魔物の森のハイジ

カイエ

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#5

23 : Lynn

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 彼が狙っているのは、
 事実、前回の遭遇では、あたしが加速するたびに、嬉々としてそれをキャンセルしてあたしを苦しませた。

 つまり––––彼の能力は『敵の魔術のキャンセル』。
 そしてキャンセルされた魔力は暴走し、牙をむく……敵の攻撃を無効にするだけでなく、それそのものを反撃に転ずる、なかなかいやらしい能力だ。

 だが、お話にならない。
 そんなものは、能力を使わなければいいだけだ。

「あはっ。弱い。まるで弱い」
「黙れっ! さっきの能力を使えばいいだろ!」
「使う必要がないわね」
「使えっ! 使えよっ!」
「じゃ、ちょっとだけ」
「……えっ?」

 時間停止。

 あたしが能力さえ使えば、勝機があるとでも思ったのだろうか?
 馬鹿みたいだ。そちらが魔術を行使するより先に、お前を屠ってしまえばいいだけだろうに。

 人間というのは、瞬間瞬間で眼球の位置が定まっていないらしい。
 今も、目の前から消えたあたしを探そうとしているのか、ほとんど停止した世界の中で、ノイエの黒い瞳は忙しく動いている。
 こちらはじっと観察しているのに、向こうはあたしの存在が見えていない。
 一体どこを見ているのだ。ちゃんと努力しろ。

 時間停止解除。
 あたしは後ろに回り込んで、ノイエの耳元で囁く。

「キャンセルされる前に殺せばいいだけね」

 ヒャア、と甲高い悲鳴を上げて、ノイエが倒れ込んだ。
 完全に恐慌状態だ。

「あは。何それ? あんなに派手な登場をしてくれたくせに、とんだ弱虫じゃないの!」
「黙れッ! 黙れよッ!」
「かかってこないから喋ってるだけよ。黙らせたいならかかってきたら? それに、ハイジが何だって?」
「そうだよ、お前はハイジさんに認められて、何でも与えられて……自分の力なんかじゃないくせにッ!」

 何だそれは。
 あたしの力で、努力せずに手に入れたものなんて一つもないぞ。
 チートものの小説じゃあるまいし、ハイジが「お前にこの力をやろう」と能力を与えてくれたとでも思っているのだろうか。

 どれだけ甘えてるんだ、こいつ。

「まぁいいわ。別にあなたに解ってもらいたくもないし。かかってくる気が無いなら殺すね」
「…………ッ! くそっ!」

 ノイエは歯を食いしばってあたしにかかってくる。

「あら、休憩は終わり?」
「クソッ! クソクソクソッ!」

 そう言いながら攻撃してくるノイエの姿が何度もブレて見える。
 どうやら能力は一つだけではないようだ。

「ふぅん、敵能力のキャンセルだけじゃなく、相対距離をいじれるのか……時空をいじってるわけだから、あたしの能力に近いのかな」
「何をッ! 冷静にッ!」
「……だって、よく見てたら怖くないもの」
「ガァアッ!! 殺してやる!」

 言葉とは裏腹に、ノイエの攻撃はだんだんと遅くなっていく。
 どうやらバテてきているらしい……どんだけ脆弱なんだ。

「オトコノコなんだからさ、もう少し鍛えたら?」
「ア"ア"ア"ア"ア"ッ!! 殺すッ! 殺すッ!!」
「聞き飽きた」

 パキン、とレイピアを弾き飛ばす。
 ついでに蹴っ飛ばすと、ゴロゴロと転がっていく。

「……お前……なんか……!ハイジさんはっ! 何で、俺のことは見捨てた癖にッ! 何でお前だけ!」
「知らないわ。 でも……そうね。弱虫だったからじゃない?」

 その言葉を聞いて、ノイエは呆然とした顔をした。
 あっという間に顔が真っ赤になったかと思うと、スーッと青白くなっていく。

「はぁ、そろそろ甚振るのも飽きたわ。大して面白くもないし、殺すね」
「………………ぃで」
「ん? ごめん、もうちょっと大きな声で言ってくれる?」
「……殺さ、ない、で……」
「んー、ちょっと無理かな。だって、あたしだって殺されかけたわけだし、ここは戦場なわけで、あたしとあなたは敵同士で、貴方はあたしより弱いわけで」
「やめて……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「命乞いは相手を見てしろ。お前の目の前にいるのが誰だと思ってる」
「ごめんなさい、ごめんなさい! 殺さないで! お願い!」
「あはっ」

 あたしはノイエの命乞いを笑い飛ばした。

「あたしは『黒山羊』。『黒山羊』っていうのはね、あたしの生まれた世界じゃ、悪魔のことなのよ」

 嗤うあたしを、ノイエが絶望の眼差しで見ている。
 そこにあたしは躊躇なく剣を突き出した。

 ––––死ねっ。


 * * *



「何をしている」

 ノイエの心臓を貫くはずだった剣は、そんな声に止められて、ピタリと止まってしまった。


(まだそんなに時間は経っていないはずだぞ!)
(何故そこにいる……!)

 ––––『番犬』のハイジ!

