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第2章 司のあわただしい二週間

第74話 いともたやすく行われるえげつない行為について

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「この前よりはましだなー・・」
 ややぐったりした新しい朝はなんだか懐かしい気分になった。起き抜けから疲労を感じるおかしさはまるっとスルーしたい所だが、軽いものではあるが泳いだ後のような全身の倦怠感は誤魔化せない。慣れたからなのか、ぷっちんされるのではなく眠って穏やかにフェードアウトしたのが良かったのか。数をこなせば分かるだろう。ぐいっとポーションを煽る。悩めるサティヤさんには失礼かもしれないが、中々愉快な夢だった。

 夢紡ぎのユニーク職と、職業神様の願いと行動。最善を尽くして最悪に備えろと言われるが、今のところ僕が考えられる最悪パターンは、秘密を知った人間は生かしてはおかん! からの巻き添えパターン。ユニークは新しい職業の芽生え、兆し。それを知らずに刈り取る人間、手を貸していた聖教国。
 個人の良心はどこまで団体様に抗えるのもなのか。立場あるものほど逆らえない。レイムさんには、欲を言えば全部話したいが、サティヤさんともう既に会っている事は伏せて出方を窺う方がいいかもしれないとも考える。
 この事は無かった事にしようという方針になっても、夢で会えるなら交流は可能。手紙は、なんらかの手段でそれも封じられた時用の、本当に保険だ。職業神様の行動に関しては、あの神様がどんな考えを持っているか分からないし、職務内容も多分人間じゃよく分からないので、対応策も何もあったものじゃないと開き直りと諦め。

 考えすぎだと思いたいが、なんせ僕は異邦人。政治で物を判断する大人には後ろ盾も経済力も無い、影響力も無い人間の発言に貸す耳は無い。トトさんは後ろ盾じゃないのかって? 何も役に立ってないのにのうのうとそう思えるほど子供じゃない。あっちを向いてもこっちを向いても正しさなんて分からないし、万人が納得する正しさなんて存在しない。ならせめてこれ以上の迷惑はかけないようにと平静を装う。

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「今夜レイムの所に行くと言っていたが、それまではどうするつもりなんだ?」
「ソックスが影に潜れるようになったので練習がてらダンジョンで遊んで、あとは神殿に行く前にザーカさんに会って報告しようかなって。寂しいですけど目的は達成しましたからソックスの合宿は今日で終了です」
「そうか、早かったな」
「ええ、ちょっと手を引けばすぐにできるようになりました。これでザーカさんとの仲も改善すればいいんですけど」
「あれもあれで問題がある。で、何を作っているんだ?」
「ふふ、お祝いと言えばケーキでしょう。ポクンテ余ってましたから。今日のおやつはポクンテモンブランです」
 ほんわりコアントローの香りのする作り置きのスポンジに、これまた鍋一杯にまとめて作ってあった豆乳と豆腐のクリームを塗り、上からポクンテの黄金色のペーストを絞る。歯ごたえと彩りが足りないのでピスタチオを散らして完成。砂糖は向こうだとお高めだった天然の白金砂糖を最小限に。

 作る時は同じ物を大量にがモットー。みんなで食べる用2、ザーカさんに渡す用1、ストック用2と計5個のホールケーキ。

 Uの字のキッチンのリビングの見える辺でクッキング。ずらっと並ぶケーキを向かいから眺めるアルフリートさんにスプーンで少し掬ったケーキを「味見です」と顔の前に差し出すと少々の沈黙。
「甘すぎないので大丈夫だと思ったんですけど・・・」
「いや、この状況にどう対応していいのか分からなかっただけだ」
 ぱくりとケーキは狼の口に飲み込まれ、感想を聞くと「美味い」と言われほっとする。まぁ、美味しくないと言われてもソックス用ですからと返すだけだが。

「人間用に作るならもっとお酒もハーブも使うんですけどね」
「それも美味そうだ」

 微笑み合い、持ち上げていたそれを下ろす。空っぽになったくぼみの縁がキッチンの明かりを弾いてつるりと光る。それを見、あ、これでいいかと手首内側にを返す。舌を出しぺとり、スプーンの背をそこに押し当てて一舐め。体液摂取の為のキスの代わり。ケーキ4個とスプーンを収納し、ザーカさんに渡す用を紙製の箱に入れていたら、アルフリートさんがカウンターに肘を突いて両手を組んだ所謂ゲンドウポーズをしていた。

「どうしたんですか?」
「・・・頼む、頼むから不意打ちでそれは止めてくれ」
「それって何ですか?」
「普通にキスにしてくれ、お願いだ」
「あ、嫌でしたか。不快にさせてごめんなさい・・・」

 これでいいやと深く考えずさらっとやってしまった。ゲンドウが項垂れ顔が良く見えない。
「嫌では無い、断じて嫌では無いが・・・」
「無理しなくていいですから」
「ああっ、嫌では無いと言っているだろう!」
「え、んん・・っ!」

