金色の恋と愛とが降ってくる

鳩かなこ

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115.心に吹きすさぶ嵐を飲み込む

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 目に見えて動揺するあゆたを、医者は待合室でしばらく休むように看護師に指示してくれた。

『あなたひとりではありませんよ。発情期を迎えるオメガは誰だって心細くなるものです。体が一気に変化するのですから、心が追い付かずに怖くなる子だっています』

 自失するあゆたに看護師が優しく説明してくれた。黙りこくるあゆたをソファのところまで案内し、彼女は静かに立ち去った。

 静かな、明るい待合室であゆたはしばらくぼうっとしていた。

 やがて我に返って、あゆたは彼女の顔を見ていないことに気づいた。ずっとぼんやりして失礼な態度だったが、あちらも仕事でショックを受ける患者の扱いには慣れているだろう。

 心の中で言い訳しながら、自販機でミルクティーを買った。

 隅っこのソファは一人掛けで、それが大きな窓辺にぽつぽつと置いてある。身の沈み込むようなふかふかのソファから庭がよく眺められる。

 好きなものはいつだって心を慰めてくれる。

 自分の手が小さく震えていることにようやく気付いた。うまくプルタブが開けられなくて四苦八苦する。

 かしゅんと快い音がして開いた時、素晴らしい行を成し遂げたようにあゆたの唇は笑った。口を付ければ、甘くてこっくりとした温かさが喉を落ちていく。一息つくと、すこし落ち着いた。
 
 オメガと判明した時、初めての発情期、その予兆など、バースが判明したオメガの子供がパニックに陥ることはよくあるのだという。

 自分が避けられないもの――死や別れなど――を受け入れる過程として、バースに関わらず人間は大抵同じ道程を辿る。

(否定、怒り、取引、なんだっけ……)

 社会全体がオメガに優しく変化しようという潮目にある現在、人々の中にこびりついたオメガへの差別感情は、まるで川の底の泥がうっすらと、しかし確かに水面から見えるように存在しているのだ。

(そうだ、どんなに足掻いたって事実は変わらない。受け入れるしかない)

 あゆたはオメガだ。
 それは変えようのないことだった。
 あゆたがどんなに悩んでも、近いうちに発情期が来る。
 どんなに嘆いても、時間は戻らない。
 
 山里に近いここは一足早く紅葉を始めている枝もある。

 小さな虫や名もない草花、生きることしか知らない小さな命。

 名のない庭も、天下の銘木も等しくあゆたは愛おしくなる。

 自分がちっぽけな、この時にここに生まれた取るに足らない虫と同じだと感じる為かもしれない。

(このお茶おいしい)

 学校の自販機にはない銘柄だったので買ってみたが、濃厚な牛乳の味が体を温めてくれる。おかげであゆたもひと息吐けた。

 八月一日宮はオメガを嫌っているから、それであゆたのことを拒絶しても、それは仕方のないことだろう。あゆただって大部分のアルファが苦手だからそこは理解できる。

 理解できるが、嫌われて平気でいることはできない。
 それを目の当たりにするのが嫌で、逃げてしまった。
 自分がこんなに臆病になってしまうとは。

(……八月一日宮と話がしたほうがいいな)

 隠すつもりはなかったのだと言い訳させてくれるだろうか。

 出来損ないのオメガであったこと、誰かと一緒に出かけたことがなくて八月一日宮との外出がとても楽しかったこと。怪我をしたせいで迷惑だったろうにずっと八月一日宮は親切にしてくれて嬉しかったこと。美化委員の仕事の熱心に取り組んでくれて感謝していること。

 あゆたは与えられるばかりだった。八月一日宮のことを思い出すと、だいたい彼は笑っている。いつも朗らかで、あゆたはこんなアルファもいるんだなと思ったものだ。

 八月一日宮のことを思うと、自然と唇が微笑の形なってしまう。

 あゆたはその唇にミルクティーの缶のふちを押し当てた。
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