戦国に咲く苧環~秀吉に叛いた夫婦~

あじしおん

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 一 氷解

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 吉親ら別所勢のもとへ、荒木村重による織田軍よりの離反の一報が舞い込んだのは、十月二十一日のことであった。別所軍は、一も二もなく羽柴勢の本陣が在る平井山を標的と定め、奇襲をかけることに決した。軍議は半刻と経たずに終了した。別所の者たちの多くが、鬱憤晴らすべし、と血気にはやっていた。
 かれらは当初、細川庄攻略における急先鋒の生き残り、五百の兵を以て敵陣を攻める算段であった。荒木村重の謀叛という驚天動地の報せにより、敵陣は大わらわであることは請け合いであるという結論に到った。そうなれば、自然、統率など執れようはずもない。必要な駒であれば死にもの狂いで手放すまいとする、羽柴秀吉の傲慢さ、格下と見る者に対する高慢さを考え併せると、その兵力のほとんどを黒田官兵衛の奪取に割くに相違なし、と踏んだのである。
 懸念すべき点があるとするなれば、竹中半兵衛という男の存在であった。かの男が、万にひとつも、黒田官兵衛の救出を先送りにするなり、少数の兵で敢行するように進言し、それを秀吉が承服したとなれば話が大きく変わってくる。兵を温存されてしまっては、途端に攻め捲ねることとなりかねない。
 けれどもその一点については、天に任せよう、ということで話がまとまったのである。
 軍議を終えようという頃合に どたどたと無遠慮な足音を響かせながら、何者かが広間へと近づいてくる。そうして、許可を得ることもなく、襖を開く。
 吉親を初めとして、波と長治、それから二人の弟の視線が一点に集中した。
「大変ですぞ! 城下に、武装した男たちが集っております! その数、およそ二千!」
吉報をかれらにもたらしたのは、堀田玄十郎真由であった。
「して、用向きは?」
 当主、別所長治が静かな声で訊く。
「どうやら、我らに加勢したいとのことで、その身のうえは……」
 そこで言葉を切った真由は、途端に言い淀む。そうして、波に一瞥をくれる。
 吉親は、そんな真由に問う。
「かつて、畠山家にて仕えておられた者たち、ではないかな?」
 真由は黙って頷いた。
 それを目の当たりにした波の顔色が、みるみるうちに悪くなっていく。彼女は唇をきつく噛み、拳をわなわなと震わせた。それから眼光鋭く、吐き捨てるような口調で言い放つ。
「即刻、追い返しなされ! 一人たりとも入城させてはなりませぬ! あやつらは、信用に値しません!」
 吉親は、激しく上下する彼女の肩に、そっと掌を添えた。そうして柔らかな声音で言う。
「まあそう言わず、話だけでも聴いてやってはどうじゃ? いつぞやに言うたであろう? 一部を聴いて、全部を知ったつもりになっておることがある、と……」
 そう諭してはみたが、妻は相も変わらず、得心のいかない様子である。吉親は、尚も説得を試みる。
「今こそ、すべてを知るときと思うがの……」
 その言葉に、眉根を寄せて問い質す波。
「その口ぶり、あなたさまは、なにか知っておられるのですね?」
 わざとらしく口許を緩めて肩を竦める吉親に対し、詰め寄る波。白状なさいませ、と。
「これこそが、荒木殿が申されておられた『増兵の策』というだけのことよ」
「やはり、荒木様の策に見当がついておられたのですね?」
「むろんよ。策を論ずる際、荒木殿の指先は地図上の河内国を指し示しておられたからの」
「それならば、どうしてあの場において、そうとはっきり申してくれなかったのですか?」
「そなたが、今のように目くじらを立て、聴く耳を持たぬであろうと思うたからじゃ。されど、ことが整うたとあっては無碍むげにもできまい、と踏んでのことじゃ。それにのお……」
 そこで言葉を切ると、吉親は微笑みを湛えて、更に言葉を続けた。
「それに、今のそなたなれば、己が臣の声を傾聴できるとワシは信じておるのだ……」
 吉親は理解していた。自身の妻が、信じている、という言葉に弱いということを。小ずるいやり口であるという自覚はあった。けれども、勝利をより確実なものとするための策であるから、と自身にきつく言い聞かせ、心を鬼にして策を秘していたのであった。
 波は盛大なため息を吐いた。そののちに言うのである。
「しかたありませぬな。ここはあなたさまに免じ、此度限りということであるなれば、話だけはお聴きしましょう……」
 それを聞き届けたかれは、思惑のとおりにことが運んだ安堵も相まって、満足気に頷いた。
 言いざまに、気の進まないことはさっさと済ませたい、とばかりに足早に歩きだす波。
 吉親はその背中を追った。
 やがて、城門の前に辿り着く二人。そのあとを追うようにして三兄弟が到着した。それを見計らい、吉親は家臣らに告げる。開門せよ、と。
