魔物の森のハイジ

カイエ

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#5

Epilogi

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 天気が良かったので、あたしは森の奥で寝転んで昼寝を嗜んでいた。
 このところ雨が少なかったので、苔の色が褪せてふかふかの絨毯のようだ。
 昼寝にはちょうどよい。

 隣にはこの森における魔獣の主、巨大な狼が一緒に昼寝をしている。
 たまに風呂の残り湯で洗ってやっているから、毛並みはサラサラである。
 
 冬の森と違い、夏の森は木の実やらキノコやら、美味しいものがいくらでもある。
 ハイジとの修行時代は冬しか知らなくて、肉中心のちょっとワイルド過ぎる食生活だった。
 あまり美容に良い食生活とは言えないだろう。
 ヴィヒタに頼れば問題ないとはいえ。

 夏の陽気はポカポカと気持ちよく、風は森の香りを含んでいて、とても心地よい。ヴォリネッリは北端の国なので、真夏でも暑すぎるということはない。
 とはいえ、狼を枕にしていると汗ばんでくる。
 ちょっと涼みたくなったので、川辺りに移動しようと考える。ついでに夕食の魚でも取っておくと良いかもしれない。

 目を開けると黒髪・黒目の少年がいた。

「……気配を消して、あたしに何をしようとした?」
「えっ? ……えっへっへ」

 少年はいたずらが見つかって恥ずかしそうに笑う。
 その手には花かんむり
 男の子の割にはメルヘンチックないたずらだった。

「だって、リンってば森に入ったっきり帰ってこないんだもん」
「天気が良くて、眠くなっちゃったのよ」
「見たらわかるよ。でもマーナガルムと一緒だと暑くない?」

 狼は片目を薄っすらとあけて、あたしと少年を見ると、すぐにまた目を閉じてうつらうつらとし始める––––完全なリラックス状態である。

「だから起き上がったんだよ。……あとちょっと獣臭くなってきた。そろそろ洗ってやらないと」

 狼がピク、と動いた。
 魔獣たちは水に濡れるのを嫌う。
 といっても洗い始めたらそれはそれで気持ちが良いらしく、じっとしているのだが、洗い始めはなんとか風呂から逃れようと、必死に逃げまとう。
 ––––まぁ、最近は逃げても無駄だと諦めているきらいはあるが。

「この匂いをかぐと、この世界に来た頃の頃を思い出す」
「懐かしいの?」
「ああ。始めて嗅いだ『魔物の匂い』だ」
「ふぅん」

 少年はそう言いながら、あまり興味はなかったようで、そっとあたしに花冠をかぶせた。

「じゃあ、今日のところは帰るか」
「えー、ぼくも昼寝して行きたかったんだけど……」
「明日には、ユヅキとニコが遊びに来るんだから、準備しておかないと」
「そうだった! 燻製がそろそろ食べごろだものね」
「ところで、狩の今日のノルマは?」
「大丈夫」

 そう言って、少年はニカッと笑う。

「ジャッカロープ三匹、グリンブルスティ一匹、マーナガルムは……」

 ちらりと隣でいびきをかく狼を見る。

「気持ちよさそうに寝てるから、また今度」
「そうね」

 あたしは立ち上がって、ぱっぱと体に付いた土や苔を払い落とす。
 少年は眠る狼の頭を撫でて遊んでいる。


 ▽


 少年の名前はハイジ。
 もちろん、あの英雄の名前をもらったのだ。
 ただし、あたしはこの子のことは「ノア」と呼んでいる。
 中つ国ミズガルズではありふれた名前で、精霊の国アースガルズにおける「黒」を意味する「ノワール」に響きが似ているため、そう名付けた。

 この世界では、子は自分の名と通称が与えられ、そして親の名前を引き継ぐ。

 つまりこの子の場合、ハイジ・ノア・ハルバルツということになる。
 ハルバルツの部分は「スズモリ」にしようかとちょっと迷ったが、あたしは元の世界に執着がない。ならば、この世界の人間としての矜持として、元の世界の名前をこの子に継がせるようなことはしないことに決めた。

