パラダイス・オブ・メランコリック

杙式

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五 因果の糸

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 ――三週間後。



「共同戦線なんてヤになっちゃう」

 物陰に隠れながらリリーが不満をこぼした。

「局長はリリーたちの手柄にするつもりだって言っていたじゃない? これじゃあこれまでのリリーたちの努力はなんだったのかしら」

「敵は目前だ。もう少し声を落とせ」

 背後の警視庁の機動隊のひとりがリリーを厳しくたしなめる。

「あら。ごめんあそばせ」

 緊張感もなく平然とリリーは告げる。

 くぬぎの言い出した特殊班の密かな捜査は実を結ぼうとしていた。
 ただし、警察との合同捜査という条件つきではあったが。

 ダッドの事件以来、世間にミセリコルディアの危険性が再認知され取り締まりは強化されていた。
 それにより予算は追加され、捕まえた売人の協力もあって、特殊班と椚が密かに進めていた捜査は佳境に差しかかっていた。
 しかし、ここにきて椚は警察との合同捜査を命じたのだ。

 しかもリリーにとってなにが一番不満だったかと言えば、けいの態度だ。
 こういうときはいつも先頭切って抗議するのが慧なのだが、よりによって警察と違法取締部との関係性もあるだろうし、恩を売っておくのも必要だと言って文句も言わなかったのだ。
 あの事件以来、慧はどこか腑抜ふぬけて気合が足りなかった。

 無論、ここまで大きな作戦となると、手が不足しているのはリリーだってわかっていた。
 アイテールでは本格的な銃撃戦になってしまっては出る幕もない。
 だがこれまでの努力を思うと、しゃしゃりでてきたくせに我が物顔の警察官にどうしてもイライラしてしまう。
 ひとつひとつの事件の点から線を導き出し、ミセリコルディアの精製場所であるここを突きとめたのだって特殊班なのだ。

 リリーたちがいるのは、とあるテナントビルの前だった。
 街金や聞いたこともない会社、それに歯医者の看板が掲げてある。
 そこにとある大学の教授が数ヶ月前から通っていた。
 表向きには歯医者に通っているという体で。

 ミセリコルディアは他の違法薬物と違い、密輸に頼らない。
 その代わり専門的な知識と道具を必要とする。
 そのため精製には病院関係者やなんだかの研究機関に勤めていた経験のあるものが関わっているとにらまれていたのだ。
 そして、その大学教授は、以前、研究の予算獲得に奔走ほんそうしていたが、最近では潤沢じゅんたくな資金を手に入れたらしいこともわかっていた。

 今日は、週に一回ある『納品日』だった。
 運搬用のトラックがビル前に停まっている。
 教授と運搬業者を装った男たちがそのビル内にいるのは確認済みだった。

『突入準備』

 無線が入る。
 空気がピリリと張り詰める。
 リリーとルウたちが正面から突入し、裏口を慧と十和とわが張っている手はずだ。
 そのビルには隠し地下があり、その地下でミセリコルディアは精製されているとわかっていた。

 リリーはぺろりと唇をめる。

 こうなったら大暴れしてやろうともくろんでいた。






 慧は警察病院の一番奥まった場所にある病室にいた。
 外の戸には面会謝絶と札が下がり、警察官が立っている。
 病室のなかにはあの少女が眠りつづけていた。
 人工呼吸器の動作音と、バイタルをしめす音が静かに響く。

 少女は六反田茜ろくたんだあかねといった。
 両親はダッドの手によって殺されており、親戚がいるようだが、警察の調書に協力するため一度顔を見せたきりだった。

 発見された両親の遺体には虫がたかっていたという。
 多分、それを目撃した茜の心象風景に深く刻まれアイテールとして顕現けんげんしたのだろう。

 茜のアイテールは強い恐怖心から生じていたのではないかというのが、鹿妻かづまの見解だ。
 そのため、ダッドの形を取り、近づくすべてのものを無意識に攻撃していたのだ。
 だが、そんななかで母の幻影を見ることによって、守られているという安心感を得、存在意義の薄れたアイテールは消失したのだ。

