パラダイス・オブ・メランコリック

杙式

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四 ベルゼブルの慈雨

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 けいは言い返せず十和とわにらみつける。
 変わらず微笑みを浮かべているが、目だけは異様に冷静だ。
 きっとこのまま避けなければ、十和は言葉のとおりに撃つかもしれない。
 それに十和の言っていることは道理なのかもしれない。

 だが、同時に納得できなかった。

 だったら、なんのためにこの仕事をしてきたというのだろう。

 握った拳が震えた。悔しかった。
 言い表せないほど悔しくて仕方なかった。

「慧ちゃん、泣いているの?」

 十和が首を傾げて慧をうかがう。
 慧の目は真っ赤でうるんでいた。

「被害者を救いたいって気持ちはわからなくもないけど、慧ちゃんが泣くほどの価値なんて、きっとその子にはないよ。だって、アイテールが出現してるってことは、その子だって薬をやってたってことなんだから。ある意味自業自得じゃない」

 その言葉に慧は目を見開く。次の瞬間、力の限り叫んでいた。

「違うっ!!」

 あまりの迫力に十和が一瞬たじろぐ。
 慧はその隙きを見逃さず、距離を詰め、十和の握る銃に手をかけた。

「慧ちゃん、邪魔しないで。手を離して」

 十和が低く忠告する。
 その目つきはゾッとするほど暗く、鋭かった。

 だが慧は拒否する。

「嫌だ」

「慧ちゃん」

「嫌だ! 十和は誤解してる!」

「なんのこと?」

「その子は望んで薬を飲んだんじゃない! 飲まされたんだ、その売人に! わかるだろう!」

 涙が慧の頬を伝う。
 暗い、じめっとした部屋のなかでの、思いだしたくもないできごとがリフレインする。
 もうだれにも言うつもりなんてなかった。
 知られなくなんてなかった。

 だが、それでも――。

「その被疑者は、少女を犯すために、一家に侵入するんだ。そして、両親を人質にして、両親の目の前で何度も犯すんだ。何度も、何度も何度も。気が狂うほどに何度も……。そして、もうぼろぼろになって抵抗もできなくなったころを見計らって、両親を殺すんだ。そうやって、絶望を与えて、今度はミセリコルディアを飲ませ、精神を犯すんだ。肉体も精神も犯すだけ犯して、飽きると捨てるんだよ。それがそいつの手口なんだ……」

 裏社会に生きる売人のダッドはうまく姿を消す術も心得ていた。
 警察の目も違法薬物捜査官の目もくぐり抜けて、いままで悠然と生き延びてきたのだ。
 そして、同じようにまた罪を犯したのだ。

「なにを根拠にそんなことを――…」

 そう言いかけた十和ははっとして慧を見る。

「十和もそんな顔をするんだな」

 慧が自嘲気味に笑う。
 十和は眉をひそめて、いつものゆるい表情を引っこめていた。
 さすがに察したのだ。

「そうだよ。わたしもそいつの被害者だ。そいつのせいでアイテールを出せるようになったんだ。わたしの場合、近所の人が異変に気づいて、わたしだけ殺される前に保護されたけどね」

 だが、十和のつぎの言葉は慧には思いもよらないものだった。

「なら……、慧ちゃんが一番わかるんじゃない? その子が生き残ったとしても、きっとつらい現実しか待っていないよ」

「え――…?」

 慧は言葉を失う。

 確かに、十和の言うとおり慧を待っていたのはつらい現実だった。
 ニュースや周りの大人たちが『運良く』助かってよかったと言うなかで、なにが『運良く』助かっただといつも思っていた。
 いっそ、あのときあのまま見つからずに両親と一緒に死んでしまえればよかったと、何度も思った。
 そんな慧が自殺もせず気が狂うこともなかったのは、皮肉なことにダッドへの憎しみがあったためだ。
 だが――。

 慧は視線を投げる。
 そのダッドはすでに蛆虫うじむしにまみれて息絶えている。

「それにね、慧ちゃん。暴発を起こして、前の事件に匹敵する被害をだしたら、その子はもっと苦しむよ。ただでさえこんな状況なのに、それに耐えて生きるの? 僕なら耐えられない」

 慧の目に迷いが浮かぶ。
 それでも苦し紛れに言い返す。

「暴発なんて起こさない。そんなこと、わたしがさせない」

「どうやって?」 

「どうやってって、それは……」

「慧ちゃん。慧ちゃんにつらい過去があって、その子に自分を重ねてしまうのはわかるよ。だけどね、これ以上生きていたってその子自身苦しむだけだよ。ここで終わらせるのもひとつの選択じゃないかな」

「だけど……」

「もし、慧ちゃんが僕がやることが間違っているって思うなら、訴えてくれたっていいよ。だけどいまはこうするのが最善だと僕は思う」

 十和の言葉は厳しく冷静で、それゆえに正しい判断だった。
 十和の言葉のとおり、きっとそれが最善なのだろう。
 そう慧も思い始めていた。
 なにより、慧自身ずっと苦しんできたのだ。
 慧のしようとしていることはその苦しみをこの少女にも与えるということでしかないのかもしれない。
 自己満足なのかもしれない。
 救いたいと思うのは、ただの押しつけなのかもしれない。

