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第一章『人外×幻想の魔物使い』
第7話:運命の出会い
しおりを挟む――《龍皇国ヒースヴァルム》
それは北部を《荒魔の樹海》に覆われた、地図上での『人間界』の端っこ。膨大な面積を誇る《アロガンシア大陸》の中でも指折りの超大国であり、数多くの強力無比な騎士団や高位の専属冒険者を内包するその国力はいわずがもな、世界に対しても盤石の地位を築いている国だ。
隣接する《荒魔の樹海》からは四季折々に豊富な天然資源が採取され、その豊潤な名産品の数々はヒースヴァルムを豊穣の土地たらしめる特色である。
他にも多数の迷宮や森の危険領域を中心に活動する冒険者から卸される魔物の素材は、建造物や武具の材料として用いられていて、国力向上と共に辺境の町並みに派手な個性を持たせることに一役買っている。
そして、《龍皇国ヒースヴァルム》の最大の特徴として挙げられるのが――『龍との盟約』だ。
彼の国は豊富な資源による盤石の強さに加え、純粋なる龍族の中でも上位個体とされる『龍王種』――【炎龍王フレアヴァルム】との間に、皇王の命よりも重く、家族の絆よりも固い至上の盟約を結んでいるのだった。
煉瓦造りの建造物には様々な魔物の素材があしらわれ、個性豊かなファザードが立ち並ぶ町並みにて。
背丈の小さな少女が今日も力強く、粉雪の積もった石畳を踏みつける。
雪除け用の外套を身につける人々の間を軽い身のこなしで抜け、幌馬車の行き交う街路の直前で一時停止。左右を確認した後に、再び勢いよく駆けだした。
そんな少女の華奢な肩には一匹の子猫が乗っていた。
子猫は少女の肩に前足だけで掴まり、前方からの風にたなびくような格好だ。紙のように軽い体重なのだろうか、それは定かではない。けれど器用に前足で掴まる、それだけでも動物の『猫』とは違った存在であると察せられる。
そして、その子猫には目を引く大きな特徴があった。
それは、額で煌めく――紅宝石。
現に、少女と子猫の二人組とすれ違う人々の視線の色は、大きく三つに大別されている。
一つは、少女と子猫の組み合わせという微笑ましい光景に顔を綻ばせる人たち。
二つ目は、子猫がどのような存在であるかを知っているが為に、驚きに目を瞠る人たち。恩恵にあやかろうと、手を合わせ拝むような所作を行う人もいる。
そして最後が、少女の逸脱した美貌に顔を染め、ぷるると揺れる豊満な双丘に厭らしい目を向ける人たちだ。
後者のような醜い、いやむしろ健康的な情動を向けてくるような輩には、少女の肩から一時的に飛び降りた子猫の爪による制裁が加えられているのだが、それは前を急ぐ少女の知らぬ所であった。
両開きの扉を勢いよく押し開き、少女が何の躊躇いもなく踏み込んだのは、厳つい格好をした男女がそこらかしこにたむろする横に大きな二階建ての建物――『冒険者組合』。
扉を入ってまず目につくのは、正面の壁に設置された巨大な掲示板。依頼が麻紙という形で張り出され、それを思案げな表情で見ている冒険者がうじゃうじゃと道を塞いでいる向こう側、入り口から見て左手には大規模な酒場が併設されていた。
右手は受付のようになっていて、荒くれた格好の冒険者達が意外と律儀に列を作っているのは、吹き抜けになっている二階からギルド内を俯瞰するように見下ろしている壮年の男のおかげだろう。その目つきは通りすがる冒険者を見定めるように鋭く、左目を跨ぐような三本のひっかき傷が男の殺伐とした雰囲気に拍車をかけている。
「ヨキさん」
「ん? おっ、今日も来たか、エルウェ」
下の階から少しだけ声を張って、その少女は男へ微笑みかける。
強者の風格を漂わせていた男は、たったそれだけで可愛い孫でも見るかのように表情を綻ばせた。
「今日も《荒魔の樹海》に行くのか?」
「ええ、そのつもりです。ヨキさんはまた、朝からお酒ですか? 身体に悪いですよ」
