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第七章
ただいま
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ウィルの家は、魔物の襲撃を逃れて無事であった。
ウィルはかつて寝起きしていた自分のベッドに横たわり、白い息を吐きながら天井のシミを見つめていた。
「……寒……」
上着はアゼルと一緒に置いてきた。
室内とは言え、結界の消えた山の中は酷く冷える。明日の朝には、この村は雪に埋もれることだろう。
リビングに降りれば、フェリナが暖炉に火を入れたので暖かいかもしれない。しかし動くことが億劫でたまらないのだ。
「……」
フェリナはネコの姿で、ウィルの顔のすぐ横で丸くなっている。人の姿では、彼に何と声を掛けたらいいのかわからなかった。
ウィルは、アゼルの血がこびり付いた手を首元に動かした。指先がいつもの癖で指輪を探したが、そこに触れるものは何も無い。
(絶対に失くすなって父さんに言われたのに……)
投げ捨てた指輪は、ゼンに預けたと言っていた。返して貰った方がいいだろうか。それともーー動き始めた思考だったが、途中で電源を落としたみたいに、考えることをやめた。
ーーどうでもいい。
部屋の窓ガラスがガタガタと揺れる。風も雪も強くなってきた。
時間だけが、ただ無作為に流れていく。
「っ!」
突然ネコが顔を上げた。耳をピンとそば立てて、部屋のドアを見つめる。
「ウィルー? いるかー?」
ドンドンとドアがノックされ、聞こえてきたのはラリィの声だ。
ウィルは返事をしない。代わりにネコがドアの前でニャーと鳴いた。
勢いよくドアが開き、ランプの灯りを持ったラリィが入って来た。
「ここに居なかったらどうしようかと思った。外、すげー吹雪だぞ」
ラリィの肩には雪が積もっている。
「この部屋、寒くねーか? 暖炉あるところに移動しねぇ?」
「……」
ウィルは無言のまま寝返りを打ち、ラリィに背中を向けた。
ラリィはランプをデスクの上に置いて、ウィルのいるベッドに腰掛ける。
「悪ぃな。ホントはリズがここに来るって言ってたんだけど、こんだけ雪が酷いと行かせらんなくて。オレで我慢してくれよな」
ネコが心配そうにラリィを見上げている。ラリィはネコを抱き上げ、自分の上着の中に入れてあげた。ずっとこの部屋でウィルに付き添っていたネコの体は、すっかり冷えている。
「せめて布団被れよ。体壊すぞ」
ウィルの体の下から掛け布団を引っ張り出し、それをウィルの体に掛ける。頭まですっぽりと布団を被ったウィルは、少しだけ体を丸めた。
「あのさぁ……お前、全部自分が悪いって言ってたけど、アレなんで?」
「……」
「村長が死んだのって、ウィルが悪いのか?」
アゼルの名前に、僅かにウィルの指先が震えた。
「ウィルは何にも悪くなくね? 研究所の実験だとか、キリーたちの事だって、悪いのは全部昔の連中じゃねーか」
ウィルからの反応は無い。それでもラリィは続けた。
「弥月がやってるのは、ただの八つ当たり。ウィルも、お前の父ちゃんも母ちゃんも、お前の爺ちゃんたちだって悪くない」
ウィルは暗闇の中で強く目を閉じる。
もういい。もう聞きたく無い。
「ウィルがここに帰ってきたからこんな事になった、とか考えてたら、それも違うぞ。あいつのは復讐とかじゃねぇ。楽しくてやってんだよ」
ラリィは両手を擦り、自分の吐く息で指先を温める。
「なぁ、ウィル……」
「……っさい! うるさい! もうどうだっていい!」
布団の中からウィルは叫んだ。
「お前ら、全員もうどっか行けよ! 俺の前から消えろ!」