「確かに、わたしは苦しんできた。違法薬物取締官になったのもその男に復讐するためだ」

「慧ちゃん、わかったなら……」

「だけど、だからこそ、わたしがその子を見捨てるわけにいかない。そうじゃないか!」

 そんなの本末転倒だった。
 本当に救いたいものや守りたいものを守れず、なんのために生き長らえてきたのか。

「理屈なんてどうだっていい! 割に合わなくたって知らない! ただ、わたしは救いたいんだ! だから、十和。お願いだ」

「暴発が起きたらどうするの? 止められないよ」

「わたしが止める! アイテールが増えつづけるって言うなら、わたしが消しつづける」

「慧ちゃんは力使い切っているよね。アイテールだってもう出せないでしょ」

「そんなの、どうにだってなるよ。気合の問題だ」

「こんな目に遭って、この子にこれ以上苦しめって言うの?」

「最初はそうかもしれない。だけど、人生つらいだけじゃないんだ。真っ暗いと思っていた道に、知らないうちに光が差してたりするんだ」

 そうだ。
 ずっと暗闇だった。
 どっちに進んでも道なんてないと思っていた。
 だけど、あの日、不意に道は開けた。
 鹿妻かづまに出会い、違法薬物取締官になり、十和と組んで現場を走り回り、それはいつしか慧の生きがいになっていた。

「わたしがそうだった。苦しい毎日でも、生きていればときどきよかったって思える日がきたりするんだ。そういうのって、悪くないと思うんだ」

「だけど、暴発が起きて取り返しがつかないことになったらどうするの? きっと大勢がこの子を恨むよ。憎むよ。この子だって自分のしでかしたことに苦しむよ」

「そうなっても悪いのはこの子じゃない。わたしの罪だ。罰するならわたしを罰せばいい。わたしがこの子を命にかえても守る」

「毎日がつらくて、将来犯罪者になるかもよ」

「なったっていいよ。それはこの子が決めることだ。だけど死んでしまったらその可能性だってなくなるんだ」

 十和がため息をつく。

「話しにならないよ。屁理屈ばかりだ。慧ちゃん、いい加減離して」

 冷静な十和の目が慧を見据える。
 十和のほうが正しいのだ。
 わかっていた。だが、銃を握りしめる慧の手にはいっそう力がこもった。

「だって、おかしいじゃないか」

 悔しさで涙がこぼれる。
 歯がゆかった。

「この子を殺すのは違うだろ。間違ってるだろう。この子がどんな悪いことをしたっていうんだ。なにもしていないじゃないか。少しも悪くなんてないんだ。罪があるのはその男で、この子は悪くない!」

「慧ちゃん……」

「どうして救えないんだ。どうして殺すしかないんだ。こんなつらい目に遭って、命まで奪われなければならないなんて……。わかってよ、十和。助けたいんだ。わたしはこの子を助けなければいけないんだ!」

 不意に、銃を握る十和の手から力が抜けるのが伝わる。
 慧は顔を上げる。
 十和はいつもの微笑を浮かべていた。

「かなわないな、慧ちゃんには。わかったよ。わかったから、その手を離して」

「十和……」

 慧がそっと銃をつかんでいた手から力を抜く。

 次の瞬間、発砲音が響いた。

 慧はその場に崩れた。
 蛆虫のなかに手をつく。
 脚を撃たれていた。

「ごめんね、慧ちゃん。慧ちゃんが守りたいものがあるように、僕にも、なににかえても守りたいものがあるんだ」

 部屋の奥にいる妹の蛍琉ほたるに一瞬視線を送りながら十和が告げる。

「それにこの場所に僕が居合わせたってことは、こうなる運命だったってことなんだよ」

「十和、やめろ!」

 十和は銃を構える。
 まるでスローモーションのようだった。
 銃口が少女をとらえる。
 慧は走り出そうとしてその場にすっ転ぶ。
 脚に力が入らない。
 間に合わない。

「やめろおおおおおおおおおおっ!!」

 慧が叫んだ。

 カッとあたりが光る。
 気づくと、蛆虫のアイテールが慧の手もとから輝きだしていた。

 それは形を変え、光の粒のようになっていた。
 ひとつ、ふたつと空中に浮かび上がる。

「なんだ……。これは……!?」

 十和は狙いを定めようとするが、グラグラと足もとが覚束おぼつかない。
 慧の近くからまるでけるように蛆虫のアイテールが次々と形を変え、空中に浮き上がる。
 そのため足もとがまるで水が流れるように雪崩なだれれて、転ばないようにするだけで精一杯だった。

 はっと気づくと、部屋中に金色の光が満ちていた。
 あれだけいたはずのはえと蛆虫は消え失せている。

「まさか」

 十和が呟く。
 通常、ありえないことだが、触媒カタリストの少女の想いを上回るほどの強い慧の想いが、慧のアイテールとして上書きされてしまったのだ。

「やらせない……!」

 慧は血の流れる脚を引きずって少女に近づく。
 そして、少女を抱きしめた。

「わたしが命に替えたって守るんだから」

 腕の中にあるのは細い体だった。
 弱々しく、ただ耐えることしかできない、まだ幼い命だった。
 守るべき命だった。

 慧の涙が少女の頬にかかる。
 ゼーゼーと苦しそうにつづく少女の呼吸音が少し乱れる。

「わたしが絶対に守るから……!」

 頬をてのひらで包んで、慧は少女に笑いかける。

「大丈夫。大丈夫だよ。安心していいよ」

 少女の目にわずかな光が宿る。
 その言葉に反応するように少女の指先が力なく、慧の腕に引っかかった。

「お、か……さ……?」

 少女が意識を取り戻す。
 その瞬間、出現していた少女のアイテールは、部屋の外にいたものを含めてすべて消え去る。

 そして、すぐに少女は力尽きて目を閉じた。
 母の腕のなかで安心しきって眠りにつく赤ん坊のようだった。

 慧は、少女の問いには答えられず、ただ力いっぱい抱きしめつづけた。
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