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1. 30歳、童貞。異世界転生する。

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佐藤健也。30歳。童貞。

本日、横断歩道で信号無視の車にはね飛ばされて、この世を去りました。


■ ■ ■


「うわあああぁぁ!」

森にこだまする悲鳴に、僕はハッとする。
毟っていた素材である薬草を斜めに下げているカバンに無造作に突っ込んで、悲鳴が響いた方角へと駆けだす。

間に合ってくれればいいけど…!

足に風魔法をかけ、まるでアイススケートのように地を蹴りながら木々を避けて茂みを飛び、悲鳴の聞こえた方へと滑る。

早く、早く!

焦る気持ちとは裏腹に、足はそんなに早くは動かない。
小さな身体に文句を言っても仕方がないが、ぐっと奥歯を噛んで急ぐ。
次第に悲鳴が大きくなり、ものすごい形相の冒険者とすれ違った。
所々血を流し、走っていく彼を横目に僕はその先へと急ぐ。
このまま走っていけばきっと大丈夫だろうと前を向き、足を必死に動かす。

こっちから来たってことは方角は間違ってない!

あの人が魔物を発見した人で逃げてきたとしても、その魔物が残っている可能性がある。
それにこのままその魔物を放置するわけにはいかない。
人の足では魔法を使わなければ1時間もあれば村にたどり着いてしまう。
魔物の足ならば半分かそれ以下。
魔物の姿を確認したら森から上空に飛んで一直線に村を全速力で目指せば5分で着ける。その間に避難をしてもらえば生存率はぐん、とあがる。

できればギルドに報告もしたいけど時間があるかなぁ…。

そんなことを考えながら走っていると視界に入ってきたのは、巨大な魔物と、一人の冒険者らしき人の背中。

「あれって…!」

しかし、僕の視線は剣士ではなく、その先の魔物だった。
この森にはいないであろう大きな白い蛇。
大きな口を開け牙を剥き、長い舌をちろちろと剣士へと向けている。
その巨体が一人の人間に巻き付いているけど、ぐったりとしているから既に事切れているんだろう。

「大丈夫か?!」
「おまえ…!」

剣士の後ろで風魔法を解き、その横まで駆け寄ると剣士の瞳が大きく見開いた。

まぁ…そうだよなぁ…。

鎧を付けた剣士や騎士でもないし、ローブを纏った魔術師でもない。
身軽な盗賊でもないし、魔物を連れたテイマーでもない。

武器を持たない、質素な服を着た、ただの村民だから。

「っち! お荷物が増えただけか!」

舌打ちをしながらも、僕を背に隠してくれる剣士のお兄さん。
だけど、怪我してるじゃない。
そう、剣を持つ利き腕から血が流れているのだ。まだ流れているのかぽたぽたと地面にそれが吸い込まれていく。
これは痛そうだ。
興奮している白蛇はフシャ―!と威嚇の声を上げ、一人の人間を巻き付けたままびたん!びたん!と尻尾を上下に叩いている。

ふええ…おっきいよぉ…。

僕の身長は162cm。
ちょびっとだけ…そう、ちょびっとだけ小さいだけ。
まだ伸びる予定なんだから!

なんて言い訳してるけど、兄ちゃんは190cm近くあるし、父ちゃんも母ちゃんも…いや、何も言うまい。
今のところ僕が一番小さいのは成長期だから。

なんて考えながら白蛇を見上げる。
うん、首が痛い。

頭を持ち上げ、シャー!と大きな口を開く姿は神々しささえ感じる。
けどでかい。めっちゃでかい。
恐らく全長は10mを超えてる。ちなみに高さも今は3mを超えてる感じ。頭だけで1.5mはありそう。
初めて見る魔物だが、とにかく怪我をしているお兄さんから治そうと手を翳した時だった。
青々とした茂みに隠れてて分らなかったけど、そこには白い楕円状のものが置かれている事に気付いた。

あれ? これって…。

「おい! それに近付くな!」

お兄さんがそう叫ぶと同時に白蛇の頭が動き『ガチリ』と嫌な音がした。
それに振り返れば、白蛇の牙を剣で弾いたらしいお兄さんが、険しい表情で僕を見た。

「お前…っ!」
「お兄さんはこれがなにか知っていますか?」

そんなお兄さんに僕は訝しむように尋ねる。
だが僕の質問にお兄さんは眉を寄せただけで、それが『何か』を知らないようだった。

このお兄さん、本当に冒険者なのだろうか。

そんな疑問が頭をよぎったが、今はそれどころではない。
まずは白蛇を大人しくさせるのが先!
白蛇が再びお兄さんに襲い掛かる。お兄さんには悪いけど、もう少しそのままでいてもらおう。
ガギン!ギン!と鈍い音が聞こえるたびに、血が辺りに飛び散る。

お兄さんごめん!

