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第二章:浸透
レイジへの借り(1)
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皇太子宮に戻った私の足は、自室に戻ってすぐにふらふらとベッドに向かい、力なく倒れこんだ。
ふわふわのベッドが私を包み込んでくれる。
長く緊張が続く帝国暮らし、このベッドがなければ心も体ももたなかったかもしれない。
「お嬢様、はしたないですよ。それに髪もお顔も崩れてしまいます」
「いいじゃないの、この後誰に会うでもないんだし」
クラリスの叱責を、シーツに顔をうずめたままで聞き流す。
クラリスはため息をひとつついて。
「殿下から夕食を一緒にするようにと言付かっております。殿下はまだ議会に参加しておりますので、戻られる前に着替えてしまいましょう」
「そうなのね……わかったわ」
仕事の都合、それから私とレイジ殿下の関係が契約上のものであるということもあって、私と殿下は常に食事をともにしているわけではない。
ただ、なにか伝えることがあるとき、私の意見を聞きたいときには呼ばれることがある。今回は、今日の結果について会話したいのだろう。
「はあ~……よし、それじゃあクラリス、よろしく頼むわ」
「ええ。お任せください、お嬢様」
私はクラリスにされるがまま、化粧を落として湯を浴びる。
王国にいる間は自力で簡素に済ませていたこれらのことを、こうして誰かが丁寧に行ってくれることはいまだに慣れないけれど。
クラリスが心から私のことを想って尽くしてくれている。
それがはっきりとわかって、私は少しずつ彼女に頼ることを覚え始めた。
湯浴み後の火照りも収まったころ。
さて着替えるかと立ち上がったところで、私は気まぐれにこんなことを口走った。
「たまには殿下を玄関でお迎えしてみようかしら」
「なんと!」
クローゼットからドレスを取り出していたクラリスは、それを聞くや否や手に取ったドレスをクローゼットに戻す。
「いや、さっきのドレスでいいんだけど」
「いやいやいや! なにをおっしゃいますお嬢様! せっかくお嬢様からそんな素敵なご提案をいただいたのです。演出する側としてはなるべく最高のインパクトを殿下に与えてみせたいのですよ!」
興奮のあまりクラリスの語気が強くなっている。
手早くクローゼットをひっくり返し、取り出したそれは。
「それ……パーティー用のめちゃくちゃ気合入ったドレスじゃない? そこまでしないとダメ?」
「ダメです! ささ、お着換えくださいませ」
有無を言わせぬクラリスの勢いに圧され、私はされるがままにドレスを身にまとっていく。
なんなら今日の帝国議会に着ていったドレスよりも豪華なそれは、やはり夕食のためだけに着るには過剰に思えた。
「ええ、やはり私の見立てに間違いはありませんでしたね。それでは、髪とお顔も失礼いたしまして……」
髪のセットも化粧も手慣れたもので、複雑そうに見える編み込みも手早くこなしていく。
伯爵令嬢というのは帝国でも上位の立場で、彼女自身も侍女に任せるのが普通だと思うんだけど……いったいどれだけの時間をこの技術の習得にかけたのだろうか。
「私にとって、辺境での生活というのはとても退屈なものでした。鍛錬には適度な休息が必要です。そんな時間の手慰みに、私はこれらの技術を身に付けました。いずれ私が剣を手放し、社交界へ出たときに、田舎娘と侮られないように。父の期待に応え、レイジ殿下の目に留まるように」
疑問が顔に出てしまっていたのだろう、問いかける前にクラリスが語ってくれた。
「……クラリスは、私が殿下の婚約者になったことをどう思ってる?」
「そうですね……最初はそんなまさかと思いました。ですが、最近のご様子を見ていると、たしかに殿下の隣にいられるのはお嬢様のような人物なんだろうと納得しています」
他の令嬢ももしかしたらそう思い始めているかもしれませんね、と言ってクラリスは小さく笑う。
そうだったらいいわね、と私は応えた。
ふわふわのベッドが私を包み込んでくれる。
長く緊張が続く帝国暮らし、このベッドがなければ心も体ももたなかったかもしれない。
「お嬢様、はしたないですよ。それに髪もお顔も崩れてしまいます」
「いいじゃないの、この後誰に会うでもないんだし」
クラリスの叱責を、シーツに顔をうずめたままで聞き流す。
クラリスはため息をひとつついて。
「殿下から夕食を一緒にするようにと言付かっております。殿下はまだ議会に参加しておりますので、戻られる前に着替えてしまいましょう」
「そうなのね……わかったわ」
仕事の都合、それから私とレイジ殿下の関係が契約上のものであるということもあって、私と殿下は常に食事をともにしているわけではない。
ただ、なにか伝えることがあるとき、私の意見を聞きたいときには呼ばれることがある。今回は、今日の結果について会話したいのだろう。
「はあ~……よし、それじゃあクラリス、よろしく頼むわ」
「ええ。お任せください、お嬢様」
私はクラリスにされるがまま、化粧を落として湯を浴びる。
王国にいる間は自力で簡素に済ませていたこれらのことを、こうして誰かが丁寧に行ってくれることはいまだに慣れないけれど。
クラリスが心から私のことを想って尽くしてくれている。
それがはっきりとわかって、私は少しずつ彼女に頼ることを覚え始めた。
湯浴み後の火照りも収まったころ。
さて着替えるかと立ち上がったところで、私は気まぐれにこんなことを口走った。
「たまには殿下を玄関でお迎えしてみようかしら」
「なんと!」
クローゼットからドレスを取り出していたクラリスは、それを聞くや否や手に取ったドレスをクローゼットに戻す。
「いや、さっきのドレスでいいんだけど」
「いやいやいや! なにをおっしゃいますお嬢様! せっかくお嬢様からそんな素敵なご提案をいただいたのです。演出する側としてはなるべく最高のインパクトを殿下に与えてみせたいのですよ!」
興奮のあまりクラリスの語気が強くなっている。
手早くクローゼットをひっくり返し、取り出したそれは。
「それ……パーティー用のめちゃくちゃ気合入ったドレスじゃない? そこまでしないとダメ?」
「ダメです! ささ、お着換えくださいませ」
有無を言わせぬクラリスの勢いに圧され、私はされるがままにドレスを身にまとっていく。
なんなら今日の帝国議会に着ていったドレスよりも豪華なそれは、やはり夕食のためだけに着るには過剰に思えた。
「ええ、やはり私の見立てに間違いはありませんでしたね。それでは、髪とお顔も失礼いたしまして……」
髪のセットも化粧も手慣れたもので、複雑そうに見える編み込みも手早くこなしていく。
伯爵令嬢というのは帝国でも上位の立場で、彼女自身も侍女に任せるのが普通だと思うんだけど……いったいどれだけの時間をこの技術の習得にかけたのだろうか。
「私にとって、辺境での生活というのはとても退屈なものでした。鍛錬には適度な休息が必要です。そんな時間の手慰みに、私はこれらの技術を身に付けました。いずれ私が剣を手放し、社交界へ出たときに、田舎娘と侮られないように。父の期待に応え、レイジ殿下の目に留まるように」
疑問が顔に出てしまっていたのだろう、問いかける前にクラリスが語ってくれた。
「……クラリスは、私が殿下の婚約者になったことをどう思ってる?」
「そうですね……最初はそんなまさかと思いました。ですが、最近のご様子を見ていると、たしかに殿下の隣にいられるのはお嬢様のような人物なんだろうと納得しています」
他の令嬢ももしかしたらそう思い始めているかもしれませんね、と言ってクラリスは小さく笑う。
そうだったらいいわね、と私は応えた。
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