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第2章 司のあわただしい二週間
第70話 夢の中でお散歩
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「あー・・インクで全身ぐちゃぐちゃ・・・どうしてくれるんですか、これ」
晴天が色が無尽に広がるカンバスと散りばめられたペンキを照らす。中途半端に乾いたペンキの上にまたペンキが塗り重なり、全員地肌の色も毛色も分からないくらい色に塗れている。時間が経てば元に戻りそうですけどと不機嫌そうに零すと、司はこっちと言ってすたすたと背を向けて歩き始めた。
「こっちこっちー!」
2人と一匹の頭上をマーブルカラーの大きな鳥がぴゅいぴゅい鳴きながら飛んでいく。そうしてカンバスの平原を越え、飛んで行った先、青い睡蓮の咲く泉に水飛沫を上げダイブした。
次に司がついっと、ぱしゃりと音を立てて飛び込む。指先からの美しい着水。睡蓮の茎を避けながら無駄のないフォームで潜水ドルフィンキック。その軌道にインクが散り、進む波紋と相まって複雑な色彩を睡蓮の咲く水面に描いた。対岸に辿り着いた時にはすっかり綺麗になっている。
対岸で素知らぬ顔で身繕いを整えているように見える司を眉間に皺を寄せ、複雑な顔でサティヤは見る。そんなサティヤに豹は犬かきしながら近寄って声を掛けた。
「ほら、温かいから飛び込んできなよ」
「え?」
「泉は冷たい物、普通の睡蓮が咲いてるなら水、だなんてあっちの世界の常識さ。夢が理不尽で向こうと勝手が違うものだって知ってるでしょ? ここのエリアの主人は司(あれ)なんだから快適性を損なうような要素はまず表にないよ」
「本当だ、温かい・・・すっかり普通の泉だって思い込んでた」
手の先を入れ水温を確かめる。湯気は出ていないが泉はぬるめの温泉程度の温かさがあった。飛んできた水飛沫に顔を上げると鳥は水遊びに夢中で、飛び散る飛沫も楽しいのか水面を翼で打ったり、葉に乗ったり、何度も潜ったりして遊んでいる。
サティヤは溜息とも嘆息ともつかぬ息をひとつ吐くと、ていっと掛け声をひとつして立ち幅跳びをするように温泉に飛び込んだ。目を瞑って頭まで沈むとインクも汚れも全部温かな水に溶けて行く。
「ぷはっ・・本当に温泉だ・・・」
「うーん、極楽極楽」
底は見渡せないほどの深さがある泉は浮力が高く水面に浮くこともでき、現に豹はなにもせずともゆらゆらと浮かび、だらけきった顔を隠しもしない。
「新感覚・・!」
「でしょ~? 司はあんまり入らないんだよね~、こんないい場所なのに」
全身真っ赤にされて拓を取られた事も忘れだらけるサティヤと、顎を葉の上にのせてうつらうつらしはじめる豹。
「遊んでー、温泉入って、お散歩して。お日様があるなら芝生の上で日向ぼっこしながら毛繕い。夜は星空を見上げて身を寄せ合っておしゃべり。これ以上何を望むってのさ・・・ああ・・・お昼寝を忘れてた・・・」
勝手気ままなことを言い、器用に眠り始めたまだらの無い奇妙な豹を横目に、サティヤも大の字に浮かびながらぼんやりと青い空を見上げる。訳も分からず始まった遊び。謎の多すぎる異世界人たち。つらつらと頭に浮かぶ事柄は、不安定にゆらゆら温泉に揺れていると一向にまとまらず、インクよりも不確かな思考の泡沫ははらはらと零れ落ちてどこかに行ってしまう。夜の空はいつの間にか明け、こうしてただ他人の夢に浮かんでいる事が不思議で仕方がない。
(窮屈だな。窮屈だったんだ・・・。そうだよね、ここは温泉、服とか顔を綺麗にしたいとかじゃなくて、この豹みたいに自堕落で快適にやっていいんだよね?)