 ハイジはすくすくと育ち、まだ八歳だというのに、あと一~二年もすればあたしの背丈を越しそうだ。顔つきやこの世界に来た時に着ていたから、おそらく日本人だと思われるが、生まれた直後からこの世界で育つと、こうも巨大になるのか。
 食生活か、あるいは『寂しの森』の魔物の領域で生活しているからかもしれない。


 ▽


 あれから、あたしはほとんど森から出ずに生活している。
 角は引っ込めようと思えば引っ込められるので(というか、あえて生やそうとしない限り、普段は角は隠して生きている)、街へ出ても別に構わないのだが、買い出しや、ミッラたちと遊ぶためにたまに顔を出すだけで、基本的に森生活を貫いている。

 ただし、ミズガルズ中の魔物の領域に顔を出している。
 理由は、『はぐれ』の役割を果たすためである。

 魔獣は、戦場などの死の領域でしか生まれない。
 魔獣の材料が魔力だからだ。
 魔力とは、生命。すなわち、戦争などで死が集まると死が集まり、魔力としてそこにとどまることで、魔物が生まれるのだ。
 では魔物はなぜ生まれるのだろうか。

 それは、戦で死んだ人の魂を集めるため。
 戦死者の館ヴァルハラに召されるはずの魂が地上にとどまっていると、精霊たちの御使たる魔獣がそれを集めて回るのだ。
 その時、戦死者が地上にとどまる原因となる感情を、魔物たちは肩代わりする。
 そして戦死者の霊は安らぎの地位を得るのだ。

 そうして魔物の領域から魔力がなくなると、魔獣たちも自然と消えて居なくなる。
 こうして人の世界のバランスと、戦死者の行き着くあの世とのを取っている。

 だが、この世界では戦争が起きすぎる。

 戦争も結局のところ、人と人のコミュニケーションの一つにすぎない。
 あたしに言わせれば、戦争なんてないほうが良いに決まっているが、人が人である限り、きっと永遠に戦争がこの世から消えてなくなることなんてないだろう。
 だが、この世界ではあまりに戦争が起きすぎる。
 飽和状態になった魔力溜まりは、魔獣たちをこの世界に留まらせ続け、いつの間にか精霊の御使いたちは、人間との敵対者に成り果てた。

 だからこそ、あたしたち『はぐれ』が遣わされた。

 あたしたち『はぐれ』は、魔獣と同じように魔力溜まりから生まれる。
 ただし、理性があるあたしたちには、魔獣と違って「許す」力を持っている。
 魔獣たちが取り込んだ、戦死者たちの苦痛を、怨嗟を、『はぐれ』は魔獣たちから引き継いで、許し、そしてただの魔力に変換する。

 かくして、精霊たちの計画はここに成った。

 とはいえ、このあたしがこの世界に生まれるまで、計画はうまくいかなかったようだ。
 聞けば、あたし以前にも角の生えた『はぐれ』が生まれたことはあるらしいが、その『はぐれ』がどうなったのかはわからない。
 つまり、あたしが初めての成功作というわけだ。

 この世界の人々を救うために何度『はぐれ』を用意しても、すぐに死んでしまう。この世界では、アースガルズの人間には厳しすぎるのだ。
 なかなかうまくいかない計画に、精霊たちは何を思ったのだろうか。

 そして守護者ハイジが選ばれた。

 結果は上々。
 今では、あたしは定期的に魔獣たちから人を襲う原因となる呪いを受け継いでは、魔力として昇華している。
 この世界での魔獣被害は激減した。
 それ以外にも、魔力溜まりが少なることで世界が安定したのか、戦争も起こる頻度がかなり下がった。

