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ヒリスの最後の願い⑱
私が五歳の時だった。
三つ上のお兄様が突然心の病にかかったのは。
毎晩魘され、時には悲鳴を上げて飛び上がるときもあった。
入浴の時は「気持ち悪い」と皮膚が赤くなるまで自分の身体を布で擦り、その度に従者が止めに入った。
そしてお兄様は女性に対して極度の恐怖心を抱くようになってしまった。
お母様や私以外の女性を目の前にすると錯乱し嘔吐した。中でも黒色に近い髪や金色の髪の女性に対しては特に酷かった。
以来、お兄様の身の回りの世話は従者がするようになった。
お兄様がそうなってしまった原因を突き止めるため、お父様はお兄様の身の回りを調べまわった。でもどんなに調べてもなにも出てこなかった。呪いの類を疑って大神殿を尋ねたけど、そういった類も一切出てこなかった。
原因がまったく分からず、お父様とお母様は苦しんだ。
でも誰よりも苦しんだのはお兄様だった。
お兄様も次期皇帝としてこのままでは良くないと自分を叱咤し、勉学や帝王学、剣術に打ち込み、弱った姿を一切見せず皇太子として立ち振る舞った。
だけどその姿は私の目には余りにも痛々しく見えた。
お父様もそう見えたみたいで、お兄様の心が落ち着くまで和合会へ出席させなかった。でもそれが余計にお兄様を苦しめてしまった。
「俺は皇帝になれない」
呟かれたお兄様の言葉に、私は「そんなことはありません」と言えなかった。呟かれた時のお兄様の顔が酷く疲れ果ててしまっていたから……。
「お兄様?」
ある日、お兄様の手に薬草が握られていた。
「それはなんですか?」
「痛み止めの薬草……」
痛み止めの薬草? なぜお兄様が? ヴァルトス国の王族の血を受け継いでいる者は代々治癒魔法に長けていて、そういった類のものは必要としてこなかった。
「どこか……痛むのですか?」
私の問いにお兄様は首を緩く振った。
「この薬草の匂いを嗅ぐと、不思議と心が落ち着くんだ」
今までも気持ちを和らげ、眠りに良いというハーブがあればお兄様に勧めてきたが、どれもいい効果は得られなかった。
「そうですか…。良かったですねお兄様」
「ああ」
そう云ってお兄様はほんの少しだけ穏やかな笑みを浮かべた。お兄様のそのような顔を見るのは本当に久しぶりで、私は思わず涙ぐんでしまった。
そのことを侍女に話したら、その痛み止めの薬草はどこにでも自生し、簡単に手に入れることができる薬草だという。
「ただ、あの薬草に心を落ち着かせるような……そのような効果があるとは存じませんでした」
と、侍女は驚いた。
「お兄様」
お兄様がいつもいる場所に顔を出すと、案の定お兄様はそこにいた。
お兄様は薬草畑の中に佇む木の下に置かれた長椅子に横たわり目を閉じていた。
私はお兄様を驚かせないように離れた場所に置かれたガーデニングチェアに腰掛けた。風に乗って薬草の涼やかな香りが私の鼻を擽る。
畑に植えられている薬草はたった一種類だけ。あの痛み止めの薬草だった。
お兄様は自分の宮にある庭の一部を薬草畑にして、何もない時はここで過ごすようになった。
『この痛み止めの薬草にはそのような効果はありません』
脳裏に宮廷の薬剤師が告げた言葉が浮かぶ。
『しかし、人それぞれです。皇太子殿下にはこの薬草がそのように感じられたのでしょう。このまま良い方向にゆくことを願っています』
ここで過ごすようになって以来、お兄様は以前より夜に魘されることもなく、眠れるようになったという。
女性に対する恐怖心は未だに消えないけれど、黒に近い髪色や金色の髪以外の老婆とは会話ができるようになった。
少しずつ、少しずつ回復の兆しを見せていく中、私はふとお兄様のある視線に気付いた。
お兄様は一部の侍女たちを目で追うようになっていた。
その彼女たちはどれも赤茶色の髪をしていた。
「……来ていたのか」
お兄様の声が聞こえ、そちらのほうに顔を向ければお兄様が上半身を起こしていた。
「はい。とてもよいお茶の葉が入りましたので、お兄様とお茶でもと思ったのですが、眠っていらしたので……」
「そうか。悪かった」
「いいえ、言伝もなく突然来た私が悪いのです」
「………」
「? お兄様?」
黙り込んだお兄様に私は首を傾げた。
「…………最近、夢を……見るんだ」
夢という単語に私の心臓が跳ねた。夢? 夢ってもしかしてお兄様が魘されてる? でも眠っていたお兄様は魘されていなかった。それに今、最近って言った。
お兄様は魘されている原因を頑なに話そうとしなかった。
「どの、ような夢…ですか?」
私は小さく震える手できゅっとスカートを握った。
「……彼女の……夢だ。赤茶色の髪をした……」
「え?」と私は声を漏らした。赤茶色の髪をした……女性? お兄様が赤茶色の髪をした侍女を見るようになったのはそれが理由?