布団を抱きしめた手が震える。奥歯が噛み合わなくて、カチカチと音が鳴った。
「ウィル」
「剣士になんかなるんじゃなかった……! あの日……父さんと母さんと一緒に死ねば良かった……! そうすればこんな……っ!」
「……」
「もう俺に関わるな!!」
「ウィル!」
ラリィは布団を捲り、ウィルの首根っこを掴んで顔を上げさせた。
アゼルの返り血と涙でぐしゃぐしゃに歪んだその顔を見て、ラリィは理解する。
ウィルは自分を責めているわけではない。ーー怯えているのだ。
また誰かが死ぬかもしれない。自分の目の前で、より残酷な方法で。
それは予感ではない。確信だ。
「もう聞きたくねぇんだよ……!」
優しい言葉は聞きたく無い。
優しくされるほど、失うのが怖くなる。
「ウィル……」
ラリィは長く息を吐くと、ウィルの頭をくしゃくしゃと撫で回した。
「約束しただろ? オレは簡単には死なねーって」
「……っ!」
「オレは独りじゃねーもん。リズもセイルもゼンもいる。あいつらだってそうだ。オレが全力で守る。勿論、ウィルもな」
無理だ。あんな指一本で人を殺せる奴に、敵うわけがないーーそう言いたいのに、言葉が出ない。
涙が溢れて止まらない。
怖くて、怖くて堪らないのに、温かい。この温かさに縋りたくなる。信じたくなる。
「だからウィルも、オレたちを守ってくれよ。お前、オレより強いんだからさ」
ラリィは上着のポケットから、紐に通した綾乃の指輪を取り出した。そしてそれをウィルの首にかけながら、呟いた。
「俺だって、大事なもんは2度と失いたくねーよ」
翌日、学校の体育館で簡易的にアゼルの葬儀が行われた。
村の指導者を失い、村人たちの表情は一様に暗い。他所者を連れて来たせいだとウィルを責める声も上がったが、ウィルは気丈に顔を上げてアゼルに別れを告げに行った。
そして夕刻。
「ま、なんとかなるじゃろうて」
ウィルの家のキッチンで、明るい声でそう言ったのはエルミナだった。
彼女は持ち込んだ食料を包丁で捌きながら、リビングにいるセイルに言う。
「もともと村の移動を考えておったのじゃ。場所の候補は既にいくつか挙がっておるし、誰かが結界を張る術を習得できれば、ここを再建することだって出来る。最終手段は、グランチェスの領主じゃな」
竜との交流を熱望しているディアス侯爵ならば、力を貸してくれるかもしれない。そう助言したのは、フェリナである。
「何か力になれることはあるか?」
「既に色々として貰っておるわ」
セイルの言葉に、エルミナは笑う。
魔物の襲撃から村人を守ったことは勿論、今も壊れた家の修繕の手伝いをしたり、ケガ人の手当てをしたりと、村の中を奔走している。セイルもまだ全身に酷い倦怠感が残っているが、早朝から雪おろしをしてきたところである。
「何よりも、お主らに弥月のことを押し付けてしまっているからの」
「……」
束の間、沈黙が降りる。エルミナの頭の中で、昨夜聞いたこの村の起源の話がぐるぐると巡っていた。
「研究員の末裔は、ウィルだけではないはずじゃ。何故、せめてもの贖罪にと綾乃の指輪を守り続けたこの家だけが苦しまねばならんのじゃ」
まな板に包丁を叩きつけるようにして、エルミナは人参を切っていく。
「この村でアゼルの次に長生きなのはゲンさんじゃ。当時ゲンさんが生きておったのか、この件を知っておるのかはわからぬが、彼が村長になった暁には、この話は全員が知っておくべきじゃと提言する!」
「……やめておけ」
「何故じゃ!?」
ため息混じりのセイルの言葉に、エルミナは包丁をまな板に突き刺した。
「今回の事はウィルのせいだと囁く者もおるのだぞ!? このままでは、小僧が哀れでならん!」
