思い出に花を、君に唄を

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傷口

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 後輩の傷は思ったよりも浅かった。
 端から見ている分には、失血多量で本当に死んでしまいそうな感じではあったが、実際は刃物で軽く切られている程度のものだ。強いて言うのであれば、その切り傷が血管に届いていることだろう。
 とりあえず、布で患部を抑えて止血する。
 このままにしておけば間違いなく危険だ。けれど、そんな死にかけるような傷でもない。
「先輩、俺はもう駄目です。どうか、俺なんかのことは放っておいて、娘さんのところに……」
 こんなことを言えるくらいだ。顔色が悪いだけで、たぶん大丈夫だ。いっそのこと、本当に放っておいて娘の参観日に行こうかとも思う。
 そうこう思考を巡らせているうちに、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「あぁ……。とうとう俺にもお迎えが着たんですね。先輩と会えなくなるのは残念ですけど……俺のことは忘れないでください……」
 本当にこいつは何を言っているんだろう?
「腕を切ったくらいで、人間は死なないぞ?」
「え?」
 後輩は俺の言葉にすっとんきょんな反応を返した。とても驚いているが、何をそんなに驚くのか分からない。
「え、でも血がダラダラ……」
「そうだな。だが、腕からだ」
「これって致死量……」
「いや、全然だな。救急車に乗って病院に行けば、一週間くらい様子を見なければならないだろうが、治るな」
「そうですか……」
 後輩は明らかにへこんでしまった。さっきまで、感動的な演出をしていたが、思ったよりも誰も心配してくれなかったからだろう。だが、映画の見すぎだ。それに、事実なのだから仕方がない。
「さぁ、救急車が来た。さっさと乗れ、そして俺を参観日に行かせてくれ」
「分かりました……」
 後輩には悪いが、こちらも急いでいる。
「誰か手を貸してくれないか?」
 俺は早速、野次馬で集まっている社員達に声をかける。
 とはいえ、この出血なら軽い貧血くらいは起こしているだろう。そう思い、後輩に肩を貸してくれる人材を募る。こうなったら、部下も上司も関係ない。
「俺、手伝います!」
「俺も!」
 何人かが立候補してくれ、何人かで荷物込みで後輩を運ぶことになった。
 それにしても、救急隊の人がいっこうに来ない。
 自分達で降りてこいということなのだろうか?
 サイレンの音的にはこの建物のすぐ下まで来ているはずだ。でも、つべこべも言っていられない。
「まぁいい、さっさと下まで降りよう」
 俺ともう一人で後輩を支えながら、もう一人に荷物をもってもらいエレベーターに乗る。
「先輩すんません。今日こそは問題を起こさないって言ったのに……」
 後輩は申し訳なさそうだが、これはまた別だろう。
「まぁ、怪我した人間を攻めるほど俺は鬼ではないさ」
 軽い会話をしているうちにエレベーターの扉が開く。
「や、やめろーーー!」
「うわーーーーーー!」
 開いた扉の先は、刃物を持った男が救急隊員を襲っている最中だった。
「あ、あの男です!あの男に襲われたんです!」
 後輩は刃物を持った男を指差して言った。
 そこで、はじめて俺は、後輩の言っていた殺人鬼の話を信じた。
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