 主な原因はハーゲンベックの失脚だ。
 領民たちの暴動で公開処刑されたらしい。
 聞けばかなりとんでもない死に様だったらしいが、聞かなかったことにしよう。
 その後、紆余曲折を経て、ハーゲンベック領のほとんどはライヒのものとなった。
 ライヒの手腕により、元ハーゲンベック領はあっという間に栄え、ついでに戦争屋リヒテンベルクとも手を組んで、軍事にも力を入れている。
 これはリヒテンベルクにとって「存続してくれていたほうが利益になる」という立位置を作る意味あいが大きいだろう。リヒテンベルクにすればライヒは上客だし、また、今ではライヒに手出ししようなどという酔狂な敵は存在しなくなった。

 世界はかなり安定したと言える。

(だけど、まだまだ足りない)
(っていうかあたしだけじゃ話にならないんだよな)

『はぐれ』が戦地へのこのこ出かけていけば、あっという間に死が待っている。
 魔獣と退治するなどもってのほかだ。

 だが、あたしという成功例が生まれた。

『はぐれ』には、最低限の戦闘能力が必要だ。あるいはそれに付き従う守護者が。
 ひょっとするとハイジとサーヤのコンビは良いところまで行ったのかもしれないが、結果としては破綻。
 あたしが初めての成功例ということになる。


 ▽


「じゃあ、行こうか。競争だ」
「うん!」

 あたしたちは二人並んで屈伸したり、首をまわしたりする。

「じゃあ、よーい」
「ドンッ!」

 弾けるように飛び出す。
 あたしは時間を加速して全力疾走だが、ノアはそれに平気な顔をして付いてくる。

(大したもんだ)
(剣のほうももう少しでモノになりそうね)

 ノアの能力は『追従』だ。
 今のように動きに付いてくるのは当然のこと、取っ掛かりさえつかめば、時間、力、思考など、なんにだって追従できる。
 ただし、相手が居ないと発動できない。
 故に、最低限の剣術や、気配遮断などの基礎的戦闘能力については、地力で身につけるしかない。

(ま、いい先生がついてるわけだから、問題ないわね)

 スピードが早すぎて、人間の目だと視界が付いてこない。
 あたしはこっそりと目を獣の目に変化させて、時間に目を慣れさせる。

 数分もかからず、懐かしの我が家が見えてくる。
 そこには、上半身裸で薪を割る巨大な男。

「ハイジ!」

 あたしはさらに加速してハイジに突進する。

「ああっ! リンずるいっ!」

 後ろからノアの声が聞こえるが、そんなものは後回しだ。
 ドーンとハイジに抱きついて、頬にキスをする。

「ただいま」
「ああ、おかえり、リン。ノアも」

 加速しながら思いっきりぶつかったというのに、ビクともしない大男。
 ハイジはあたしの頬に軽くキスを返すと、ノアを片手で抱き上げた。

「ハイジ! リンたら狡いんだよ。競争なのに、こっそりと外の魔力を使ってた!」
「うん? そうなのか、リン?」
「うるさいわね。じゃあ勝負はノアの勝ちでいいわよ」
「やった! じゃあ、賞品はね……コケモモのケーキ!」

 ノアがワーイと両手を上げて喜ぶ。
 あたしに勝てば好きな料理かお菓子を作ってやるという他愛のない勝負。勝負の内容はかけっこでも、豆の早剥きでも何でもありだ。

「ズルはよくないな」

 ハイジが笑うので、あたしもフフンと笑い飛ばす。

「お菓子くらいは作ってもいいけど、ハイジのキスは譲れないわ」
「そうか」

 そういって、もう一つキスを。
 くーっ。たまんねぇぜ。

「ところでリン。魚を獲っておいた。たくさんあるから、明日にも使うと良い」
「あら、じゃあ天ぷらかしらね」
「うむ、期待しておく」

 ハイジは日本食に興味を持ったらしく、色々試している。
 中でも、アーサーさんの店で食べた天ぷらが特にお気に入りで、たまに作ってあげるととても喜ぶ。
 ……あまり顔には出ないのだが、あたしさえ理解していればそれで良いのだ。


 ▽


 八年前のあの日。
 アゼムさんの墓の前で、あたしの角が消えて無くなった瞬間のことだった。
 外からの魔力を受信することが難しくなり、その途端、伸長が始まった。

 ノイエ君にやられてから、その瞬間までの間に、どれほどの時間を短縮してきたことか。
 時間を止め、しかもハイジと二人分の超超加速を繰り返し、だというのに伸長はやってこなかった。
 