怪我人に戦わせるのは酷だが、今はこの茂みに隠れているそれの確認が優先だ。
お兄さんに背を向けて、茂みをがさりとかき分ければつるりとした表面が姿を現す。
それは近くで見ればまるでオパールのように光り輝いている。

やっぱり。

そっと手を伸ばして状態を確かめると、底が少しだけ濡れている事に気付いた。

ヤバイかも。

そう一人顔色を青くしていると、ざざっと少しの土煙と共にお兄さんが僕の近くまで来ていた。

「…それがなんなのかお前は知っているのか?!」
「はい。近くで見て確信しましたから」

どうやら白蛇の攻撃を凌いだらしいお兄さんはさっきよりも傷を作って、肩で大きく息を吐いている。
フシャ―フシャー!と興奮している白蛇はびたん!びたん!と尻尾を叩いていてまだ興奮しているのが分かった。
本気で殺そうとするならば巻き付けている人を離して僕もろともお兄さんに巻き付けば終わる。
けどそれを白蛇はしないのではない。できないのだ。

「おい!」
「大丈夫ですから」

剣を白蛇に向けているお兄さんに、にこりと笑うとそれを一撫でしてから「絶対に助けるから、もう少し待っててね」とそれに声をかけてから立ち上がる。
そしてお兄さんの背中からひょこりと飛び出すと白蛇の前へと歩み寄った。

「近付くな!」
「大丈夫だよ」

剣を構えて警戒を解かないお兄さんの前に出た僕を再び背中に隠そうとしたが「大丈夫だから」とにっこりと笑えば、心配そうにそして訝し気に見つめてくるお兄さんの視線を背中で受けながら僕は一歩、また一歩と近付き頭を擡げる白蛇を見上げた。

「白蛇様」
「シャアアァァァア!」

白蛇へと話しかけると、大きな口が僕の顔の前まで迫ってくる。
怖い、滅茶苦茶怖いけど一刻を争う。
腰が抜けそうになるがぐっと唇を噛めば、鉄の味が口に広がる。けれど痛みで恐怖が少し和らいだ気がする。
そして大きく深呼吸をすると、僕はその場に膝を折る。

「お前何をしているんだ?!」

お兄さんの怒気を含む叫ぶ声が聞こえるけど、それを聞こえないふりをして僕は正座をして頭を垂れ手をつく。
所謂土下座というものだ。
地面に額を付け、白蛇には見えてないだろうけど目を瞑る。

「白蛇様、今までのご無礼をお許しください」
「シャアアアァァッ!」
「っつ!?」

お兄さんの息を飲む音と、白蛇の威嚇の声が重なる。
そして生温かな空気が僕の身体をすっぽりと包みこんだ。きっと今、白蛇が口を閉じれば僕は白蛇の口の中だろう。
だが、今ここで殺される訳にはいかない。
僕もそうだけど、お兄さんやあの卵の為にも。

「白蛇様、一度だけチャンスをくださいませんか?」
「シュルルル」

長い舌が僕の背中を撫でる感触に嫌悪感よりも恐怖が勝った。

怖い。

一瞬でも白蛇の機嫌を損ねれば、僕とお兄さんの命はない。そして、この卵も。
ぶるぶると震えている身体はきっと白蛇には気付かれているだろう。そしてお兄さんにも。
けれど、僕にはこうすることしか思いつかなかったんだ。
ゆっくりと顔をあげ、真っ赤な口の中をじっと見つめて僕は口を開く。