「がははっ、エルウェにそう言われたぁ今日はもうやめとくかな!」
「むー、明日になったらまた飲むんですよね。それ、昨日も言ってましたし」
腰に手を当てて溜息をつく少女に、「がはっ、違ぇねぇ」と男は額を叩いて大きく笑った。
それからやや間が開き、二階を仰いで何かを待っているような様子の少女へ男が言う。
それは少女が冒険者となってから毎日欠かさず行ってきた、男とのやり取り。ルーティーンのようなものだ。
「……中域には?」
「行かない。眷属は相応に強いけど、私がまだまだ未熟だから」
「迷宮には?」
「入らない。パーティーに入ってない私じゃ迷宮の脅威に対応できないから」
「異常事態が起きたら?」
「慌てない。思い切りの良さも大事だけど、一瞬の油断が命取りになるから」
「ゲスな冒険者に絡まれたら?」
「ついてかない。帰ってヨキさんに報告すれば、血祭りにあげてくれるから」
「……もし、冒険者組合へ帰ってこれなかった時は?」
「……そんなこと言わないで、おじさん。今日も必ず、ギルドへ帰ってくるわ」
互いに見つめ合いながら交わす言葉に、近くでその光景を見ていた女性冒険者やギルド職員は口元を緩ませ、近くを通りかかった男冒険者は股間を両手で抑えて青い顔をして去って行った。
最後に親しげに「おじさん」と呼ばれた男が一つ頷くと、少女もまた頷く。
そして少女は一息に踵を返し、冒険者組合の出口扉から外へと去って行った。
「……エルウェちゃん。日に日に大きくなっていきますね」
「……ああ、そうだな」
少女の背中が見えなくなってもなお、哀調を帯びた三白眼で出口を見つめる男に、背後からそっと声をかける女性は同じ職場で働く部下だ。黒縁の眼鏡をくいっと押し上げ、おさげにした亜麻色の髪を揺らして隣に並ぶ。
「保護者として、やっぱり寂しいですか?」
「そういうのは女のお前の方が知ってるだろ?」
「あら、私が独身だと知って言ってます? いくら冒険者組合を総括する立場の高いギルドマスターとはいえ、言って良いことと悪いことがありますよ?」
「そうだったな、悪かった。ああそうだ、なんなら俺と付き合ってくれよ。独り身同士傷を舐め合おうぜ」
「またそれですか、お断りします」
それもまた、いつも通りのやり取りだった。「がははッ」と豪快に笑った男は、一頻り隣の彼女の肩をバシバシ叩いた後、やはり仕事に戻るために執務室へと帰るのだ。
「んじゃ、今日も命がけで働こうかね。手伝ってくれよ? 副ギルドマスター?」
「命がけって……書類仕事を片づけるだけじゃないですか」
「面倒くさすぎて死にそうなんだよ」
「勝手に死んでいて下さい」
二人して執務室へと入り、「がははっ」という笑い声を最後に、パタン、と扉が閉ざされた。ギルドの喧騒が大きくなったように聞こえる。
少女の敵は魔物だが、冒険者を引退した彼らの最大の敵は、こなしてもこなしても一向になくなる気配を見せない数多の書類だった。
そして、なんの代わり映えもないこの日。
冒険者の少女は、向かった先の冬の森で運命の出会いを果たすことになる――
****** ******
太古の昔より描き演じられる戯曲や絵本などの物語には、典型的な形、誰もが予想できるけれど高い支持を得る常套的定型――『王道』というものがある。
なぜか頻繫に事件に巻きこまれたり、辱められる寸前の美女に遭遇したり。一度は危機に陥るも、最後には必ず正義を掲げる主人公が勝つ王道的展開。オーソドックスとも呼べるお馴染みのパターンのことだ。
そういう良い意味で『ありきたり』な物語の中で、意識を失った主人公が目覚める際に必ずと言っていいほど呟く定番の『台詞』がある。台詞でないにしても、心中で思い描かれるお決まりの言葉がある。
そう。それこそが――『知らない天井だ』である。
ふ、参った参った。自分のことを主人公だなんて思っちゃいないが、そういうなれば皆が皆自分の世界では主人公だが、ついに僕にもこの台詞を言わなければいけない時が来てしまったようだ。
