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11.動物病院に行かないと

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 世の中には不思議なことがあるものだ。ネコマタなんて本当にいるとは思わなかった。妖怪というのは戒めや習慣から人間が作り出した存在だと思っていたのに。でも目の前のユキジを見て、現実にいることを知った。ユキジは寝る時は猫の姿になって村瀬の狭いシングルベッドで一緒に寝る。何度も目の前で変化へんげするのだから信じないわけにはいかない。
 大家にはユキジは自分がいた施設の子で自分がしばらく世話をすることになったというようなことを説明した。今まで保護していた猫は元気になったから動物病院で里親を探すことになったとかなんとか言いながら。
 そして動物病院のあの先生には……さすがにまだ言えないでいる。どう説明したらいいのかわからなかったし、病院に顔を出そうとするのをユキジが嫌がるのだ。
 
「あの先生はだめ!」
「ユキジも治療してもらって良くしてもらっただろ? 何が嫌なんだ?」
「…………悪い人間じゃないのはわかってるけど、だからだめなんだ」
「何を訳のわからないことを」
 
 とにかくだめだとユキジは村瀬に抱きつきながらごねる。とはいえ、里親探しはどうなったのかきっと先生は心配しているだろうし、逃してしまったなどと言おうものならきっと保護団体を巻き込んで探し出すに決まっている。ただでさえ、返事を出さない村瀬にも先生はちょくちょく連絡をくれているのだ。それに借りっぱなしのケージとトイレも返さなければいけない。村瀬がそう説明すればとても嫌そうな顔をしながら「その時は俺も一緒に行く」と言った。
 
 短くなったとはいえ村瀬のサービス残業は相変わらず続いている。けれど、自宅に帰ればユキジが嬉しそうに出迎えてくれるのだから不思議と気持ちは安定していた。自分を心から必要としていると明言されることがこんなにも安心するものなのだと初めて村瀬は知った。依存してしまいそうだなとちょっと怖いくらいに。
 ユキジはむくれた顔をしながらもあの先生が教えてくれたという料理に挑戦していた。安くて簡単で美味しいというのだから自分でもタカオに何かしてあげられるのではないかと思ってのことだ。そして村瀬が帰宅したらそれを食べてもらって、その後は二人で前のように寝る時間まで話す。男二人にしては近い距離、身体をピタリと寄せて擦りついてくるユキジをやや怪訝に思うものの『猫だったしな』と気にするのをやめた村瀬、と、その様子にれるユキジだった。
 
「やっと明日は日曜だから病院に返しに行けるな。本当にユキジも来るのか?」
「行く。絶対。一人で行ったら許さない」
「あの先生は私に危害を加える人ではないだろう?」
「タカオは鈍いから一人はだめって言ってるのっ」
「鈍いって何が……」
 
 シャー! っと声が聞こえそうなユキジに何も言えなくなって、しょうがなく頭を撫でればユキジは途端にトロリと気持ちよさそうな顔になる。「他の人とか猫にはこんなことしないでね」とユキジは村瀬の手の平にグリグリと頭を押し付けるようにしながら言う。するような人も猫もいないが……と思いつつも、それを想像してなんとなく後ろめたく思った村瀬は「わかったよ」と言った。
 
 翌日、村瀬とユキジは連れ立って動物病院へ向かっていた。ユキジは新しく買ってもらったシャツとジーンズを着ているのだが、そのシンプルさがかえってユキジの魅力を引き立てていた。村瀬はユキジを見て眩しいなと思う。鬱々とした自分とは正反対のように思えて少しだけ卑屈になってしまうのだ。
 
「村瀬さんが昼間に来るなんて珍しいですね……っと、こちらは?」
「あ、えっと……」
「ユキジ。……タカオ、早くこれ返して帰ろう?」
「お、おい」
 
 腕を絡めて帰りたがるユキジをなだめて、村瀬は病院内に入る。日曜の昼間ということもあり院内はそれなりに人やペットがいた。先生は昼間は補佐と言っていたけど、これでは補佐どころではないのでは? と村瀬は考え、ケージとトイレを返してユキジの言うとおりすぐ帰ったほうが良さそうだと思っていた。……のだが、先生は奥の部屋へ案内してくれた。
 
「村瀬さん、あの猫ちゃんは? 里親見つかったってことです?」
「それが、そのー」
「俺はタカオとずっと一緒にいるんだってば」
 
 村瀬はユキジを肘で小突いて黙らせる。ユキジはこづかれて不貞腐れたようにふいっと顔をそむけたのだった。
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