「この卵を、僕に預けてはいただけませんか?」

途端、長い舌が僕の首に巻きつき、ぎりぎりと締め付けてきた。

「っ…ぐ!」

ざり、と音がしたから、きっと斬りかかろうとしたお兄さんを手で止める。ここで怒らせてしまったら本当に助からない。

「ち…ゆ、つか…え…っ、かは…ッ!」
「――…っつ!」

ぬめぬめとした舌に力が更にこもり、喉が絞まる。
それでも抵抗の意思を見せないように、手は下げたまま。どんどんと顔が熱くなって、くらくらとし始める。
視界が滲んで、生温かな吐息が身体全体に絡まり今度は嫌悪感で手足の指が冷えていく。
お兄さんが何か言っている声も聞きとれなくなってぼんやりし始めた頃、ひゅっと空気が肺に入ってきた。

「がはっ、げほっ!」
「大丈夫か!」

お兄さんが慌てて僕の元へと駆けつけてきて、前へ倒れそうになる僕の肩を抱いて腕に背中を預けるようにして身体を支えてくれる。ありがとう、と言いたいけれども身体は必死に酸素を求めていて、お礼が言えない。
そしてぐい、と袖で口元を拭ってくれたから、きっと唾液で濡れていたんだろう。
ごめんよ、お兄さん。口が閉じられないんだ。
ぜぇぜぇと肩を大きく動かし、酸素を吸い込み忙しなく二酸化炭素を吐き出す。これを何度か繰り返すと、ようやく落ち着いてきた。
その間、白蛇は動かず、じっと僕を見つめている。
お兄さんはそんな白蛇を見て、何か言いたそうにしているがぐっと唇を結び、僕の背中を撫でてくれていた。

「あり…がと…」
「気にするな。それより大丈夫か?」
「ん…だいじょぶ…」

はふ、と最後に息を吐いて身体を持ち上げようとしたが腕にうまく力が入らず、再びお兄さんに肩を支えれられる。

「ごめん…」
「気にするなと言っただろう」
「ありがと」

情けなくてへにゃりと笑うと、大きな溜息を吐かれた。
なんでだ。

「で、どうするんだ?」

そう言ってお兄さんが視線を白蛇に向ける。まだちろちろと舌を出したり引っ込めたりしてるけど、襲ってくる気配は見せない。

「卵を救う」
「…卵? あれが?」

そう言いながらちらりと背後にある白い楕円のものを見るお兄さんはやっぱりこれが何か知らなかったみたいだ。
ということは、ただの冒険者じゃない。
それが分っただけでもよかった。お兄さんが去ったらギルドに報告しておこう。

身分を偽って白蛇様の卵を盗もうとしていました。って。

それに今は…。

「とにかく、直ぐに治癒をかけなきゃ死んじゃうから」
「死って…まさか…!」
「まだ生きてる。今なら間に合うから」

じっとお兄さんの綺麗な空色の瞳を見つめると、どこか困惑したような表情を浮かべたが「分った」と頷くと膝の裏に手を差し入れられそのままひょいっと持ち上げられた。

「ぅえ?! ちょ…っ?!」
「暴れるな。まだふらふらするんだろう?」
「ぐ…ぅ」

無理はするな、と言われ、大人しくお兄さんに抱きかかえられたままほんの少しの距離を移動する。
まだ頭がくらくらして、がんがんと痛み始めた僕にとって、少しの振動でも響いてくる。気持ち悪くないだけましか、と思いながらちょっとだけお兄さんの身体に凭れるとふ、と小さく息を吐いた。
そう、これから卵に治癒をかけなければならないのだ。
そのチャンスを白蛇様はくれたのだから。
万が一でも「できません」なんて言えば、あっさりと食い殺されるだろう。

「…大丈夫か?」
「ん? たぶん」
「顔色が悪い」
「お兄さんの怪我程じゃないよ」

そう言ってくすりと笑えば、眉を寄せ苦虫を潰したような顔で僕を見た。

「ここでいいか?」
「ありがとう。お兄さん」

卵のすぐ横に下ろしてもらい、離れていく腕に「あ、ちょっと待って」と声をかけ、裾を摘まむと傷付いた腕に手を翳す。
そして、翳した手の平に意識を集中させると、ポワと光が現れた。
そのままその光を大きくして、お兄さんの腕に掌を滑らせていく。

