パラダイス・オブ・メランコリック

杙式

文字の大きさ
15 / 30
六 十和の講釈

2

しおりを挟む
 もがいていたけいは水柱のなかで意識を失ったようだった。
 確実に殺すにはあと二分間は閉じこめておいたほうがいいだろうとグロリアは考える。
 ふと気配を感じてグロリアは入り口に視線をやる。

 いつの間にそこにいたのだろう。
 白い少女ががまるで闇のなかで浮き上がるようにしてたたずんでいた。

 グロリアは場違いなその姿に幽霊でも見た気分になって息を呑む。

 白いワンピースを着て白いリボンをして白いクマのぬいぐるみを抱きしめている。
 そして、黙ったままグロリアを指差していた。

「なによ、あなた」

 ――グルルルルッ。

 今度は窓の方から犬の唸り声が聞こえてきて、グロリアは振り向く。
 ガラスのない窓の前で、逆光で影を背負ったシベリアンハスキーが水色の目を敵意で光らせていた。

 グロリアは最初それを訓練された麻薬探知犬だと考えた。
 アイテールであるわけがないのだ。
 アイテールだとしたら触媒カタリストが接触していなければならない。

「おとなしく、そのアイテールを解いて、捕まってくれないかな?」

 今度は入り口からラフな格好をした男が姿を現す。
 街をふらふらとほっつき歩いていそうなその男には見覚えがあった。
 客に薬物を売りつけようとしたときに、乗りこんできた違法薬物取締官だ。
 子どものようにも大人のようにも見える童顔の青年だ。

 無意識のうちに喉を鳴らして唾を呑みこんでいた。
 なにか異様だった。
 目の前の青年はまったく強そうには見えない。
 だが、言い表せない違和感がある。危機感が募る。

 グロリアは、慧を閉じこめていた水柱を解く。
 意識を失った慧は床に投げだされ、小さくむせる。
 慧は死んではいなかったが、ダメージは大きくすぐに起き上がれる状態ではないようだ。
 捨て置いても問題ないと判断し、グロリアは意識を男に集中する。
 グロリアの足もとの水溜りからずるずるとなにかが這いでて来る。
 それは、巨大な蛇の姿をしていた。

「行きなさい!」

 グロリアが水蛇に命じる。
 直感が騒いでいた。
 全力で撤退すべきだと。
 それには入り口を塞ぐその青年――十和とわが邪魔だった。
 蛇の牙が十和に剥く。

「……きっと思いこむんだよね」

 蛇が十和に噛みつくよりも一瞬早く、蛇の頸部にダブルが歯を立てる。蛇は十和のすぐ横の壁に激突する。
 蛇はダブルを払い落とそうと身体をうねらす。

「ぐっ! そいつ、アイテールなの! だけど、アイテールは……!」

 十和は苦しげなグロリアの言葉に微笑みを向けた。

「アイテールは触媒カタリストに触れていなければ消える性質があるっていうのも――」

 水蛇の頸部に噛みついたダブルの口もとから火が噴きだす。
 ダブルは炎の塊のようにその身体を変質させた。
 水蛇の身体が蒸気を立てながら蒸発していく。

「あああああっ!」

 水蛇のアイテールが負ったダメージと同等の苦痛がグロリアに流れこむ。
 まるで首筋から炎が注入されるようだ。

「アイテールがひとつの形を取ったほうが、より強くなるっていうのも」

 炎の塊と化していたダブルは、頭部の消えかけた蛇の暴れる身体を足で押さえこむ。
 つぎの瞬間、ダブルに押さえこまれた場所から蛇は白く変色していく。
 凍りついていっているのだ。

「痛い! 痛い痛いイタイイタイイタイいやああ! な、に……! なんで、こんな……! あああああああああっ!!」

 グロリアの絶叫は室内にこだました。その声に慧は意識を取り戻す。
 倒れたまま、ぼんやりと視線だけ動かす。
 慧はグロリアのすぐ背後でふたつの影を朦朧と見つめる。

 十和の声がする。

「なんでと言われるほどのことじゃないよ」

 水蛇はもう動かない。
 全身が凍りつき、グロリアの足もとの水溜りにも氷が張っている。

「僕が想像するに、アイテールに枷をはめることでより研ぎ澄まされるんだろうけど、それはやっぱり想像力の限界をつくることになるんだよ」

 グロリアの全身は痛みと恐怖と寒さで震えていた。
 ふと、氷の彫像と化した水蛇に十和は触れる。
 グロリアは十和がしようとしていることを悟ってぞっとする。

「限界って面白くないよね」

 十和が手に力をこめる。
 ビシビシっと音が響き水蛇にヒビが入る。
 まるで全身の骨が砕けていくようだ。
 グロリアは満足に声もだせず、ハッと息を呑んだのみだ。

「悠ちゃんが言うには、アイテールは触媒の脳波に反応し増幅するんだって。脳波は波だ。波は脳のなかにだけあるわけじゃない。たとえば、あそこのビルの明かりも波なんだ」

「や……やめて……」

 グロリアの頬に涙が伝う。
 苦痛でわななく唇をよだれが伝い、鼻水がでることも気にならない。
 磨き上げてきた外見を取り繕うこともできず、ただただもうやめてほしかった。
 だがそれには一切構わず十和の講釈はつづく。

「うーん。なんていうのか、つまり、世界のいたるところにあるってことなんだよ。だからこれは壊すね。苦しいし、痛いらしいし、今日の恐怖がトラウマになってアイテールはもう出せなくなると思うけど。ま、所詮、僕らはもともとただの粒子なんだし」

 十和の手に力がこもる。

「やめて! お願い、やめて!」

 グロリアは懇願していた。
 ビュスチェの胸もとを引き下ろして胸の谷間を十和に見せつける。

「あ……あたくしを好きにしてくれて構わないわ。あなたの言うことはなんだって聞く。だからお願い。見逃して。もうやめて……」

 だが、十和は首を傾げてきょとんとしている。

「それは子どもをつくる作業をしようって誘っているのかな? でも僕、いまはそういう気分じゃないんだ。早く終わらせて、慧ちゃんを病院に連れて行かなきゃ」

 十和はてのひらで蛇を押した。
 蛇はガラガラと音を立てて崩壊する。

 四肢を引き裂かれるような痛みに声も上げられず、グロリアはその場で卒倒した。

「あっ、慧ちゃん! 目が覚めたんだ。よかった」

 慧に近寄り、十和は手を差しだす。

 だが、慧はその手をはたいた。

「なんでよ……!?」

「え? どうしたの、慧ちゃん」

「なんなのよ、あんたは! なんでわたしじゃなく、あんたが倒すのよ! なんでそんなに簡単に倒せるのよ! いままでのはなんだったのよ! 戦えるならもっと前からやりなさいよ! わたしがあんなに苦労していたのをずっと馬鹿にして横で見てたの!」

 喚き散らした慧はゴホッゴホッと咽る。
 十和はその背なかをさすった。

「慧ちゃん。落ち着いて――……」

「う、うるさい!」

 慧は咽ながらも力いっぱい十和を突き飛ばした。
 わけもわからないまま、目に涙がにじんだ。

「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい! ……馬鹿みたいじゃない、わたし……。馬鹿みたいじゃない……!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...