魔物の森のハイジ

カイエ

文字の大きさ
75 / 135
#4

幕間 : Heidi 9

しおりを挟む
「バカか、お前」

 ヘルマンニがそう言ってハイジをなじった。
 
「何で拾ってくるんだよ、子供なんて育てられるわけねぇだろ?」
「……解ってるさ」
「じゃあ、どうすんだよ……」

 ヘルマンニが話しているのは、儀礼戦の晩に拾った少年の処遇についてだ。
 少年は、ハイジの後ろに隠れて、こわごわとヘルマンニたちを覗き見ている。
 
「おい、何ビビってんだよ! ビビるならハイジをビビれよ、なんでハイジに懐いて、おれを見てビビるんだよ、傷つくだろうが!」
「まぁ待てって、ヘルマンニ……。いや、気持ちはわかるが」

 ヨーコも呆れた様子で、それでもヘルマンニを抑えてくれる。
 
 
 ▽
 
 
 あの日、少年は酷く怯えて様子だったが、ハイジがふと思いついて「DA - HI - DJO - BU」と話しかけると、パッと表情を明るくした。
 「ダイジョウブ」と聞こえるこの言葉は、ハイジが怪我をしたときなどにアンジェがよく呟いていた呪文だ。意味は知らないが、恐らく「大丈夫」とかと似た意味なのではないかと考えている。
 やはり、ヘルマンニの言う通り『はぐれ』は精霊の世界からやってきているのだろうか。こちらの世界の言葉では意味がわからない呪文が通じるということはきっとそうなのだろう。
 どういう理屈か、しばらくすると、少年はだんだん言葉の言葉を理解し始める。
 少年は、言葉わかることに戸惑っているようだ。仕組みはハイジにもわからない。しかし通じないよりは通じたほうがいい。
 
「名前は?」
「ユウキです」
「ユウキか。どこから来た?」
「わかりません……あの、ここはどこですか? ぼく、さっきまで学校にいたはずなんですけど……」

(学校……貴族が学問を学ぶための機関だったか)

「ユウキは、貴族なのか?」
「貴族? まさか。えっ……日本にも貴族ってありましたっけ?」
「日本?」

 今度はハイジが混乱する側だった。
 ユウキの言葉は少しも的を居ない。しかし、ユウキが嘘をついていないこと、そして恐らくとても頭がよいであろうことを、ハイジは理解した。
 
 ここに置いていくわけには行かない、とハイジは思った。
 魔獣の領域からは遠いが、敗残兵も居るだろうし、死者から金目のものを剥ぎ取る良からぬ者たちも集まってくるはずだ。目をつけられたら、すぐに奴隷として売り飛ばされるだろう。
 どうして良いかわからなくなったハイジは師に相談しようと拠点に戻ったが、すでに全員が出来上がっていた。
 仕方なく、ハイジはユウキと一緒にいることにした。
 たった一言ではあるが、母国の言葉を話したハイジは、ユウキの心の拠り所であった。酷く混乱していたが、とにかくハイジのそばから離れまいとしていた。
 
 ユウキは、明るいところで見ると瞳まで真っ黒であることがわかる。
 黒目黒髪––––『はぐれ』に違いない。
 年の頃は十歳くらいかと思ったが、本人曰く十五歳なのだそうだ。アンジェもそうだったが『はぐれ』は年齢よりも幼くみえるらしい。
 体は細いが栄養状態は良さそうだ。肌艶が良いし、体の節々が丸みを帯びている。つまり肉体労働の経験はないということだ。肌は自分たちよりも白いが、やや黄色みがかっている。これもアンジェと同じ。

 ハイジはアンジェのことを思い出すのが苦痛だった。
 もちろん幸せな思い出も沢山あるが、幸せであればあるほど、その後に奪われた苦しみが増す。今はもう慣れたが、ヘルマンニと会うまでは、毎晩のようにアンジェの夢を見たものだ。もちろん悪夢だ。朝が来る前に悲鳴を上げて飛び起きるのが当たり前だった。
 だから、ハイジはユウキを直視することに、少しばかりの苦痛を感じていた。しかし同時に見捨てるという選択肢も端から無い。わがままかも知れないが、この少年の安全を確保しつつ、自分の目の届かないところで生きていって欲しい。
 これがハイジの偽らざる気持ちだった。


 ▽
 

 朝になって、二日酔いの痛みに絶えながら起きてきた『魔物の谷少年傭兵団』の連中が揃うと、ハイジは三人にユウキのことを相談した。
 真っ先に反応したのがヘルマンニ。「ここには置いていけないから、連れていきたい」と言うと、真っ向から反対した。
 

「バカか、お前……何で拾ってくるんだよ、子供なんて育てられるわけねぇだろ?」
「……解ってるさ」
「じゃあ、どうすんだよ……おい、何ビビってんだよ! ビビるならハイジをビビれよ、なんでハイジに懐いて、おれを見てビビるんだよ、傷つくだろうが!」

 なぜかハイジにベッタリと懐くユウキを見て、ヘルマンニはショックを受けたようだ。
 ヘルマンニは優男だし、子供に怖がられることに慣れていない。

「まぁ待てって、ヘルマンニ……。いや、気持ちはわかるが」

 ヨーコも、間を取り持とうとするものの、どうして良いか迷っているようだ。
 チラチラと師匠の方を見るが、師匠は我関せずといった風に白湯を啜っている。
 
「師匠、どうしたら良いと思います?」

 助け舟を出そうとしない師匠にしびれを切らしたヨーコは、結局丸投げすることにした。
 
「んなもん、ハイジが拾ったんだから、ハイジが責任とりゃいいじゃねえか」

 俺は知らねぇよ、とアゼムは冷たく突っぱねる。
 ユウキはますます怯えて、ハイジの後ろに隠れた。
 精霊の世界の十五歳というのはこんなに幼いものなのだろうか……?