「ごめん、ちょっとしゃがんでくれる?」
「あ、あぁ」

座り込んで動けない僕の情けないお願いを聞いてくれたお兄さんは、片膝を付いてくれた。

「ありがと」

お礼を言って、肩まで光を滑らせると「逆もね」と言えば、逆の腕を差し出してくれた。
結構深い傷なんかもあったりして痛そうだな、なんて思いながら同じように肩まで光を滑らせると、お兄さんが手を開いたり閉じたりしている。

「すごいな」
「言ったでしょ? 後で治すって」

ふへへ、と笑ってお兄さんを見れば、片膝を付いたまま頭を下げていた。

「…助かった」
「べ、別にそんな大したことないし!」

ぶぶぶ、と首と手を左右に激しく動かし「頭を上げて!」と必死に言えば、お兄さんが頭を上げてくれた。
ああ、せっかく頭痛が治まったのに、またくらくらし始めた…。僕のバカ…。
でも頭を上げてくれたことにほっとするとお兄さんの頬に切り傷があるのに気付いて、つい、本当につい、両手で頬を包んでしまった。
それに驚き、お兄さんの綺麗な空色の瞳が大きく見開く。それにつられて僕も瞳を見開けば、治癒魔法を無意識に使っていた。
その眩しさに瞳を細めるお兄さん。その光は慣れてる僕。
治癒の光が消えると、切り傷は跡形もなく消えていて。

「ご、ごめん!」
「いや、気にするな」

そう言ってふい、と視線を逸らすお兄さんの頬から手を離すと、なんだか居心地が悪くて卵の方へと向いて卵に治癒魔法をかける。
僕の今の家さ、近所にちっちゃい子がいてよくやんちゃするんだよ。それでつい怪我とか見ると「治してやらなきゃ」って思っちゃうんだよ。
それがまさか見ず知らずのしかも、冒険者かも怪しいお兄さんの頬を包むとか…。
なんで童貞の僕がそんなことができるのかって?

それなりに知識はあったからな! 使うことはなかったけど!

だから前世ではできなかったあれやこれやを家族に対してやってるんだ。
前は一人っ子で両親ともあんまり一緒に過ごした記憶はなかったけど、今は結構大家族って感じで、常に一緒にいるし。
ちなみに、今の家族は父ちゃんに母ちゃん、細マッチョ兄ちゃん×2がいる。
なんせ仕事は畑がメインだからな!
数が多ければ多いほど楽になる!
けど今は僕が魔法でうにゅうにゅしてるから楽っちゃあ楽なんだけど、でもやっぱり人の手が入った方がおいしく感じるんだよね。

魔法で成長させた愛情のあまりない作物と、人が手間暇かけて愛情をたっぷりと注いだ作物とでは。

だから畑仕事で生傷を毎日こさえてくる父ちゃんや母ちゃん、それに兄ちゃんたち。ついでに遊んで転んで傷を作る近所の子と同じように身体が動いちゃうんだよ…。

慣れって怖い。

「あ、そうだ。お兄さん」
「…なんだ」

不機嫌そうに答えてくれるお兄さんに、僕は苦笑いを浮かべる。

「その…エリキシルって持ってる?」
「は?」

何言ってんだこいつ、みたいな顔された。
まぁ普通はこういった森なんかに来る時は持ってくるよね。体力回復薬のポーションと魔力回復薬のエリキシル。
でも僕は今日、森に入る予定なんてこれっぽっちもなかったんだよ。

まさに予定外。

それに加えて、治癒魔法をかけ続けなければならない事態。
うさん臭い冒険者とはいえ、それなりに持っているはず。それにここから村までなら風魔法で行けば20分もかからないんだけどその時間さえ今は惜しい。

「1本でいいんだ。持ってない?」

どんなに粗悪なエリキシルでもこの割れた殻を治せるだけの魔力があればいいんだ。
でも一回では絶対に無理だと思うし、一応保険として欲しいだけ。
お願いします!と頼めば、はぁ、とお兄さんは大きな溜息を吐いて肩を竦めた。

「俺も怪我を治してもらったからな。ほら、1本でいいんだな?」
「わぁ!ありがとう! これから夜通し治癒をかけるから助かった!」

言うなりお兄さんがごそごそとウエストポーチみたいなものから瓶を取り出していたその手がピタリと止まった。

「夜通し?」

さっきとは違い低い声でそう尋ねてくるお兄さんに若干ビビりながらこくりと頷いた。


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