 この世界の能力には制限がある。
 ファンタジーに出てくる魔法とは違うのだ。
 すなわち、時間は辻褄を合わされ、

 ハイジが動かなくなってすぐ、続いてあたしも体が動かなくなったときには、周りは大騒ぎだった。
 二人して突然死したと勘違いされ、ペトラはパニックを起こし、ヴィーゴは慌てて介抱しようとし、ノイエはオロオロとどうして良いかわからない様子だった。
 そんな様子を、あたしとハイジは動けないまま––––はたから見ると呼吸も心音も止まっている状態だ––––どうしたものかと頭を悩ませた。

 しかし、こういう時に頼りになるのがヘルマンニだ。
 あたしとハイジの未来を覗き見て「心配いらねぇよ」と皆に宣言。
 途端に落ち着く面々––––ヘルマンニへの信頼の厚さが見て取れる。

「おいリン、お前が止まっちまうと赤ん坊が死んじまうだろ、角が生えてても構わねぇから、根性出して動け」

 そうだ、伸長に翻弄されてる場合じゃないのだ。
 あたしは額に意識を集中して、周囲から魔力を集めまくり、結果的にはかろうじて普通に動けるまでに復活した。


 ▽


 森へ戻ったあたしとハイジは、まるで何もなかったかのように、びっくりするほどこれまでどおりの生活を始めた。
 違いといえば、ハイジが少しだけ優しくなったことと、小さな赤ん坊が増えたことだ。
 赤ん坊なんてどうやって育てれば良いのかと思ったら、何とトナカイの乳で問題ないという。
 ペトラや、話を聞きつけたニコやミッラ、そしてなぜかユヅキまでが赤ん坊の世話をしに森を訪れるようになった。

 さらには、サーヤである。

 あたしとハイジが赤ん坊を育てていると聞いて居ても立っても居られなくなったサーヤは、持ち前の行動力を発揮して、馬車に大量の荷物を積んで森までやってきた。
 ハイジとは二十年以上ぶりの再開である。
 どうなることかと思ったら、ハイジと普通の親子みたいな会話をして、あとは赤ちゃんに夢中のご様子。
 赤ん坊なんて珍しくもないだろうと思ったが、あたしとハイジが育てるのであれば別なのだそうだ。

「この世界では、五歳までに二割近い子どもが死ぬわ。この子だけはなんとしても無事に成長させる!」

 そう宣言して、哺乳瓶やらおむつやらを大量に持ち込んだサーヤだが、「そんなにはいらん」とハイジに荷物を突っ返され、ペトラにも「そんな大量の荷物、どこに置くんだい……」と呆れられ、ついでにあたしからも「こんなに大量のおもちゃ、今はいらないわ」と言われ、ガーンとショックを受けて、護衛の皆さんとトボトボと帰っていった。
 とは言え、ちゃっかりお忍びで顔を見せる許可を取り付けていったあたり、転んでもただでは起きないサーヤである。
 さすがペトラにして「行動力の化け物」と言わしめただけのことはある。


 ▽


 ハイジは傭兵をやめた。
 というか、戦場へは出向く。目的は殺戮ではなく、『はぐれ』を集めることだ。
 集められたはぐれは、エイヒムの学校に通っている。

 そうなのだ!
 エイヒムに学校ができたのだ!

