げ込んで、そいつ生き残れるかねぇ」
「……」
「ま、俺は無理だと思うぜ」
「では、師匠はこの子を、ここに置いていくべきだとお考えですか」
「いや、流石にそれはできねぇよ。置いていったりしたら、死ぬか、そうでなくてもろくでもないことになるに決まってる。とは言うものの、戦えない子供を育てる事もできねぇ」
「……わかりました」

 ハイジはため息を付いて、ユウキと向き合った。

「師匠の言うことは絶対だ。だから、ユウキを皆と一緒に連れて行くことはできない」
「そんな……っ!」
「だから、ぼくは師匠の弟子を辞めようと思う」
「ハイジ?!」「おいっ!」

 ハイジの言葉に、ヘルマンニとヨーコが声を上げた。
 アゼムだけは、大きく目を見開いて、面白そうに眺めている。

「ただ、ぼくじゃユウキを守れるかどうかわからない。できるだけ頑張るけど、死ぬ時は死ぬ。ぼくが先か、ユウキが先かはわからないけど。それでも良いなら、一緒に行こう」
「……は、ハイッ! ありがとう、ハイジさん!」
「あー、待て待て、結論を早まるなー」

 先々と話を決めてしまおうとするハイジとユウキに、アゼムが言葉を挟んだ。

「何ですか、?」
「話は最後まで聞けー? 俺は貴族に引き取らせるのは無理つっただけで、ツテがないわけじゃねぇ。こう見えても顔は広いんだぜ」
「なら、はじめから言ってくれればいいじゃないですか、?」
「ん、まぁお前の覚悟とか、色々見ておきたかったからな」
「そうですか。では、ツテとはどういうものでしょうか、?」
「……ハイジ、お前もしかしてちょっと怒ってるだろ」
「いいえ? 弟子として、の言うことは絶対だと思っていますから」
「だから、逆らうくらいなら弟子を辞めるってか」

 この短絡思考の頑固者め、とアゼムはため息を付いて頭をがりがりとかいた。

「悪いが、未熟者のお前を手放すつもりはまだねぇよ、ハイジ。俺はお前の師匠だ。だから素直に話を聞け」
「わかりました」
「んじゃあ、そうだな……おい、お前、ユウキつったか」
「はっ、はい……」
「怯えなくても取って食いやしねぇっての。お前さ、得意なこととかってある?」
「得意なこと……ですか?」
「ああ、別に何でもいいぜ? 頭がいいとか、手先が起用とか、料理が上手いとか、歌が上手いとか、何でもかまわねぇ」
「そ、そういうのはちょっと……でも、一つだけ、何の役にも立たないかもしれないけど……」
「おっ、いいから言ってみ?」
「本を読むのが好きです。一度読んだ本のことは、絶対に忘れません」
「……ほう?」
「あの……こんなの何の役にもたちませんよね……?」
「いや、上出来だ」

 アゼムはそう言ってニヤリと笑った。
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