暗く深い水の中を浮力だけに身を任せ、ゆるりと水面へ浮上するように、僕の意識が覚醒へと至らんとしていた。じきに目が覚める。
じんわりと記憶が戻ってきた。ゆきがかりを思い出す。
確か僕は冬の森で知能の低い緑魔の巨人に追いかけられ、ヤツが凍った川を踏み砕いたせいで雪崩のような土石流のような勢いが生じた洪水に浚われ、そのまま為す術なく滝から放り出されたのだった。
大丈夫、正確な記憶はある。こうした正常な自我もあるため、そこまで致命的なダメージも受けていないだろう。といっても脳や神経なんてこの鎧の身体にはないのだから、死んでない、今はそれがわかれば及第点。
落下の衝撃としては、自身の防御値を三秒間の間、神がかり的な値へと上昇させる、というより【金龍皇シエルリヒト】の鱗と同等の材質へと肉体を変換させるスキル――『金剛化』によって致命傷とはならなかったようだけど、結局魔力枯渇によって意識を手放したのだと思う。
本当にコストパフォーマンスが悪い。多分『硬化』でも大丈夫だったけど、自称小心者の僕は保険がないとやっていけない。あ、どうも、何度も魔物の腹に入って引き裂きながら出てくる男は僕です。
それから恐らく川の流れに揉まれるまま川底を転がり、けれど今は水に包まれている気がしないし、背中に冷たい石が当たる感触もするため、どうにかこうにか陸に打ち上げられたのだろうか。
水棲の魔物に襲われなかったのは奇蹟だ。
といっても、魔力空っぽの小さな鎧が水の流れにのって転がっているのだ。
大抵の魔物はわざわざ襲う気が起きないどころか僕が鎧の魔物であることすら気づかなかった可能性もある。ただの古びた鎧が流れてますよ的な。
そんな小さな全身鎧があるのかは置いておいて、助かったのだからよかったいぇいいぇい。
と、思考が熱を持ち始める。明瞭な自意識が浮上する。
ふよふよしていた魂がぴたりと定着し、この世界に帰ってきた感覚。
夢幻のヴェールがはためき、ぴくり、と指先が動く感触。
背中に感じる冷たいゴツゴツは、きっと僕が仰向けに寝ているからだ。
紫紺の双眸が面甲の奥から滲み始める。
さあ時は来た。
多分外だから天井なんてないんだろうけど、そんなの関係ない。
僕にとっては蒼空が天井だ。
多分雪が降ってるから雲に覆われているんだろうけど、そんなの関係ない。
僕にとってはとりあえず見上げた先が天井だ。
要するにお決まりの台詞として口に出すことに意味があるのだ。
さぁ言うぞ、あの台詞を言うぞ、言うぞ言うぞ言うぞ言うぞ――
「――……し、しっ、ししし知らないてんじょ――――はぇ」
僕はガチャコンッと面甲を開き、お馴染みのパターンをなぞれる喜びを噛みしめるように、ゆっくりゆっくりと紫紺の瞳を開く。半ばフライング気味に台詞を始めたものの、興奮のあまり噛みまくった末――目に映ったモノを前にして、無念にも僕はその台詞を言い切ることが出来なかった。
まず、視界が地面と並行だった。
身体の感触では背中に地面があり、兜も真っ直ぐ上を仰いでいるつもりだったのに、僕は横を向いていたようだ。そして、僕が言葉を詰まらせるほど驚いたのは、そこじゃない。
「きっとこれは運命なのねっ! こんな、滅多に会えないわっ! 頭部のない鎧の魔物――『暗黒騎士』の幼体に出くわすなんて!!」
――遠くの方に、人間の女の子がいた。
横たわる、何か小さな白い物体を前にして、ぴょんぴょんと全身で喜びを表しているが――あれ、どう見ても僕の身体だよね。
つまるところ僕は、首と身体が分離しいている状態で転がっていたらしい。
……うん。
「――いやこっちだからぁッ!? 運命感じて欲しいのこっちだからねぇッ!?」
これはもう、突っ込まずにはいられないだろってね。
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