 ハイジの出した報奨金を使い、ギルドヴィーゴ主導で建てられたその学校は、ライヒ侯爵の居城にも負けない立派な建物だ。
 今ではヴォリネッリのみならず、ミズガルズ中から生徒が集まっている。
 しかも、驚くなかれ、校長先生はヘルマンニなのだ!
 最初にそれを聞いたときは何の冗談かと思ったが、これがびっくりするくらい立派な校長先生をやっている。
 ヘルマンニ、偉い。
 さらに、戦闘教員としてペトラ、ヤーコブほか、見覚えのある面々。あたしにも教員になってほしいと打診があったが断らせてもらった。かわりに日本の知識を持つユヅキを推薦しておいた。
 その上、経済学の教師としてライヒ侯爵が直接教壇に立つ特別授業まであるという異様さ。インテリ貴族として名を馳せたライヒ伯爵の授業をひと目見ようと、大量の貴族が聴講しにエイヒムにやってくる。
 おかげでエイヒムの経済はとんでもないことになっている。
 ちなみにライヒ侯爵には敵も多いので、特別授業のときにはハイジが護衛に当たっている。こちらも教員としての誘いは蹴ったようだ。

 世界中から集められた『はぐれ』は、他の生徒と同じように教育が施されているが、特別授業として、戦い方と、魔力操作を徹底的に学ぶ。
 中には戦いに不向きな生徒もいるが、黒髪・黒目と言えば概ね腕の立つ冒険者である、という認識になりつつある。

 魔力操作ができるようになれば、魔獣と渡り合えるようになる。
 魔獣をねじ伏せるだけの腕を身につければ、あたしと同じように、魔獣の持つ攻撃性を魔力に変えることもできるようになるだろう。
 そうなれば、戦死者たちがこの世界に留まって苦しむことも、魔獣たちが人間を襲うことも少なくなるはずだ。
 と言っても、ライヒ侯爵の活躍により、戦争よりも自由経済のほうが儲かるという認識が広まり、戦死者は激減している。
 魔物の領域がこの世界から消えてなくなる日はそう遠くないだろう。

 ノアも、もう少し大きくなれば学校へ通うためにエイヒムに預ける予定だ。
 ノアとしては森から離れるのは嫌らしいが、すでに友人もたくさんいるので、心配はしていない。

 そうすれば、森にはあたしとハイジの二人っきり。
 イチャイチャタイムが待っている。
 早く成長すればいいと思っている。


 ▽


 戦争が減って、ハイジの仕事は激減した。
 出かける先が遠いので、さほど暇を持て余すわけではないが、まとまった時間が取れるようになったハイジは、なんとペトラの店で料理をし始めた。
 学校で働き始めたペトラが店に立つことが難しくなったタイミングで、後継者であるニコが妊娠。
 これはしばらく店を締める必要があるかも……という話になった時、ハイジが「良ければしばらくおれに任せてくれないか」と言い出した。

 当然ながら、あたしを含めた全員が驚愕した。

 なんでも、子供の頃からの夢だったそうで、森の奥深くですら玄人はだしの料理を出していたハイジにとって、街の設備は天国のように映るらしい。
 当然ながら、不定期営業だが、評判はと言えば––––これがめちゃくちゃに人気なのである。
 ペトラの味付けとは真逆の、薄味の上品な味付けの料理は、外国からやってきた貴族の子弟たちにも評判で、遠くからわざわざ食べに来る客も多い。
 そうなると面白くないのが常連客だ。ペトラの料理を返せと暴動が起きそうな勢いだった。そこでハイジは、ペトラに料理を教わって、酒飲みのためのメニューに加えた。
 重騎兵目当ての客はそれでも不満そうだったが、たまにペトラやニコやあたしが顔を出すことにすると、何とか落ち着いた。
 そんなわけで、エイヒムの場末の店には貴族に酔いどれ、傭兵に行商人と、ありとあらゆる人種が集まっている。
 喧嘩が起きそうなものだが、そこで腕を振るうはヴォリネッリ随一の英雄なのだ。揉め事など起こりようもない。
 そんなわけで、今やペトラの店は、アースガルズにおける星付き扱いである。
 しかも、噂を聞きつけたライヒ卿やサーヤもお忍びでやって来る始末。
 カオスだ。

 しかも、強面だが顔の整ったハイジのことである。
 なにやら貴族や大商人の奥様方––––要するに女性からの人気が急上昇。
 キャーキャー騒がれているが、ハイジは気づいているのか居ないのか、全く興味はないようだ。
 だというのに、たまにあたしが顔を出したりすると、人前なのに、頬にキスをしたりする––––おかげであたしは一部の女性たちに非常に嫌われているが、まぁ別にどうでも良いことではある。
 軽く睨み返すだけで震え上がるようなお嬢様方では、ハイジの相手は務まらないのである。