「だからと言って、そんな事あの村長は望んでいないだろう。当時の奴らは全員死んだ。末裔だからと過去の罪を押し付けて、この村をどうするつもりだ。自分には関係のない罪の意識を背負って生きろと?」
「し、しかし……!」
「あの村長は賢いな。周りは魔物がいるからと、村人たちに自然と自衛の術を持たせた。しかし実際に恐れていたのは、たまたま出くわした魔物などではなく、今回のような出来事だったのだろう」
綾乃の存在を知り、悪用しようとする連中から自分自身と指輪を守る。
そのお陰で今回も、人的な被害は最小限に食い止められた。
「村長が望んだのは、明るく平和な村だったんじゃないのか」
「……」
エルミナは沈黙し、再度包丁を握った。規則正しく、玉ねぎを切る音が響く。
アゼルは穏やかな気性の竜だった。争いを嫌い、人々の笑顔を愛していた。そんな彼の背中が、エルミナの脳裏に思い浮かんだ。
「……お主は生意気じゃ」
不貞腐れたエルミナの声に、セイルは小さく笑った。
「ーー本当に信じられない! あんた、いくつになったのよ!?」
「いくつになっても、雪はテンション上がるだろ?」
「馬鹿じゃないの!?」
怒るリズと、ヘラヘラと笑うラリィが家の中へと入って来た。リズは急いで上着を脱ぐと暖炉の前へ直行し、背中を温める。
「……何をやってるんだ」
「この馬鹿に服の中に雪を詰められたのよ!」
こんな時に何をやっているのか、という皮肉だったのだが、リズには通じなかったようだ。
「悲鳴上げた時のリズの顔! すげー面白ぇ顔してたぞ!」
ニヤニヤと笑いながらセイルの側へやって来るラリィ。セイルはそんなラリィを半眼で睨みつける。
「俺にやったら殺す」
「ヤ……ヤだなぁ! セイルにそんなことするわけねーじゃん!」
ラリィは握っている雪玉を後ろ手に隠した。
「ゼンは? 2階?」
「書斎でカリュドと魔法書を見ているが……」
焼け残っていたアゼルの家から持ち出した魔法書。そこに結界を張る方法があるかもしれないと、2人で調べているのである。
セイルは2階に向かうラリィを止めようかとも思ったが、面白そうだったのでそのままにしておいた。
「ウィルは帰ってきた?」
「まだじゃ。雪で埋もれておるから、時間が掛かっておるのじゃろう」
リズの言葉に答えるエルミナ。
ウィルはフェリナと一緒に、両親の墓参りに行っている。
「ほれ、人間用の飯を作るのは慣れておらん故、手が空いたのならお主も手伝え」
「あ……うん。わかったわ」
「やめろ、リズ。そこから動くな」
腕まくりをするリズを手で制し、立ち上がるセイル。代わりにセイルがキッチンに入った。
「なんじゃ、キッチンに立つのは女の仕事じゃろ」
「古い慣習に文句を付ける気は無いが、あいつには立たせるな。食材がゴミになる」
「料理が苦手なのは事実だけど、言い方が酷くない?」
「お前の作ったものは2度と食いたくない」
リズが不服そうな顔をした時、2階からラリィの爆笑する声が聞こえてきた。それからやや早い足音が階段を降りてくる。
「……」
無表情のまま、暖炉の前で濡れた背中を乾かすゼン。
「ひゃっひゃっひゃっ! ゼンでもあんな顔するんだな! あーっはっはっはっ! 腹痛ぇー!」
笑い転げながら降りて来たラリィを、ゼンは静かに抗議する目で見つめた。
ーーそんな賑やかな声は、玄関の外まで聞こえてきていた。
ウィルは玄関の前で、ドアノブに手を掛けたまま立ち止まっている。
「ウィル? 入らないの?」
心配そうにウィルの顔を覗き込んだフェリナだったが、そこに浮かんでいた彼の表情を見て、思わず笑みが溢れた。
ウィルは顔を上げ、玄関のドアを開く。
「ただいま!」
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