 がばりと上半身が起き、がしっと両手が僕の肩にかかる。引き寄せられて、開いていた口に強引に厚い舌が割り込む。豆乳クリームのしとやかな滑らかさがポクンテと白金砂糖のそれぞれの甘さを口いっぱいに運ぶ。ココアパウダーの様な苦みは本人の味。風味に合わさって口から鼻に抜けるコアントローがまるでオペラのよう。
 舌先から、喉迄舐められてるんじゃないかって錯覚するほど、熱が、味が侵略してくる。舌を絡め追おうとした所でさっと去っていく。

「あっ・・」
 なんてことはない。数秒のキス。僕の舌の上を一往復して出て行った。この程度の刺激で情けない。物欲しげな音は自分の物だと思いたくない。口元を無意識に見詰めていた事に気づいて「・・・次からはちゃんとキスする事にします」と目を逸らす。嫌だったかと聞かれ嫌じゃないですと上ずった声で答えた。


 コロナとソックスはラクリマと一緒に朝食に一狩り行っている。ソックスと仲良くなってくれたのは嬉しいが、連れまわされていないか少々心配。朝食後皆が帰ってくるまでただ待つのも暇だったので、今夜はどうなるか分からないし昨日のカードの2回目をすることにした。

「さあ、一枚引いてください」

 リビングで正座しタロットカードのデッキを両手で繰る。すっと引かれたカードの内容を聞く。
「相手のシャツを着る?」
「僕がアルフリートさんのシャツを着てもいいですし、アルフリートさんが僕のを着てもいいですよ。もちろん嫌なら破ってくれても構いません」

 返ってきたカードはソードのクイーン。僕にとっては当たり。これはやりたいなーという内容。
 うきうきと尋ねると「ペアルックのようなものか・・」とシャツを差し出され、立ち上がって白いそれを受け取って服の上に着る。

「頭一個違う以上の格差」

 手のと太ももの半分は隠れる、襟は寸余り。チェストもウエストも半分くらい余ってそうな勢い。そんで今着ているシャツとズボンを収納。

「なっ」
「えへへっ、恋人のシャツを着るって憧れだったんですよね! 一つ夢が叶いました!! これ、向こうだと恋人の定番なんですよ!」
 かっこ書きで”一部の”とか、”二次元での”と付くが。次は僕の服を着てもらうのも良い。

「まさか下は裸なのか・・・?」
「まっさかー、ちゃんと履いてますよ」
 サティヤさんじゃあるまいし。裾をちらっと捲ってパンツは履いているアピール。その裾をアルフリートさんの両手が勢いよく引き下ろす。「定番・・夢・・」となんだかぶつぶつ言っている。座っているから表情が見えない。

 しかしこのシャツあまり匂いがしない。洗濯済みならそんな物か。ぽとりと両手が離れたのでごろんとラグにダイブ。両腕を上げてごろごろごろ。しゃりんしゃりん、柔らかさよりも張りと通気性の良い生地、素肌と恋人のシャツの触れ合う感触! 快適な自分の家でごろりん包み込まれるプライスレス! 今までの人生でありえ無かった未知のコラボレーション! 

「何をしているんだ・・・?」
「んー・・ごろごろしてるってそういう事を聞いているんじゃないですよね? ちょっと待ってください・・・」

 僕はなんとなく、本当に特に理由とか考えず、やりたいとか思わず、自然とこうしていた。
 すごく新鮮。でも、行動の裏には必ず理由や満たしたい欲求やらがある。さっきのスプーン舐めはキスの代わりにのお手軽さに飛びついた。背側なのは確実に舌に接触していると判断したから。これは、何に、どうして満たされた気分になっているか。肉体的、精神的、社会的、様々な角度からこの行動を、理由も含め吟味する。ごろごろして、豹のよくする伸びのポーズ。胸をラグに押し付け、シャツに肌を擦りつけながら。
 ぴこーんと浮かぶそれはまさに天啓。

「分かりました! マーキングしてるんです! 寝転ぶ事で少しでも接触面を増やして、体表の大部分でシャツの感触を感じ、より匂いを感じやすく、かつ両腕も上に放る事で付けやすいようにしていたんです! このラグの上なのはシャツに収まっていない脚や顔の部分でよりラグの柔らかさを堪能する為だったんです! やっぱり、好きな人がいるって、世界が鮮やかに、新鮮に感じられるようになるって本当だったんですね・・」

 一人じゃ絶対に湧き上がらない衝動。納得できる答え、解決した満足感。すとんと腑に落ちて、ふにゃんとした心地よさ。

「脱げ」
「え、もうですか。ちょっと待ってください、洗濯収納に突っ込んでから・・」
「そのままでいいからさっさと脱げ」

 握る手によって裾に皺が寄る。片手で腹を抑え眉間に罅。そうこうしているとコロナとソックスが『ただいまー』と帰ってきた。まぁそういうならいいかとぺたんと座り直しボタンを外す。ちょっと尋常じゃない様子に、返しながら嫌でした? と恐る恐る尋ねると、また嫌では無いとだけ返ってきたので、僕が気恥ずかしさでそう言ったように、これもそうなのかなと前向きに考える事にした。
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