「彼女はいつも俺の傍にいた。………ただ静かに」
夢の中の女性を思い出してるのか、お兄様は遠くを見ていた。
「……ただ静かに、俺の傍で眠っているんだ」
三つ上のお兄様が突然心の病にかかったのは。
毎晩魘され、時には悲鳴を上げて飛び上がるときもあった。
入浴の時は「気持ち悪い」と皮膚が赤くなるまで自分の身体を布で擦り、その度に従者が止めに入った。
そしてお兄様は女性に対して極度の恐怖心を抱くようになってしまった。
お母様や私以外の女性を目の前にすると錯乱し嘔吐した。中でも黒色に近い髪や金色の髪の女性に対しては特に酷かった。
以来、お兄様の身の回りの世話は従者がするようになった。
お兄様がそうなってしまった原因を突き止めるため、お父様はお兄様の身の回りを調べまわった。でもどんなに調べてもなにも出てこなかった。呪いの類を疑って大神殿を尋ねたけど、そういった類も一切出てこなかった。
原因がまったく分からず、お父様とお母様は苦しんだ。
でも誰よりも苦しんだのはお兄様だった。
お兄様も次期皇帝としてこのままでは良くないと自分を叱咤し、勉学や帝王学、剣術に打ち込み、弱った姿を一切見せず皇太子として立ち振る舞った。
だけどその姿は私の目には余りにも痛々しく見えた。
お父様もそう見えたみたいで、お兄様の心が落ち着くまで和合会へ出席させなかった。でもそれが余計にお兄様を苦しめてしまった。
「俺は皇帝になれない」
呟かれたお兄様の言葉に、私は「そんなことはありません」と言えなかった。呟かれた時のお兄様の顔が酷く疲れ果ててしまっていたから……。
「お兄様?」
ある日、お兄様の手に薬草が握られていた。
「それはなんですか?」
「痛み止めの薬草……」
痛み止めの薬草? なぜお兄様が? ヴァルトス国の王族の血を受け継いでいる者は代々治癒魔法に長けていて、そういった類のものは必要としてこなかった。
「どこか……痛むのですか?」
私の問いにお兄様は首を緩く振った。
「この薬草の匂いを嗅ぐと、不思議と心が落ち着くんだ」
今までも気持ちを和らげ、眠りに良いというハーブがあればお兄様に勧めてきたが、どれもいい効果は得られなかった。
「そうですか…。良かったですねお兄様」
「ああ」
そう云ってお兄様はほんの少しだけ穏やかな笑みを浮かべた。お兄様のそのような顔を見るのは本当に久しぶりで、私は思わず涙ぐんでしまった。
そのことを侍女に話したら、その痛み止めの薬草はどこにでも自生し、簡単に手に入れることができる薬草だという。
「ただ、あの薬草に心を落ち着かせるような……そのような効果があるとは存じませんでした」
と、侍女は驚いた。
「お兄様」
お兄様がいつもいる場所に顔を出すと、案の定お兄様はそこにいた。
お兄様は薬草畑の中に佇む木の下に置かれた長椅子に横たわり目を閉じていた。
私はお兄様を驚かせないように離れた場所に置かれたガーデニングチェアに腰掛けた。風に乗って薬草の涼やかな香りが私の鼻を擽る。
畑に植えられている薬草はたった一種類だけ。あの痛み止めの薬草だった。
お兄様は自分の宮にある庭の一部を薬草畑にして、何もない時はここで過ごすようになった。
『この痛み止めの薬草にはそのような効果はありません』
脳裏に宮廷の薬剤師が告げた言葉が浮かぶ。
『しかし、人それぞれです。皇太子殿下にはこの薬草がそのように感じられたのでしょう。このまま良い方向にゆくことを願っています』
ここで過ごすようになって以来、お兄様は以前より夜に魘されることもなく、眠れるようになったという。
女性に対する恐怖心は未だに消えないけれど、黒に近い髪色や金色の髪以外の老婆とは会話ができるようになった。
少しずつ、少しずつ回復の兆しを見せていく中、私はふとお兄様のある視線に気付いた。
お兄様は一部の侍女たちを目で追うようになっていた。
その彼女たちはどれも赤茶色の髪をしていた。
「……来ていたのか」
お兄様の声が聞こえ、そちらのほうに顔を向ければお兄様が上半身を起こしていた。
「はい。とてもよいお茶の葉が入りましたので、お兄様とお茶でもと思ったのですが、眠っていらしたので……」
「そうか。悪かった」
「いいえ、言伝もなく突然来た私が悪いのです」
「………」
「? お兄様?」
黙り込んだお兄様に私は首を傾げた。
「…………最近、夢を……見るんだ」
夢という単語に私の心臓が跳ねた。夢? 夢ってもしかしてお兄様が魘されてる? でも眠っていたお兄様は魘されていなかった。それに今、最近って言った。
お兄様は魘されている原因を頑なに話そうとしなかった。
「どの、ような夢…ですか?」
私は小さく震える手できゅっとスカートを握った。
「……彼女の……夢だ。赤茶色の髪をした……」
「え?」と私は声を漏らした。赤茶色の髪をした……女性? お兄様が赤茶色の髪をした侍女を見るようになったのはそれが理由?
「彼女はいつも俺の傍にいた。………ただ静かに」
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