体勢を変え、水中で靴を脱ぎ、その中に脱いだ靴下を入れて岸に投げ捨てる。着心地の良さで選んだカーディガンやワンピースも、ここだと纏わりついてきて重たいものにしかならない。裏返すように無理やり脱ぐ。ここまで脱いでしまったらもう下着も煩わしい物にしか感じず、全部団子みたいにまとめて、ぽーいと岸に追いやった。多少乱雑に扱おうが、現実の物自体には影響は無いことも分かっていたためサティヤに躊躇いは無かった。
「ああ・・天国ってここにあったんだ・・・」
そうやってどれくらいか知れないがぐだぐだと温泉で寛いでいたサティヤの顔に、無粋な水色ストライプ湿った布切れが飛来した。反射的に顔から剥がすと岸から大きな怒声が響く。
「せめてパンツを履け!!!!」
夢では初めてみる形相にしぶしぶサティヤはトランクスを履いた。
※
温泉から上がったサティヤはパンツ一枚で芝生の上に濡れたままごろんと寝転ぶ。
膝から下は温泉に入れ、同じような恰好で同じように空を見上げる。先ほどは気付かなかった、反射する湖面の光を映し煌めく泉の傍にある常緑樹の葉、そのささやき。湿った芝生のひんやりした感触としゃくしゃく擦れる音。
「温泉からあがったんなら服、着てくんない?」
「拝んでもいいんですよ?」
両の手の平をサティヤに向け、そっと目を逸らす司。
「何故そうなる・・・・」
「縁起の良い兎獣人かつ眩い美貌、程よく鍛えられたプロポーション。ありがたいって拝んでくる人もいるんですよ?」
「気持ち悪くないの?」
「実害は無いですし、何を拝もうが個人の自由ですから」
「拝むとしたら、鰯の頭でも被ってくれたら考えない事もない」
「変わった信仰ですね・・・異世界はそれがよくある事なんですか?」
「どんなものも信仰の対象にならない事もなかったよ」
「へー。ボクが被れるサイズの鰯の頭は無いから無理ですね」
「つべこべ言わずいいから着ろ!」
ちゃんと乾かして畳んである服を目を逸らしつつ差し出している司を華麗にスルーしてサティヤは質問を投げかける。
「もー・・裸だからいいんじゃないですか。あ、そうだ、羊さんどこですか? 見かけないんですけど」
「羊さんは、ほらあの木陰の貝の中だから・・・ってちょ」
「羊さーん! もふらせてー! わっ!!!」
モフという己の快楽に一直線。駆け寄りドアをノックするように白く大きな二枚貝をしゃがんでコンコンコン! と勢いよくノックを繰り返す。ちらりと、貝が開いたかと思うと中から・・・赤黒い綿のようなものがもこもこと溢れ出てきた。ウールグリスで微妙に湿ったそれは非常に不愉快な印象を与える代物で、驚いたサティヤはのけ反り尻もちをつく。
「羊さんはお休み。引き籠ってるのを無理に出そうとしちゃだめ」
「びっくりしたぁ。羊さんに抱き着いて一緒に芝生でごろごろしたらきっと最高に気持ちいいと思ったんだけどな・・・」
「ここ他人ん夢(ち)だからね? 完全に自由にはできないけど、自分の夢世界ならある程度カスタマイズできるでしょう?」
もこもこと出続けていた綿らしきそれは閉じた貝によってジャッと音を立てて切り離され、沈黙を取り戻した。
「あがったのー? じゃあまた遊んで!」
二人のもとにぴょんぴょんと鳥が近づき、きゅい、きゅいっとリズミカルに首をひねる。
「はいはい、ちょっと待って・・何か遊ぶもの・・」
と言いう司の手元に、先にピンポン玉より少し小さなむにむにとした球体にしなる柄のついたピンクと白の縞々模様の、ねこじゃらしのようなオモチャが現れた。みょいんみょいんと二回振って僅かに揺らし、数秒停止したかと思うとそれを思いっきり泉に投げ捨てた。
「あれってお・・「ねこじゃらしだよ」
「おと・「しなる柄の付いたマッサージ器だよ」
強引に言葉を遮り、話題転換を隠す気も無く大声で豹を呼び、やってきた豹の尻尾の先に紐を括りつけ、その先に小さなねずみのぬいぐるみを付ける。複雑に揺らめく尻尾とそれにつられて動くぬいぐるみを嘴で追いかける鳥。
「そういえばお礼言ってませんでした。色々助けてくれて、ありがとう。羊さんにはまた別の機会に言います。何か怒りたいとか、申し訳ないとか、そんな気持ちどっか行っちゃいました」