 合図を受けて、門がゆるりと開く。
 眼前には、総勢二千の兵が傅いていた。その光景は、まさしく圧巻と言うほかにない。すべての者たちが豪傑然とした面構えである。吉親は、その迫力を前に思わず息をのむ。かれは兵たちから一旦視線を切り、波の横顔を見やる。
 彼女は、言葉もなく瞑目している。
 葛藤、迷い、疑念。ありとあらゆる感情が、彼女の中で渦巻き、せめぎ合っていることが吉親にも手に取るようにわかる。波は、今、間違いなく自身の過去と真正面から向き合い、奮闘しているのだ、と。
 永い沈黙が続く。えも言えぬほどの重く苦しい空気が垂れ込める。彼女の沈黙に水を差す、無粋な者など、誰ひとりとしていない。ただひたすらに待ち続けた。
 ――波よ。今のそなたなれば、きっと大丈夫じゃ。ワシは、そう信じておるぞ……。
 吉親は、心の中で、愛する妻を激励する。
 やがて波の薄紅の唇から、細く長い息が漏れる。その口許は微かに震えている。彼女の白い頬を、ひと筋の雫が伝う。
「用向きは……。いかなるものじゃ……?」
 波は訊ねた。その声は震えている。途切れ途切れに空気を伝って、幽かに響いた。心許ない、か細い声は消え入りながらも、しかし確実に二千の兵たちに届いた。
 吉親は微笑していた。無意識に。鼻の奥に、つん、と鋭い痛みがさす。目頭が、瞼が熱い。睫毛から頬にかけてが濡れた。
 一団の中央にかしづいている壮齢の男が顔を伏せたままに答える。
「かつて殿より、有事の際にはなにを差し置いてでも姫をお助けせよ、との命に従い、今がそのときと思い定めて馳せ参じた次第にござりまする。……貴女様に勝手と思われることを覚悟のうえで申し上げます! 明日の平井山攻めの陣に、我ら二千をお加えいただきとう存じまする!」
「不承知じゃ! なにを今更、勝手を申すでない! まこと、勝手が過ぎる……」
「不承知とあらば、いたしかたありませぬ」
 男の言葉を合図とばかりに二千の兵らが、いっせいに白刃を抜き放った。
 その挙動に、警戒の色を強めた別所方も刀の柄に手をかける。
 吉親は、特段なにをするでもなく、ただひたすらになりゆきを見守るのみであった。
「やはり、不承知と言うた途端にこれよ! それゆえ、己らは信用に値せぬというのだ!」
 波は喉笛が裂けんばかりの大声で更に叫ぶ。
「手向かうとあらば我らがお相手いたす!」
「否!」
 波の声を掻き消すかのような声が飛んだ。
「不承知とあらば、この場で一同、腹真一文字に掻っ捌いて果てるのみにござる! もとより、その覚悟にて我ら、この場に参集いたした次第! 誰ぞ解釈を願いたい!」
 二千の兵の堅固なる意志を前に、波は呆然と立ち尽くしてしまっている。
 吉親はため息を吐く。それからのち、目一杯に空気を取り込み、全身全霊を以て告げる。
「双方! 意地の張り合いはそれまでじゃ! 畠山家の皆々様。我らの城をそなたらの血で汚されてはかないませぬ。どうか、刀を収められよ。もし、聞き届けられぬと申されるならば、せめてその前にすべてを包み隠さず話されよ」
「すべて、とはいかなる意にござりまするか?」
「我が妻と方々に起きたことすべてじゃ!」
 かつて、畠山総州家の臣であった男は、つぶさに語り始めた。波が飯盛山の城で過ごしていた頃の、自らを含めた家中の者たちの、波に対する態度の変化などの理由について。それらは、蓋を開けみたな、至極単純なすれ違いに過ぎなかった。互いの、いき過ぎとも言えるほどの遠慮と不安がもつれ合い、絡み合った末にできた複数の結び目が、強く引き合う力によって更に固くなり、やがて解くことが難しくなった複数の紐のようであった。
 波が剣術の腕を上達させていくことで、次第にその相手をする者の数が減っていった理由については、格下の者がその相手をすることで彼女の腕が鈍ってしまうのではないか、という懸念と遠慮。そして、己らの腕の低さを露呈してしまうことによって、御家の行く末に対する不安を抱かせまいとした武士としての意地がそうさせてしまったのだ、と言った。それから男は、双眸いっぱいに涙を浮かべながら、言葉を紡いだ。
「いつか、姫様と再び手合わせができることを夢見て、これまで精進して参りました……」
「この私が女でなければよかった、と、家中の皆が陰ながらに申しておったことについてはどのように申し開くおつもりなのですか?」
 波は目を赤くしながら問い質した。
「それについては、貴女様が男に生まれておられたならば、武の者として戦場にていくつもの功を上げ、その名を天下に轟かすこともできたであろうということであります。されど、女と生まれたからには、そうともいきませぬ。年頃となれば御家を離れなければならぬ運命。たとえ御家に残ったとて、お世継ぎを産み、城内にて殿御の帰還を待つのみ……」
 当時の口惜しさを思い出してか、男がその唇をきつく噛んで肩を震わせている。
 吉親の脳裡に、義父、畠山尚誠の言葉の数々が想起された。

