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第一章『人外×幻想の魔物使い』
第35話:雑な水洗い
しおりを挟む背中に軟らかいようで硬い衝撃。
視界が荒波に飲まれるように白く染まり、大量の泡が僕を包んでこそばゆい。
やがてクリアになった紫紺の揺らめきに映るのは、仄かな赤色に揺らめく天井。
数を減らした宝石のような気泡が、伸ばした腕を超えて昇っていく。
悠々と天井が遠ざかる。僕は……沈んでいるのだろうか。
『――其方……』
肌を刺す冷水は鎧の身体から体温を容赦なく奪っていく。
思考が徐々に緩慢に。いっそ溶けて消えてしまいそうな気さえする。
ドクン、と脈打つ胸の魔石。
太陽とドラゴンに重なった契約の紋様が、微かに暖かく感じられた。
けれど、それは雪の上に落ちた涙のように、すぐに温もりは消失していき……
『其方……其方……!』
沈んでいく。
僕は光の届かぬ水底へと、どこまでも沈んでいく。
『其方ッ!!』
「がぼ、ごぼぼ? (え、何?)」
脳内に木霊していた輩の声が一際大きく響き、消失の一途を辿っていた僕の意識は覚醒した。
その瞬間、腹部が猛烈な勢いで上に引っ張られる。
その正体はロープ。ただのロープだ。
けれど僕の腹に何重にも巻き付いたロープは猛烈な勢いで巻き取られ、僕は上体を仰け反らせて遠ざかっていた淡赤の天井に接近。
そのまま魚が跳ねるような勢いで――いや、普通に顔を出した。
ぷかぷかと冷たい水面に仰向けに浮かんでいる僕。ロープが引っ張られる方へと流れていき、次第に背中に芝生のチクチクを感じ始める。水が完全になくなり、地上に引っ張り出された先に見たものは、
「おかえりエロ騎士。少しはスッキリした?」
茜色に染められた花が開花するような、美しい笑顔を見せる少女。
膝を曲げしゃがみこんで僕の顔を覗いているため、さらさらと前に垂れる髪を華奢な指で耳にかける動作は、なんとも様になっていて見惚れてしまいそうだ。
だから僕は口を開いた。
「ちがぁあああうッッ!! いや僕が汚れてるからって湖に投げ入れるのは違くないッ!? 絶対違うから! 色々間違えてるからぁ!!」
ちょっと話し合う必要があるのは、僕がこの寒い季節に水中に潜っていた件について。否、あれは潜っていたんじゃない、潜らされていたんだ。否、あれは潜らされていたんじゃない、投げ入れたのだ。
「え? 何言ってるのよ。ちゃんとロープもつけて引き上げてあげたじゃない」
「そうだぞ新入りィ。そもそもお前が血を浴びるような戦い方をするのがいけないんだァ」
本当に不思議そうな顔をするから僕も不思議でなりませんわぁ!
でもわかるんですわぁ! それだけは違うってわかっちゃうんですわぁ!
「ちがぁあああう!! いやフラム先輩の言い分はごもっともでございますけど、エルウェに関しては全っ然ちがぁあああう!! あるでしょ? ねぇもっとあるでしょ? こう、『汚れちゃったから綺麗にしましょうね』って言って優しい手つきで手洗いしてくれるとかさ? なのに何よ? 『汚れちゃったから綺麗にしましょうね』って言って腹にロープくくりつけて湖に投げ入れるって何よっ!?」
すごい早口で捲し立てた。だが実際そうなのだ。
なんとこの二人、僕がドラゴブリンを始めとする魔物の血で汚れてしまったからと言って、黄昏の花園の隅にある湖へと僕を放り込んだのだ。眷属を物のように扱うなんて酷い仕打ちだ! いや、えっ? 酷すぎるぞ!?
「何よ、最初は洗おうとしたじゃない。でも私が触るとエロ騎士、変な声だすんだもの。キモチワルイからパパッと済ませようと思って……」
「そうだぞ新入りィ。変態性もそこまで極まったら主に嫌われるぞォ」
「ふぇえええすみませんでしたぁああ」
うんうん、ここは素直に謝っておこう。
そういえばそうでした。最初はエルウェが湖の浅いところで洗ってくれようとしたのでした。でもあのエルウェの柔い手でまさぐられると思わず……はい、僕が悪かったです誠にすみませんでした。
「まったく。ほら、拭いてあげるから……手上げなさい」
「はぃぃい……」
そう言って腰のポーチから小さめの手ぬぐいを取り出すエルウェ。
僕は成されるがまま。もはや小さな子供を世話するお母さん的な感じになっているエルウェ。え? プライド? 美少女と関わるうちに何処かへ落っことしちゃったよ。多分もう帰ってこない。
『格好悪いのぉ、其方……』
(うるさい。……そういえばシェルちゃんさ、さっき僕のこと呼んだ? 何の用だったの? もしかして心配してくれたりして? どんだけ僕のこと好きなの?)
『はぁ……いやの、少し水底に不穏な影が……まぁ其方に危害が及ばなかったみたいじゃから、もう気にすることもないであろ』
(あ、あぶなーっ! 危険な魔物がいたってこと? 僕ってば二人の無邪気なおふざけのせいで死ぬところだったの!? あ、あぶなーっ!)
シェルちゃんが言うには、水底にそれなりに強力な魔物がいたらしい。
まぁこの5階層自体が安全地帯に間違えられるけど、実際のところ魔物はいる。
今も横を見ればのそのそとのんびり歩いている姿が目に入る。
内包する悪性がこの領域の美しい花々のおかげで浄化されているとかなんとか、少し嘘っぽいが人間に対して敵愾心を持たない小さな蜥蜴。スライムより害のない《亜竜の巌窟》のみ生息している愛玩用と言っても過言ではない魔物だ。
ましてやこんな辺鄙な湖に魔物が存在するなど誰も気づかないだろうね。関わらないことまったなし。襲ってくる様子はないので早く離れるべきだろう。
「これでよし、と。それじゃぁさっそく――お茶会をしましょうっ!」
「おォー!」
「お、おぉ~……」
エルウェが実に楽しそうに鼻息を荒くしている。フラム先輩もノリノリだ。
もうここが迷宮だって完全に忘れてるよね。お茶会なんて女の子らしいと言えばらしいけど……普段は大人っぽいエルウェも女の子なんだなぁ。
ということでお茶会をするらしい。
うんうん、そうだね。唐突に僕を綺麗にしようという案が浮上したのも、この夕焼け色の景色を楽しみながらお茶したら楽しそうねって提案したエルウェのせいなんだよね。
それで湖に投げ入れられるんだから堪ったもんじゃない。
やっぱり納得いかないなぁ……と内心ふて腐れる僕であった。
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