「お礼も謝罪も別にいいから兎に角服を着ろ。話はそれからだ」
また仰向けに芝生の上に寝転ぶサティヤに服を積み、司は横に座ってそっぽを向いた。
※
「はぁ・・・いいなぁ・・・あの動物たちは司さんのシャドウですよね? 我儘で気ままで、それでも憎めない。ボクのと全然違う・・・」
「少し歩きながら話そうか」
「ええ」
二人とも最低限の服を着て、裸足で並んで歩きだす。その横に蛇行した細い川が配置される。大小の岩が生む高低差がせせらぎを生み出し、交わす言葉も無く歩を進める。
「まず、僕のこの世界の動物たちだけど、サティヤさんが言うシャドウかどうかは僕は知らない。僕の世界だとこの世界は当たり前に存在してたから。まあ便利サポーターだろうが、シャドウだろうが、交代人格だろうが、抑圧された記憶の欠片だろうが、先を覗く窓もしくは隔てる境、何らかのルールに基づいて束ねられた要素って事に変わりはないから呼び方自体にあんまり拘りは無いよ」
「何言ってるかよくわからないです・・・」
「あれだ、自分の一部。ただそれだけ」
「それを認めたくないんですよ・・・自分と同じ顔で嫌な事言ってきて、腹立つし、勝手だし」
「いいんじゃない? 認められなくても。何か問題ある?」
歩調が遅くなるサティヤに合わせ、司は歩く速度を緩め俯くサティヤを見詰め、ゆっくりと目を瞑り、開ける。心臓の音が聞こえそうな沈黙が下り、それに耳を澄ます。光によって明らかにされる全体をぼんやり目は捉える。
「それは・・・、それは・・・、気づいたんです。お母さんの夢で好き勝手に振舞って、自分の思い通りにならないと怒りのままにぶちまける自分は、あいつそっくりだって。あいつとおんなじこと、お母さんにしてた。夢の中だからって、甘えてた、甘えたかった。だからあれもきっと甘えたいんだと思う。欲しがってるものが同じだった。あれが内側で暴れてる。ボクはあれの手先じゃないのに、気づいたらそうなってた・・・」
風がサティヤの緑の髪で遊ぶ。陽が傾く。茜に染まった薄いアーモンドの肌を、尚輝きと深みを増すオレンジの虹彩を、一瞬たりとて同じ表情が無いのだなと飽きずに司は見つめる。影が徐々に伸びていく。夜色の紗が薄く空を覆う。隙間から我先に顔を出す星々。
話は回る。ころころと、思い出話、この前の話、夢の世界の話と現実の話。尽きぬ話題に耳を傾け、相槌を打つ。
「あ、そうだ、ボクはビッチじゃないですからね!」
「何の事?」
「ほら、最初の時ビッチならやりかねないって・・・確かに積極的ですけど、兎獣人の性欲ってすごいんですからコレは仕方ない事で」
「ああ・・・そのビッチは僕の友達のビッチの事だから、サティヤさんの事じゃないよ」
「あ、そうだったんですか。その人そんなにビッチなんですか?」
「サティヤさんは、男性器を型取りしてディルド作って、それをコレクションした挙句、鹿の首を飾るように壁一面にカラフルに飾った事は?」
「あるわけないでしょう!」
「じゃあ、男性女性両性の局部の拓を取ってそれを集めたことは?」
「なんかもう・・・すごいって事だけは分かりました・・・」
「こんなの序の口だから・・エクストリームビッチだから・・・」
「その言葉人の口から聞くのは初めてですけど、それが適切だと思える人も初めて聞きました・・・」
何処か遠くに意識を飛ばす二人を星の海が見下ろす。この世界に居もしないのに影響を与えるビッチ。
「あー! 人と話してこんなに満足感があるのは初めてです! ・・・下手なセックスよりよっぽど満たされて気持ちいい。女性になるとなんでおしゃべりになるんだろうって思ってましたけど、自分勝手で雑なセックスより満足できて気持ちよくなれるからなんですねー。謎が一つ解けました!」
「もうこの子どうにかしてぇぇ・・・」
両の手を合わせ祈りにも似た仕草で耳をピンと立ち上げ恍惚の表情を晒す兎獣人。流れ星は司の小さなつぶやきを聞くだけ聞いて、さっと一条の煌めきを残し消えた。
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