 ハイジが、怒りを湛えた顔であたしを見ていた。

(何故そこにいる?! まだしばらく先だと思ったのに!)
(何故、あたしの手は止まる!? あと十センチも突き出せば、簡単に殺せるというのに……!!)

 ノイエはへたり込んで、ぐずぐずと泣いている。
 あたしもハイジを睨みつけながら言った。

「……何の用?」
「……お前は、誰だ」
「は?」

 ハイジから返ってってきた言葉に、あたしはキョトンとする。
 一体何を言っているのだ、この男は。

「何を言ってるの? 貴方が一番良く知っているでしょう、ハイジ」
「……お前なんぞ知らん」
「……何? 言うことを聞かない女などいらんってこと?」
「違う」

 ハイジはあたしを真っ直ぐに睨みながら言った。

「お前と同じ顔をした女を、俺は知っている」
「は?」

 ハイジの言葉は、意味がわからなかった。

「何を言い出すの、ハイジ」
「だが、そいつは敵を甚振るような真似は絶対にしない。敵であっても殺す必要がなければ殺さないようなだ」
「な、何? 何なの?」
「命乞いをする兵を目の前に、そんな風に笑ったりできない女だ」
「な……に、を……」
「何よりも、その二つ名を誇らしげに名乗ることなど絶対にしない!」
「……ッ!」

 ハイジが獰猛に歯をむき出しにして、射抜くようにあたしを睨む。

「リンのことは、この俺が一番よく知っている! ……お前は誰だ?!」
「ああああああああああああああああああッ!」

 あたしはボトリとレイピアを落とし、顔を覆った。

「見るなっ!」

 顔を見られたくなくて、顔を覆って叫んだ。

 そうだ、確かにあたしは、この少年を甚振っていた。
 殺す価値は無いと知りながら、面白半分に殺そうとしていた。
 八つ当たりみたいに傷つけて、嘲笑して、楽しんでいた。
 命乞いをするノイエを見て、後ろ暗い快感に酔い痴れていた。

 ––––見られた!
 ハイジに見られた––––!
『はぐれ』の少年を甚振るところを。
 命乞いを笑って見ているところを––––!!。

 誰だ。
 あたしは、誰だ。

 なぜ、あたしはあんなことを––––!!

「見るな! あたしを見るな!」
「お前は誰だ!」
「見るなぁああああああっ!!」

 自分のしたことが信じられない!
 それをハイジに見られるなんて……!

(恥ずかしい! 恥ずかしい! 死んでしまいたい!)

「やめてぇえええええええっ!」

 叫んだ瞬間だった。眉間のあたりに強烈な痛みが走った。

「ガ……………ッ!」

 頭を上空に引っ張られるような感覚があたしを襲った。
 先ほどまで自由自在に扱えていた魔力が、反旗を翻しているのがわかる。

「ア……ガ……ッ!!」

 ブツリ、と皮膚を破る感覚。
 頭蓋骨が左右に割れるような不気味な激痛が走る。
 魔力が頭蓋骨を破り、額の肉と皮膚を破り、体から這い出ようとしている。
 頭が引っ張られる。そのうちに踵が地面から離れ、体が宙に浮かび始める。

「ア"ア"……ッ! ア"ア"ア"ア"……ッ!」

  ズルリ、と額からなにかが生えた。激痛に耐えながら、両の目でそれを負う。
 ––––つのだった。

「ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッッ!!」

 痛みより、恐怖が勝った。
 何度も何度も見たことがある––––それは、魔獣の角。
 それも、寂しの森の魔物の領域でしか見られないような、醜く捻れた、長く立派な角––––!

「リンーーーッ!」

 声がした。
 見ると、ハイジがあたしに向かって走ってきている。その手には愛用の獲物グレートソードが握られている。

(ああ、あたし、ハイジに殺されるんだ)
(魔獣になっちゃったから、狩られちゃうんだ)

 だって、彼は魔物の森のハイジだから。
 激痛の中、あたしはそれをぼんやりと見ていた。

(もう、生きてててもしょうがないや)
(せめて、ハイジに殺されるなら––––それも悪くないかも)

 意思に反して、時間が引き伸ばされている。
 走ってくるハイジが、スローモーションに見える。
 体を引き絞り、やや下段から背負投のように繰り出される大剣グレートソード
 でも、その剣はあたしには届かなくて––––。


 * * *


「きゃぁああああああああああーーーー!!」

 甲高い悲鳴が聞こえる。

いだいッ! いだいぃいッツ!」

 あたしの目の前を通り過ぎていったのは、ノイエの両腕だった。
 鮮やかな紅色を撒き散らしながらくるくる回っている。
 その腕にはあたしのレイピアが握られている。

(この子、この隙に、あたしを殺そうとしたのか––––)

 あたしを殺そうとしたノイエは、両腕を失い、スローモーションで倒れ込んでいく。しかしハイジはそれを一瞥もしない。にあたしの顔を見つめながら、怒りをたたえた表情で一直線に向かってくる。
 今度こそあたしの番か。

 そして、ハイジの愛剣グレートソードによる渾身の一撃が、あたしの頭を捉えた。
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