「ここに運ばれたときは、全身打撲と栄養失調で随分弱っていたけど、いまはだいぶ回復している。薬もほぼ抜けた。問題は肉体よりも精神のほうだね」

 隣に立つ鹿妻が告げた。

「いまも眠りつづけているのは、目覚めたくないってこと?」

 慧が聞いた。

「どうだろうね。あんなことがあったんだ。少しくらい回復のために眠る時間だって必要だって俺は思うよ。体の傷は目に見えるけど、心の傷は目に見えないんだし。今回の場合は心の傷のほうがきっと重症だったんだ」

「それなら……」

 自嘲気味な笑みを慧は浮かべる。

「心の傷はまだ開いていて、血が流れつづけているのかもしれないね」

「慧ちゃん……」

「十和のほうが正しかったのかもしれない。それなのに……。わたしは……」

 慧はうつむく。
 リノリウムの床はてらてらと輝き、清潔だった。

 犯人がアイテールによって命を落とし幕引きとなった今回の事件は、箝口令かんこうれいがしかれたのにもかかわらず、一部週刊誌でセンセーショナルに取り上げられ、ネット上でも話題になってしまっていた。
 蝿のアイテールを顕現し結果的に警察関係者数人を死に追いやってしまった茜は、まるで悪者扱いだった。
 だれが調べるのか、茜の生い立ちや通っていた小学校までもが事細かに画像つきでさらされていた。
 いまも記者なのか一般人なのかわからない人物が病院前を張っていたり、隙きあらばなかに入ってこようとしている。

 これだけのひとが知ってしまったのだ。
 きっと茜はもう普通の生活は送れないだろう。
 茜が忘れようとしても、執拗しつように覚えている人間が必ず口だししてくるものだ。

 鹿妻が慧の頭をポンポンと叩く。

「慧ちゃんは間違っていないよ」

「鹿妻さん……」

「正しさなんて一過性の価値だ。だから俺たちは自分が信じるものを信じるべきなんだよ。自分を信じて進んだ道が唯一正しい道だと俺は思うよ」

「優しいね、鹿妻さんは」

「そんなことないよ。ところで、慧ちゃんこそ脚の怪我はもう大丈夫なの? 十和も本当に撃つなんてひどいやつだよね」

「ああ、大丈夫。結局かすり傷みたいなもので、もう仕事にも支障ないんだ。血は派手にでたんだけど、それほど大きな怪我じゃなくて、前回の作戦でも問題なかったし……」

「ああ、リリーちゃんが大活躍したんだってね。椚が苦笑していたよ」

「ほんとに。おかげでこっちは出番が全然なかった」

「これで特殊班は存続だ。特殊班を立ち上げた椚の出世にもプラス査定じゃないかな。今度みんなで奢ってもらおうか」

「ふふっ。局長も大変だ」

 慧はそう言ったきり黙ってしまう。
 言葉が続かないようだ。
 鹿妻は慧の顔をのぞきこんだ。

「どうしたの?」

「え?」

「本当は他にも話したいことがあるんじゃない?」

 慧は泣き笑いのような表情を浮かべる。

「かなわないね、全然」

「いいよ。なんでも言ってごらん」

 眼鏡の下の優しい目でうながす鹿妻から視線を逸らし、慧は自分の腕を強く掴んだ。

「ミセリコルディアの処方量を増やして欲しい」

 一転して、鹿妻は険しい表情になり、首を振った。

「慧ちゃん。それは、いくらきみの頼みでもそれはできないよ。暴発の危険性はわかっているよね」

「わかってる……。わかってるけど。だけど……」

「どうしたの?」

「わたし――……」

 慧は言葉に詰まる。
 鹿妻は慧の言葉を、寄り添うように穏やかな沈黙で待っていた。
 きっと鹿妻のことだから、話せるようになるまでいつまでだってそうやって待っているだろう。
 慧は涙をこらえる。
 優しさに胸が詰まる。
 同時に、このうえなく不甲斐なかった。

 長い逡巡ののち、慧は震える声で告げた。

「わたし、アイテールがうまく操れなくなったみたい」
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