 ▽


 ノアと連れ立ってハイジと小屋へ戻ると、あたしは早速魚をさばき始める。
 ハイジの使っている道具は大きすぎて使いづらいので、特別に誂えた包丁を使っている。
 そのうちにお刺身なんかも食べてみたいが、残念ながら海が近くにないのである。
 川魚も、治癒しながらなら食べられなくもないが、そこまでしないと食べられないものに、この世界の人たちは抵抗を示すだろう。

 ノアとハイジは座って本を読んでいる。
 椅子の上で丸まって、まるっきり同じポーズである。
 本当は血がつながってるんじゃないのかと思うほどに。

 料理を出して、パンにナイフを突き刺す。
 ついでに、お米を炊いたものも装って出す。最近手に入るようになったお米だが、残念ながら粘り気がなくパラパラした長粒米である。
 それでもお米が食べられるだけでもありがたいのである。
 一度チャーハンを作ってやったら、ハイジの食いつきが凄かったし。

 手を合わせて「頂きます」と言って、食事が始まる。
 これも、ノアを育てる上であたしが提案したことだ。ハイジも拙いながらに「I-TA-DA-KI-MA-TH」と言って手を合わせる。

「美味しい?」
「旨い。レシピを教えてくれ。店で出してみたい」
「いいわよ」
「それと、リン」
「ん」
「結婚しよう」
「いいわよ」
「ねぇリン、ショウユかけていい?」
高価たかいんだから、ちょっとだけね」
「はぁい」
「で、結婚式は上げたいの?」
「いや、いらん」
「そ。この世界って、夫婦になるのに届け出がいるのかな」
「いや、特にはないはずだ」
「じゃあ、今すぐ結婚しましょう」
「そうするか」
「ねぇ……」

 ノアが箸で料理をつまみながら言う。

「もしかして、ハイジとリンって結婚してなかったの?」
「そうよ?」
「てっきり夫婦なんだと思ってた」
「まぁ、街の人もそう思ってるでしょうね」
「なんで今まで結婚してなかったの? 好き同士なんでしょ?」
「アンタがいるからよ。子供の目の前であんまりイチャイチャできないでしょうが」

 十分イチャイチャしてると思うんだけど……とノアは呟いた。

「でも、次の季節にはアンタもエイヒムだからね。養親としては、ちゃんと夫婦のかたちにしといたほうが良いでしょ」
「あれ、もしかしてぼくのために結婚するつもりなの?」
「違うわよ、バカ」

 あたしはそれを笑い飛ばした。

「ハイジのことが好きだからに決まってるじゃないの」
「ふぅん」

 ノアが「ぼく子供だからよくわかんない」と言って、食事を再開する。
 すでに興味を失ったようだ。

 さて、ここからは大人の時間だ。

「ハイジ。病める時も、健やかなる時も、 富める時も、貧しき時も、あなたのことを愛してるわ」
「リン。病める時も、健やかなる時も、 富める時も、貧しき時も、お前を愛そう」
「つまり」
「これまでと何も変わらんな」

 そう言って––––あたしたちは誓いのキスをした。


===

『魔物の森のハイジ』の本編はこれで終わりです。
 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

 実はこの話、途中で日和って方向転換してしまったため、本来のストーリーとはかけ離れたエンディングになってしまいました。
 元はどんな話だったのか、近況ボードに載せておきますので、興味のある人はどうぞ。
 なお、途中でストーリーに直接関係のない間話を入れないルールでやっていたので、気が向けば数話追加するかもしれません。

 あと、2021年から新しい連載を始める予定です。
『秘密基地は大迷宮ダンジョンに』というタイトルです。
 小学生がダンジョンを秘密基地にする話です。
『ハイジ』よりはだいぶ明るめの話になると思いますので、お時間のあるかたは、ぜひお付き合いください。
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