パラダイス・オブ・メランコリック

杙式

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七 大守家への招待

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「え――? まさか、十和とわが……」

 けいが驚きで言葉を失う。
 いつも能天気にしている十和にそんな過去があったとは想像もしていないかったのだ。

「十和を見つけたのは久々に家に帰った茉莉まつりさんだったって聞いている。自室で首を吊っているのを見つけたらしい。発見は幸い早くて一命は取り留めたんだけど、それからずっと目を覚まさなかったんだ。MRIでも脳に大きなダメージや異常は見つからなかったらしいんだけど、医者からは心因性による可能性も高く、いつ目覚めるかわからないって言われたようだよ」

 どんな窮地でも笑って乗り越えてきた茉莉が取り乱したのを、そのとき鹿妻かづまは初めて見た。
 息子の異変に気づけず、研究に没頭しつづけた自分を責め、だがいまとなっては昏睡状態の息子の生命維持装置を動かしつづけるために金は必要不可欠で、それゆえに仕事を辞めることもできなかった。
 まるでいまにも引き裂かれ、後を追いそうだった。
 だが茉莉はギリギリで、研究者らしい決断をする。

「茉莉さんは、自身が開発しようとしていたデバイスを、医療で使えないか考えるようになっていた。
 そのナノマシンはニューロンの発火を増幅させるため、脳が活性化する。それにナノマシンの試作機プロトタイプでは、遺伝子操作をして無力化したウィルス――ベクターの利用も考慮していたし、そのナノマシンを利用することで、たとえば運動機能が失われていたとしても、他の脳機能が正常であれば、外部とコミュケーションが理論的には可能だ。仕様の変更をかければ医療分野でも十分利用可能だった。だから、それを使って脳の内側から十和を目覚めさせることを考え始めていたんだ。
 そして、茉莉さんは大学を辞め、声のかかっていた製薬会社の研究職に就く選択をした」

「待って、鹿妻さん。それって、やっぱり」

「うん。さすがに想像つくよね。そのとおりだよ。十和のお母さんである茉莉さんや俺たちがミセリコルディアのもとになるものを研究していたんだ」

 話の流れで想定していただろうが、実際に言葉を突きつけられた慧は少なからず衝撃を受けていた。

 見開いた目でこちらを見る慧には謝罪の言葉もない。
 だがいまは謝るよりも話を進める必要があった。

「俺も茉莉さんの助手として製薬会社に勤めることになってね、いままでにない最新の薬として最初は脚光を浴びていて、理論は大学にいたときにできていたわけだから、開発もふつうにはないくらい早いペースで進んで、順調だったんだ。ミセリコルディアが脳細胞を刺激することでアルツハイマー病で萎縮した脳の回復も、マウスの実験で判明したりしてね」

 その頃の茉莉は以前のように笑顔を取り戻しつつあった。
 いつかこの薬で十和を救うという希望を抱くようになっていた。

「だけど、フェーズⅠの臨床試験で、思わぬ副作用がでる。アイテールの出現だ。
 マウスの実験ではわからなかった想定していた以上の発火をひとの脳は起こした。それによってナノマシンから必要以上の電磁波が放出されたんだ。
 本来、立てていた仮説では通信には送信機と受信機になるものが必要で、それがミセリコルディアの役目だった。だが、アイテールはミセリコルディアを摂取していない人間にも見えてしまったんだ。
 これは自説だけど、ひとの脳にはミラーニューロンと言われる共感性ニューロンがあると言われていて、それが放出された電磁波で刺激され、ミセリコルディアを摂取していないひとの脳にまで幻覚を見せてしまったんだと思う」

 これにより、研究は暗礁あんしょうに乗り上げる。
 平たく言えば、そんな得体の知れない副作用を前に、上層部が怖気づいてしまったのだ。

 薬の量を適切に守れば、そんな副作用は起こり得ないと何度も説明する茉莉だったが、その意見はことごとく却下された。
 茉莉は再び追い詰められ、そして再び決断を余儀なくされる。

「開発には普通にないペースで進んでいたんだけど、それでもそのときすでに五年が経過していた。十和は十三で寝たきりになったんだけど、そのときにはもう十八になっていたんだ。茉莉さんは眠ったまま成長する十和を見て焦っていたと思う。子どもの五年は大人の五年以上にかけがえがないからね。薬の開発の打ち止めが決定したある日、茉莉さんは開発途中のミセリコルディアを持ちだす。そのとき、十和は改築した自宅で療養していたんだ。そして、茉莉さんはミセリコルディアを十和に注射し、――暴発が起きた」

「そんな……」

 思わず慧は呟いていた。

「そこでなにが起きていたのかわからない。ただ、辛うじて巻きこまれなかったが、付近にいたひとたちからの調書では、暗雲が住宅街を覆い、まるで阿鼻叫喚あびきょうかんのような悲鳴がしたらしい。暴発により直径一キロ内にいた住人は命を失う。もちろん、茉莉さんも支えるために専業主夫となっていた夫も、帰宅していた十和の妹もそれに巻きこまれて亡くなったよ。そんな状況下で十和はひとり目覚めた――」

 重い溜息を鹿妻が漏らす。
 十和はこのときのことを語ろうとはしない。
 そのため、十和が発動したアイテールがどのような形をなしていたのか形すらなさなかったのかわからない。
 だが、自殺を図ってから一切目覚めることなく眠ったままだった十和の心を占めていたものは、きっと明るい感情ではなかっただろう。
 もしかしたら、五年という長い間、十和はずっと絶望のなかで苦しみつづけていたのかもしれないのだ。

「確かに十和は加害者なのかもしれない。だけど、十和も茉莉さんもこんな結果を少しだって望んでいたわけじゃない。不幸な事故だった。そうとしか言えないんだ。慧ちゃんやたくさんのひとがそのせいでひどい事件に巻きこまれたのは知ってる。だけど、十和は責められるべき人間じゃない。もし、だれかが責められるとするなら開発者のひとりである俺なんだと思う」

 膝に拳をおいて、苦しげに鹿妻は頭を下げた。

「ごめん。慧ちゃん。謝って済むことなんかじゃないってわかってる。だけど、本当にごめん」

「鹿妻さん、ひどいな……」

 声がかすれた。
 慧は小さく咳をする。

「うん、ごめん。泣かせちゃったね」

「泣いてなんかない」

 そう言いながらも慧の頬を涙が伝う。
 わかってしまったのだ。
 あのとき、十和が茜を殺そうとした理由も、頑なに耳を貸そうともしなかった理由も。

 慧がそうだったように、十和もまた茜に自分自身を重ねていたのだ。

「ごめんね、慧ちゃん」

「残念だよ。わたし……そんな話を聞いて、だれかを責められるほど、子どもじゃなかったみたい」

 慧はゆっくりと笑顔を作った。
 頭を下げる鹿妻に笑いかける。

「慧ちゃん、ごめん。いままで黙っていたこともごめん」

「それは、ホントだよね。わたしは洗いざらい話してきたのに、実は壁があったってことだよね。ホントひどいな、鹿妻さん」

「本当にごめん」

「そこはちょっと許せないかな」

「ごめん」

「冗談だよ。もういいよ、鹿妻さん。年上の大人の男の人に頭を下げつづけられるのって意外と気まずいし。それに、本題が残ってるよね。なんで、わたしにこんな話したの? 十和の招待とどんな繋がりがあるの?」

 顔を上げた鹿妻は神妙な顔をしていた。そして、重い口を開いた。

「それは――」
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