「と、師匠は仰ってるけど、ハイジはどうしたい?」
「無理です」

 きっぱりと言うと、ユウキはショックを受けたらしい。ブルッと震えて、ハイジのシャツをギュッと握った。

「どう見てもこの子は戦うことに向いていません。ぼくのような人殺しに関わるべきじゃない」
「ま、そうだね」
「師匠なら、『はぐれ』を引き取ってくれるまともな貴族の一人や二人、知ってるんじゃないですか?」
「貴族か。あー……まぁ居るっちゃ居る––––が、残念ながら男子だからなぁ」
「男子だとまずいですか?」
「というか、女性ならば養女にして他領に嫁がせるなりなんなりすりゃいいんだよ。ただ、男子の場合、養子に迎えると……」
「ああ……跡継ぎ問題が発生しますね」
「跡継ぎ問題?」

 貴族社会のことを全く知らないハイジには、意味がわからなかった。

「まぁ、普通は実子の継承権が上だし、そう問題はねぇよ。ただ、そう考えないやつもいるかもしれねぇだろ。祭り上げて王子の王位継承を妨げようとするやつだっているかも知れない。そういう危険を生むほどに『はぐれ』ってのは優秀なんだよ––––そんな謀略の荒波に投げ込んで、そいつ生き残れるかねぇ」
「……」
「ま、俺は無理だと思うぜ」
「では、師匠はこの子を、ここに置いていくべきだとお考えですか」
「いや、流石にそれはできねぇよ。置いていったりしたら、死ぬか、そうでなくてもろくでもないことになるに決まってる。とは言うものの、戦えない子供を育てる事もできねぇ」
「……わかりました」

 ハイジはため息を付いて、ユウキと向き合った。

「師匠の言うことは絶対だ。だから、ユウキを皆と一緒に連れて行くことはできない」
「そんな……っ!」
「だから、ぼくは師匠の弟子を辞めようと思う」
「ハイジ?!」「おいっ!」

 ハイジの言葉に、ヘルマンニとヨーコが声を上げた。
 アゼムだけは、大きく目を見開いて、面白そうに眺めている。

「ただ、ぼくじゃユウキを守れるかどうかわからない。できるだけ頑張るけど、死ぬ時は死ぬ。ぼくが先か、ユウキが先かはわからないけど。それでも良いなら、一緒に行こう」
「……は、ハイッ! ありがとう、ハイジさん!」
「あー、待て待て、結論を早まるなー」

 先々と話を決めてしまおうとするハイジとユウキに、アゼムが言葉を挟んだ。

「何ですか、?」
「話は最後まで聞けー? 俺は貴族に引き取らせるのは無理つっただけで、ツテがないわけじゃねぇ。こう見えても顔は広いんだぜ」
「なら、はじめから言ってくれればいいじゃないですか、?」
「ん、まぁお前の覚悟とか、色々見ておきたかったからな」
「そうですか。では、ツテとはどういうものでしょうか、?」
「……ハイジ、お前もしかしてちょっと怒ってるだろ」
「いいえ? 弟子として、の言うことは絶対だと思っていますから」
「だから、逆らうくらいなら弟子を辞めるってか」

 この短絡思考の頑固者め、とアゼムはため息を付いて頭をがりがりとかいた。

「悪いが、未熟者のお前を手放すつもりはまだねぇよ、ハイジ。俺はお前の師匠だ。だから素直に話を聞け」
「わかりました」
「んじゃあ、そうだな……おい、お前、ユウキつったか」
「はっ、はい……」
「怯えなくても取って食いやしねぇっての。お前さ、得意なこととかってある?」
「得意なこと……ですか?」
「ああ、別に何でもいいぜ? 頭がいいとか、手先が起用とか、料理が上手いとか、歌が上手いとか、何でもかまわねぇ」
「そ、そういうのはちょっと……でも、一つだけ、何の役にも立たないかもしれないけど……」
「おっ、いいから言ってみ?」
「本を読むのが好きです。一度読んだ本のことは、絶対に忘れません」
「……ほう?」
「あの……こんなの何の役にもたちませんよね……?」
「いや、上出来だ」

 アゼムはそう言ってニヤリと笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~

紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。 そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。 大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。 しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。 フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。 しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。 「あのときからずっと……お慕いしています」 かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。 ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。 「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、 シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」 あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ハイエルフ少女と三十路弱者男の冒険者ワークライフ ~最初は弱いが、努力ガチャを引くたびに強くなる~

スィグトーネ
ファンタジー
 年収が低く、非正規として働いているため、決してモテない男。  それが、この物語の主人公である【東龍之介】だ。  そんな30歳の弱者男は、飲み会の帰りに偶然立ち寄った神社で、異世界へと移動することになってしまう。  異世界へ行った男が、まず出逢ったのは、美しい紫髪のエルフ少女だった。  彼女はエルフの中でも珍しい、2柱以上の精霊から加護を受けるハイエルフだ。  どうして、それほどの人物が単独で旅をしているのか。彼女の口から秘密が明かされることで、2人のワークライフがはじまろうとしている。 ※この物語で使用しているイラストは、AIイラストさんのものを使用しています。 ※なかには過激なシーンもありますので、外出先等でご覧になる場合は、くれぐれもご注意ください。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

処理中です...