「考えに考え抜き、波をただの女としてではなく、一人の人間として向き合ってくれる殿御を、日の本じゅうを駈けずり回って探したのだ」
 と、祝言の席にて聴かされたことを吉親は思い返していた。
 義父は、祝いの席にて教えてくれたのであった。
「娘が戦場を駆け回りたいと申した暁には、それを承服できるか、と問うた途端に誰もが渋い顔をしていたのだ」
 と。
「首を縦に振った者も、いるにはいたが、いずれの男も声が淀み、上辺うわべのみの薄っぺらい生返事であった」
 ということを。そうして、愉快そうに笑ったのちに続けた。
「そなただけじゃ……。面白い、と笑ってくれたのは……。そのくらいでなくては困る、と、軽々と言って退けたのは……。賑やかになりそうでよい、と微笑んでくれたのは……」
 そう語ったとき、義父の目許はわずかに濡れていた。
 吉親は、その席で義父に問うた。拙者の口から、折を見てお伝えいたしましょうか、と。
 けれども、義父、畠山尚誠は顔の前で大袈裟なほどに手刀を振って、その申し出を断る。
「このようなことは、来るべきときに、当人らの口から伝えねば、意味のないこと……」
 尚誠は、冗談めかした口調で更に続けた。
「万にひとつでも、来るべきときが訪れなかったそのときは、いずれかの今際の際の土産話として、娘に聴かせてやってくだされ……」
 それから、声の調子を落として続ける尚誠。
「此度の祝言、我が家の者が誰ひとりとして参じておらぬこと、まことにかたじけなく思うておりまする。なにとぞ、ひらにご容赦願いたい。なにぶん、家臣ら、侍女らのことごとくが、娘に会わす顔がない、祝いの席に出る資格はない、と言うてきかぬもので……」
 と、困り顔を作ってみせる。これまでの一言一句、一挙手一投足のすべてが、父親としてのそれであると、吉親は深く感心したものであった。
 最後に義父が教えてくれたのである。
 家の者たちには祝言に顔を出さない代わりに、娘と娘婿の有事の際には一命を以て馳せ参じるようにきつく申し付けております、と。

 遠く追想に耽っていた吉親の意識を、ばちんっ、という音が強引に引き戻した。その直後、頬に熱を感じた。ひりひりとした痛みが、じんわりと広がっていくのを自覚する。こと、ここにいたってようやく気がついた。自身が妻にぶたれたのだ、と。
「あなたはすべて知っておられたのですね?」
 波の問いかけに、そうじゃ、と答える吉親。
「なにゆえ教えてくださらなかったのです?」
 と、訊ねる波に、吉親は義父との約束の内容を語った。
 すべてを聴き終えた波は力なく呟いた。
「男とは……人間とは、なんと愚かな……」
 そうして彼女は、膝を着いて泣き崩れた。
 吉親は、しゃがみ、その細い肩を抱いた。
「波よ。この者たちの処遇、いかがする? むろん、ワシは無理に許せ、とは言わぬ。許せぬものは、いかなる理由があろうと許せぬ、というのもまた然り、と思うところである」
 吉親の言葉に、波は噎び泣きながらも、必死に言葉を紡いだ。
「私は、ただ、幼き頃と変わらず接してほしかっただけ……。剣の腕など、男か女かなど、関わりなく……。私はあのとき、勝手をしました……。かれらの言いぶんを訊くこともせず、勝手に恨み、遠ざけました……。されば、そなたらも、勝手になさればよろしい……」
 波は二千の兵へ向けて、そう言った。
 吉親は天を仰ぎ、心の内で報告した。
 ――義父上。貴方様の想い、娘御に、しかと届きましたぞ……。
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